新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)

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  • KADOKAWA (2015年2月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784041012406

作品紹介・あらすじ

若く才能あふれる科学者、フランケンシュタイン。死者を甦らせることに情熱を注いだ結果、恐ろしい怪物が生み出されてしまう。愛する者を怪物から守ろうとする科学者の苦悩と正義を描いた、ゴシックロマン。

感想・レビュー・書評

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  • 数年前に青空文庫だったか、他の訳で読んだものの、改めて読み返してみようと思い手に取った。
    「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく怪物を作った作中人物の名前だよというのは、もはやだいぶ定着してきたことと思う。
    怪奇小説ということで、主人公は怪物だと思われるが(私は本書はフランケンシュタインと怪物のW主人公と思っている)、なぜ作者のシェリーはタイトルを「怪物」ではなく「フランケンシュタイン」としたのだろうか、と思いながら読んだ。
    というわけで、本書でスポットが当たっているのは怪物ではなく、フランケンシュタインであるという考えのもと、感想を書こうかと思う。
    特に内容はないけど。

    感想を書くと言ったものの、大体本書を読んでいいたいことは、冒頭のシェリーのまえがきと…特に訳者あとがきに詰め込まれているのです。
    訳者は本書を翻訳するにあたり、この物語が今まで読み手にどのような印象を与えてきたか知るために、様々なレビューを読んだとのこと。
    そうすると、「やはり多いのは、望んでもいない醜き生を受けた怪物に同情し、あらゆる責任を放り出して自分に都合のいい言い訳をするフランケンシュタインに腹を立てる声であった。」
    訳者自身も、「ジュスティヌ・モリッツの裁判を傍聴したフランケンシュタインが「彼女の受けていた責め苦も、私のそれには及びますまい。彼女には無実の信念を心頼みとできても、私の胸は決して逃してはくれぬ呵責の牙に引き裂かれていたのですから」などと語って見せる場面は、自己正当化も甚だしいように見受けられ、実に腹立たしい。」と述べている。
    まあ正直、私も同感である。
    人命錬成という研究に取り憑かれたように打ち込み、いざ自分の設計通りに怪物が生まれた途端、怪物に対し嫌悪を剥き出しにし怪物が何を語りかけようとも怪物を悪と決めつけるところは、一体お前は何がしたいんだヴィクトル・フランケンシュタイン?といった気持ち。
    まるで欲望のままにセックスをし、いざ子どもが産まれたらトンズラこく無責任な父親のようである。
    訳者も父と子の物語であるとしているが、本当にそうだなぁ、育児放棄した父親とそれに対して憎悪を抱きながら救いを求める子どもの図だ…
    もし産まれた怪物が美しい天使のような外見だったら、フランケンシュタインはどうしていたのだろうか。若さと苦を知らぬ裕福さゆえかもしれないが、そうなったら怪物を怪物と呼ばず祀り上げていたかもしれない…かな?
    フランケンシュタインの怪物に対する感情、偶然北極で出会った野心に溢れた青年にこの自分の今までを教訓として語り聞かせるところ、間違った方向に向かっているのかはたまた正しいと言えるのか分からない正義感…様々な彼の感情、行動が、まさに人間だと思わされる。
    怪奇小説でありながら、主人公は人間なのだと感じました。

  •  訳者解説が素晴らしい。父と子の物語、それから吸血鬼ドラキュラと同じく、フランケンシュタインの怪物に課せられた「言語の壁」という問題が取り上げられていた。ドラキュラも怪物も、ものすごく言葉に気をつかっている。英語の勉強をしたという描写が、両方ともしっかりと書かれているのだ。でもそれは、東洋やユダヤ人差別ではないという指摘が面白かった。
     フランケンシュタインの小説を読む前に、相当専門に勉強している人から、いろいろと教えてもらっていたので、さらに楽しめた。初期の頃は、もっとBL臭、または百合があり、文にキレがあったらしいが、版を重ねるときに、削除または改訂されていったという。もっとも初期の頃のストーリーがどのようなものか、ぜひ読んでみたいところだ。
     しかしこのフランケンシュタインが出されたディオダディ荘の怪奇談義。メアリー・シェリーの圧勝だっただろうし、これほど巧みで面白く、普遍的なテーマを一気に書くとは、しかも19歳で書いたとは、恐るべきことだ。
     特に最後、怪物はフランケンシュタインの前で、本当は父のことを想っていたこと。そしてフランケンシュタインも、憎悪以上に、「我が子」として思う責任を感じていること。この父と子は、宗教的なものを思わせるし、現実の親子でも思えるし、両方を感じさせて、本当に見事だと思う。
     手紙のやり取りで「いったい何が起こったんだ……」と思わせといて、フランケンシュタイン家の幸福な萌え展開。それから、エリザベトを引き取って、エロゲ展開。ジュスティヌとの百合。クレルヴァルとのBL。それから、最新の科学知識を盛り込んだ描写と怪物を作ったあとの、弟の死から、ジュスティヌの死刑。そして怪物からの告白と言語習得とずっと見守ってきた家族への絶望までの話。女の怪物を作ってほしいとの約束。その反故による、クレルヴァルとエリザベトの死。ついでに父も死。最後、怪物を追いかけて北極まで向かい、主人公フランケンシュタインは衰弱死する。衰弱死後、そこで怪物の愛情告白。
     内容がたくさん詰まっていて濃密だった。何より、エンタメであり、文学であり、文句なしの傑作だろうと思う。これの「解剖講義」という本があるらしいのだが、読んでみたい。

