- 本 ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041027431
作品紹介・あらすじ
「全身やり投げ男」。1989年、当時の世界記録からたった6センチ足らずの87メートル60を投げ、その後はWGP(世界グランプリ)シリーズを日本人で初めて転戦し、総合2位となった不世出のアスリート・溝口和洋。
■中学時代は将棋部。
■高校のインターハイではアフロパーマで出場。
■いつもタバコをふかし、酒も毎晩ボトル一本は軽い。
■朝方まで女を抱いた後、日本選手権に出て優勝。
■幻の世界新を投げたことがある。
■陸上投擲界で初めて、全国テレビCMに出演。
■根っからのマスコミ嫌いで、気に入らない新聞記者をグラウンドで見つけると追いまわして袋叩きにしたことがある。
無頼な伝説にも事欠かず、まさに陸上界のスターであった。
しかし、人気も体力も絶頂期にあり、来季のさらなる活躍を期待されていたにもかかわらず、90年からはパタッと国内外の試合に出なくなり、伝説だけが残った……。
その男の真実が、25年の歳月を経て、いま初めて明らかとなる。
プロとは? アスリートとは? 天才と秀才の差とは? 日本人選手が海外選手に勝つための方法とは?
大宅賞受賞作家の上原善広が18年間をかけて聞き取りを続けた、まさにライフワークと言える作品。18年間の関係から紡がれる、ノンフィクションとしては異例の一人称文体。
泥臭い一人の漢の生き様から、スポーツ界が、社会が、昭和と平成の歴史が彩られていく。
感想・レビュー・書評
-
新年一冊目。
こちらの本、どなたかが薦められていた本であったが、全く忘れてしまっていて、ちょうど図書館で予約できたので、軽い気持ちで読んでみたが、思わぬ深さにたじろぐ。
「槍投げ」という競技は、この本を読まなければ、おそらく人生で関わることはなかっただろう。しかし、槍投げという競技を通じて語られる、溝口さんのトップアスリートの流儀は、どの競技、いや人生において通じるものがあると感じた。
特に、溝口さんは、徹底的に「現実主義者」であり、感覚的な身体の動きを、言葉で表現できるという、文学的な才能も持ち合わせているように思えた。
トップアスリートの繊細な感覚に、言葉が加わると、力強く刺さる。イチローさんや武井壮さんが、技術について語る時と同じように、トップの世界で生きる人は、決して常識の積み重ねから生まれてこない言葉を持っている。
私が、特に印象に残っているのは、リラックスについてだ。今までは、全身の筋肉を緩めることだと思っていたが、溝口さんによれば、真のリラックスとは、「力は入っているのだが、自分では意識していない状態」のことを指すという。
この、いつでも切り替えられる状態にしておくことが、「リラックス」というものなのだろう。
そして、それは集中にもつながってくる。
『ずっと集中していてうまくいかない。ポイントだけ集中すれば、後はおしゃべりをしていても大丈夫なのだ。(P97)』スポーツ、とくに一瞬の集中力の積み重ねである、槍投げであるが故に、緩急が必要なのだが、実はその法則はそこにとどまらない。全てに応用がきく。
溝口さんはまた、他の競技で身についたものを、応用できないか、常に考えていたそうだ。
今では、技術を他の分野で応用することは、当たり前のように思えるが、おそらくそうでなかった時代に既にやっていたということが、すごいを通り越して恐ろしさすら感じた。
一年の始まりからこれほどにも力強く響いてくる本に出会えてよかった。
これだから読書は、やめられないのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本当にやり投げに命を賭けてる。練習が過酷すぎる。毎日限界に挑んでいる。やり投げで良い記録が出せたら体なんてどうなってもいい。誰になんて言われても気にならない。味方なんていらない。そんな感じ。本を読むとたいていその本に出てきたことをやってみたくなるけど、これは全くならなかった。なんかもう、一線を超えている。やり投げを引退した後パチプロになったというのも面白い。
-
面白すぎました。
やり投げと言えば、
北口さんではなくて溝口さん。
名前は聞いたことある、くらいでしたが、
スゴいオトコがいたもんです。
とても真似できない生き方だけど、
何か少し突き刺さる感じでした。
この不思議な文の構成も成功してますね。
-
-
自己ベストとは、己の本当の意味での限界のことである
海外にでると必ずマクドナルドを探すようにしていた。これだとおじはそう変わらないからだ。お腹をこわすリスクも減らせる。海外遠征のときは贅沢を言っていられない。旨い飯を食うために来たのではないのだ。ここには、自分の一生を賭けて闘うために来たのだ。
