お金の流れで読む日本の歴史 元国税調査官が「古代~現代史」にガサ入れ

著者 :
  • KADOKAWA
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041032206

作品紹介・あらすじ

たとえば、
「織田信長は、金融改革でデフレ解消」
「坂本龍馬は、ニセ金で倒幕資金を調達」

本書では、元国税調査官が日本の「古代~現代史」にガサ入れ。
歴史上の「謎」も、「お金の動き」読み解くことでどんどん解決していきます。

この国の「成り立ち」「混乱」「発展」そして「今とこれから」……
歴史を動かしているのは「人」ではない、「お金」なのです!

感想・レビュー・書評

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  • 班田収授の法=貴族の土地支配を取り上げた。税金は租庸調と出挙(種もみの貸出による利息)
    大仏建立のために、墾田永年私財法ができた。
    東北との38年戦争が、武士ができる一要因。
    班田収授から外れたほうが税金を課されないので60歳以上が増えた。
    国司となって私腹を肥やし、富豪と結託して不正な収入を得る。それを断とうとしたのが菅原道真。
    和同開珎の以降は、貨幣の改悪で流通しなかった。米布経済に戻った。銅不足のため。

    武士には2種類、地方豪族などまたは郡司などから、と平氏源氏の貴族の中から生まれたもの。
    平清盛は日宋貿易で富を得た。
    10世紀末には銭の流通が少なくなった。その後清盛が宋銭を輸入して貨幣が復活した。

    義経を殺したのは、勝手に朝廷から官位を受けたから。

    朝貢貿易は儲かった。足利義満は日明貿易のため、冊封を受けた。

    南蛮貿易のポルトガルは、アジアとの商社だった。海賊を討伐した報酬として、明からマカオを割譲された。

    信長は貿易による財力のため、兵農分離ができた。

    毛利元就は、石見銀山を朝廷に献上し、経営を任されていた。

    戦国時代はデフレ。年貢は貨幣で納めていたが、貨幣が不足していた。
    むかしは銅銭、金銀は貨幣ではなかった。日清戦争でも金銀は使用していないので、日本軍は現地での物資調達に苦労した。
    信長が金銀を貨幣と定めた。交換レートを定めてあった。

    ポルトガルは日本人の奴隷を世界各地に輸出していた。

    鎖国した理由の一つは、金銀銅の不足。すでに戦国時代に最盛期が過ぎていた。銀の輸出は数量制限がかけられた。

    大阪城は、石山本願寺の跡地に信長が建設を始めた。
    大阪、堺を押さえることは軍需物資を押さえること。

    江戸時代の徳政令はだいたい50年に一回行われた。徳政令のとき札差には特別融資を行って金融不安が起きないようにした。

    江戸時代はそれほど悪い時代ではなかった。隠し田などがあり、名目の1.5倍程度があった。町民には税はなかった。
    幕末から明治初期には、贋金鋳造が横行した。これがのちのち外国からの抗議につながった。

    ペリーの来航は、捕鯨船の補給基地のため。
    参勤交代を3年に一度にして、沿岸警備をさせることとしたが、これが軍備の増強につながった。

    明治政府樹立による内戦が最小限だったから、植民地にならずに済んだ。

    地租改正によって、割合ではなく定額になり、税金は20%程度に抑えられた。その結果、農業生産が増加する要因になった。

    大阪紡績の大規模化で、綿輸出が日本の主力になった。のちにイギリスとインド市場を巡って対立。
    明治時代は直接税はほとんどなく、高額所得者も8%。
    少ない費用で強い軍隊をつくった。汚職が少ない。
    酒税で軍費を賄った。
    日清戦争は、国内で公債を発行=庶民に金があった。
    賠償金で八幡製鉄所がつくられたほか、軍備に充てられた。

    日露戦争の費用は、公債を外国に勝ってもらった。高橋是清がイギリスに半分買ってもらった。残りはユダヤ人。戦況が良くなるにつれて購入者が増えて、最終的には、当初予定の8倍を発行できた。