  • 広く知られながらも一般にはあまり原作が紐解かれない著書も少なくありませんが、この『フランケンシュタイン』も代表的なひとつとして挙げられるでしょう。本作についてはフランケンシュタインが怪物と誤解されていたことが今ではかえって有名になりましたが、わたし自身、そのほかの知識は映画やアニメから間接的に得たステレオタイプなものを離れていませんでした。

    最もイメージと違っていたのは怪物の特徴です。
    知能は低く会話はできるどうか程度の朴訥としたもので緩慢な動作をするものとイメージしていましたが、原作の怪物は教養を得ることに貪欲で学習能力が高く、饒舌であり、身のこなしはしなやかで通常の人間に不可能な敏速な移動が可能と、醜くい容貌ではありながらも一種の超人として描かれています。外形的にも身の丈2.5Mは想像していたよりも巨大で、アニメなどでは坊ちゃん刈りのような髪型は長髪、内面や動作も相まって牧歌的なモンスター像は覆されました。

    ほかの点での発見は物語の中心であるヴィクトル・フランケンシュタインは中年から老年のマッドサイエンティストのようなものを思い描いていましたが、怪物を造り出した時点でのヴィクトルは裕福な家庭に育った留学中の理系大学生とされています。そしてこの怪奇小説が、第一稿の時点で19歳の女性によって書かれたことにも驚かされました。著者メアリー・シェリーについては、彼女の小説さながらの波乱に満ちた人生を解説が教えてくれており、読了後には併せて解説にも目を通すことをお勧めします。

    ストーリー上の構成としては三人による語りが入れ子状になっていることが特徴として言えるでしょう。
    第一に隊を率いて北極点を目指し航海をする28歳の青年ウォルトンが姉に送った手紙を通し、氷原で偶然にも救助したフランケンシュタインについて綴られます。第二はフランケンシュタインがウォルトンに語った、彼が生み出した怪物を中心とした彼の生涯であり、ここが物語の中心となります。第三にフランケンシュタインから離れて再会するまでに目にし、その身に起こった出来事が、怪物自身の口からフランケンシュタインに伝えられたものです。このように三人の語り手による告白を入れ子状にして怪物をめぐる事件の全容を明らかにする形式をとっています。

    物語そのものは新訳のおかげもあってか読みやすく、重要な登場人物もそれほど多くはない、わかりやすいものです。ヴィクトル・フランケンシュタインが造り出し、そして遺棄した怪物は、次第に自らの生と造物主であるフランケンシュタインを呪い、彼に影のようにつきまとういます。そしてヴィクトルは他でもない彼自身の手によって生み出された製造物によって苦しめられるのです。ヴィクトルと怪物の関係が何を意味するのか、解釈は読み手に委ねられており、現代まで読み継がれる本書の面白さはそこにあるのではないでしょうか。

    ちなみに原題は『フランケンシュタイン―現代のプロメテウス』とされています(プロメテウスはギリシャ神話で人間を創造した神)。

  • 雷ってFrankenweenieに至るまでお決まりの小道具になってるが、最初に言い出したの誰なんだ? 原作の設定はどちらかというと生臭い試験管系かと。
    激しい生、知ゆえの苦悩、報われぬ愛。ヴィクターより格段に優れた人格と知性を兼ね備えるクリーチャーの悲哀と、「私はどこから来たのか、何者なのか」という人間の根源的な問いが、優れた洞察と筆致で描かれ圧巻。
    生みの親たるヴィクターとクリーチャーは表裏一体のダブルであって、切り離せない一つの存在。恐怖と痛み、そして憧れと希望の物語をかくも骨太に書ききったのが、この可憐といっていい女性だったことで、当時の文壇の紳士連がさぞかし震え上がったことだろう。

