こゝろ (角川文庫 な 1-10)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041001202

作品紹介・あらすじ

「自分は寂しい人間だ」「恋は罪悪だ」。断片的な言葉の羅列にとまどいながらも、奇妙な友情で結ばれている「先生」と私。ある日、先生から私に遺書が届いた。「あなただけに私の過去を書きたいのです…。」遺書で初めて明かされる先生の過去とは?エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。解説、年譜のほか、本書の内容がすぐにわかる「あらすじ」つき。

感想・レビュー・書評

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  • 学校で遺書の部分しか学んでおらず、全部読んでみたいと思い購入。
    本当に難しいです。繊細で、残酷で、登場人物の言葉一つ一つに重みを感じる作品でした。大体内容は掴めるのですが、細かい心情表現となると、全て理解するのには大変骨が折れます。今回は解説や注釈をしっかり読んで自分の解釈が合っているのか確認したぐらいです。また数年後、自身の成長と照らし合わせて読み返したいです。

    私はこれほど心悩ませる恋愛をしてきていません。臆病で慎重な私ですから、このような大それたこと出来るはずないと今は思うのですが、本当にこの人としか生きて行けないと思う時が来れば、友人を出し抜き嫁にするほどの勇気を私は得られるのでしょうか。

  • 2023年の読み初め。
    新春に読むものではないきもするが、わたしはこの本が好きだ。

    Kの死に、毎回鳥肌がたつ。
    Kの血潮は、眠る先生の顔にまで及んだのではないかと初めて思いいたる。
    頸動脈は首のどこにあって、どう切るとああなるのかを検証したレポートまで読んでしまった。

    半藤氏によると、先生の遺書がこんなに長くなったのは、漱石の次に連載予定だった志賀直哉がなかなか書けなくて、間を持たせるためだったんだとか。
    それを差し引いても長いが、つくづく漱石は専属作家としても連載作家としても優秀だ。

    当時のエゴやら孤独やらも、令和になって一周まわった感がある。
    もはや孤独は普通だし、資産家じゃなくても遊んで暮らせるし、天皇にはなんの権限もない。
    また、時代の変わり目に読もう。

  • 誰にも見せたことのない胸の中を明かされたような気分がしてこわい

  • '22年4月11日、読了。角川文庫版では、初、かな…

    東野圭吾さんの「学生街の殺人」を読んで、なんだか幸せな気分になってしまって…なんとなく「久しぶりに」読みたくなって、再再再……もう何度目か、全く覚えていません(少なくとも、数十回、かな)が、読みました。
    角川文庫版を選んだのは、中村明さんの解説だったからです。(因みに、その解説は、今はまだ未読です)

    「ここがこう」とか「あそこがああ」とかは、語りません。でも、こころに残ったものを…

    『ペンには、つまり文学には、「力」がある…そして、「美」は、揺るがない』なんて、おセンチにも思ってしまいました。やはり、何度読んでも、巨大な感動(。ŏ﹏ŏ)

  • 何回目かの再読。

    カリスマホストの書評に「他の男に対して威嚇し、マウンティングを取りたい先生が、お嬢さんをそのための道具として結婚する、現代においては賞味期限の切れた話」というようなこと(かなり要約したがズレてないつもり)が書いてあった。

    「高尚な文学作品」を、このように扱われると怒り出す人もいるだろうか。
    かくいう私の前回のレビューにも、内容については割と似たようなことを書いていて、思わず、えっ、私こんなこと書いたっけ?と驚いてしまった(笑)

    誰かが自分の人生を決めることが当たり前だった世の中から、自分が自分の人生を決めることの当たり前に移ってゆく。
    先生とKがその先駆けだったとすると、「私」の時にはそれがもっと敷衍していたとも言える。
    「私」にとって実父は田舎の悪習でしかなく、先生こそが新時代のお手本として、上・中は展開する。

    しかし、先生もKも故郷を失った人間だった。
    そういう意味で、二人は同じ「寂しさ」を抱えていたのではないだろうか。
    先生はKを「人間らしく」するために奮闘するわけだが、その実、二人ともきれいなまま、自分として生きることを誰かに認められたかったようにも思う。
    結局、それは恋という形で、お嬢さんに向かうしかなかったのかもしれない。

