- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041032510
感想・レビュー・書評
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デブとゲイにフォーカスした本。
マイノリティに対して寛容になるべきだという話題はここ最近盛り上がってきているが、デブに対しては年々風当たりが強くなってきているように思う。
私も、太っているのは自身の食生活を管理できていないからだと思っており、今まで太っている人を差別的な目で見ていたなと反省した。
物語は、デブが偏見をや批判を跳ね除けデブのイメージを覆すというもの。ただし、批判してきた人や傷つけてきた人を蹴散らすのではなく変えていく方向。
端端から優しさが滲み出ている本でした。 -
2020.09.13
涼しい土日 さ、前髪切りいこ
希求
ありのままの自分を受け入れる
本当の自信とは
デブ達の辛い出来事と
その後の大どんでん返し劇
まさかのダンスで勝負とは
人からの評価ってやっぱり気になる
できることならば、よく思って欲しい
でも、そういうんじゃなくて
自分の価値は自分で決めることの大切さ
受け入れてもらうために行動することの難しさ
なんか人間味溢れる物語でした
読み終わるまで、1ヶ月くらいかかる
謎の読書期間でしたとさちゃんちゃん -
“「そうよ、いちばん声のデカイ人が正しいってわけじゃないのよ」”(P.318)
“「いつぐらいで思い悩まなくなるんでしょうね、思い悩まなくなるまでどれくらい時間がかかるものですか?」
「思い悩むのも幸せなことだって気づくまでだよ」”(P.358) -
『やせる石鹸』というタイトルだが、減量をする物語ではなかった。オベシティな人がたくさん出て来て所謂現代日本の異常なまでの痩身信仰と”太っている”ことについて考えたり悩んだりしながら自己を確立して行く”たまみ”のサクセス物語。私個人的には破綻している健康保険の負担になりにくいかと思うので所謂”標準”体重を維持するに越した事がないとは思うが、シ◯ブ中毒患者のような筋肉ゼロのガリガリ信仰はちょっと理解できない。町を歩いていても怖いぐらい栄養失調外見の人が目につく。それに、太っているというだけで虐められたりする現象を聞くにつけ、人間がマチュアになって国民すべての人間の品性が向上しないかぎり差別の無い社会というのは無理なのかとガックリくる。国や公的機関により差別や身分が廃止されてしまえば、色々とデブやらなんやらかんやらと人数の少ないグループをあげつらってどうしても差別したいらしい。仲良くしろとは言わないが、別に色んな人居ることになぜそんなに気にするのか?気にしなくていいではないかと思う。個人の尊重とか言うてるわりに社会が”異質”なものを受け入れられないというか、どこまでもインマチュアなピア意識に支配されているというか。ナイーブなことだ、、と、とか色々と考えさせられた1冊だった。そんなことを考えるのも私がデブでも虐められない時代の人間なのと100キロ越えている人が普通な社会ですごしていたからかもしれないが、、。というわけで面白く読んだ。ただし、文体がものとても読みづらくて困った(私比)。もうちょっと会話文と本文の接尾語に明確な差があれば読みやすいんだけど。
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WOWOWでドラマ化してほしい!
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巨デブな体と華奢な心を持った女の子、たまみ。
美しく、けれど娘にまったくもって無関心な母親と築いた歪んだ家庭が彼女の今までを作ってきた。
彼女は20歳前後の女の子らしく、巨デブな自分を卑下して、傷付きたくないと怯えて、大きな身体を縮こめて生きているのだけれど…。
何がいいって、在り来たりな話のように、たまみが痩せて幸せを目指す訳ではないってこと。
そしてこんなネタバレどうでもいいよ!
ってぐらいの感動と笑いが、ジェットコースターのように駆け巡っていく。
デブだけでなく、世の中のマイノリティ全てに通じるんだろなと思ったお話。 -
歌川たいじさんを知る
きっかけになった本。
2日で読了。
細かいことは置いといて、
勢いで読み切れる、
元気になる本。 -
デブは笑い者にしていい、肥満は醜い、太るのは意志が弱いから、などの圧力に一石を投じる青春小説。
文章や小説としてはそんなにうまくないけど、伝えたいことが明確で伝える努力を惜しまず書かれているから、メッセージがずどんと直にくる。
主人公たまみは巨デブで極端に自信がない。
そんなたまみがデブ専のイケメンに告られて…というそこだけみたらいつの王道少女漫画よみたいな筋の、でも王子様に救われるんじゃなくて王子様に向き合える自分を自分でつくっていく話。
七人の巨デブ+1はたぶん著者の分身なんだろうなって部分がちらほらある。
だから痛みがリアル。
しかも自分の痛みにとらわれず、同様の痛みを持つ他者への配慮もある。
この本の中にはデブって言葉が乱舞している。
以前どこかで女装ゲイかドラァグの人(マツコデラックスだったかな?)がデブという言葉の暴力性を語るのを読んだ。
『性という饗宴』http://booklog.jp/item/1/493901570Xか『欲望問題』http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/4780800005かな?
その暴力性を承知での「デブ」の使い方が「クィア」の使い方に似てる。
日本語で言えば「腐女子」みたいな。
「○○なんかじゃない!」と反発して相手の土俵に乗ってしまう抵抗ではなく、「○○ですがなにか?」と、攻撃を無効化する抵抗の手法。
筋もそんな風に、みんなまとめて幸せになろうぜ!って方向に行ってくれる。
私は今ちょうどミノルみたいな脱皮をこころみているところだから、すごくいいタイミングだった。
今がんばらなきゃいけないことと矛盾する内容だろうから、失速するのがこわくて読むのをためらっていたけれど、読んでみたら力になった。
そっか、「そのままでいいよ」だけが肯定じゃないんだ。
この本はもともと著者が若いころに書いたものを元にしてずっと温めてバージョンアップしてきたのものとのこと。
多分、本当はもっと長くて壮大な物語になってるんじゃないかと思う。
それをリライトした結果、登場人物が多くてひとつひとつのエピソードが薄くなってしまっているのが残念。
もっと厚い本で細かく書くか、いっそ人物を削ってしまうか、どちらかのほうが良かったんじゃないかな。
物足りないけど読みやすい厚さではある。
関連
この本のルーツ。著書の自伝コミックエッセイ
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4047285285
ミノルから連想した。
『少年アヤちゃん焦心日記』http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/430902307X
私の脳内でミノルがアヤちゃんになってる。
「ゲイが女心をわかってくれる」っていうのは「男に(性的に)評価される感覚を理解してくれる」って意味なのかも。