世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 (角川文庫)

  • KADOKAWA (2015年7月25日発売)
3.13
  • (0)
  • (9)
  • (28)
  • (0)
  • (2)
本棚登録 : 214
感想 : 13
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • 本 ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041031643

作品紹介・あらすじ

「アゲ」と「気合」の行動主義=反知性主義、家族主義で母性的。これまで論じられなかった日本の「ヤンキー」性と、急速に拡大するバッドセンス。日本文化の深層に、気鋭の精神科医/評論家が肉薄する!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • これはこれで面白い(こき下ろし含め)。が、著者的に言えば、もう少し知性主義的に論じてもらった方が共感できたかも。パフォーマンス(売上や話題性)を意識したのだろうか...。
    「(ヤンキーの)成功者の哲学は、ほぼきまって、成功してから後付けで考え出られたものだ。だから案外、一般人には応用が利かないのである。」

  • 承認をめぐる病を先に読んだせいか、思っていたより分かりやすく、もちろん面白かった。この本とルボンの群集心理は合わせて読むとなお良い気がする。特に最近設立された参政党を眺めている人におすすめ。

  • なんとなく、途中で放置。

    「災害に諦めがついているように、人の突然の感情に諦めがついていたりというのは神道の良い氏子ってことじゃないのか。だから、ヤンキー=神道の現代的な一側面じゃないのか?」と思ったら読む気が無くなった。

  • 《大和絵 vs. 浮世絵という対比は、伊勢神宮 vs. 日光東照宮の対比に似て、「和風」という言葉が本来あわせもっている二つの対照的なベクトルが連想される。とりわけ浮世絵や東照宮が歴然と持っているヤンキー文化への親和性(「そのもの」ではないが)は重要だ。》(p.105)

    《ヤンキーたちにとっては、戦争の記憶も占領の屈辱も、それほど大きなトラウマやコンプレックスの源にはなっていない。彼らにとっては、いかなる意味でも「アメリカ」は父性を代替しない。これは彼らの価値観をみれば容易にみてとれる。仮にアメリカ二ズムを、自由、平等、フロンティア精神、民主主義などで代表させうるとすれば、これらがヤンキーたちの規範たり得ているとはとうてい考えられないからだ。ましてアメリカニズムの背景にあるプロテスタンティズムに至っては、ヤンキー文化の中にその痕跡すらみあたらない。これほど規範に影響を与えないものを父性とは呼ばない。》(p.142-143)

    《速水がラーメン屋のナショナリズムにみてとったフェイクとしての伝統主義、およびその象徴としての作務衣こそ、「始源のもどき」の現代版だ。中国起源のラーメンに日本的な起源など存在しないわけだが、作務衣はそれを隠蔽するための「捏造された伝統」にほかならない。もちろんラーメン屋自身がそれを知らないわけではない。なにもかも承知の上でパロディックに伝統を演じてみせること。それがいっそう「〈趣味的〉ナショナリズム」を強化すること。この構図はそっくりそのまま、ヤンキー文化にもあてはまる。》(p.271)

    《こうした論じ方の一つの帰結として、「ヤンキー論とは、すなわち日本人である」というものがありうるだろう。(…)しかし注意しよう。この種の「日本人論」なるものもまた、どこかに隠蔽されているはずの起源を捏造したいというナルシシスティックな誘惑に基づいている。むしろ本書で僕がしてきたことは、つまるところ「ヤンキー論の不可能性の中心」を解き明かすことだった。だとすれば、次なる課題は、そうした起源的なものを抹消しつつ、ここで指摘した換喩的文化のありようを、「日本人論」とは別の形で再度検討することになるだろう。》(p.274-275)

    《ヤンキーは「本質」を「起源」を語らない。それは「規範」や「理想」を語り得ないことと同じことだ。彼らは「夢から逃げるな」というが、どんな夢かは語らない。なぜか。彼らの行動の基本原理こそが「気合を入れて生き延びること」にほかならず、その先のことは彼ら自身も知らないからだ。》(p.281)

    《わが国においては、思春期に芽生えかけた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。不良が徒党を組むさいに求心力を持つのは、「ガチで気合の入った」「ハンパなく筋を通す」「喧嘩上等」といった価値規範なのだ。しかしこれが擬似倫理的な美学であり、丸山眞男の言うところの空虚な「いきほひ」の変形でしないことは、本書で十分に検証してきた。
     こうした美学は、特攻服やよさこいソーランのような様式性をへて、フェイクの伝統主義=ナショナリズムに帰着する。つまり、青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と「伝統」を大切にする保守として成熟してゆくのである。われわれは、まったく無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手にしていたのである。》(p.298-299)