    私はずっと、乃木大将の自殺と先生の自殺に何の因果があるんだろうと、疑問に思っていた。
    時代の終わりって、何なんだろう、と。

    乃木大将は、忠君という、誰かによって自分の人生を決める時代の象徴だったのだろうか。(言い方が難しいけれど)
    先生とKもまた、そんな時代に抗おうとする一方で、個人として生きてゆくことの「寂しさ」を抱え続けてきたのかな。

    一途すぎる二人の大学生と、友人を亡くして後もきれいであろうとする先生を見ていると、今回の再読は苦しかった。
    死を選ぶことで解放される、そんなエンディングは人間に何を残すんだろう。

    作品に賞味期限は、ないと思う。

  • 有名すぎて今更レビュー書くまでもないけど。笑

    これは多分昔一度読んでるなと思いながら読んだけど記憶が曖昧で、大方学生時代に感想文を書くために読んだというところだろうと推測。
    でもこの物語の深み、中高生の時に理解出来てたかな?と思った。

    「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」からなる長編。
    奇妙な友情で結ばれている先生と私。ある日先生から私に遺書が届き、初めて先生の過去が明かされる。そこには、エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が在った。

    「こうなってしまったのは自分のせいだ」と思う出来事は生きていればけっこうな確率で起こる。些細なことから、人の命が関わることまで。
    その罪の意識を抱え続けるのはあまりにも苦しいから、大抵の人はそれを薄れさせる図太さと時間に身を任せる。そして実際だんだんと忘れていく。
    だけどそれが出来ない人間もいて、先生はそういう人間だったのだと思う。
    それは物凄い自己陶酔でもあると思うけれど、本人にしてみたら逃れられない思いなのだろう。
    もしかしたら頭では色んなことを理解していたかもしれなくて、起きてしまった出来事も様々な要素から成っていて自分一人の責任ではないことも先生は分かっていたのかもしれない。でも頭では理解出来ても“こころ”が許さない。人の心は、思うようには操れないから。

    先生の奥さんは本当に何も気づいてなかったのか?とひとつの疑問。ある程度勘の鋭い女なら気づきそうな気がする。
    でもそれは男性作家の作品だから、善良すぎて鈍感な女性として描かれているのかも。

    そしてこの装丁が素敵。昔の純文学の小説がちょくちょくこういう装丁で売られてるから、ついつい買ってしまうという罠が。笑

  • この作品の愛ゆえに、先生に対してかなり辛辣な感想になってます。
    不快に感じる可能性のある人は、読むのをお控えくださいm(_ _)m


    …………………………………………

    只今、私38歳。
    この歳になって何度目かの再読で、新しい側面発見しまくり。
    こころって、こんなに人間の身勝手さ、エゴの強さを見せつけられる作品だったのか…
    マジで反面教師かよ、(先生だけに)


    「先生と私」「両親と私」
    先生の思わせぶり、構ってぶりが凄い

    「私々は最も幸福に生まれた人間のいっついであるべきはずです」
    「また悪いことを言った。焦らせるのが悪いと思って説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦らせるような結果になる。どうも仕方がない」

    あとは先生の奥さんが可哀想すぎる。
    「自分と夫の間にはなんのわだかまりもない。またないはずであるのに、やはり何かある。
    それだのに目を開けて見極めようとするとやはり何にもない。奥さんの苦にする点はここにあった。…疑いの塊をその日その日の情合で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けてみせた」
    ↑表現好きすぎる

    そして「先生と遺書」

    最初、修行僧のような友人のKを不憫に思ってお嬢さんの下宿に引き入れるが、お嬢さんとKが必要以上に仲良くなると面白くない…

    人の心はままならんのう( ; ; )

    しかしだね
    「私は〇〇に思い切って思いを打ち明けようと思った。無論その勇気もあった。でも(外的な要因)のためにできなかった」みたいなとこがめっちゃ目につく

    ごちゃごちゃうるっせえええ!
    この言い訳野郎が!
    結局は怖くて出来なかったんだろうが!

