ののはな通信

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 2950
感想 : 363
  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041019801

作品紹介・あらすじ

横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。
庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、
外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。
二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。
しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。
それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。
不器用にはじまった、密やかな恋。
けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。

運命の恋を経て、少女たちは大人になる。
女子の生き方を描いた傑作小説。

感想・レビュー・書評

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  • 最近、手紙を書いたことはあるでしょうか?では、過去三年、過去五年、十年遡ればどうでしょうか?私はそれ以上遡っても手紙というもの自体、仕事は別にすると書いた記憶が蘇ってきません。1997年をピークに下がり続ける郵便という形でのコミュニケーション手段。現在では、メール、LINE…とその形も変化しています。思えば、メールというのは大胆なコミュニケーション手段だとも思います。宛先の人に送信した内容が、同時にCCを使って複数の人に一度に伝わります。メールのCCが一般化したことで、私たちは宛先の人以外にも同時に内容を見せるということを普通のことに思うようになりました。でも、どこまでいってもその内容は宛先の人に宛てたものです。自分宛とは読む姿勢に若干なりとも温度差があります。形は違ってもそれは差出人と宛先の人のコミュニケーションだからです。では、他人同士のプライベートのメールや手紙のやり取り、それを偶然にも見ることがあったらどうでしょうか。

    『はなへ  今日もあのおかしな感覚に襲われた。本屋に寄って帰ったものだから、母はもう夕飯のしたくを終えたところだったの』そしてそれを受ける『のの  読んだわ読んだわ、「日出処の天子」!』と次の手紙が途切れることなく続いていくこの作品。ミッション系の『聖フランチェスカ』の女子高に通う『のの=野々原茜』と、『はな=牧田はな』が書いた手紙や教室で回したメモ、そしてメールのやり取りだけで構成されていきます。とても仲の良い二人。ある日『与田先生、高一の女子に手を出したってことだよ』という噂を聞きつけた二人。『いままさにホテルに入ろうとする与田先生と上野さんに駆け寄って声をかけて振り向いた二人を激写』する はな。でもこのことがその後の二人の関係に影を落とすことになろうとはその時の二人は全く思いもしませんでした。一方で二人の関係は深まるばかり。『正直に書くわ。私は はなのことが好き。独り占めしたい。友だちのまま、友だち以上に』と書く のの。『あなたのお名前を書こうとすると、ドキドキして息が苦しくなる』と返す はな。そして『目が覚めて、朝の光のなかで同じベッドに眠ってるあなたを見たとき、私にはわかったの。生まれ変わったんだ、って』と一線を超えていきます。

    第三者的記述が登場する余地全くなく、ののとはなが書いた手紙とメールだけで単行本450ページを埋め尽くすという大胆な構成のこの作品。まさかのその分量とその内容にただただ圧倒されます。せっかくなので、読みながら、その数を数えてみたのが以下の数字です。(我ながらマメです)
    第一章 はな宛48通 のの宛51通
    第二章 はな宛13通 のの宛18通
    第三章 はな宛23通 のの宛16通 全部メール
    第四章 はな宛9通 のの宛1通
    合計するとはな宛93通、のの宛86通の計179通!という圧倒的なその数。昭和59年5月26日の消印から始まる第一章の女子高時代、第二章の大学時代、そして二十年の月日が流れ、2010年3月3日のタイムスタンプから始まる第三章と第四章それぞれの時代を象徴する出来事、そしてコミュニケーションツールの変遷を、手紙やメールの中に自然に織り混ぜて展開させる妙。それでいてあくまで二人の間の私信という体裁で、一つの作品として完成させてしまう三浦さんの流石の力量にただただ圧倒されました。