    日清戦争後は、造船奨励法で船の製造に補助金が出た。

    世界恐慌時は円安で円が半分くらいになり、輸出が盛り返した。イギリスとインド市場を巡って対立。輸入制限によるブロック経済化。

    満州事変は、南満州鉄道の利権争いから始まった。
    日本の国民は満州国設立を指示した。兵士への慰問金が数億円になった。
    国際連盟で脱退演説をした松岡洋右は、熱狂的に迎えられた。

    戦前の日本は格差社会。これが軍部の肥大化を招いた。
    物価の下落、さらに農産物の下落で農村が疲弊、身売り、都市部の貧民街などがあった。
    財閥へのテロが頻発。三菱は造船業から、生糸を三井財閥が政府の依頼を受けて始めた。その格差から、戦争が求められた。

    戦前は日本とアメリカはお得意様同士だった。
    在米日本資産凍結で、事実上の宣戦布告。横浜正金銀行ニューヨーク支店の破綻。その一週間後に真珠湾攻撃。
    戦費は、日銀引き受けによって賄われた。

    戦後復興はGHQのおかげ、は間違い。兵器だけでなく重工業や船舶にも制限をつけた。輸出入も禁止されたため、極端なモノ不足になった。アメリカの援助もなかった。
    冷戦の始まり、民主化運動の高まりで、アメリカが方針を変えた。
    所得倍増計画は下村治が考えた。所得に注目した。
    陸軍による自動車製造事業法=トヨタ、日産、ディーゼル自動車(いすず)の3社のみが製造できるという法律。これによってフォードやGMが撤退。
    スバル360は国民車。第一号の所有者は松下幸之助。

    新幹線は戦前から計画されていた。

    トリクルダウンは幻想。共産主義が崩壊したのは、隠れた特権階級が生じたため。

  • 歴史の陰に お金あり。
    江戸時代の農民は そんなに 悲惨では なかった。
    日清日露の戦費は 酒税で まかなった。

    ちょっと 意外な 内容が 多かった。

  • 2017.03.11読了。

    平易に書かれており、非常に読み易かった。また、近代以降について書かれている書物は多く見かけるが、室町以前の日本の経済制度について書かれているものはあまり触れたことがなかったため、興味深かった。

  • 元国税調査官である著者がお金にフォーカスして日本の歴史について書いた一冊。

    本書で書かれているお金の観点から歴史をみると、学校の授業で習ってきた項目の本質が見えてきて非常に勉強になりました。
    年貢と貿易が歴史を左右してきたこと、戦国大名を経済力の観点から見ると大阪堺の重要性が浮き彫りになること、織田信長が莫大な資産をもとに武田信玄や上杉謙信との戦を行なっていたこと、明治時代の日清戦争時には酒税が主な税収となり、軍事費を賄っていたことなど新しい発見、知識を本書で得ることが出来ました。
    特に日露戦争時や戦後復興時にユダヤ人によって窮地を脱した経緯がある事は本書を読んで知り印象に残りました。


    財政や貿易が歴史を動かしてきた要因であり、歴史的な事件の背景にはそこにお金が絡んでいるということ、お金によって歴史がいい方向にも悪い方向にも動いているということを痛感させられた一冊でした。

  • 前作「お金の流れで分かる世界の歴史」とセットで読む。読んだ理由は同じ「あらゆるモノゴトには経済的側面や事情がある」と心底思っているので、日本の歴史もその文脈で読み直すとさぞや面白いだろうと思ったから。新たに知って興味深かったところは本の前半、古代日本の徴税システム。そもそも貨幣経済が発達していない頃のなのでシステムと言うほどものではないが、教科書でも有名な「租庸調」という米や布、労働力の提供による徴税と「賑給」(貧困者の為に国蔵に収められた米や塩を支給する制度)や「出挙」(農民に種籾を貸し出す制度)などの社会保障がセットとなって、低率の税金とそれなりの福祉とでバランスがされていたようである。そのバランスを打ち破ったのが仏教で、大仏建立や国分寺建設のために国費が増大として、それを解決するために有名な「墾田永年私財法」と「不動穀の転用」の政策が実行され、結果として増税、大宝律令による中央集権国家から地方の豪族や寺社への権力の移行が生じ、中央での武士の台頭と相まってその後、日本は長らく武士による地方分権的統治体制が確立されるに至る。