WGPシリーズ 第一戦 サンノゼ 87.68m 世界新は再計測で87.60
「やり投げ屋」は、どこへ行こうが、どんな条件でも投げなければならない。そしてその記録は、受け止めなければならない
連戦が続くWGPの場合、試合が終わったからといって、その日の練習を休むわけにはいかない
日本記録なんか、どうでもいい。記録には2つしかない。世界記録と自己ベストだ。
日本記録など、外国ではだれも知らない
DNガラン戦 わたしのやりだけ届かなかった。私はソウルで一度、終わった男なのだ。人のせいにしたくもないし、やりのせいにしたくない。すべて自分の責任だ。
とはいえ、投げるやりがなくては試合にならない。仕方がないので、どこの国の選手だったか、日本語で「ちっと貸してくれんか」と声を掛けて、やりを借りることにした。みな2,3本のやりを持ち込んでいるのだから、一本くらい借りたってどうってことはない
こういうとき、人は「運が良い」と言うかもしれない。しかし、運も結局は、そのトウニンが引き寄せているのだ
世界記録はもちろん最大の目標ではあった。しかしそれ以上に、私はそこに至る過程を大事にhしたかった
それもこれも、誰より膨大なトレーニング量と、世界成功の技術を追究している自信からくるのだ
ただ己を向き合い、自己ベストを狙って投げるだけだ。そうすれば勝利は向こうからやってくるはずだ
精神面の才能とは、やる気があるとか、そんな基本的な話でない。スポーツ選手にも、考える感性やセンスと言ったものが必要となる。それは簡単にいえば、「自分で考える力」があるかどうか、その考える方向があっているのか、とうことだ。
私についてはもう、多くのひとが私の存在を忘れているようだ。私はそれで良いと思っている。一投にすべてを賭け、それにおおむね勝つことができたのだから。私には堂々と誇れる過程と結果がある。だから人々から忘れられても、私はなんとも思わない
あとがき
しかし、私は思った。忘れらたと思っているのは、実はあなただけだ。陸上関係者は今もまだ、あなたの鮮烈な投擲を覚えている。忘れようとしても、忘れられないのだ。今年のインターハイがちょっとした騒ぎになったのは、それを象徴しているのではないか。あの、鮮烈な、フォーム。誰よりも遠く飛んだやり。私もまた「溝口のやり」をわすれられない一人だった。
彼の原動力であった「馬鹿にされたら絶対に忘れない蛇のような執念」だろう -
30年以上もやり投げの日本記録保持者である溝口についてのドキュメント。とにかくすごい。圧倒されたというか、呆然としてブログを書いた。http://bullcat.cocolog-nifty.com/takaspo/2019/11/post-ef9eb8.html
-
陸上競技 やり投げ界のレジェンド、溝口和洋の競技人生を綴ったノンフィクション。
1989年、アメリカ、西海岸サンノゼ、幻の世界記録を出した日本人がいた。その記録は日本記録となり、未だ破られてはいない。
独自の投法、常軌を逸したトレーニング、破天荒な性格、酒は飲む、タバコは吸う、試合の朝まで女を抱く、記者へ暴力は振るう•••等の多くのエピソードを持つ伝説の無頼派アスリートは、その競技人生で何を考えていたのか?
マスコミ嫌い故に語られることのなかった心情を、作者は18年にも及ぶ取材によって、一人称ノンフィクションに仕上げた。
屈託がなく、ストイックで強烈な目的意識を持つ人間像が描かれている。 -
1人称で語られる自伝的ルポルタージュ。タイトルに無頼とあるが、頼っていたのは自分自身だったというメッセージがズドンと伝わってくる。
-
本書を読むまで、溝口選手のことは知らなかった。当時著名だったようなので、忘れただけかもしれないが。
はちゃめちゃと思える鍛錬、まるで修行僧のように己を貫く姿勢。一方で、酒・タバコ・女と人間臭いこともこの上ない。
「一投に賭ける」というサブタイトル通り、ものごとを極めることの凄まじさをひしひしと感じた。
ノンフィクション作家の著者が一人称で語る、という読み易さもあって、あっという間に読了した。 -
筆者が溝口氏から話を聴くこと・会話すること20年近く。
中間時点での書籍も出ているが、集大成として、本人が執筆している形態を採ることが出来るまでに至った著作。
暫く小説ばかり読んでいたらノンフィクションを読みたくなったので手にしてみたが、思った以上の迫力。
小説以上に想像を絶する現実を、自らの意志で生きて来た、その内容には圧倒される。
著者プロフィール
上原善広の作品