    また、これは凄いと思った表現を二つ挙げさせてください。一つ目。ののの手紙ですが『元素って人間みたいね』と、人を元素に見たてて『水素はほかと結びあう手をひとつしか持ってない。水素同士がくっついたら、もうだれともつなぐ手がない。運命の相手って感じがする。水素と炭素がくっついたとして、水素としては、炭素が運命の相手だと思ってるんだけど、炭素はちがう。かわいそうな水素』と、なんとまさかの化学の世界!そうです。構造式に見たてて人と人の繋がりを表現していく手紙、構造式を覚えていたわけではありませんが、これは圧巻でした。二つ目。これも ののの手紙ですが『いもむしとちょうちょは、まるでべつの形をしているみたいにみえる』と今度は昆虫の変態の世界を表現に用います。『ちょうちょの胴体には、いもむしの名残がけっこうあるわよね。それと同じようなことだと思う』と、『友だちの形や要素を濃厚にとどめたまま』二人の関係が新しい段階に突入したことが示唆されます。『飛べそうな気がする』という二人。こちらも高校生に絡めた絶妙な表現だと思いました。

    仕事ならいざ知らず、プライベートにおいて、自分にCCされていない他人宛の手紙や他人宛のメールを目にすることなどまずありません。そんなあかの他人である二人の女性の息苦しさをも感じる濃密で濃厚、そして濃艶なまでの179通ものプライベートなやりとりを読者という立場で読んでいくこの作品。昭和と平成にまたがる冷却と再燃の二十年のインターバルが作品を熱く燃え上がらせていきます。前半の青春時代の若さ故の二人の葛藤と、後半の激動の時代に翻弄されつつもお互いを深く思い合う二人の関係が、メールのやりとりから簡単に他人事と切り捨てられないほどに強く伝わってきました。その一方で、他人の書いた手紙やメールのやり取りを見るという行為は、第三者的記述の本を読む読書とは違う心の場所をひどく揺さぶられるものだと実感しました。それもあって、読後の疲労感を半端なく感じた作品でもありました。三浦さんてやっぱり凄い作家さんだ!、と改めて感じ入った作品でした。

    • moboyokohamaさん
      さてさて様、コメントありがとうございます。
      手紙、確かに最近は書きませんね。学生時代はあんなに彼女との往復書簡に一喜一憂していたのに。
      電子...
      さてさて様、コメントありがとうございます。
      手紙、確かに最近は書きませんね。学生時代はあんなに彼女との往復書簡に一喜一憂していたのに。
      電子媒体による連絡はやはり「連絡」そのものが本来の目的でしょうし。
      便箋とペンを使った手紙っていうのは連絡以上に思いがこめられると思いますが時にはそれが度を越して、嘘ではありませんが実際の思い以上を書いてしまうかも。

      私が一番最近書いた手紙は母への感謝の手紙です。偉いなと思うでしょ。でもチョット違うんですね。
      しっかりとした親孝行ができなかったのでせめて最後にはと思い、母の棺に納めた別れの手紙です。
      あれは確かに俺の思う手紙そのものだったな。
      2020/05/18
    • さてさてさん
      moboyokohamaかわぞえさん、ありがとうございます。

      そうですか、私も少し前に父が亡くなりましたが、手紙というのは全く考えなかった...
      moboyokohamaかわぞえさん、ありがとうございます。

      そうですか、私も少し前に父が亡くなりましたが、手紙というのは全く考えなかったです。なるほど。とても素晴らしいことだと思います。
      やはり、手紙というのは意味がかりますよね。この作品でも過去の往復書簡は全て残されていて、それを後年振り返るシーンが印象的でした。時間を空けて、その読み手の境遇が変わると同じ内容なのに違うものが見えてくる、そういうことってあるようにも思います。

      今後ともよろしくお願いします。
      2020/05/19
  • 「はなへ」から始まる本作は、「のの」こと野々原茜から「はな」こと牧田はなの二人の手紙のやりとりだけで構成されている。

    始まりは二人が高校生の時、時は昭和59年5月26日の速達の手紙がある。逆算するとののとはなは、1968年(昭和43年)生まれくらいだろうと想像ができる。

    インターネットの普及、各企業の通信費や販促費の削減の動き、個人間通信 の減少等により、内国郵便物数は、2001年度をピークに大幅な減少をたどり、さらには、携帯電話の普及により、簡単なやりとりならLINEが主流のこの時代。コミュニケーションというツールは、この20年で考えられないくらいのスピードで進化している。
    そのせいもあり、本作で、しかも速達での文通(この言葉も今や死語ではなかろうか)に、そう言えば、こんな時代もあったのかと、ちゃぶ台を囲む『ALWAYS 三丁目の夕日』の映像が頭の中でいっぱいになった。

