一私小説書きの日乗 (角川文庫)

  • KADOKAWA (2014年10月25日発売)
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  • 本 ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041020456

作品紹介・あらすじ

2011年3月から2012年5月までを綴った、平成無頼の私小説家・西村賢太の虚飾無き日々の記録。賢太氏は何を書き、何を飲み食いし、何に怒っているのか。あけすけな筆致で綴る、ファン待望の異色の日記文学、第一弾。

感想・レビュー・書評

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  • 西村賢太の作品が私小説であるが故に、この単なる日記も同じ主人公であり、こういう日常を面白おかしく膨らませて私小説が書かれているとおもうと面白い。でも何より解説にもあるが、文章のリズムの良さが飽きさせずに読み進めさせるのだろう。

  • 594

    320P

    江上剛さんが「江戸文化継承者としての西村賢太」っていう解説書いてて本当このタイトルの通りだと思う。北町貫多の生まれ育ち東京で、出てくる場所は常に東京だけで、地方の人が思う東京=勝ち組でお金持ちでオシャレみたいなイメージを覆してくれると思う。そうじゃない東京っていうのがあるよっていう。私築地とか深川とか上野とかの東京の粋な下町の空気感がかっこよくて凄い好きで、西村賢太小説はそれを凄い感じ取れる。

    西村賢太の日記の食べ物の描写まじ美味しそう。体に悪そうな赤いウインナー多い

    西村 賢太(にしむら けんた)
    一九六七年七月一二日、東京都江戸川区生まれ。中卒。二〇〇七年、『暗渠の宿』で第二九回野間文芸新人賞を、二〇一一年、「苦役列車」で第一四四回芥川龍之介賞を受賞。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度は行けぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『廃疾かかえて』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『一私小説書きの日乗 憤怒の章』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集 一私小説書きの独語』『やまいだれの歌』『下手に居丈高』『一私小説書きの日乗 野性の章』『無銭横町』『痴者の食卓』などがある。

    一私小説書きの日乗 (角川文庫)
    by 西村 賢太
    先月の同紙一面の、〈芥川賞 西村賢太風俗3P〉なる見出しには恐れ入ったが、 仄聞 するところによると、この扱いをひどく羨ましがっている同業者もいるらしい。確かに『東スポ』一面の見出しになるのは、一種、男のロマンであろう。まして小説書きでは、なかなかそれも叶うまい。実においしい思いをさせて貰えたものである。

     取材終了後、古浦氏もやってきて、五月刊の文庫二点の、詰めの話を少しする。  そののち、田畑、桜井、古浦氏と鶴巻町の蕎麦屋に入り、ウーロンハイ五杯とモツ煮、玉子焼き、カキフライ等。  原発の騒ぎも、一寸喉元過ぎたような感のある旨呟くと、マスコミ側の三人、口を揃えて、「本当の地獄は、これから始まる」なぞ、不穏なことを言う。実際、紙の供給も深刻な事態になりつつあるらしい。  田畑氏、明日からの社の新入社員試験での、面接官役を今年も務めるらしく、深酒はしたくなさそうな雰囲気。で、最後に各々冷やし蕎麦を食べて、九時半に解散する。  深更、宝半本を、手製の目玉焼き三つで飲む。

     夜、サウナに行き、牛丼を食べて帰る。  深更、宝一本強。目玉焼き二つと、ツナ缶、チーかま、柿ピー。立川藤志楼CD『とって出し VOL.1』。

     都知事選。出馬された以上、万分の一でもの恩返しをしなければならぬ。  四十三歳にして、初となる投票体験。  その足でサウナにゆき、夜、赤羽のヨーカ堂に肌着を買いにゆく。  帰宅後、『北海道新聞』への随筆。日ハムについて四枚半。その後、手紙(礼状)三本。  テレビがないと、結構集中力が増すものである。

     四月十四日(木)  十一時起床。「ビバリー」。 『週刊アサヒ芸能』の今週号と、書物雑誌の五月号が届く。寄贈を受けてる雑誌のうち、文芸誌は封も開けずに捨てているが、これらは毎回、隅々まで読む。  書物雑誌の、定期購読者限定らしき挟み込み付録、〈牛丼屋で本は読めるのか〉が楽しい。  味だけで言えば、自分は「すき家」の牛丼が、あっさりしていて一番好きだ。

