こゝろ (角川文庫)

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レビュー : 511
  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041001202

感想・レビュー・書評

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  • 有名すぎて今更レビュー書くまでもないけど。笑

    これは多分昔一度読んでるなと思いながら読んだけど記憶が曖昧で、大方学生時代に感想文を書くために読んだというところだろうと推測。
    でもこの物語の深み、中高生の時に理解出来てたかな?と思った。

    「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」からなる長編。
    奇妙な友情で結ばれている先生と私。ある日先生から私に遺書が届き、初めて先生の過去が明かされる。そこには、エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が在った。

    「こうなってしまったのは自分のせいだ」と思う出来事は生きていればけっこうな確率で起こる。些細なことから、人の命が関わることまで。
    その罪の意識を抱え続けるのはあまりにも苦しいから、大抵の人はそれを薄れさせる図太さと時間に身を任せる。そして実際だんだんと忘れていく。
    だけどそれが出来ない人間もいて、先生はそういう人間だったのだと思う。
    それは物凄い自己陶酔でもあると思うけれど、本人にしてみたら逃れられない思いなのだろう。
    もしかしたら頭では色んなことを理解していたかもしれなくて、起きてしまった出来事も様々な要素から成っていて自分一人の責任ではないことも先生は分かっていたのかもしれない。でも頭では理解出来ても“こころ”が許さない。人の心は、思うようには操れないから。

    先生の奥さんは本当に何も気づいてなかったのか?とひとつの疑問。ある程度勘の鋭い女なら気づきそうな気がする。
    でもそれは男性作家の作品だから、善良すぎて鈍感な女性として描かれているのかも。

    そしてこの装丁が素敵。昔の純文学の小説がちょくちょくこういう装丁で売られてるから、ついつい買ってしまうという罠が。笑

  • 何回目かの再読。

    カリスマホストの書評に「他の男に対して威嚇し、マウンティングを取りたい先生が、お嬢さんをそのための道具として結婚する、現代においては賞味期限の切れた話」というようなこと(かなり要約したがズレてないつもり)が書いてあった。

    「高尚な文学作品」を、このように扱われると怒り出す人もいるだろうか。
    かくいう私の前回のレビューにも、内容については割と似たようなことを書いていて、思わず、えっ、私こんなこと書いたっけ?と驚いてしまった(笑)

    誰かが自分の人生を決めることが当たり前だった世の中から、自分が自分の人生を決めることの当たり前に移ってゆく。
    先生とKがその先駆けだったとすると、「私」の時にはそれがもっと敷衍していたとも言える。
    「私」にとって実父は田舎の悪習でしかなく、先生こそが新時代のお手本として、上・中は展開する。

    しかし、先生もKも故郷を失った人間だった。
    そういう意味で、二人は同じ「寂しさ」を抱えていたのではないだろうか。
    先生はKを「人間らしく」するために奮闘するわけだが、その実、二人ともきれいなまま、自分として生きることを誰かに認められたかったようにも思う。
    結局、それは恋という形で、お嬢さんに向かうしかなかったのかもしれない。

    私はずっと、乃木大将の自殺と先生の自殺に何の因果があるんだろうと、疑問に思っていた。
    時代の終わりって、何なんだろう、と。

    乃木大将は、忠君という、誰かによって自分の人生を決める時代の象徴だったのだろうか。(言い方が難しいけれど)
    先生とKもまた、そんな時代に抗おうとする一方で、個人として生きてゆくことの「寂しさ」を抱え続けてきたのかな。

    一途すぎる二人の大学生と、友人を亡くして後もきれいであろうとする先生を見ていると、今回の再読は苦しかった。
    死を選ぶことで解放される、そんなエンディングは人間に何を残すんだろう。

    作品に賞味期限は、ないと思う。

  • 「時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作」。

    最近『門』を読んで感銘を受けたので、似たようなテーマを扱っている本書を再読することにしました。装丁がかわいらしい角川文庫版をチョイス。

    『三四郎』から続く三部作と比べると、描写がより研ぎ澄まされた印象を受けます。余分なものは一切なく、情念のほとばしりみたいなものがピュアに引き出されている。圧倒的な完成度。

    10代のころに読んだときは、Kと先生の内面的な苦悩が自分の中のドロッとした何かと共振して、ひどく感動した記憶があります。しかし今回はそういうことはなく、どちらかというと奥さん/お嬢さんの人となりに惹かれました。漱石のヒロインはいいです。やっぱり。

    ただ友情とか恋愛が重要な要素になっているので、あのひりひりした感覚を肌身で感じる時期に読んでおきたい作品だと改めて思いました。この作品には、若い頃にしか味わえない何かが確実にあります。