    「横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな(はな)。
    庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。不器用にはじまった、密やかな恋。けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。
    運命の恋を経て、少女たちは大人になる。(本作帯説明より)」

    自分の高校時代、特に女子校であった自分の過去を思い出す。そう言えば、宝塚歌劇団ではないが同性の社会の中では、男性役、女性役のような役割ができているように思う。大人数グループの場合は、その役割のボーダーは曖昧になりがちであるが、二人のペアになると性別役割のボーダーがある。ただ、それは女性だけという閉塞的でかつ歪な社会の中で弱い相手=女性役の友を守ってあげたい、世話を焼きたいという母性本能的なもののように感じる。そして大抵は家族愛のような感覚で友達以上の思い入れ、つまりは恋愛感ではないと、私は思う。それ故にこの閉塞的社会から解き放たれた男役の女生徒たちは、化粧を覚え、おしゃれをし、女性役に変わり、本来の性に落ち着く。高校時代、男役を演じていた友人に、卒業後に再開すると素敵な「女性」に変わり、その変容ぶりにびっくりする。
    それが私の周りで普通であると認識をしていた。だから本作を読んでも、私の周りでは「それなはい」と否定してしまう。もしかしたら中には、一般的な考えや思想が通念常識であり、それを逸脱することは悪であるかのように否定する真面目な人にとっては、性の常識に悩みながら、同性への恋愛感情に抑止力が働いていたのかもしれない。または、単に私が知らなかっただけで、実のところ同性同士で恋愛の付き合いをしていた人もいたのかもしれない。それは自分と同じ思考ではないために、私の実生活の中では想像できないだけであって、その外ではいろいろな恋愛が存在し、マイノリティーな恋愛も現在では認められつつある。いや、認められている。インターネットというコミュニケーションツールの普及により、今までの自分の世界に存在しなかった事例も認識するようにはなっているものの、それを自分の世界の出来事として認知することとは、私においては別のようである。

    高校時代の親しい友達とは、今でも連絡を取り合っている。女性の場合、家庭に入ると疎遠になりがちであると言われるが、確か家族中心となり、特に子供がいる場合は、空いている時間などないのかもしれない。

    そう考えるとこのふたりの絆は相当なものであったことがわかる。ののが独身であったこと、そしてはなに子供がいなかったことも大きな要因ではあるとは思うが。

    そんな友達とのコミュニケーションツールも、学生時代は、授業中のメモ、交換日記(これも今や死語だが)、電話で、ののとはなのように書簡でのやり取りは、遠く離れた友人とだけであった。
    それまでの物理的距離が近い友人とは、主に電話であった。書簡となるとどうしてもそれなりのボリュームのもの、切手を買いに行く労力などハードルが高くなる。

    それ以降はコンピュータの普及による電子メール、さらにはスマホを使いはじめて以降はLINEがメインのコミュニケーションツールでる。特にLINEは、自分の気持ちをスタンプで手軽に表すことができ、その手軽さとスタンプキャラのかわいさ、何よりLINEは、会話の代わりなので、短い文章ですぐに返信するという点でハードルが低い。

    さて、否定ばかりしてしまった本作ではあるが、その中でいいなぁと思う言葉が2つあった。
    「元素って人間みたいね。水素はほかと結びあう手をひとつしか持ってない。水素同士がくっついたら、もうだれともつなぐ手がない。運命の相手って感じがする。水素と炭素がくっついたとして、水素としては、炭素が運命の相手だと思ってるんだけど、炭素はちがう。かわいそうな水素」

    「一人でも食べて寝て生活はできるけど、本当の意味で生きるのはむずかしい。自分以外の誰かのために生きてこそ、私たちは『生きた』という実感を得られるのかもしれない。それを通して、社会とつながっている、社会の中に自分の居場所がある、と感じれるものであれば…」


