ラン (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
3.69
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本棚登録 : 2495
感想 : 233
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041001653

作品紹介・あらすじ

9年前、家族を事故で失った環は、大学を中退し孤独な日々を送っていた。
ある日、仲良くなった紺野さんからもらった自転車に導かれ、異世界に紛れ込んでしまう。
そこには死んだはずの家族が暮らしていて……。
哀しみを乗り越え懸命に生きる姿を丁寧に描いた、感涙の青春ストーリー。
直木賞受賞第一作が待望の文庫化!

感想・レビュー・書評

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  • 『不幸はそんなに劇的なものじゃない。実のある不幸は一見なんてことのない日常の中にこそひそんでいる。なのに世間はそんなの退屈がって目もくれない。見栄えのいい派手な不幸にばっかり群がる』

    あなたにお聞きします。
    あなたは自分の人生を幸せだと感じているでしょうか?それとも不幸だと感じているのでしょうか?

    人によって何を幸せと感じるか、何を不幸と感じるかの基準は異なります。同じ境遇にあってさえ、人によってその境遇の捉え方次第でそこから流れ出る感情は変わってくるでしょう。しかし、例えば『不幸に慣れた人間は、赤く腫らした目や削げた頰を他人に見せるような粗相はしない』というようなある意味極端に冷めきった感情から抜け出せないでいる人がいたとしたら、そんな後ろ向きな感情に包まれた人には何かしらの手が差し伸べられるべき状況にあると思います。では、そんな手が、今は遠い、はるか彼方の世界にいる、かつて一番身近にいた人たちから差し伸べられたとしたら、『不幸に慣れた人間』は何を感じ、何をしようと考えるでしょうか。また、そこにはどのような感情が生まれるのでしょうか。

    『十三歳で父を亡くしたとき、あの世はまだ遠かった。やや時間差で母が逝き、弟の修がそのあとを追った』という辛い過去。さらに『二十歳に奈々美おばさんを』、『そして、二十二の年にこよみが死んだ』と身近に相次ぐ死の連鎖を経験してきた主人公・夏目環。『こよみはきれいなブルーグレイの毛をした猫だった』という『近所の自転車屋の猫』を飼っていたのは『ぶかっとしたオーバーオールの似合うおじさん』でした。そんなおじさんが『一人できりもりしていたサイクル紺野』で自転車を買った環。でも『約三ヶ月目。走行中にブレーキをかけるたび、ギギギギギ、と断末魔の叫びさながらの噪音が耳をつんざくようになった』という状況に『たった三ヶ月でこれだから、もともと欠陥があったんだろう。』 と謝る紺野。交換を申し出るも『あの自転車は私の唯一の相棒』と『三日おきに研磨剤』を使わせてもらうことを条件に乗り続ける環。そして『紺野さんともぽつぽつ言葉を交わすようになった』環は『初対面の日から話し友達になるまでに、半年。そしてその後、私たちが特殊な同胞意識を共有するまでには、またさらなる一年』と仲良くなっていきます。そんな時『ねえ、あなたよく紺野さんのところにいるの見かけるけど、気をつけたほうがいいわよ』とクリーニング屋のおばさんに警告される環。『あんまり近づくと、あなたまで祟られるわよ。不幸って、感染るんだから』と身内の不幸が連鎖している紺野を悪く言うおばさんに『私も九年前に家族全員をなくしています。これって、私も祟られてるってことですか』と返す環。『他人の不幸に寄生しないで』と捨て台詞を残して店を後にします。それからしばらくして『年始以外は休んだことのなかったサイクル紺野がシャッターを閉ざしていた』という光景を目にした環。『こよみが死んだ』という悲しみの連鎖。そして、こよみの四十九日を終え『山形に帰ろうと思うんだ』という紺野は『ぴかぴかの自転車』をプレゼントしてくれました。『こいつは丈夫にできてるよ。どこまでも行ける』と言う紺野。『積極的に私をどこかへ連れていってくれそうな自転車だった』という『モナミ一号』に乗るようになった環の前に『ついにあの日が訪れた』という運命の道が開かれる日が訪れます。

