昭和残影 父のこと

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041030349

作品紹介・あらすじ

書評家として活躍する著者が、ふとしたことで知った父の意外な過去…。活字や俳句を愛し、自分の信念を貫き、運動家として活動した亀治郎。その足跡を辿りながら、激動の時代と家族の姿を描きあげる、傑作評伝。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は、目黒孝二というよりも私にとっては何よりも北方謙三「水滸伝シリーズ」を紹介してくれた書評家の北上次郎としての顔の方が親しい。その他「本の雑誌」編集者としての顔とかもある。

    しかし、ここでは「息子」の顔になっている。その意味で普遍性のある評伝だった。

    父親の目黒亀治郎は、山岸一章「聳ゆるマスト」の中で紹介され、日本海軍の中の反戦活動という一種特別な活動をしたということで親戚の中一時期有名になったらしい。しかし、そのことを息子は知らなかった。既に雑誌編集者として活躍していた大人の息子が知らなかったのである。著者の驚きは幾ばくであったか。

    それで父親の伝記を書くことを思いつく。その辺りは物書きとしての業だろう。しかし一向に進まないままに父親が死んでしまう。そして初めて息子は父親と向き合うのである。これは息子としての業だろう。

    戦前の共産党員としての父親に対する著者の関心は予想したよりもなかった。それは何よりも、戦後の共産党との関わりをバッサリと削っていることからも伺われる。

    それよりも、ここで描かれるのは、
    「親の人生をたどることの困難さ」と、
    「息子とほとんど胸襟を開いて接しなかった父親」という、実に普遍的な父子関係である。

    つまり、亀治郎にはどこか冷たいところがある。生涯人付き合いを嫌った形跡があるのは、孤高というよりも狷介といったほうがいい、その性格のためではないのか。穏やかな表情の下に、そういう素顔があると思う。友人が少ないのは、この道筋で理解される。実はその父の血は、私にも流れている。私も友人が少ない。人付き合いも積極的にはしたくない。親戚付き合いを満足にしていないし、亀治郎同様に、本さえ読んでいることが出来ればそれで満足なのである。まるで亀治郎そっくりだ。(103P)

    多かれ少なかれ、男にはそういう面があると思う。まるで私そっくりだ。私の父親は人付き合いは良かったが、狷介な部分も持っていた。

    父親をたどる旅は、いつしか自分を知る旅になるのかもしれない。わずかな記録から、住んでいた場所を出来るだけ再現する。古書を漁り、現地を歩く。そして当時の風景を自分のものにしたうえで、未知で既知で最も近い他人の「父」の実像に迫る。私は目黒孝二を知らないが、それはそのまま目黒孝二の姿そのままなのかもしれない。

    私も、父親の伝記を書けばそうなるのだろうか。尤も私は父親に似ているので、全ては中途半端に終わるだろうけれども。

    2015年10月3日読了

  • 直接は存じ上げないのに変な気もするが、目黒考二という人が好きで、著書も随分読んでいる。「著書のサイン入り本」なんてのも、目黒さんの本しか持っていない。

    目黒考二の様々な書評、エッセイに出てくるこの人の感傷に、僕は弱いのだ。過ぎていく時間、変わっていく身の回りの人々(それが例え成長というポジティブなものであっても)に目を向けては胸を痛め、懐かしい過去の思い出を振り返っては心を震わせる。僕自身の中にもそういう感傷的な部分が少なからずあるので、妙に共感してしまうのだろう。

    目黒考二が自身の子供達への眼差しに、この感傷を大いに含める著述も多く見かける。ところがどうだろうか。この本でも目黒考二自身が書いているように、平日は毎日の会社に泊まり込み、土日は一日競馬に行って、家にいるのはほんの数時間。その間にも仕事をし、本を読んで過ごしている時間も相当ありそうだ。そのギャップに違和感がある。そんなに感傷的になるなら、もっと子供達と一緒にいたら?と言われたら、なんと答えるだろうか。

    僕はこの本の中にその違和感の答えがみつかるのではないか、と期待していた。目黒考二が感傷的な気持ちを向ける対象との間に、実際の関わりとしてはでは冷たいほどの距離を置くのは何故なのか。そこに興味を覚えるのは、僕自身の中にもとてもよく似た所があるからだ。

    そういう意味で、この本は期待に応えてくれたとは言いにくい。「こういうことかな?」と考える材料は沢山あるが、スッキリと答えがみつかるわけではなかった。例えば、父、目黒亀治郎が古い知人からの数十年ぶりの年賀状に素っ気ない返事しかしなかったのは何故か、という問いがある。そして亀治郎自身が自分のその態度に自分の生きにくさの鍵を見ていた節もある。ところがこのエピソード、気になることとして2回も出てくるのに、結局話として回収されないのだ。

    本の最後に、執筆の動機に繋がる重要な問いが遂に表現される。この問いが生まれる事こそが、答えなのかもしれない。だがそれは1つの仮説を超えない。まだ問いは続いていくのかもしれない。自分を理解する道程は長く険しく、これだけの力作を創り上げてすら、まだゴールには至らないのだろうか。

  • 本の雑誌の編集長として、又作家の北上次郎として、個人的に尊敬する読書の「達人」のおひとり。
    父親を知るために、残されたメモや記憶、親戚の証言のひとつひとつを、社史や郷土史、同時代のことを書いたエッセイなどの記録から読み解き検証していく。作業をコツコツ続けて見えてきたものは?巻末に記された膨大な参考資料の一覧、所々挟み込まれる余談も含め、驚きと静かな感動に満ちた一冊でした。

  • 2017年4月25日読了

  • 目黒氏の講演を聞いたが、この評伝もあちこちに興味深い話が飛んでいき、後戻りしながらどんどん読めてしまう。
    そして、最後は家族の絆。

  • 書評家として活躍する著者が、ふとしたことで知った父の意外な過去…。活字や俳句を愛し、自分の信念を貫き、運動家として活動した亀治郎。その足跡を辿りながら、激動の時代と家族の姿を描きあげる、傑作評伝。

  • ☆3つ
    読んだ理由。もちろん北上次郎の書いたものだから。
    本名は目黒考二。孝二でわないし孝治でもない。ここ重点注意。
    でもこちらが重点たる理由は特に無し。まあ、強いて言えばめづらしい「こうじ」だからなのだ。

    しかしも、この本どう読んでも決して面白いものではない。
    題名から遥かはづれて、好きな競馬の話にのめり込んでしまっている部分がしきりとあるし。(かえってそこが面白いのだがw)

    それでもあえて書くと「どうです父のことを調べるのに、ぼかぁいかにも沢山の資料を読んで調べているでしょう。ちょっと耳たちには真似できんでしょう」---- ええ、出来ませんとも。
    (目黒考二って誰?という方。あなたは正常です。あなたの読書人生はこの先も明るい。そのまま そぉーそろー です。。。たぶん)

    ・・・前に書いた。・・・先に書いた。・・・と書かれている。・・・少し長いがそのまま引用する。 、これらの書き方がとにかく多用されている。
    要するに著者の他の批評文集と同じなのである。いや同じが悪いなどと高射なことを言っている訳ではない。ただ自分の筆分がほとんどなくても作者に少しの認識度が有りさえすればこのように本には書けてしまうのだなぁと言うこと。
    そして題名にはハッキリと偽りがあるので、ここでビシと指摘しておく。
    この本の中で語られるのは昭和の残影などではない。明治大正の残影である。ゆめゆめ勘違いすることなきよう。南無。すまぬ。

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