    その長きに渡る地方分権的統治機構が再び中央集権に戻るのは遥か後年の明治維新。これまた教科書で有名な「版籍奉還」「廃藩置県」「地租改正」という経済諸制度の改革を行った明治政府は、いわば経済成長のための効率的なエンジンを格納し、第二次世界大戦終戦までに日本はGNPは約6倍、実質賃金は約3倍、実質鉱業生産は約30倍、実質農業生産は約3倍にとなった。筆者はこの「戦前の高度成長」の前では「戦後のいわゆる高度成長」も霞むものであるとしている。

    その他、日清戦争は酒税で賄われ、日露戦争はユダヤ人銀行家による戦債引き受けが大きかったなどの日本の歴史的出来事の経済的側面、裏話が描かれていて興味深い。が、筆者は莫大な知識からそれを論じているものではあるが、残念ながら学術的検証がないものもあり、「と思う」や「そういう学説はないが、のはずである」といった記述が散見される。このあたりのファクトとオピニオンは混同せずに読み解くことが日本史とお金の関係との正しい理解に繋がる本だと思えました。(あと本のタイトルがあまりにもウリ意図先行過ぎてちと恥ずかしい)

    いやー、お金って本当におもしろいですね~

  • 大学受験以来忘れていた日本史の流れをもう一度ざっと思い出すのに良かった。様々な史実を経済の視点から読み解いており、高校のときイマイチ理解していなかった貨幣経済の発生や仕組み、地租改正などについて、今やっとこの本を通してすっと理解できた。

  • 歴史がなかなか頭に残らない、すぐ忘れてしまう私でも、お金の流れと合わせてみると、その当時の特徴がわかって、とっても面白いと思います。比叡山延暦寺が財閥!という見方などとても、斬新でわかりやすいです。

  • 特定の人だけが豊かな社会は長続きしない。

  • お金の流れで日本史を見直すという表題に惹かれましたが、新たな知識は殆ど得られませんでした。データをして歴史を語らせることを期待したのですが、ここに書かれたものはデータが矮小ですね。日露戦争時の公債による戦費調達は高橋是清の苦労話よりも、公債負担がその後の歴史に与えた影響を見せるほうが本書の趣旨に適うと思います。日清戦争の賠償金に味をしめ、火事場泥棒のようなWWⅠ参戦に至るは、財政負担が誘引のひとつのなのではないでしょうか。

  • この本の著者(大村氏)の本は何冊か読んだことがありましたが、彼は歴史に関する研究もしていていて、それに関してはペンネームを使って本を書かれていることを今回知りました。

    歴史に関して大好きな私ですが、この本の主題である「お金の流れ=経済」の観点から、古代から近代まで、日本の歴史を見てみると、また違った面白さが見れるのですね。彼の続編に期待したいです。

    以下は気になったポイントです。

    ・白村江の戦いにおいて、日本側は1000艘の船を用いて、万以上の兵士を動員した、国力が相当あったはず。日清戦争において先制攻撃で派遣した部隊は、5000人(p16)

    ・日本が高度な技術を持てた理由の一つに、日本が細長い島国であり海上交易が盛んであった、さらに、日本人が生真面目であること(p21)

    ・雄略天皇時代に整備されたものとして、斎蔵は、天皇の祭具を保管した蔵、内臓は、官物を保管した蔵、大蔵は、全国からの貢物(税)を収めた蔵がある。蘇我氏は、税を管理するポストについて大出世した(p23)

    ・大化の改新の後に行った、班田収授法は、思い切った農地改革であった。田畑の私有禁止して、全て天皇の領地とし、貸し与えることで、民は租(収穫高の3%)庸調(朝廷の主な財源、官僚への給与)の税を払った、役職は世襲制を廃止、戸籍整備(p25)

    ・国分寺、国分尼寺をつくり、東大寺の大仏の造立を決定した、その財源として考えられたのが、墾田永年私財法である(p32)

    ・中央政権は、東北を辺境・異境として扱い、差別することがあった。東北の人達が反旗を翻すことがあった、774年から始まった「38年戦争」である。(p34)