  • 昔の小説だと思えないほど読みやすかった。人間というものについて緻密に考察されていくのは秀逸だったし、考えさせられる部分も納得する部分も感銘を受ける部分も多く、とても面白かった。
    中で遺書を受け取り「私」は汽車に乗って終わり、下は全体が「先生」の遺書だけど、汽車に乗った後「私」はどうなったんだろう。
    人間って悲しく儚いものだということが全体からの印象。読んで良かった。名言が多過ぎる。書き写したいけど写せる量じゃないくらい(笑)所々で「私の心臓」を「ハート」と片仮名読みするあたりも素敵。

  • そういえばきちんと通読していなかったと、今更ながらに読みました。あれ? 漱石ってこんなにも読みやすかったっけ? と思いながらスルスルと読み進めたつもりだったのですが、実際は普段よりも時間が掛かっていました。これは面白い感覚ですね。読みやすさと読み応えの共存というのでしょうか。
    エゴイズムと罪の意識の葛藤。それだけならば、下の「先生と遺書」のみでも書けるのではないか。でもそのできごとを経た上でどのように生きるのか。それが上の「先生と私」で書かれているのでしょう。しかも他者の目から書くことにより、罪を背負った者の姿を浮き彫りにしているのでしょう。またその罪について最後まで明かさないという一種ミステリ的手法により、読者は引き込まれながら先生の内へと入っていくのでしょう。
    となれば、中の「両親と私」の立場はどうなるのだろう。てっきり下編のあとで私の思いが書かれ、そこに両親の(死にいく父への)思いが絡むのかと思いきや、先生の遺書のみでぷつりと途切れてしまう。しかし中編の最後、その遺書を読んだ私が死を目前とした父を置いて先生の元へと行く、そのことが答えなのでしょうか。それを書くためにこそ中編は存在しているのでしょうか。
    漱石については研究され尽くされているので、その答えもきっと誰かが述べられているのでしょう。しかし今は自分の心の中でしばらくその思いを熟させてみます。

  • 今なら読める。
    学生時代に一部分を読んだはずなのに全く記憶がないのがなんとなく情けない気がしたのでいつか読みたいという考えを燻らせながら本屋に立ち寄ったところ、店頭に並んでいた素敵な装丁を手に取り、そう思った。
    厭世観と罪悪感。
    そして、自意識。

  • 苦しくなるかんじ。ぎゅってなるような

  • 大変今の今更読みかえしていて、ああ、やっぱりすごいな、という実感がふつふつと湧き上がってきた。
    何がすごいって、ただひたすらに、主人公である「私」や「先生」の人物描写や、その裏にある生い立ちなどが、めちゃくちゃ詳しく書いてあるかというと否だが、その塩梅が(なんだこの文章)。
    人格形成には当たり前だが、色々なその人にとっての事件が左様している。
    「私」も「先生」も「K」も「お嬢さん」も。そんなことを、当たり前なのに、当たり前のことに気付かされた。
    高校のときに教科書に載っていた「先生の遺言」パートも、今読むととても瑞々しい(結果としては悲惨だけど)大学生の恋愛模様、や、大人になりかけの狡猾さ、などがとてもよかったし、「両親と私」のパートはかなり面白かった。
    名作、を、改めて読むというのはとても良いなと思う。

  • 恋は罪悪ですよ。わかっていますか

    本棚の整理中、ふと読みたくなって再読。
    高校生の頃に教科書で「先生と遺書」の一部分を読んで、内容が気になって読んだのが最初だったと思う。
    多くの方が素晴らしい評価をしてくださっているので、私が内容に触れることは何もない。ただ、私の読んだ感想としては、飲み込まれると感じたことだ。暗い内容だと思うし、時代も違うので共感できない部分だって多くある。けれど、渦のような流れに飲み込まれていくと思った。どこがいいとか難しいことはわからないが、確かに名作だと思う。

  • 鎌倉の海水浴場 で出会ったその人を、私は先生と呼 び慕った。先生の家に厄介になるう ちに、厭世観の裏にあるものを知り たいと思った。父の危篤の知らせに 田舎に戻るが、いよいよ危篤という 日に先生から分厚い便りが届く。そ れは先生の遺書だった

    友人を裏切り死に追いやったことを 誰にも知られたくないという浅まし さ。自分を騙して財産を奪った叔父 の汚さと全く同じだった自分に絶望 し、死んだように生きてきた。 普遍 的にある人の心の弱さを極限にまで えぐり出す。やはり、文豪の小説は 重いな、と思ったのだった。

著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

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