     四月十八日(月)  十一時半起床。即、「ビバリー」。入浴。  宝酒造より「純」四ケースが届く。  先般、毎日新聞でのインタビュー中で、晩酌に「純」を愛飲している旨述べたところ、同社がプレゼントして下さることになった。  この手の話は、タレントなぞが自慢気に語っているのをテレビで眺めたことはあるが、まさか自分の身にもそれが起ころうとは思いもよらなかった。  これまでも自分は、実際に平生愛飲しているだけに、「宝焼酎」や「純」の語は、小説、随筆を問わず、自らの文中に何度となく書き込んでいる。

     思えば四半世紀以上にも及ぶつきあいで、十七、八歳の頃にはいっときだけ、松田優作がテレビCMを始めた、キッコーマンの「トライアングル」に宗旨替えをしたこともあったが、やはりすぐと「純」 乃至「宝」に戻ってこざるを得なかった。

    全くの好みの問題で、どうも自分は飲酒と云えば焼酎、焼酎と云えば甲類。で、甲類と云えば、結句「宝」なのである。  拙作中で、主人公が酔って暴力に及ぶ際に飲んでいるのは〝冷酒〟であるから、自分をしてこの贈り物を受けるに、何んら疚しいところはない。有難く頂戴する。

     宝酒造と、過日、自筆原稿を下すった高田文夫先生に礼状を書く。  九時半、鶯谷の「信濃路」で、『マトグロッソ』の山口氏と打ち合わせ。  氏も若き女性ながら、大の「信濃路」ファンであるらしい。それなので、かねてより同行を約していた。  大いに飲みつつ、ニラ玉、レバニラ、串カツ、帆立バター焼き、ウインナー揚げ、等々を食べる。

     夕方、西巣鴨まで出たついでに、巣鴨から山手線で鶯谷にゆく。  昨日の、いかにも体に悪そうな真っ赤なウインナーが美味しかったので、また三十分だけ「信濃路」に入り、壜ビール一本とウインナー揚げ、ライス、ラーメンの軽い夕食をとる。  王子に戻り、深更まで 澤 の資料整理。  そののち、宝一本弱を手製のベーコンエッグ三つ、チーかま二本で飲む。

     五月三日(火) 『落語ファン俱楽部』の随筆を書く。高田文夫先生に関しての五枚。  夜十一時、発行元の白夜書房にファクシミリで送稿。  のち、先生の高座CD「小言幸兵衛」「天災」「幇間腹」「首ったけ」を聴きながら、宝一本強。切り落としの牛肉をウスターソースで炒めたのを、自分で作って肴にする。

     その昔、家具配送のトラック助手のバイトをした十代の頃に、川中氏が町田に新築した豪邸(川中氏は、まだ三十になるやならずの頃のはずだ)へ、テーブルセットか何かを運び入れたことがあり、その際、書棚の一隅に横溝正史の文庫本があったのが妙に印象に残っている。と云う、言わでもの話を直前にご本人の前で披露したところ、川中氏もスタッフのかたも、是非その話を放送の中で、とすすめる。

     十一時起床。「ビバリー」。  その放送中で、高田文夫先生より自分の名が出る。〝カスピ海で浮かんで読むのに最もふさわしくない小説〟として。今日は聞いてて良かった。

     深更、セブンイレブンへおでん六つと唐揚げ弁当を購めにゆき、サッポロの缶ビール一本と宝一本弱を飲む。

     五月二十七日(金)  午後四時の予定が、二十分近く遅れて道玄坂に到着。  岩井志麻子氏始め、その場にいたすべてのかたがたに平謝りに謝まる。 『サイゾー』誌での、対談企画。  岩井氏、初対面のかたながらテレビで見慣れ、『東スポ』や、最近までの『アサ芸』でもエッセイを愛読していたせいか、何んだかとても接しやすい。そう云う雰囲気に、自ら自然と仕向けてくださる。

