娼婦たちから見た日本

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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本棚登録 : 90
レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041013878

作品紹介・あらすじ

人の寂しさは、人でしか救うことが出来ない-。もの言わずに、日本各地の売春街から消えていったじゃぱゆきさんや、日本人娼婦たち。日陰に生きる彼女たちは、社会の弱者でもある。彼女たちの身に起こったことは、次に私たちに起こることである。彼女たちは、日本人をどのように見てきたのか?そして、日本社会をどのように捉えてきたのだろうか?黄金町、渡鹿野島、沖縄、秋葉原、フィリピン、タイ、シンガポール、マレーシア、チリetc.10年以上をかけ、夜の街を行脚し続けた著者が、女たちの日本史を紡ぐ。現場ルポの決定版!!

感想・レビュー・書評

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  •  横浜トリエンナーレの会場になっていることと、大岡川沿いの桜を観に行くこともあるので、少なくとも2年に一回は行っているはずの横浜の黄金町。ここは、ちょんの間と呼ばれる間口の狭い、2階建ての長屋のような飲食店が何百件と軒を連ね、不夜城のごとく川面に明かりを浮かべていた一大歓楽街だった。飲食店と言うのは表向きで、店の2階では売春が行われていた。それが開港150年祭を前に、市と市民と警察が手を組んで浄化作戦を展開し、一掃してしまった。
     
     良かった、良かった。

     とは、ならない。果たしてここで春をひさいでいた女性たちはどこに消えてしまったのだろうか。
     何かわけがあってこの街に流れ着いたのだ。そのほとんどが貧困がらみだ。東南アジアからの出稼ぎ女性のほとんどが、祖国にいる家族への仕送りのために働いていた。一掃されたということは働き口を失ったということなので、強制送還されたら、日本に来るためにした借金も残っているはず。結果的に貧困に追い打ちをかけたことになる。

     法律だからしょうがないじゃんか、という意見もわかるが、なんか冷たい国だ。

     この本は黄金町からはじまり、売春島と呼ばれた渡鹿野島を取材し、日本に出稼ぎに来ていた娼婦たちを追ってタイやチリにも渡り、沖縄への旅で終焉へ向かう。

     インタビュー記事だけでなく歴史的な背景も詳しく調べて書いてあるので、これら歓楽街の盛衰史としても興味深く読めた。渡鹿野島なんて初めて聞いたから、なんでそんな孤島に一大歓楽街ができたのかと不思議だったが、その歴史は江戸時代のお伊勢参りのころからはじまり、海の交通の要衝であった島は地理的にも好条件だったので、大勢の人が押し寄せてきたらしい。日本が海運国家だったってことを失念していた。

     チリでは日本一有名なチリ人・アニータへの取材にも成功している。娼婦たちの間では彼女の人生は羨望の的らしい。十数億も貢がせたんだから、それはそうだ。被害にあった青森県人が読んだら気分を害するだろうが、生まれたばかりの娘を育てるために日本へ渡ってきたあとの彼女の必死な人生を知ると、喝采をおくる女性たちの気持ちもわかる。

     取材当時、彼女の家にはウルグアイ人の親子が同居していた。路頭に迷っていたから、うちに来たら、とアニータから誘ったらしい。親子は遠慮することなく、快適に暮らしているようだ。子育てと貧困がセットになっている女性に自分を重ねているのだろうか。同士意識もあるのかもしれない。

     近代日本では「からゆきさん」と言われた娼婦たちが国を豊かにするために、貧困の口減らしのために、兵士たちの慰安のために外国に行くことが国をあげて奨励された。南米への棄民政策や北朝鮮への帰国事業と一緒で、貧しくて面倒見切れないからどっか行ってくれということだ。

     戦後の沖縄や横浜でも一般女性をアメリカ兵からの強姦被害から守るためという名目で、国は娼婦たちを利用した。

     利用するだけ利用して、国が豊かになって先進国の仲間入りしたから、娼婦がいるなんてみっともない、汚らわしいから出ていけというこの構図。どうなのさ? 
     