    問題のKの部分も、Kと先生の対比がエグい。
    他人への思いやりのために自分の辛さや、肝心の部分は一言を言わずに全てを無に帰したK。
    そんなKを目の当たりにして保身に走った先生。
    更に極め付けはこうだ。

    「私はわざとそれをみんなの目につくように、元の通り机の上におきました」
    オイイイイ!このゲスーーーー!!!!


    その上、妻には何も知らせたくないだの、妻の記憶を純白に保存したいだの勝手すぎる(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

    女性は、好きな人から上限一杯の愛情を注がれている!という事実が大事なんだよ!
    俺のことカッコいい完璧な俺のまま好きでいてほしいーなんて男の勝手
    これで奥さんの切ない疑惑が晴れることは一生ない。お前が理解されない寂しさを語るなよ!
    奥さんの方が1000倍寂しいわアホ!!

    奥さんに一生隠すつもりなら別れろよ、と思う。
    そこは自分が痛めよ!
    奥さんとのささやかな幸せを受け取っておきながら、都合が悪いところはずっと隠しておきたいなんて、どんだけ!

    お陰で奥さんはお前の死後もその後の人生ずっとずっと辛いんだぞ!別れてくれれば、時間がかかったかもしれないけど、別の幸せがあったかもしれないのに。


    ああーでも人間の永遠のテーマですよね
    自分の利益を優先してしまう
    先生はムカつくけど、気持ちが分かるからムカつくんだよね
    自分を優先したい気持ちをグッと堪えてKのように他人のために自分を削るのは辛い
    けど、より良い人間になるためにそこを目指していこうや…ってメッセージを感じた


    憎いのは、遺書と共に物語もバッサリ終わってるところなんだよね…
    だから「私」がどう思ったか、先生は自殺したのかは結局分からないんだよね

    この余白が物語に一層の深みを与えてる気がする
    フゥ….気が済んだよ…

    暴言すみませんでした


    • naonaonao16gさん
      ねー、聴いてよ、今日38歳になっちゃったよ、、

      『こころ』中学の教科書以来読んでないな、、
      普段あんまり授業に集中していないクラス全体が息...
      ねー、聴いてよ、今日38歳になっちゃったよ、、

      『こころ』中学の教科書以来読んでないな、、
      普段あんまり授業に集中していないクラス全体が息を呑んでその瞬間を迎えたなぁ、と思い出に浸っちゃった。
      2023/05/13
    • ミオナさん
      わあ!誕生日おめでとう╰(*´︶`*)╯♡
      38歳、私数えで39だから一つ下だね
      やっぱり同世代だった!
      嬉しい♡♡♡

      私もめっちゃ久しぶ...
      わあ!誕生日おめでとう╰(*´︶`*)╯♡
      38歳、私数えで39だから一つ下だね
      やっぱり同世代だった!
      嬉しい♡♡♡

      私もめっちゃ久しぶりに読んだんだよ
      こんな話だったの?ってびっくり
      国語でやった時のこと思い出すよねー
      やっぱり名作は授業で扱ってもちょっと引き締まる感じだよね
      2023/05/14
  • 生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろう…


    妻の記憶を純白のままに保存してやりたい、というのは先生の卑下とエゴだな… 私は女なので、お嬢さん(妻)の孤独を考えると、たとえ若き日の清い記憶が汚れたとしても共有して欲しいと思ってしまう。妻が「今」を生きているのに対して、先生が「過去」を生きてしまってるがゆえに起こるすれ違いだと思った。

    でも、苦しみを誰にも共有せず自ら孤独になろうとする先生やK(や漱石)に共感する部分もある。その不器用が己の弱点なのだと、頭で理解しててもどうにもできないのが不器用なんだよね。読んでてなんだか苦い気持ちになった。

    解説にある通り、この作品を読むときに問われるのは、もはや他人の人生ではなく、私の生き方の方なのだ。きっと、重ねて読むたびにまた違う響きをもって、私の心に訴えかけてくれるのだろう。