    ふたりのやりとりだけで物語が進んでいくため、自分の経験と交わることが少なかったせいか、個人的には期待していた以上の作品ではなかった。

  • 横浜で、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手のはな。二人はなぜか気が合い、かけがえのない親友同士となる。しかし、ののには秘密があった。いつしかはなに抱いた、友情以上の気持ち。それを強烈に自覚し、ののは玉砕覚悟ではなに告白する。不器用にはじまった、密やかな恋。けれどある裏切りによって、少女たちの楽園は、音を立てて崩れはじめ……。運命の恋を経て、少女たちは大人になる。女子の生き方を描いた傑作小説。
    「KADOKAWA」内容紹介より

    ある意味とても濃密、さまざまな感情の中に崇高を見た気がする.
    女性同士の恋愛の話なんだけれども、心から、魂からつながっていると思えた人がたまたま同性だったということなんだと思う.
    ただ、女性同士だからこその関係性がそこにはあると思う.自身と相手の、この感情の分析は女性ならではの感じがするし男女なら破綻しそうなこの関係は女性同士だからこそ保たれたんじゃないかと思う.あ、男性同士でも保たれるかもな.同性同士だからこそ保たれる関係性なのかな.
    高校生の頃から話が始まって40代に至るまで、最初にみつけたキラキラと光る「愛」という原石は、さまざまな経験や感情によって汚れたけれども途中の放置を経て、再び磨かれ輝きを放つ.そんな感じ.
    本物と思うことができる「愛」と出会えることは幸運なことだと思う.どれだけ月日が経ったとしても心の奥底に持ち続けることができる.そんなことを思い出させてくれた内容.

  • ノノとハナの2人の女の子のお手紙のやりとりからなるお話。

    高校生から大人?40代?までよ2人のやりとり。

    全く違う性格の2人は仲良しから、それ以上の関係に。

    高校生時代は、すごく微笑ましく思えたんだけど
    ノノがハナに隠して男の先生と関係を持ってた。
    それを知ったハナは許すことができず、純粋なゆえにノノを許しても心の葛藤がすさまじく別れを切り出し疎遠に

    大学生時代、ハナは異性の彼氏ができるがどうしてもノノを想ってしまう。ノノには彼女がいたが。お互いを想うあまりにやはり元の関係には戻れず…また疎遠に

    ハナは結婚

    大人になってから、手紙ではなくメールのやりとり。
    ハナは幸せでありながらも自分の思うように生きたいと決意し離婚、そしてノノとは連絡不通に…

    え?え??
    ハナ、どこ行ったの??
    って終わってしまった…

    どうか続きを書いてください。
    気になって仕方がない。

    同性愛という印象より
    本当に愛する人への気持ちや思いが素敵だなと思える作品でした。

    強い心の持ち主のノノだったが、本当に強いのはハナだった。

  • 一度図書館から借り、延滞を希望したら既に予約済みで。頓挫
    今回また目にしやっと読めた。
    スティホームでもあり何時間かで読んだ。

    野々原茜こと「のの」と牧田はな「はな」との
    女子高校生、女学生の二人の書簡
    小中高一貫のミッション系のお嬢様学校
    望まずして同じ環境にいた私めには(あるあるはなし)で、ひとまず自分が「のの」でともが「はな」
    ののみたいに頭はよくはないけどとりあえずの話の綾で。
    キャピキャピ話で、そりゃあやまのようなメモのような手紙のやり取り
    あってすぐまた帰宅後のやりとり
    ふーん、こんな感じで終わるのかと思いきや
    そこは三浦しをん」こんなものではない。
    そうよね。
    「女子校あるある」で憧れてもないけど、ウソでお姉さまを作ったり
    否定はしないけど、同性への気持ちは?