  • 世間一般に定着しているイメージと、本書を読み終わった時に抱くイメージが結構変わるんじゃないかと思う1冊

    元々「有名タイトルだけど内容を知らないから読んでみよう」という動機と、たまたまTwitterでとある方の自己解釈フランケンシュタインの怪物のキャラクターデザインを見かけたのをキッカケに読み始めました
    (映画やハロウィンでよく持たれているイメージと、原作本文からの描写のイメージをキチンと引用して書いておられる方でした)

    少し昔の文章なので、読み慣れるのには少し時間がかかるかもしれませんね

  • 200年前の小説なだけに文体が少し堅苦しい所はあったが、想像していたよりもホラー色が強くなく、読みやすかった。
    ヴィクトルはちょっと自業自得だと思うが、家族や友人、恋人が次々死んでいくのは堪えるだろうなと気の毒にも感じた。

  • 200年前の小説は、表現が大袈裟に感じるところもあって、読み始めは少ししんどいけれど、読み慣れてくると、豊かな表現にリズムが乗ってきて、心地よかった。命を生み出すことでの苦悩が描かれているが、何かを構築したり生み出したりすると、そこに責任が生まれ、生み出した人それぞれに苦悩することもあるなと思った。それにしても、現代では隠れ住むことも難しいだろうな。

  • 読んでいてつまらない小説。主人公のヴィクトルが自分の罪と苦しみは誰にも比べられないほどのものだと自分の苦しみに陶酔している。激情家ですぐ自分の感情を天やら神やらに例える。手記を書いているヴィクトル・ヴォルトン、怪物の語り方すべて大げさの修飾と苦しみや野望に酔っている。
    作者が19歳に書いたからか、具体的な描写は自然描写ばかりで、他は殆ど観念小説なのかというくらい抽象的だ。その抽象的な描写で延々とヴィクトルの自己弁護と罪に酔ったナルシズムが続く。
    この前に中公新書の批評理論入門(フランケンシュタインを題材に批評理論を紹介する本)を読んでいなければ、間違いなく途中で投げ出していた。
    唯一、怪物が半生を語るパートは面白かった。ここがこの小説一番の良いところ。

    表紙はアニメチックなんだが、この怪物は全く怪物らしくない。どこが「見ただけで逃げ出す」ような容姿なんだ? 表紙もマイナス。

  • 書簡式で進むので最初は読み辛かった。
    フランケンシュタインと言うと、巨体で怪力、言葉を話せない等のイメージがあったので、学習能力の高さに驚いた。
    約2、5メートルも身長があるのなら誰だって一目見て逃げ出すだろう。
    しかし、それは差別である事に変わらない。
    訳者あとがきにある様に、当時のユダヤ人差別から作者が着想を得たのかも知れないとすると、とても悲しい。
    外見で他人を判断して排除する風潮に、警鐘を鳴らす意味を込めた作品だと考えた。
    フランケンシュタインは恵まれた環境にある。
    それにも拘らず、なぜこの様な怪物を生み出してしまったのだろうか。
    科学者(と呼んで良いのか分からないが)、そして男性の傲慢さが少なからず窺えた。
    次々と殺人を犯しているのに、創造主である彼と当の怪物は罪に問われない。
    不幸の原因の種を蒔いたのは自らの悪行であるのに、最後まで責任を取らない。
    自らの行いによって双方に罰が当たったのであって、自業自得だと思った。
    怪物は本当に北極点に辿り着いたのか、死んだのかは疑わしい。

  • 天才科学者フランケンシュタインが生み出した怪物と、生みの親であるフランケンシュタインの話。

    フランケンシュタインは、科学への好奇心から怪物を生み出したが、その怪物は人間と変わらぬ知性と感情を持っていいた。怪物はその醜い見た目から、親切を働いた人々にも拒絶される。親切や善意が拒絶されたことにより怪物が世界と関われるのは悪意を通した凶行だけだった。悪意に任せるまま、怪物は創造主であるフランケンシュタインへ復習するために、フランケンシュタインと関わりの深い人々を次々に殺していく。そして、フランケンシュタインもまた怪物への復讐を誓う。

    誰も救われない展開に呆然とすることしかできない。どちらが悪かを断ずることもできないままに、読み手の前に犠牲者たちの屍が積み重なる。その様子が「悲しみ」という感情にまとまる。