     六月十五日(水)  十一時起床。入浴。  三時到着を目指して都庁へ。  石原慎太郎氏との対談。『en─taxi』誌での企画だが、二日前に急遽決まった。  氏は、現存する中では自分の最も好きな小説家である。それだけに、いつになく胸の動悸も激しくなる。  芥川賞授賞式の際、氏から直接頂いた、〈インテリヤクザ同士だな〉とのお言葉は、自分の心の宝である。  終了後、二十年程前に古書展で購め、これが石原ファンとなるきっかけ(それだけに、芥川賞の選考で過去三度、氏が拙作を推してくれていたのは本当にうれしかった。この賞に関しては、実際それだけで満足でもあった)の、『価値紊乱者の光栄』(昭 33 凡書房)に署名を頂き、図々しく色紙への 揮毫 もお願いする。  これまで自分がお会いした作家で、かような色紙を求めてしまったのは、石原氏お一人だけだ。

     今まで知らなかったが、氏は大のヤクルトファンらしく、同じくヤ党のエンタメ系女性作家と、他社のその担当編輯者と共に、一塁側のシートに陣取っていると云う。今度、神宮行をともにすることを約する。  試合はヤクルトの惨敗。その後神宮前の古民家を改修したらしき、雰囲気ある飲み屋で一杯。

     六月二十日(月)  十一時起床。「ビバリー」。入浴。  午後四時着を目指し、新潮社に向かう。  新潮クラブにて、朝吹真理子氏との対談。同社の電子書籍関連の企画らしく、活字ではなく映像として公開されるらしい。

     司会は無論、『新潮』編輯長の矢野氏。毎週のように同社に赴きながら、矢野氏に会うのは三月の地震直後以来。  かつては周囲も認める天敵同士だったが、昨年暮辺りから、やや圭角もとれつつある。  終了後、神楽坂の中華料理店。先に自分と田畑氏、開発部の白川氏とで店内に入ったところに、古浦氏もそこから合流してくる。手に出来てきたばかりだと云う文庫版『根津権現裏』を一冊携えている。  ややあって朝吹、矢野氏も到着。

    自分は朝吹氏にも、『根津権現裏』をビニール袋に入ったままの状態でしかさわらせない。つまり、中を開くことを許さなかったわけだが、一同の呆れたような白い視線も何んのその、これは帰宅後、一人きりでゆっくり開きたかった。  午後九時に店を出て、矢野氏のみ新潮社に徒歩で戻ってゆき、残りのメンバーでタクシー二台を拾い、「風花」へ。  朝吹氏のお話が大層面白い。  十一時半過ぎに散会。

     六月三十日(木)  十一時起床。入浴。  午後四時に半蔵門へ。  TOKYO FM「ラジオ版 学問のススメ」の収録*8。  現場には、桜井氏と藺牟田氏が来てくれる。  五時前に終了。引き続き同所の一隅を借りて、TBSの深夜番組の、再度の打ち合わせ。六時までかかる。  この 間 に、『根津権現裏』二刷決定の報が、桜井氏に携帯メールで届く。  桜井氏もよろこんでくれたが、自分もひとまずの、最低限の責務は果たした思い。この書の企画を最初に持ち込み、話の詳細も聞かずに足蹴にしてくれた、かの文芸文庫の増刷部数ペースに換算すると、優に二十三刷目ぐらいに相当するはずである。  深更、自室にて の位牌と祝杯。  十時前に取っておいた、宅配の特上握り寿司三人前と茶碗蒸し。缶ビールと宝一本半。

     桜井、古浦、田畑氏と、「砂場」にて手打ち。  ウーロンハイ、ちくわの磯辺揚げ、もつ煮込み、砂肝炒め、カツオのたたき、等。  体調良いせいか、この日も最後は田畑氏同様、カツカレーを楽々完食。古浦氏も、一瞬カレーライスを注文しようとの素振りを見せるも、結句桜井氏同様に、せいろ一枚。  九時半解散。  自室に帰って、そのまま晩酌を始める。

     ウーロンハイ、刺身盛り合わせ、もつ煮込み、砂肝炒め、等。  最後に自分は天丼、桜井氏は冷やしきつねそば。  古浦氏は余程好物なのか、それとも最早それしか入らないのか、この日もまた、せいろ一枚。  田畑氏は、新メニューらしき、麻婆つけうどんと云うのを注文。半ライス付きで、これは残ったおつゆに投入してシメる段取りのものらしい。  はたで見る限り、余り自分好みのものではない。