    あらすじにある通り『死んだはずの家族が暮らす異世界に自転車で行き来する』というファンタジー世界が描かれるこの作品では、この自転車『モナミ一号』が大活躍します。『ただお伴をするだけじゃなく、積極的に私をどこかへ連れていってくれそう』という自転車は『まだ行ける。まだまだ行ける。挑むように前を行くその振動からは強固な意志のようなものが伝わってきた』という何かしらの力が宿っていることを暗示します。『限界の見えない未知数の力』を持つその自転車は『こげばこぐほどにペダルは生き生きと回転し、タイヤは弾むように地を転がっていく』という、普段の後ろ向きな環とは真逆の方向を向いています。この強い意志の力によって死んだはずの家族が暮らす異世界へと足げく通う環。そのダイナミックに異世界へとレーンを越えていく表現には、森さんならではのファンタジーの世界の魅力が存分に詰まっていました。読書で読むファンタジーは、読者の頭の中でどれだけその世界をイメージできるかが全てだと思います。その作品世界がどこまで魅力的なものになるか、読者の想像がどこまで飛翔していけるかは、ある意味読者の想像力が試される瞬間です。森さんの描くファンタジーは決して突飛な世界観などではなく、すぐ隣にありそうな、身近に存在するような、そんな親しみを感じられる絶妙な雰囲気感をとても大切にしていると思います。この作品でも、リアルとファンタジーが切れ目なく絶妙に繋がる不思議な感覚を感じさせてくれました。そして、この絶妙さが後で述べる巧みな読後感へと読者を導いていきます。

    そして、この作品では『不幸に慣れた人間』である環が如何に前を向いていくか、この心のありようの変化の描かれ方がポイントとなっていきます。森さんはそんな環の感情を、このように描きます。まず最初に『神様は悪質だ』という強烈な断定。そして『私たちのまわりにあるやわらかくてあたたかいものたちをあの手この手で奪い去る』と家族や身近な存在を次々奪われてきた環のストレートな思いをこのように表現した上で、『あとに残るのはガラスや鉄、プラスティックなんかの硬くて冷たいものばかり』と無情にも物質だけが残っていく目の前の現実を対比させます。そして、さらに『いや、硬くて冷たいものさえも、永遠にそこにありつづけるとはかぎらない』と駄目押しをします。こんなマイナスな感情に取り憑かれている環。『生きていくにはじゃまくさい孤独も、死を思った瞬間に頼もしい友となる』というような強烈なまでの表現を用いてそのマイナスな感情を描いていきます。それが『死んだはずの家族』に接することで、環の心の中に『私には、あきらめちゃいけないことがある』という前向きな力強い感情が生まれてきます。『以前はいたのに、今はいない人たち。 以前はあったのに、今はないものたち』という『失われた時間を空想の中で復活させる』環。それを『走っているときにはなぜだかそれができる』と感じる環。その環から読者が受ける印象は、冒頭の後ろ向きな環とは全く別人かのような力強さを持ち、生きることに前向きな姿勢を強く感じさせます。そんな中、感動の結末へと向かう中で、ある瞬間が訪れます。それは、それまで全体を覆っていたファンタジー世界の印象がすっと消え失せ、現実世界を生きる夏目環という一人の女性が力強く前を向く、そして爽やかなまでに世界を駆け抜けて力強く走っていく、そんな情景が目の前に浮かびあがる瞬間です。マイナスな感情からプラスの感情への転換点、そこにファンタジー世界を描きつつも、あくまでも現実世界を見据える森さんが描くもの、描きたかったもの。現実世界には、今この瞬間ももがき苦しみながら生きる人たちがいます。そして、それでも再び前を向いて生きようとする人たちがいます。そんな人たちのひたむきに生きる姿が、すっと引いたファンタジー世界の前にふっと浮かび上がる瞬間。『朝日が、あらゆる感情を放つあらゆる人たちを照らしていた。』というその瞬間に感じる前を向いた人たちの圧倒的な”生きるんだ”という力強い意志の力に圧倒される瞬間。

    “生きろ”という強いメッセージがここにある。力強く、それでいて、背中をそっと優しく押してくれる物語がここにある。そして、辛くて、悔しくて、悲しくて、そんな私たちに生きていくことをもう一度後押ししてくれるそんな作品がここにある。