    (2020. 8. 16)


  • 夏目漱石の作品は「坊っちゃん」に引き続き2作目。
    主人公である「私」が鎌倉で「先生」と出会ったことから話は始まる。「私」はなぜかその「先生」が気になり声をかけ、そこから二人の交流が始まる。交流を深める中で「先生」にはある隠された秘密があるであろうことを知る。それを知るのは後半の「先生と遺書」のパートで、「先生」からの遺書が届くことで明らかになる。
    簡単に言えば、友人であるKと一人の女性を取り合うような形となり、結果的には「私」がその女性(お嬢さん)と結婚することになったが、それにより友人Kは自殺をしてしまう。そのことが「先生」自身の人生、考え方自体を変えてしまい、最終的には「先生」も自殺という道を選んでしまう。
    坊っちゃんに比べるとだいぶ重い話。今の時代でもありそうな話ではあるが、今とはこういった題材に対する世間の受け止め方はかなり違うものであったのだろうと想像される。当時の人はこの作品をどう解釈しどう感じて見ていたのかということがすごく気になった。
    やはり古典作品というものは、その当時の時代背景も含めてでないとその良さが伝わりづらいなと個人的には感じる。

  • ⭐︎4.0
    再読です。ただし中学生以来、実に30年以上。
    まぁなんというか面白いくらい忘れていて、私の中では友達は割腹自殺したことになっておりました。嗚呼なんということでしょう。もう笑うしかありません。ワッハッハ
    時の流れって、そんなもんすかね。とさだまさしがちょっと見え隠れしつつ。
    ところで、「こころ」先生の遺書がやたら長くって、閉口したのを覚えていまして、それというのも、いまドラマで舟を編むをいたく気に入って観ているのですがその中で、このこころが話題に上り影響されやすい拙僧は早速手に取ったわけであります。30年経って読むと、この先生の遺書はこうでなくてはならないと、改めて思いました。
    ドグラマグラのスチャラカをやり過ごした後の風景と似たような素晴らしいものが見えてくるではありませんか。あちらはスチャラカの後のものかたりがありますが、こちらそうではない。遺書をやり過ごしたら、後のものかたりは、自分の心の中で展開するのだ。

    改めて読み返して気づいたこと。
    *乃木希典の殉死にある程度影響されて書かれたものなのかと思った。明治精神・あるいは文化への殉死。
    *昨日の泥流地帯もそうだが、ものかたりで近代史が学べる気がする。エッセンスとでもいうのか。
    *割と現代でも、親が子に思うことが、明治の時代も変わらんものだなぁ。などと思う。「子供に食わせてもらったが、現代では子に食われる」的な感じ。

  • 単語の独自性や文体の美しさを味合うつもりで読んだ。
    好きな表現は「私の心臓を立ち割って、暖かく流れる血潮をすすろうとしたからです。」のような熱量をかんじさせるような表現。


    現代小説しかほぼ読まないので
    物語としてどう捉えていいのかわからない。
    時勢の推移から来る人間の相違だと言って片付けていいのか、歴史文化的遺産として眺めるものなのか。

    時代背景や先生の恵まれた境遇も大分通常と違って遺産だけで家族を養っていけるという設定もすごいし、昔の男女のあり方も、全く知らないものでした。
    主人公は書生でありながら
    先生の虚栄心、嫉妬心、恐怖心や衛生的な心地等ひしひしと伝わり、嫌というほどの薄暗い心理描写に疲労感が凄い。

    恥の文化なのぞ知らないものです。
    物語の部分を今の私の価値観で本音で言うならば
    、先生は始終ずるく酷い人だったと思います。
     思想を巡らせる繊細で図太くなれず世間ずれしていない大人。
     けれど親友にも妻にも向き合わないし、それどころか大分年下である自分を慕う書生に、望んだと言ってこんなトラウマを背負わせるとは…

    私たちは心を鈍く図太く生きることで世間と折り合いを表面上つけていくけれど、
    成熟するとはどういうことなのか考えさせられます。


    書生が先生を優先して置き去りにした父の死に際も、書生の幼さを思います。
    先生と似たりよったりのボンボンであるから
    このあとの書生の人生を思うとこころが重いです。