    全体を前半、中盤、そして終わりと括られる
    単なる浅い、薄ペラいのではなく
    外交問題そして内戦と
    舞台が変わる、ネタバレになるので載せられないけどー
    本文よりー
    女の人ってむずかしいなと、つくづく思う。働いても働かなくても、家庭を人生の中心にしてもしなくても、いろいろ注文をつけられるのだもの。実際には何も言われなくても、どうと思われてるのかと
    なんとなくビクビクしてしまう。
    その結果細かい立場の違いによって
    女同士であってもうなかなか通じあえなくなる。どんどん分断されていく
    このむずかしさ、生きにくさは
    男性から感じるむずかしさと表裏一体になっているものだと思う。ー

    はなは優しく強いひとだね。
    人として何者かに突き動かされたのでしょうー
    そしてその正直な気持ちに素直に従った。
    やはり人間やむにやまない心情に突き動かされる、
    ただそこに打算やずるさが働きなかなか実行はしない。
    こうあってこそ
    三浦しをんの描く「はな」だよね。
    さすがの三浦しをんです。

  • 前半の、女子高生時代のところでは、想像に反して驚きの展開で、これ以上おどろおどろしくなったら読むのをやめようと思っていた。
    後半部分は、共感する部分もあって(フレーズ引用部分)一気に読めた。
    (フレーズが読めないと思わなかったので、追加します。他にもあるけど、割愛)
    “どこかで自分に愛想を尽かし、諦めて折り合っていかなければ、中年になるまで生きのびることなんてできないわよね。そして私は、そうやって年月を重ねてきた自分のことが、やっぱり根本的には好きなのよ。言い訳かもしれませんが、諦めるとは自他を許すことだと思います。414ページ”

    私自身を振り返れば、常に、親友を持つということに憧れがあった。同性でも異性でも良かった。心の深い部分について、話し合いたかった。でも、片思いのままばかりだった。誰かの1番になりたかったのに。
    だけど、そんなものは幻想だと、諦めたら、期待することをやめたら、楽になった。
    自分が死んだら知らせてほしい友が何人かできた。それでいいと今は思える。
    ののとはなのやりとりは羨ましい。でも、ひとそれぞれだなっと思う。

  •  わかる。
     高校生のときに恋をした人から言ってもらった言葉が、もう何十年もたつのに、今でも私を支え続けてるから。
     理屈じゃなくて。
     もうぐちゃぐちゃになって崩壊しそうなときとか、足元が抜け落ちて闇に閉ざされたときとか、その言葉が何度も私に背骨をくれる。
     彼が掴んで取り出してみせてくれたその私は、自分の中にある一番光る私なのだと無条件に信じられるから、その言葉を裏切る自分にはなりたくない。
     彼に恋をし続けてるわけじゃない。
     会っているわけでもない。
     連絡さえしていない。
     でも、かけがえのない存在なんだよ。
     あんなふうに純粋に熱い気持ちは、高校生のあのときだったからなのだと思う。
     生き方の根っこにかかわるあんな気持ちに、どんな言葉をつければよいのかわからないけど、ののはな通信の二人の気持ちも、きっとそういうものなんだと思う。
     
     読んでよかった。

  • 20年。生まれてすぐの赤ちゃんが成人式を迎えるまでの時間。想像するととても長い時間だ。
    二人の少女が出会い、愛し合い、別れ、そして再び出会う。その時間の濃密さを思う。
    過剰に書き込みたくなるような二人の関係を、手紙とメールの文面だけで追う。地の文がないから余計に想像が膨らむ。手紙が途絶えている間の、二人の思いが自分の中で積み重なっていく。
    女同士だからこその愛し合い方。そこには単なる個人と個人の「愛」では測れない大きく深い何かがある。
    女子高ゆえの甘やかな関係、などという軽やかなものではない。その「愛」を知ったからこそのその後の二人の人生の変遷。別れたからこそ続く愛もあるのだ、としみじみ思う。
    やりとりされる年月日を見つつ最悪の終わりを想像してしまったが、そんな予想をはるかに陵駕した大きな物語へとつながる。物語は終わらない。愛に終わりはない。

  • 最後の方の阪神大震災の兄弟の話に、読み終わって涙が出た。

    ミッション系の中高一貫の学校に通う女子中学生。
    片や外交官の娘と、庶民的な家の娘。
    全く関わりがなさそうだけど、学校という共通の箱があって、出会って仲良くなって、学校を卒業して疎遠になって、また再び連絡を取るようになって…。その間の女同士のやりとり、といったらシンプルにまとめすぎだけど。

    昭和の終わり、ハガキやメモでやりとりし、家の電話でおしゃべりしていた学生。
    (LaLaってそんな前からあったのか!!!)