    ・712年には、庸・調を銭で納める基準を定めた、銭五文=布1常(一丈三尺)、貨幣制度が根付き出したが、760年に「万年通宝」を出して(同じ材質ながら、10倍の価値があるとした)混乱した、958年に「乾元大宝」を最後に銭の鋳造をやめて、米・布を通貨代りとする経済に逆戻り、平安末期の宋銭流入まで続く(p44、45)

    ・中央政府から派遣される国司には赴任期間(4-6年)あったので、実際の徴税業務は、その地域から選出された「郡司」が行った。彼等が力をつけていき、豪族となっていった(p48)

    ・平清盛の父(忠盛)の時代は、越前敦賀港は、博多についで重要な日宋貿易の拠点であった(p50)

    ・頼朝は、清盛とは異なり、当時の国会体制(天皇中心の朝廷が政治を司る)を壊して、武士による新しい社会経済体制をくろうとした(p57)

    ・頼朝は、守護地頭を置く権利、全国の武士を指揮・処罰する権利、徴税権、軍事権、警察権を獲得していった(p59)

    ・義経は、朝廷から勝手に官位をうけてしまい、武士団による新政権という構想が根本から崩れてしまうことになるので、殺害せざるを得なかった(p60)

    ・鎌倉幕府は、関東を中心とした数カ国~十数か国を統治していたのみ、日本全体は各地域の豪族が統治していた(p61)

    ・京都で敗れた足利尊氏を全国の武家が指示した理由として、九州に落ち延びる直前に、「元弘没収地返付令」=建武新政府に没収された領地を以前の持ち主に返す、を出したので(p69)

    ・遣唐使派遣時代、1隻用意するのに、1万数千貫かかった、1貫=足軽年1年分=500万円とすると、500-600億円となる(p76)

    ・ポルトガルは、1557年に海賊を討伐した報償として、明からマカオを割譲されている(p79)
    ・フランシスコザビエルは、ポルトガル王から1000クルサド(50人分の生活費)の援助を受けていた、日本滞在の2年間各地で布教できたのはこのおかげ(p85)
    ・ポルトガル貿易の取引額は、1570-1630年代までで、290-440万クルサドであった。29~44万石の貿易額、これは100万石の大名の一年分の年貢収入(年貢率4割)に匹敵しうる(p89)

    ・津島は、尾張と伊勢を結ぶ地点にあり、ちょうど西日本と東日本の中間に位置していた(p91)

    ・織田信秀は、伊勢神宮の外宮の移築資金として700貫目、朝廷へ4000貫目を寄付している、4000貫目とは、米にすれば1万6000石にあたり、4万石の大名の1年分の年貢収入。上杉謙信は黄金30枚=1200貫目である(p93)

    ・信長は、足利義昭を擁して京都を押さえた時、将軍からの畿内6か国の管領推挙を断り、その代りに「堺」「大津」「草津」の港を所望した、堺は日本最大の国際港、大津は琵琶湖の最南にあった(p94)

    ・上杉謙信は、柏崎と直江津という2つの港からの関税収入だけで、年間4万貫を得ていた、これは30万石の大名の収入に匹敵する、領地に加えて30万石持っていたのと同じ(p94)

    ・室町時代から戦国時代前半にかけて、日本の資産の多くは寺社が所有していた、管領の細川高国は「撰銭令」を8つのお金持ちに発布した、大山崎、堺の自治都市、山門使節・青蓮院・比叡山三塔(比叡山関連)、興福寺、細川高国である(p109)

    ・信長は1590年に、通貨に対する発令を出した、内容としては、米を通貨としてはいけない、高額取引・輸入品取引には金銀を使う、金銀が無い場合には良質の銅銭を使用する、金10両=銅銭15貫目、銀10両=銅銭2貫目(p117)

    ・太閤検地の画期的な点は、田畑の所有者、耕作者(=納税する者)を特定した(p124)

    ・江戸幕府は享保の改革を行うが、このテーマの一つが「大阪経済圏からの自立」であった、江戸は日本の首都であったが、商工業は大阪経済圏に依存していた、醤油・油の76%、繰綿(精製していていない綿)は100%、木綿:34%、酒:22%(p133)