     八月九日(火)  十時起床。入浴。  午後、うれしい手紙が届く。『yom yom』まで買って読んで下すっている。心が明るくなる。  スケジュール記事の載った、女性誌『CREA』九月号も届く。読書特集。 〝作家別 表名作と裏名作〟リストで、拙著は〝表〟が『どうで~』で、〝裏〟は『二度はゆけぬ町の地図』となっている。明治大正~昭和初期篇のが面白い。

     四谷まで出れば、あとは「風花」のコースだが、ここのところ、〝一軒だけ〟が妙に心地良く、十時過ぎで早々に解散。

     八月二十九日(月)   澤 月命日。  酒飲まず、眠らず。クーラーをかけた寝室にて、横溝正史『悪魔の手毬唄』をアタマから読み返す。  午前五時半、かなりの長篇故、さすがに一冊は読了せぬまま、出かける為の仕度を始める。

     九月八日(木)  十一時起床。入浴。「ビバリー」。  戸籍謄本を取る為、新小岩駅近くの江戸川区役所へ赴く。  来月、二泊三日で韓国へゆく、パスポート申請に向けた初手の準備。 『苦役列車』を刊行してくれる韓国の出版社の招きで、生まれて初めて国外に出ることになった。無論、プロモーション的な仕事でゆくので、『新潮』誌の田畑氏が同行の予定。

     二十数年前に、ふとした気まぐれで自らの戸籍を取ってみた際、三歳年上の姉が昭和六十二年に結婚したことは知っていたが、今回ので見てみると、どうやら平成六年に離婚したものらしい。  姉と最後に会ったのは昭和五十八年頃で、それ以降、全く音信不通の状態だ。  今はどんな暮しをしているのか、一瞬だけ感傷的な気分になる。

     十一月二十四日(木)  十一時半起床。「ビバリー」、立川談志追悼放送。入浴。  午後四時、半蔵門のTOKYO MXテレビへ。  正面玄関前にて、藺牟田氏、及び新潮社からの田畑、桜井、古浦氏と合流。  五時からの生放送、『5時に夢中!』に、中瀬ゆかり氏の代役(が、つとまるわけもないが)で初出演。岩井志麻子氏に助けられるかたちで、何んとか一時間持ちこたえる。

     深更、缶ビール一本、宝一本。  スーパーで購めた生食用の牡蠣二パックと、カツオの叩き。最後に生そばを茹でて、もりで食べる。

     三月の地震で台から落ち、壊れて以降、テレビなしの生活を送ってきたが、やはり映画や落語のDVDを観たいときもあるので、前日、急に買い購める気になった。  四十型の、DVDとブルーレイが内蔵されたBRAVIAと云うのを選ぶ。  西武の地下に寄り、崎陽軒のシウマイ弁当二個と、まい泉の海老フライを仕入れて帰る。  深更、缶ビール二本、黄桜辛口一献五合。

     十二月十日(土)  午後十二時起床。入浴。  藺牟田氏より連絡があり、十五日の深夜に放送する、TBS「ゴロウ・デラックス」は未公開シーン特集らしく、自分のVTRも使われるとのこと。  そう云えば、二月に出演したBS 11 の「ベストセラーBOOK TV」でも、総集編で映像再使用の連絡が来ていた。こちらは三十日夜の放送。  カクヤスで、宝焼酎「純」の二十五度、七百二十ミリリットル四ケース(四十八本)を注文。来年、一月一杯くらいまでは充分に保ちそうだ。  明日は夜から、日本テレビの特番の、 ワンコーナー出演* 17。

     十二月十六日(金)  十一時起床。「ビバリー」。  午後、サウナに二時間弱。  帰り途、コンビニに寄って『日刊スポーツ』を購める。  芸能面に映画『苦役列車』の大きな記事。  貫多役の、俳優氏の写真も出ているが、チェックのシャツのすそをジーンズにインするなぞ、なかなか貫多風のダサさを再現しておられる。完成が楽しみだ。