  • それなりにおもしろかったです。『批評理論入門』を読むために事前に本作を読んでおこうと思っただけなので、あまり思い入れをもたずに読みました。(2018年3月17日読了)

  • メアリー・シェリーが19歳の時に書いた怪奇小説。
    書くきっかけは、1816年、夫で英国詩人のシェリー、詩人バイロンなどとスイスに滞在中にそれぞれ幽霊物語を書こうということになり、彼女が発想したもの。
    1818年に出版。

    何重構造にもなっている物語。

    まず、ロバート・ウォルトン隊長が姉サヴィル夫人宛に手紙を書くところから。
    ウォルトンは誰も成し遂げられない北極探検を目指している。船の上から、そこで起こった奇怪なことについて姉に手紙で伝えている。
    氷河に捕まった船の上から見たものは、奇怪なものがソリで走り去るところ。
    その後、ヴィクトル・フランケンシュタインを救助する。

    ヴィクトルは船の上で、彼の生い立ちと奇怪なものの正体について語る。
    父と母カトリーヌの馴れ初め。
    妹エリザベトの生い立ち。
    弟ウィリアムとエルネスト。
    使用人ジュスティヌ。
    友人アンリ・クレルヴァル。

    彼は幸せに育ち、科学に興味を持ち
    インゴルシュタットの大学へ進学することになる。
    が、ここで不幸の始まりが・・・
    母がエリザベトの看病で猩紅熱に罹り、亡くなる。

    このことがヴィクトルが人をつくることへと突き動かしたのではないか。
    科学の方向性が歪み、ヴィクトルは怪物を作り出してしまう。

    怪物を作り出してからのヴィクトルの苦しみが凄まじい。
    でもそれはなんだか自分勝手だよな。
    そして、そこから不幸の連鎖が始まるのだけど、当たり前だよね。
    自分の作ったものを殺せないところがね。
    怪物だからということもあるけど、どこかに繋がりを感じる。
    特にエリザベトを失ってからの追いかけっこは、お互いが望んでいるとしか思えない。

    一番印象的だったのは、怪物がフェリックスとアガサの家を覗き見しながら、物事を学ぶところ。
    言葉や歴史、文学を学び、自分の感情を分析するところなど、人が成長する過程と同じで、興味深かった。

  • 勝手に醜く生み出され、造り出した本人に醜さを忌避されるのは酷い。優しい心が人々から受ける迫害に次第に失われ、せめて愛する存在を、との希望すらフランケンシュタインの心変わりで叶えられず…と読んでいて怪物を生み出したフランケンシュタインの無責任ぶりに呆れつつ、怪物の哀しみを思うと遣り切れない気持ちになりました。

    フランケンシュタインの滞在先の景色の描写が多々あるのですが冗長に感じてやや読み辛く思えました。舞台に明るくないからなのでしょうが描写はいいから早く話を進めて欲しいと思ってしまいました。

  • 学生のころに別の人の訳で読んだ気がする。改めて時系列を意識して読んだら、フランケンシュタインが思いのほか若くて驚いた。そして怪物がとても切ない。最後フランケンシュタインが怪物を追うとき、怪物は自分を殺すためとはいえ、全てから忌避される自分を求めて追ってくる存在がいるというのにうれしい気持ちもあっただろう。怪物に最後まで名前がないのも個人的に気になるところ。

  • 面白かった!
    『屍者の帝国』からの流れで読んだけど、先にこっちを読んだ方が良かったかも。
    フランケンシュタインのゲスっぷりに驚く。
    怪物が、あまりにも哀れでならない。

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著者プロフィール

Mary Wollstonecraft Godwin Shelley.
(1797-1851)
政治思想家で作家のウィリアム・ゴドウィンと
女権拡張論者で作家であるメアリー・ウルストンクラフト
の間にロンドンで生まれる。
急進的思想を持ってゴドウィンの思想に共鳴した
ロマン主義詩人パーシー・ビッシュ・シェリーと
駆け落ちの末、結婚。
1818年に初の小説『フランケンシュタイン』を出版して
一躍有名になる。
その後、ゴシックな作品のみならず、歴史小説や
ヴィクトリア時代風の家族的なテーマを扱った小説、
さらには人物伝、旅行記など、多彩な執筆活動を行った。
そこでは西洋古典から同時代のヨーロッパ文芸にまで
至る該博な知識と、欧州様々な土地での体験が
ふんだんに発揮されている。
また、夫亡き後はその作品を整理して
詩集の編集・出版にも尽力した。

「2018年 『マチルダ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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