    ・江戸幕府が、鎌倉・室町・豊臣政権と違っていたのは、経済基盤の強さ、400万石が直轄領、親藩を含めると800万石で25%に相当して、前3政権と比べて圧倒的に大きい、鉱山も直轄地にして、貨幣鋳造権も独占(p134)

    ・江戸時代の全国収穫量は3222万石となっていたが、明治時代に地租改正のために計測すると、4684万石であった、隠し田が相当あった(p139)

    ・廃藩置県時の燔債(277藩)の総計は、7813万円(両)、内国債:7413、外国債:400万両、新政府は、内国債の3487万両(47%)と、外国債全部の合計3887万円を引き受けた(p145)

    ・開国自体、幕府には不利に働いた。開国により、諸藩も貿易で潤い、最新兵器を入手できるようになった(p150)

    ・幕府とは、軍司令部のような意味であったが、武家が実質的な権力を持ったために、軍機関が政府の役割まで果たすようになった(p152)

    ・薩長土肥の4藩主連名で、1869年に版籍奉還を朝廷に提出した、藩が持っていた領地を国家(朝廷)に返還するというもの、旧藩主たちは「知藩事」に任命されたが、世襲制とはされなかった。国家に返納させられた土地は農民に無償で払い下げられた、農民は土地の所有権を無料で手に入れた(p157、159)

    ・地租改正のポイントは、農民に土地の所有権を無料で与えたことと、商業地にも地租をかけたこと(p160)

    ・地租は土地代の3%を現金(米でなく)で納めるという制度であった、この価格は収穫米の平均代価の34%程度で、江戸時代の年貢と同等の負担率であった、これは一定であったので、農民が収穫を増やせば増えた分は自分の取り分となった(p162)

    ・清朝の中央政府は外国人に税を徴収されるという屈辱的な行為を認めていた、清の地方官に任せていたが、相当な額の中抜きをされてしまう恐れがあったので(p174)

    ・日露戦争前には1000万ポンドの公債を消化させることが大変であったが、最終的には8200万ポンド発行された(p196)

    ・世界恐慌後に、日本は円安状態になっていた、1929年に100円=49ドルが、1933年には100円=25.23ドルとなっていた(p201)

    ・日本の綿輸出は、昭和8(1933)にはイギリスを抜いた、インド市場でも同様だったので、輸入規制(ブロック経済化)を行った。(203)

    ・インド市場から締め出された日本は、そのはけ口を満州に求めることになった(p205)

    ・東三省交通委員会は、運賃を安くしたり、南満州鉄道を利用する業者に高い税金をかけることで、収益シェアをたちまち奪った、南満州鉄道に閉口した路線をつくらない、という覚書を無視した(p213)

    ・東京には、深川・浅草・芝・小石川・下谷・京橋・麻布・牛込・本郷・四谷・神田・赤坂などに貧民街があった(p221)

    ・フォードは大正14年、GMは昭和2年に日本上陸をした、駆逐された日本企業を見た陸軍は、危機感を持ち、昭和11年に自動車製造業法をつくり、国の許可した事業者しか自動車を製造販売してはならない、という法律を作った。許可されたのは、トヨタと日産と、ディーゼル自動車(現いすず)のみ(p249)

    ・以前から建設が少しずつ進められていたことが、新幹線建設を早めた要因である(p257)

    2016年6月19日作成

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著者プロフィール

元国税調査官。国税局に10年間、主に法人税担当調査官として勤務。退職後、ビジネス関連を中心としたフリーライターとなる。
単行本執筆、雑誌寄稿、ラジオ出演、『マルサ!!』(フジテレビ)や、『ナサケの女』(テレビ朝日)の監修等で活躍している。
ベストセラーとなった『あらゆる領収書は経費で落とせる』(中央公論新社)をはじめ、税金・会計関連の著書多数。歴史関連での主な著書に『信長の経済戦略』『家康の経営戦略』(以上、秀和システム)、『お金の流れでわかる世界の歴史』『お金の流れで読む日本の歴史』(以上、KADOKAWA)など。学生のころよりお金や経済の歴史を研究し、別ペンネームでこれまでに30冊を越える著作を発表している。

「2021年 『龍馬のマネー戦略 教科書では絶対に教えない幕末維新の真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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