  • 高校生の時に国語の授業で読んで、「向上心がないものはばかだ」って流行ったのを思い出しながら読んだ。
    今回は丁寧に字引もしたから読了に時間がかかった。

    大人になったから、高校生の時には「ふーん」程度に思ってたことが自分のことみたいにスッと入ってくる。人間の汚さや嫉妬心がこの何年間かで染みついたと思うと悲しいけど、大人になるってそういうことなのかな。
    取られたらどうしよう、あいつも好きなのかよっていうそういう気持ちをこういう浅い言葉じゃなくて、うねうねした重いパンチで書いてくれる夏目漱石やっぱりすごい。村上春樹読んだときは「頑張ったらこれくらい思いつきそう」って舐めてたけど(実際にはもちろんできないよ)夏目漱石の真似は到底できないと感じた。多分同じものを見ていても見方や感じ方がわたしとはだいぶ違う。
    出る杭だなと思った。

    小説の何が嫌いっていちいち感情移入しちゃうから読んでいて疲れて嫌いなんだけど、読み応えがあるから止められない。

  • 名作と呼ばれあまりにも有名なため、今更ながらとなかなか手が出せなかった作品。人間らしい心の描写が丁寧で、時にその激しさに苦しくなる。

  • 明治から大正にかけての小説家なので、
    今でいう、令和ならではの表現があるように
    時代ならではなのか、
    ◯◯と言われれば、そうとも言えるが、
    そうでないとすれば、そうである
    みたいな、表現が多くて、最初は
    読みにくい笑
    途中から、どっちやねん!と突っ込み入れながら読んでるとだんだん、先生に親しみが湧くようになった。

    お金で人に裏切られて人間不信になった先生が
    今度は恋愛で、友人を裏切り
    自分の見たくない部分をみてしまい、自分も人も
    人間全部を信じれなくなってしまった。

    恋愛に関してはあまりにも姑息なので
    モヤモヤする。

    悪い人間という一種の人間が世の中にあると思っているのですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。
    平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なのです。
    私の中で こころ
    はこれが、教訓というか、たしかに。と腑に落ちた
    ところ。

  • 橋本治が無茶苦茶な評論をしていたが、この作品はNTRともBLとも捉えられるし、最後はセカイ系ともいえなくもない。

  • 心に染みるセリフが多くありました。

    一番自分に響いたのは、先生が主人公に言ったセリフで、何度も何度も読み返しました。そして、素直に涙が出ました。


    “私は過去の因果で人を疑りつけている。だからじつはあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬまえにたった一人でいいから、ひとを信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底からまじめですか。”

    人を信じたくないけど信じたいという相対した矛盾を感じるこのセリフが、切なくて素直で人間らしいと思いました。

    私もなかなか人に腹の中を見せない質で、交友関係も狭い領域に鎮座しています。
    別にその事を卑下している訳ではありません。きっと死んでも変わらないと思います。

    でも、生きていく中でこんな言葉を掛けてみたくなる人に出会えるのは羨ましく、素直に共感しました。

    それに、こんなに長い遺書を書ける人生は美しいと感じます。後悔や苦悩の上に成り立つ人生は生きていくかいがあると思いました。

    幸せな人生と捉える人は少ないと思いますが、私はそんな人生を歩んで殉死した先生がひどく美しく儚く見えて、なんて豊かな生涯だったのだろうと胸が熱くなりました。

    けれど、やっぱり主人公に打ち明けて死ぬところも人間らしく可愛らしいと思いました。

    また読み返したい作品です。

  • 今更ながら、ちゃんと読んだ。
    前回は学生だったから各々の気持ちに入りきれず、挫折。

    30歳を過ぎて改めて読んだ今、ものすごく面白くて濃かった。千円札の人、すごいよ!!!こんな傑作を書いたなんて。

    後半の先生の遺書の稿、先生が友人のKに対して抱く嫉妬や焦燥感、出し抜いてやろうー。という気持ちは、誰しもが一度は思った事があるのではないだろうか(恋愛に限らず)
    先生は、そんな人間なら誰しもが抱く欲や感情に負けた。
    そしてKはこの世界から去った、先生の前からも永遠に。