    「カラフル」と全く同じ感情に包まれる読後。 あたたかく優しい感情に包まれる読後。そして、明日もまたがんばろう!という前向きな気持ちに包まれる読後。

    心のど真ん中を射抜かれるという感覚、そこから流れ出るあたたかい感動と満足感に包まれる心からの幸せをじんわりと感じた森絵都さんの傑作でした。

    森絵都さん、こんなにも深い感動をありがとうございました。

    • さてさてさん
      胡桃さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      この作品は「カラフル」同様に森絵都さんの極上のファンタジー世界が堪能できると思います...
      胡桃さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      この作品は「カラフル」同様に森絵都さんの極上のファンタジー世界が堪能できると思います。とてもおすすめです。
      2020/08/03
    • りまのさん
      さてさてさん、こんばんわ。りまのは、長風呂中、ずっとシヴァ神の事を(大好きな神様なのです)考えていました。さてさてさんの感想を読んで、ちょっ...
      さてさてさん、こんばんわ。りまのは、長風呂中、ずっとシヴァ神の事を(大好きな神様なのです)考えていました。さてさてさんの感想を読んで、ちょっと反省。この本、ぜひよみたいです。
      2020/08/03
    • さてさてさん
      りまのさん、こんにちは。
      いつもありがとうございます。
      森絵都さんというと、「カラフル」「DIVE!」「みかづき」といった作品の知名度が高い...
      りまのさん、こんにちは。
      いつもありがとうございます。
      森絵都さんというと、「カラフル」「DIVE!」「みかづき」といった作品の知名度が高いですが、この作品はファンタジー系の埋もれた傑作だと思いました。おすすめします。
      2020/08/04
  • 物語が進むにつれて段々と走る目的が前向きに変わっていく環をみていると、大きな一歩を踏み出すことが難しいならば、小さな一歩を少しずつ…と思えます。
    森絵都さんの語る死生観って、明るいというか身近というかズシーンって重くないのが魅力的ですよね。

  • 究極のルール違反。亡くなったあの人たちにまた会える世界...。一人で生きていくための成長の物語。でもその先には待ってくれている、見守ってくる人たちがいる...。奈々美おばさんがいい味出してます。そっと感涙しつつも元気をもらえる作品です。

  • 大事な存在をつぎつぎと亡くし、この世よりあの世に心が向いている、環。
    あるレーンを超えてたどりついた場所は?

    ファンタジー+スポーツ小説。

    家族との別れと再会は、せつない。
    死がテーマの一つだけれど、ユーモアもあって、ふしぎと暗くない。
    イージーランナーズのゆるい感じもよかった。
    最期はさわやかな、成長物語。

  • 死後の世界と通じるという非現実的な話だけど、夏目環が、妙に現実的なキャラクターで心理描写も絶妙。
    夏目環の日記を読んでいるかのような文章が、若い世代にはわかりやすく読みやすいかもしれないですね。
    私はまだ家族を亡くしたことが無いけれど、その時が来たらまた読んでみたいと思える作品でした。
    キャラが個性的なのと、自転車で走っている時、ランニング時の疾走感など、小説より実写化したら楽しいだろうなと思った作品でした。(普段は実写化大反対派です)

  • 人生はマラソンなんだなぁ

    明らかにバランスを崩して向こう側に傾いていた主人公が、
    だんだんと人との関わり方を掴んで、
    向こう側の居心地の良さを、感じてはいけないものだと気づいて
    こちらの日常に目を向けて、
    こちら側で目標を持って、、、

    辛いことも逃げたくなることもあるけど、
    それでももう大丈夫だねって
    読みながら家族と主人公の気持ちがすごく近くにあるみたいに感じられました

    良いお話です
    また走りたくなりました

    亡くなった人に対する後悔って私の中にも少なからずあったけど、
    この本の中のような世界があるんじゃないかと信じることで、気にせず私がこっちの生活を全うすることが供養になるってほんとにそんな気になれました。

    ありがとう

  • 最初、え?あ、そっち?そう言う感じ?と戸惑ったけど、最終的にはまだ納得できたかな。
    亡くなった人を乗り越えるのは、やっぱり会いたくても会えないって言う環境が大切だなと思った。

  • 実家にあった本。
    読み終わらなくて、でも途中で止まらなくて、借りて帰る。
    喪失を乗り越える、軽く描かれているけれど、人が立ち直る経過は些細な声がけや出会いなんだよな、と思わせてくれる本。

  • 単純なお話だけど、その先も読んで登場人物たちを応援したくなる。あの世に行くなんてあり得ないし、そのために走るなんてもっとあり得ない。
    けど、人それぞれ何かに没頭するには意味がある。私も夢中になることを見つけたくなる。苦しいけど、その先に喜びがある。そんな趣味みつけたいなあ。

  • 辛い境遇でも頑張る主人公がにかっこいいと感じました。家族をなくして自分だけが残るってだけて、私には無理かも…。

    個人的に、死んでしまって記憶が曖昧な主人公の弟が「八方ブス?」「大好きって意味じゃなかった?」といっていたのが、最後の最後でまた「八方ブス」「大好きって意味だよ」と言うのが好きです。
    家族愛がとても感じられて、感動もする話なのでぜひ読んでほしい…!

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著者プロフィール

森 絵都(もり・えと):1968年生まれ。90年「リズム」で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。95年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、98年『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞、『つきのふね』で野間児童文芸賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞を受賞。大人の小説にも活躍の幅を広げ、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、2017年『みかづき』で中央公論文芸賞を受賞、本屋大賞二位。ほかの著作に『永遠の出口』『ラン』『この女』『漁師の愛人』『クラスメイツ』『出会いなおし』『カザアナ』『生まれかわりのポオ』などがある。

「2023年 『できない相談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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