     十二月十七日(土)  十一時起床。起きると同時、無性に腹が減って、冷凍保存しておいたコンビニおにぎり三個を貪り食う。  夜、買淫。帰路、喜多方ラーメン大盛り。  帰宅後、文藝春秋の『喫煙室』に収録する、五枚の随筆に取りかかる。  深更、缶ビール一本、宝一本弱。  手製の赤ウインナー炒めと、パック詰めのもつ煮込み、福神漬。最後に袋入りの、マルちゃんカレーうどんを煮て食べたのち寝る。

     中古で手に入れた『横溝正史シリーズ』のDVDから、『仮面舞踏会』全四話を一気に観る。  昭和五十三年の放映時に毎週夢中で観ていたこのパート2シリーズは、自分が中学三年のときにはテレビ神奈川で再放送をしていた。  で、その頃は横浜の緑区に隣接していた都下の町田に住んでいたので、かなり不鮮明な画像ながらも、かのテレビ神奈川での放映は観ることができていた。  その後は十年程前に、TOKYO MXで再放送していたのをビデオに録って渇をいやしていたが、DVDで観るのは今回が初めてである。

     一月十七日(火)  十一時起床。入浴。  夕方六時に、表参道のワタナベエンターテインメント本社へ。明日収録の、テレビ番組の打ち合わせ。  七時過ぎにいったん帰宅して入浴後、改めて買淫に出かける。朝に入浴、そしてラブホテルでも前後二回シャワーを使ったから、実にデオドラントなものである。  帰路、よく立ち寄るラーメン屋でチャーシュー麵を初めて頼んで食べてみたが、焼豚がイヤになる程載っかっているので、途中で少し気持ち悪くなる。で、それを四、五枚残して店を出たが、えらく腹持ちが良くて、深更の晩酌時にもまだお腹一杯の状態。  晩酌は早々に切り上げて 床 に入り、大坪砂男の『私刑』(昭 25  岩谷書店)集中の短篇を読み返す。

     一月十九日(木)  午後十二時半起床。入浴。 『サンケイスポーツ』紙の依頼で、東京ドームシティで行なわれるAKB 48 のライブに、夕方より出ばる。  今日から数日間続く、「リクエストアワー」(その持ち歌百曲をファン投票し、順位に沿って全曲歌うと云うもので、初日のこの日は百位から七十六位までを発表するものらしい)の観覧記を、『サンスポ』に八百字で書くと云う趣旨。  藺牟田氏が同行。  八時半過ぎに終了。  帰宅後、八百字を書いて送稿。  深更、缶ビール一本、黄桜辛口一献五合。オリジンのステーキ弁当と鶏カラ六個。トマトのサラダ。

    十一時起床。入浴。「ビバリー」。

    その時分、新宿一丁目に住んでいた自分は、都バスで停留所のいくつか先になる、青山立山墓地の田中英光が眠る墓所へ、事あるごとに赴いていた。

    四月十二日(木)  十一時起床。  昨夕、高田文夫先生が病院に緊急搬送されたことを知り、動揺する。今は心配することしかできぬ。  午後四時、半蔵門のTOKYO MXへ。  中瀬ゆかり氏の三度目の代打として、「5時に夢中!」生放送出演。  新司会者のふかわりょう氏の、放送中以外での細やかな心配りが有難い。

    ある日、退屈でネットを見ていたら「江上剛が西村賢太 のことを書いているぞ」と書かれたブログを見つけた。それは私への批判だった。きっと彼は、西村さんのコアな読者なのだ。加えておそらく貧困のために社会の底辺でうごめいている人なのかもしれない。だから西村さんと全く正反対のような人生を歩んできた私が、西村さんの著作について何かを語るのが許せなかったのだろ

    西村さんは 芥川賞 作家ではあるけれど、それに至るまでは中学校卒で肉体を酷使する職業を転々とし、苦労を重ねて来た人だ。その過酷とも言える人生に比べれば、田舎で平凡に育ち、ちゃんと大学を卒業し、大手金融機関に勤めていた私などに西村さんを語って欲しくないという彼の気持ちは分からないでもない。  でも待ってくれ。私も西村さんに熱い思いを抱く読者の一人だ。西村さんの読者は貧困にあえぐ人ばかりではない。私のように普通にサラリーマンを経験していた人もいるはずだ。むしろそういう人の方が大半だろう。そうでないとこれだけ多くの読者を獲得することは出来ない。