    この物語は、芥川龍之介と同じように人間のエゴや過去の罪を背負って生きる人間を丁寧かつ、詳細に書き出している。

    これからも多くの人に読んでもらいたい、1冊。

  • ⚫︎受け取ったメッセージ
    孤独は人を殺すことがある。
    それを知った上で、どう行動すべきか、生きるべきか。


    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)

    あなたはそのたった一人になれますか。

    親友を裏切って恋人を得た。しかし、親友は自殺した。増殖する罪悪感、そして焦燥……。知識人の孤独な内面を抉る近代文学を代表する名作。

    鎌倉の海岸で、学生だった私は一人の男性と出会った。不思議な魅力を持つその人は、“先生"と呼んで慕う私になかなか心を開いてくれず、謎のような言葉で惑わせる。やがてある日、私のもとに分厚い手紙が届いたとき、先生はもはやこの世の人ではなかった。遺された手紙から明らかになる先生の人生の悲劇――それは親友とともに一人の女性に恋をしたときから始まったのだった。


    ⚫︎感想
    先生の手紙を受け取った「わたし」もまた、孤独を感じる人間だったからこそ、孤独を体現していた先生に惹きつけられたのだろう。他人と共有できない部分を各々が持つゆえに、人は誰でも孤独をかかえていると言える。
    また、どんなに親しくても、自分以外の人を100%理解することもできないのだとも知っている。重なり合わない部分を各々が抱えているのが人間の孤独なのだ。
    だが、こう考えた。誰かと重なり合わない部分を違う誰かに共有してもらうことはできるということ。先生は死ぬ間際に「わたし」に孤独を告白し、背負ってもらった。それは先生にとっては人生の浄化、「わたし」にとっては、人生を貫く孤独があるということを知る機会となった。「先生」とは、先に生きて問題を抱えて生きた人、である。
    漱石は誰もが抱える「孤独=こころ」を、先生と「わたし」の形式で見せてくれた。「こころ」を読んだ、だれもが「わたし」である。



    また最初から読みたくなる構造がすばらしかった。

  •  浜辺で出会った「先生」には薄暗い影があり、「私」が予想したとおり、「先生」は過去に翳りを持つ人物でした。

     誰もが一度は目にしたことのある、夏目漱石の小説『こころ』です。私が初めて読んだのは教科書で、『先生と遺書』の抜粋でした。
     今回、大人になった今もう一度読んでみたらどう感じるだろう? と思ったので再読(とはいえ通読は初めてかもしれない)してみました。

     この本の感想を、人生バラ色の学生時代に求められたって……と思うくらい、この話には重く冷たい柱が据えられていると感じます。『遺書』の内容は勿論ですが、それを受け取るタイミング、急いで列車に乗った「私」が文を目で追うその仕草が、読者の我々と重なる体験をするところなど、本当に心を掴まれますね。

     『こころ』本編で描き出される世界は、現代では理解しがたいような風習もあり、「この時代の人が読んだのとは全く違う感想を得られる」という点で、現代に生きている我々は贅沢なことだなあ、と思ったりします。

     『こころ』で描かれているのは、女性の了解なく(父母の判断で)縁談が決まってしまう世界です。女性は学がないとされるばかりか、実際に女学校に通えるものは一握り。女性より男性の地位が今より圧倒的に高い世界。
     しかしそこには、単一な女性への抑圧だけではなく、「男性の内面と外面の解離」という不安定な要素がひっそりと存在しています。

     (夏目漱石に特別詳しいわけではないのですが)読んでいて感じたのは、漱石の描く男子(学生)には、脆さと気弱さがあること。
     何かを断り切れなかったり、決断しきれずにモヤモヤしたまま路を歩いたり、といった描写に現れるこれらの「背伸びした男子」のような像は、漱石自身と重なるところがあったのではないかな? と思うと同時に、この時代の男子というものは「立派であれ」「男であれ」と日常的にうるさく言われてきたのでしょうから、そういった性質を自ずと抱え込むことが多かったのでしょう。
     (個人的には、この「気弱で背伸びをしようとする男子学生」のキャラクター性が私は好きです)