    他愛のない漫画の感想、家族の話、友達の噂話…。
    そして、高校生になれば、将来の進路に関しての悩みや、親の干渉や思惑への嫌悪感。
    与田というクズ教師の話。セックスに関する話。恋愛についての実体験を含めた意見。
    いろんなやりとりが続く。そしてなんでも話せる人から好きな人、女性同士の恋愛について。

    後半の話の方がやっぱり深みを感じた。
    学生時代の熱情を大事な記憶として持っているけど、同じ事はできないというののと、
    学生時代、私には何もできないと言っていたのに、心が求めるもの以外、不要なすべてをなげうって、身軽になりたい、誰かと真実の意味で生きたい、私は私の道を生きたい。というはなの覚悟。
    時間を経て変わってきた二人が、別れてからそれぞれいろんな経験があって、それぞれの社会での生き方をしている。
    そしてそれは各々の判断の結果なんだなぁ。
    外交官の妻として社交的な生活をしてきたはなと、少人数と深く付き合う選択をしたのの。
    そして今はなは、のののようになりたいと願い、自分の声に耳を傾けてゾンダの人の為に行動を起こした。
    そしてはなが全てを捨てて、自身と苦しむ人々の魂の誇りの為に生きる決意をしたことに衝撃をうけるのの。はなを聖フランチェスカで学んだ殉教者に例え、人の心を打ち、世を改革してきたのはそういったはなのような決意と行動をする人だったと想像する。
    自分ははなと同じ行動は取れない。心を開ける相手を積極的に求めてこなかったため、心を打ち明けられる存在を失って、苦しみを打ち明けられる相手がいない事実に気づく。
    はなを見習い、心の窓を開けて他者に敏感になる。愛したはなの存在があって、神ではなく、愛する人が見守っている。だから誰かに愛されるふさわしい人間になるべく模索し続けるでしょう。と決意するのの。

    阪神大震災のときの兄弟の話は感動して涙が出た。弟を守るためのとっさの行動に人間の善なる部分を感じて、とてもいとおしい。

    私からすれば、ののもはなも愛を知る人であり、
    彼女達の心境はグサグサ思い当たることが有りすぎて全く嗤えない。
    でもそれを共有できるほどの人がいる、と言うことは本当にうらやましい。
    (後半でそれもそれで大変だとわかるけども)

  • どうして人は、友情とか恋愛とか男とか女とか区別したがるのだろう。
    そんな陳腐な枠で二人の関係が定まることはないのに。

    「のの」と「はな」二人の女性は高校時代に知り合い、その後の長い年月を幾度の別れを経験しながらも共に寄り添う。
    例え側にいなくても二人の気持ちは常に一つ。
    この二人の関係を一つの言葉で決めつけることなんてできない。
    人と人との付き合い方も多様性を求められる時代となった。
    善悪を越えて相手の存在そのものを許し、相手をまるごと受け止める。
    そんな尊い想いに「友」だの「愛」だのと名前を勝手に付けられないことを、この物語を通して知った。

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著者プロフィール

1976年東京生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。以後、『月魚』『ロマンス小説の七日間』『秘密の花園』などの小説を発表。『悶絶スパイラル』『あやつられ文楽鑑賞』『本屋さんで待ちあわせ』など、エッセイ集も注目を集める。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、12年『舟を編む』で本屋大賞を、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。ほかの小説として『むかしのはなし』『風が強く吹いている』『仏果を得ず』『光』『神去なあなあ日常』『天国旅行』『木暮荘物語』『政と源』などがある。

「2021年 『ののはな通信』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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