    西村さんの小説に初めて出会ったのは芥川賞受賞作「苦役列車」だ。ものすごくおもしろかった。今まで私小説といえばジメジメ、ブツブツ、クドクドしてなんの生産性も発展性もないものだと思っていた。そんな小説は、このエンターテインメント全盛の時代にあって見向きもされない。ところが西村さんの私小説はそれらとは全く違って明るく、強く、ユーモアたっぷりだった。私の中の私小説のイメージを一新してくれたのだ。

    「書かれてあることも自身の愚かな振舞いの、その不様さをくどくど述べ立てているに過ぎないのだが、しかし、何やらユーモアを湛えた筆致で一気に読ませてくるのである。  アクチュアル、とでも云うのか、どんなに陰惨で情けないことを叙しても、それはカラリと乾いて、まるで湿り気がない。どんなに女々しいことを述べていても、それにも確と叡智が漲り、そしてどこまでも男臭くて心地がいい」。

    さて本書だが、これは、西村さんの日常生活が淡々と記されているだけで何が面白いのかと言われたら、なんとも説明が難しい。何を食べた、何を飲んだ、編集者と 喧嘩 した等、一般の人にとってはどうでもいいことばかり。それなのに最後まで読ませる。思えば、 永井荷風、 種田山頭火、 正岡子規 も素晴らしい日記文学を遺したが、彼らも淡々と日常を記すだけで難しい社会問題などは書いていない。

    本書も同じだ。西村さんの省略の妙味が実に光っている。西村さんも荷風らと同じように巧みな計算の上で日記を書いている。例えば本書には「3・11」の東日本大震災の日は記載がない。翌日の日記に「終日、きのうの地震の余震が続く」とあるだけだ。記載のないことが、あの地震の衝撃を何よりも雄弁に物語っている。また求められた政治的な意見の内容は一切書かれていない。そこには自分の生活を邪魔することはあっても助けることがない政治への反発、アナーキーな姿勢が読みとれるだろう。

     本書を読むと、西村さんは頻繁に落語を聞きに 寄席 に足を運ばれているようだ。西村さんは、私のような地方育ちではない。東京(江戸)に生まれ、育ったことに強烈な自負心を持っておられる。昨日、今日の落語好きではなく寄席通いは幼い頃からの習慣だったのではないだろうか。だから自然と落語の語り口調が文体に反映されたのだろう。そう考えると、西村さんという作家は、円朝たちに続く江戸文化の正統な継承者と言えるのではないだろうか。

  • 苦役列車からの2冊目として購入。
    入浴、サウナ、宝と毎日の変わらないルーティンが心地よく感じる。好きな仕事と好きな事をやりながらの日々は羨ましく、色々刺激される作品である。すでに西村作品の沼におちてます。

  • 最近は西村賢太ばかり読んでいます。
    もう、西村賢太にあらずんば作家にあらず―というくらい。
    今年になってから小説を4冊読んで、手元にはまだ2冊あります。
    いずれ全著作を読破するつもり。
    密やかな愉しみです。
    ただ、新作が出ることは、もう二度とありません。
    云うまでもなく、西村賢太は今年2月に亡くなったから。
    読み切ったら繰り返し読むしかないでしょう。
    ところで、小説だけでなく、随筆も読んでみたい―と、取り寄せたのが本書。
    ファンの間で「日乗シリーズ」と呼ばれる作品群の第1弾です。
    西村賢太の日記。
    毎日、どこへ行き、何を見て、誰と会い、何をどれだけ食べて飲んだのかが記されています。
    まず、興味を引いたのが、その食いっぷり、飲みっぷり。
    たとえばある日の夜(というか深更)のメニューは次の通りです。
    缶ビール2本、宝1本、冷凍食品の牛皿とレトルトカレー、ウインナー缶、オリジンの白飯。
    「宝1本」というのは、宝焼酎の720ml瓶のこと。
    これを毎晩、ほぼ1本空けるのです。
    しかも大量の食べ物と共に。
    これでは体を壊すというもの。
    でも、西村賢太には、そんな世間の常識なぞ関心の埒外。
    ファンにとっても、そうした不健康な生活があって、傑作の数々が生み出されたとあっては、積極的に支持しないまでも、看過するほかありません。
    結句、死んでしまったわけですが…。
    日記にはその他、編集者との諍いや芸能活動、もちろん創作についても語られます。
    規格外の作家の日常に触れられる貴重な日乗です。