     いわば、男性というものの理想像が高く見積もられる世界で生きているのが、私であり先生でありKでした。
     だからこそ、Kは求道的な道に邁進し、そこから外れようとする己を恥じましたし、先生はKに正々堂々と立ち向かわなかった己の恥を抱え続けています。
     「私」は先生と父親という二人の男性を見比べて、「父は遅れていて田舎臭い。古臭い風習に囚われている」と感じ、先鋭的な先生の考えに親近感を覚えます。
     この「男はどうあるべきか」転じて、「人間とはどう生きるべきか」に左右された三人の男性(私、先生、K)の生き様と引き際が描かれているのが『こころ』ではないでしょうか。
     そのうち二人が自ら命を落としてしまうところに、この時代の男性の生きにくさが表現されているのかもしれません。或いは、傍目には金に困らず、自分の好きに暮らしていけるはずの男性たちが、ひとつ自分の誇りに自信を失ってしまえば、脆く崩れ落ちてしまうということなのでしょう。

     よく、「Kは何故死んだのか」と話題になると思いますが、私の考えは「Kは自分に対する信頼を失ったから」です。信念を貫き通してきた彼がひとつのこと(お嬢さんへの片思い)に囚われ、その芯をぐらつかせてしまったこと。そのことがKを死へと運んでしまったのだと思います。
     (勿論、理由にお嬢さんが全く含まれないわけではなく、複合的な要素によって成り立っていたのでしょうから、一番割合の高いのはそれではないか、ということです……)

     掘り進めると奥が深すぎて戻って来られなくなりそうなので、今回のレビューはこのあたりで……。
     夏目漱石、これからまた少しずつ読みたいなと思えた読書体験でした。 

  • 本書の感想については、個別文章の表現力と展開の仕方について、特に心が動いたので、そこを記録します。

    まず、個別の文章について。
    夏目漱石を読むのは初めてなのでここで書きますが、感情表現の教科書のような本だと思いました。
    事実を言語化することに比べて、感情を言語化することは難しいです。複雑で、曖昧で、固有名詞が存在しても100%当てはめることはできないからです。
    実際、本書の文中に使われる「悲しみ」は、負のイメージを含蓄しながらあえて良薬として記述していました。
    そうした難しさのある感情を、しかし本書では、これでもかと明確に読者に落とし込んできます。登場人物の今感じている心情を、100%に近く理解できる感覚があるのです。
    そして、回り道などなく、最短ルートでやってきます。つまり、個別文章の表現力がとんでもない。しかもそれは、一部分だけではなく随所にあります。ほぼ全ページです。すげえ。

    次に、展開の仕方について。
    第三篇を読み終わった後、「先生」がそう決断した理由が理解できる気がしました。もちろん自分のものにはなりません。「先生」の決断を私自身に当てはめようと思ったわけではありません。
    「先生」は過去の自分の行動と心情を丁寧に記述してくれているのですが、どれも人間として不自然ではなかった。「先生」が厭世的になった経緯に、飛躍もなければ無理矢理に曲解した帳尻合わせもありません。ごく自然なのです。それが結果として悲惨を招く。
    よく言うところの感情移入させるのが上手いということになるのでしょうか。私は「「先生」はこう考えても仕方がないな。」と思ってしまいました。
    終わりだけを見れば忌み嫌われる結果が、夏目漱石の表現と展開の卓越をもって過程を丁寧に描いたとき、こうも納得してしまうのだなと思いました。
    日本人が夏目漱石を賞賛する理由がわかった気がしました。

    角川文庫では、本文に入る前にあらすじがあります。そして有名すぎる作品だから私も結末は知っていましたが、それでも読んだ後、読む前の無知さを惜しく思いました。
    いいものに出会いました。夏目漱石だけでなく他も読もう。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

夏目漱石の作品

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