      娼婦には娼婦になった事情がある。ひとりひとり違う。そこに焦点を当てれば「浄化」なんて言葉を使えるはずがない。

     このような歓楽街は各地で「浄化」されてしまったので日本にはもうほとんど残っていない。

     しかし買春する男がいる限り売春自体がなくなるわけがない。売買春はネットでの直接交渉が増え、地下に潜るようになった。かつての歓楽街での売春にはあった監視の目、娼婦を守るしくみがそこにはない。

  • 著者はフリーランスのカメラマンである。15年以上に渡り、各地の紛争地を巡っている。本書のテーマは、紛争地を初めとする、ぎりぎりの生活を送る場所に住む人々の束の間の拠り所、といったらよいのだろうか。世界各地の「色街」である。

    イラク。ネパール。タイ。中国。韓国。
    あるいは爆撃に見舞われ、あるいは夫と死に別れ、あるいは貧困の中で、あるいは代々それをなりわいとする部族に生まれつき。女たちはさまざまな理由で娼婦となる。
    小さい頃に神に捧げられ、初潮の後に娼婦とされるものがいる。家族を養うためとからりと割り切って働くものがいる。エイズに冒されてもなお働き続けるものがいる。

    著者は、紛争地で働く娼婦たちの姿に、戦後日本のパンパンを重ねる。
    紛争地が基地となり、さらにその跡地が外国人労働者を集める工場になる。相手が代わっても「色街」の需要はあり続ける。
    ロマのように、放浪の部族であり、芸能にも長けた人々もいる。彼らの中には、饗宴で歌い、踊り、人々を魅了する延長線上で、春を売るものもいる。

    タイトルは、「娼婦たちから”見た”」だが、実のところ、彼女たちが何を見ているのか、判然とはしない。
    著者のカメラは彼女たちを写し、彼女たちはカメラのファインダーを見つめる。その視線の先にあるものは、「戦場」であり、その先の「闇」である。

    極限状態でなお人が売ることが出来るもの。なお買いたいと思うもの。
    人類最古の職業とも言われるものをひさぐ彼女たちの瞳に写るのは、笑い、諍い、泣き、生きる、生身の人間の姿そのものなのかもしれない。その瞳は、時が移り、国が変わっても変わらない、人の「業」を写し込んでいるようでもある。

  • ●娼婦たちから見た日本
     かつて、女性というものは「価値ある財産」であった時代があるように思う。

     人という以前に、男性に所有される性。
     からゆきさんとして輸出品目となっていた女性。
     そして、いま、日本で性商品として取り扱われている女性。

     人としての権利があるということを知らなければ、そもそも権利など主張出来ない訳で、この本に出てくるセーフティネットに引っかからずに生 きていく女性を見ていると、今の社会は権利を知らせていない、厳しい社会なのだなぁと感じる。
     ノスタルジックに書いているけれど、作者は男性であり、買う側だという違和感は残る。けれど、同じものを女性では書けないだろうなぁ。男性 だからこそ彼女らは話すし、男性だからこそ、一歩引いて見られるような気もする。

     男性と女性が異なるのは確かなんだけれども、それは、同じ人という立場の上にあるわけで、どちらが優れているという訳でもない。
     さて、過去の経緯を顧みずに生きるということは、過去の思考に引きずられるということでもある。
     この時代に性差を考えないというのは無自覚でありすぎるように思う。

  • 売春は悪か?これに尽きる。

    売春と宗教。タイ人と宗教。

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プロフィール

1972年神奈川県横浜市生まれ。写真週刊誌フライデー専属カメラマンを経て、2004年よりフリーランス。01年から12年まで取材した「マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅」が第19回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。15年以上にわたり、日本各地の夜の街と女たち。世界の戦場で生きる娼婦たちを取材してきた。著書に『娼婦たちから見た日本』、『娼婦たちから見た戦場』、『黄金町マリア』、『青線』がある。

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