  • 寝る前につらつらと読んでいた日記。1ヶ月ほどかけて読了。

  • まあ、普通の…淡々とした日記ですねぇ…西村氏、毎日かなりの量のお酒を飲んでおられますな! 自分からしたらあまりにも多い…そんなに焼酎たくさん飲んだら自分だったらきっと意識朦朧としてその場で寝ていますよ…西村氏、酒強いんですなぁ…。

    などといったことを思いましたかね。他には特には…この日記、シリーズ化しているんですねぇ!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    それには本当に驚きました。だって本当に箇条書きっつか、淡々とした、備忘録みたいなものなんですもの…。

    一作目である今回は東日本大震災が起こった辺りからのスタートになります。ま、そんな地震が起きても西村氏は殊更に騒ぎ立てたりせずに淡々としているんですけれどもね…。

    ファンには良いエッセイ?と言えるのではないでしょうか…さようなら…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 一年半で版元を変更しての文庫化。またしても読んでしまう。「ようこそ先輩」はいまだに観ていないな。

  • 規格外の芥川賞作家、西村賢太氏は、いかにして毎日を『どっこい生きてる』のか? Web文芸誌に掲載された2011年3月から一年余りの無頼の記録を書籍化。どこまでも自らの眺めに徹した西村氏の目線がヨイです。




    規格外の芥川賞作家、西村賢太氏が、2011年3月から1年余りの記録をWeb文芸誌「マトグロッソ」に掲載された「日記」を書籍化した本です。いうなれば『西村賢太』ブログとでもいえばいいのでしょうか?

    ただ、本人はパソコンもネットもやらないそうなので、紙に手書きで書いたものを編集部にFAXで送信し、編集部のスタッフがまとめてアップしているのだという話を聞いたことがあります。

    いや、面白い。西村氏はまさに『生き方そのものが私小説』なのだということが改めてよく分かりました。それを信濃八太郎氏の重厚かつ味わいのある表紙の挿画が引き立ててくれております。

    昼、もしくは昼過ぎに大体起き、尊敬する高田文夫氏のラジオ『ビバリー昼ズ』を聞いてから一日がスタートするそうです。日中は新潮社や文藝春秋社などの出版社に行ったりその他もろもろの雑事をこなしているのですが、西村氏の本領は夜にこそ現れます。

    担当編集者とは日常茶飯事のようにぶつかり、愛飲する宝の焼酎『純』を毎晩一本は空け、深夜になってからおもむろに小説を書き始める。

    小説の進捗具合は日によってまちまちですが、明け方ぐらいにやめては常人の基準で言うと2人前から3人前の食事をしてとこにつく、あるいは明け方の晩酌と相成るのです。食事は西村氏行きつけの24時間営業の居酒屋である『信濃路』で摂ることも多いのですが、大体そんなところです。

    本人にとっては余計なお世話なのかもしれませんが、深更の時間帯にオリジン弁当のトンカツ弁当やしょうが焼き弁当などのこってりしたものを2人前、あるいは、鳥のから揚げなどをつまみに宝焼酎一本、もしくは三分の二まで空ける。それがほぼ毎日のように続いているのを読んでいると、さすがに
    『この人大丈夫かな?』
    と思わずにはいられませんでした。

    僕は大学時代に読んだ嵐山光三郎の『文人悪食』や『文人暴食』の影響をふんだんに受けているので、作家が普段口にしているものが文章にどのように反映するかということをよく考えているので、西村作品のつむぎだされるあの粘っこい文体はこういう脂っこい食事にあるのかな、とさえ考えておりました。