  • 『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫)でラカン派の精神分析の観点からオタクの心性を読み解く試みをおこなった著者が、オタクとは対立するトライブであるヤンキーの心性についての考察を展開している本です。

    ヤンキーについての社会学的な考察ではなく、あくまで「ヤンキー的なもの」と呼ばれるような心性をめぐる考察となっていることに、ひとまずは注意が必要でしょう。本書では、このように若干焦点を甘くすることで、ジャニーズや白洲次郎、橋下徹などを支持する人びとの意識のありようについて議論を展開していきます。さらに、丸山眞男の「歴史意識の古層」論にまで言及し、「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」というヤンキー的な心性に通じるという、どこまで本気で受けとってよいのかわからないような議論にまでいたっています。

    かなり強引に思えるところもすくなくないのですが、それでも著者の考える「ヤンキー的なもの」についての考察には、ついつい納得させられてしまいます。それはともかく、単行本刊行時に付された「あとがき」で著者は、自身がヤンキーの「当事者」ではないことを断りつつ、「「当事者性」は批評における武器の一つではありえても、正当性の唯一の担保などではない」と述べています。これはその通りにちがいないのですが、つねに視線を「メタ」レヴェルへと転じていくオタクについての考察が、それ自体オタク的なまなざしによって自己言及的に書かれることとは対照的に、どこまでも「ベタ」なレヴェルで受け取ってしまうヤンキー文化が批評という行為なしに完結してしまうような現象である以上、それについての精神分析的な立場からの考察がどのような意味で正当性をもちうるのかということについて、もうすこし自覚的であるべきなのではないかという疑問も感じました。

  • 先日のトークイベントにて購入。ヤンキーというか、ヤンキー的なるものとは。ヤンキー性の本質は表層にしか宿り得ない、古事記から連綿と続く「気合いとアゲでなんとかなる」が基本のメンタリティというのが面白かった。欧米の神様はホイホイ光ったりしないということも、なるほど言われてみればたしかにな
    タイトルだけ見るとちょっとロマンチックだな…と思ったりしたけどでも内容はある意味ロマンチックかもしれない

  • 「美学としての『ヤンキー』」について語られた本。
    「逸脱」と「様式化」によるゆるやかな変遷ということが言われており、日本人の外国文化の受容が思われる。
    また、父性的暴力(関係を切る)と母性的暴力(関係をする)や父性的社会(規範による集団)と母性的社会(理念や規範以外による集団)というのが、今後、私自身がいろいろなことを考えていく上でキーワードとなるような気がする。
    「どこへ連れていかれるかはわかrないが、何かやらかしてくれそうな期待感」という魅力が、重要な気がする。

  • わたしは自分とはあまりにかけ離れた存在としてヤンキーに異常に興味があるので読んだ。が、なんていうかぬるぬるした文章ですね。主張はあるのだけれど、それがポンと上がるかと思えば裏付けがするりと躱されていくような。というか最初から自明の結論が頭の中にあって、一応解説しようという気持ちはあるのだけれど、自明すぎて語りが中断されるような?何にしろ、もちろん平易で読みやすいんだけれども、ぬるぬるとすべっていくような気がしてあまり熱中できなかった。
    そして何より読んでいてキツかったのは、父性/母性と男らしさ/女らしさを使ったくだりです。非常に明快なよくある二項対立のもと、母性には反知性主義のすべてが押し付けられており、また男らしさについては提示されないのに、女らしさにあらゆる批難をまとめ上げており、それが読んでいてとても平板に感じ、かなりキツい気持ちになった。今はここまでです。

  • 興味深い題材だが、納得感あるようにしか書いてない読み物風だった。

  • タイトルが素敵。秀逸なヤンキー論。ヤンキーそのものではなく日本人の中に潜む、いわば「ヤンキー魂(ソウル)」について相田みつを、ジャニーズ、漫画、金八先生、母性、古事記(!)と様々な視点から考察。結論を先送りする文章には少しイライラさせられたが、なるほどたしかに日本的なるものとヤンキーテイストは馴染みがいいんだよなあと妙に納得させられた。著者考案の「本宮ひろ志テスト」(本宮ひろ志のキャラの横に本宮ひろ志絵でその人物を描きこんだと想定して違和感がなければヤンキー認定)には笑った。面白い本でした。

全13件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

斎藤 環(さいとう・たまき):1961年生まれ。筑波大学医学研究科博士課程修了。医学博士。現在、筑波大学社会精神保険学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙。著書に『社会的ひきこもり』『母は娘の人生を支配する』『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)『オープンダイアローグとは何か』ほか多数。

「2024年 『猫社会学、はじめます』 で使われていた紹介文から引用しています。」

斎藤環の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×