    あと、西村賢太氏といえば、買淫。風俗にまつわる話でございますが、これも本能の赴くままに行っており、大体3日おきに『買淫』と書かれているのを読んでいると、この人にとっては日常茶飯事なんだなぁとさえ思い、その清々しさに『さすが西村賢太』とうなってしまいました。

    で、大体その後には喜多方ラーメンの大盛を帰りに食しているという、ある意味どうでもいい情報が、しっかりと僕の頭の中にインプットされてしまいました。

    しかし、『飲む』ことと『買う』事に関する執着は人一倍であるのに『打つ』が一切ないなと。それは長年の貧乏生活がそうさせるのでしょうが、一読者としては『打つ』西村賢太というのも見たい気がしてならないのです。

    良くも悪くも己をさらけだして生き、そして書く。そんな『一小説書き』としての西村賢太氏の『日乗』が簡潔ながら余すところなく描かれている一冊でございます。

    ※追記
    本書は2014年10月25日、KADOKAWAより『一私小説書きの日乗 (角川文庫)』として文庫化されました。西村賢太先生は2022年2月5日、東京都の明理会中央総合病院でご逝去されました。享年54歳。死因は心疾患。この場を借りて、ご冥福を申し上げます。

  • 淡々と今日の出来事を書いているだけ(のように見える)なのに、この本は何か不思議と読み進めてしまう。西村さんの雑多な感情と品のある文章とのギャップがこの本の良さだと感じました。後は宝焼酎「純」を飲んでみたくなりました。

    深更、缶ビール1本、宝1本

  •  昨年突然の訃報を目にして結構ショックだった著者の日記本があると知って読んだ。「苦役列車」と「小銭を数える」くらいしか読んだことなかったけど、これからたくさん著者の小説を読もう!と決意させられるくらいに魅力的な日記だった。
     芥川賞を受賞した後の2011年3月から日記は始まる。あの311が起こったまさに真っ只中である。しかし彼は地震や原発に関してほとんど書いていない。あれだけのことがあって日記にそれを書かない選択をしている点に作家の矜持を感じた。彼が書いているのは基本的に自分の身の回りのことのみであり、他者に言及したとしても自分の周辺人物のことのみ。SNSを中心として各種インターネットの発達に伴い、色んなことに言及できるようになったけど、昔は自分の半径5mくらいしか見ていなかったのかもなと改めて気付かされた。そんな中で出版社の方々が実名で登場、特に新潮社の方々がとても魅力的に見える。祝杯をあげたり、仕事のことで喧嘩して絶交したのち飲んで和解する流れなど、最後の方はそういったものを期待している自分がいた。
     日記を書くと言っても、どこまで書くか?のラインは各人で異なる。彼の場合、仕事と飲酒を含む食事の二つが中心になっている。前者については芥川賞受賞バブルの中、毎日のように原稿を書きまくり締切と格闘する姿が興味深かった。怒りやすく根に持つタイプでありながら情に厚いところもあったり、自分の尊敬する対象への畏敬の念の抱き方がオタクのそれなので親近感があった。後者は明らかにToo muchな分量を毎日淡々と摂取している様子がとにかくオモシロい。よくこれだけ食べて飲んで逆に54歳まで生きれたな〜と思う。藤澤清造の没後弟子を自ら名乗り古書への造詣が深いからか言葉使いが特徴的でそれが読んでいるうちに癖になった。本著で知った「深更」は今後使っていきたい日本語だ。日記本だけで6冊もあるので隙間時間でどんどん読んでいきたい。

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著者プロフィール

西村賢太(1967・7・12~2022・2・5)
小説家。東京都江戸川区生まれ。中卒。『暗渠の宿』で野間新人文芸賞、『苦役列車』で芥川賞を受賞。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『随筆集一私小説書きの弁』『人もいない春』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『随筆集一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集一私小説書きの独語』『やまいだれの歌』『下手に居丈高』『無銭横町』『夢魔去りぬ』『風来鬼語 西村賢太対談集3』『蠕動で渉れ、汚泥の川を』『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』『藤澤清造追影』『小説集 羅針盤は壊れても』など。新潮文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他』を編集、校訂し解題を執筆。



「2022年 『根津権現前より 藤澤清造随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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