葛飾北斎の本懐 (角川選書 584)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041038451

作品紹介・あらすじ

「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」など有名作品で評価される葛飾北斎だが、それは壮大な画業の一部にすぎない。
二十歳で画界に登場し九十歳で没するまで、作画に執念を燃やし続けた絵師の理想とは、心境とは――。
これまでの北斎像を一新させる、第一人者による画期的な論考。日本と海外評価の大きな開きの要因もわかりやすく解説する。
図版も70点以上掲載!

感想・レビュー・書評

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  • 北斎の研究者と言えば、まず思い浮かぶ永田生慈さん。少し身構えていましたが、非常に読みやすく感激してしまいました。
    たくさんの作品を残している絵師であるので、「こんなものも描いていたんだ〜」と軽い気持ちで作品鑑賞をしていましたが、きっとどれもが挑戦の一点だったんだろうと感じました。これからは改めます。
    北斎に興味のある方は必読の一冊かと思います!

  • 北斎というひとの真の姿を知るにおいてこの本は重要な一冊。
    北斎=富嶽三十六景という固定観念に陥り、もう少し知ると引っ越しの回数や住んでいた長屋の掃除を全くしない汚い部屋のイメージ、偏屈親父的解釈で終わってしまう。72才からの2年ほどの期間で描かれた富嶽三十六景で北斎をイメージしてしまっては、この偉大なる人物を理解できない。
    著者は、それこそ若いときから北斎にとらわれて生涯をその研究にささげてきた人。(先般の六本木でのコレクションの展示会は価値があった)
    絵を描くことの生涯を捧げ、たゆまぬ努力を重ね、広く当時の最先端の文明文化に関心を持ち、多くの旅を重ねて来たひと。単に優れた浮世絵を描いた人と読んでは、理解がほぼできない偉大な人物だった。まだまだ、これからの北斎研究でこの偉人が解明されてくるのだろう。50年はそれにひつようなのかも...

  • 北斎の本懐以外にも代表的浮世絵絵師の説明や、浮世絵の歴史についても言及され、導入本としても使える。

    日本では北斎人気はかなり遅く芽生え、彼の作品がなかなか重要文化財に登録されなかった歴史がそのことを物語っている。

    それは北斎が形式張った作品を生み出さず、常に新たな作風へ挑戦する姿勢を生涯貫いたことが他の絵師に比べて異質なためだろうか。ある種、常軌を逸した者として評価することが容易ではなかったのか。よく分からない。

    そういう意味で、僕は北斎とレオナルド・ダ・ヴィンチは互いに通ずる部分があると感じた。

    レオナルドは物事の本質を描こうとし、初期には全く評価されなかった。言わば、形式張った虚構を描こうとする世の流れに逆らい、挑戦的姿勢を貫いたと言える。

    また作画のために北斎は宮大工の設計を学んでいたことと、レオナルドが建築学に精通していたことにも共通点がある。

    『知識ゼロから浮世絵入門』によると、『モナ・リザ』が世界で最も知られた絵画で、二番目は『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』であるという。こう見ると、この精神は世の真理な気もする。

    北斎は90歳という長寿を全うしたが、真の画風はそこまでしても得られなかったという。現状に満足せず、常に挑戦的に高みを目指す姿勢を僕は見習わなければならないだろう。



    【メモ】

    人気はパリから始まる 重要文化財登録は後
    鈴木春信 可憐な女性美
    鳥居清長 健康美
    喜多川歌麿 艶かしい女性の内面まで
    浄土信仰の厭世観→憂世
    明暦大火で江戸復興 大阪の風俗画流入 + 肉筆画から複製→浮世絵として普及
    肉筆画は版元を介さないから知名度や人気が必要
    宮大工の構図を書いていた→=レオナルドダヴィンチ
    富士山をあらゆる角度から→モネの水連と聖堂・セザンヌのサント・ヴィクトール山
    北斎の最大の魅力は終生新たな分野にチャレンジし、その都度新画様を確立し、常に高みを目指したところ (風景画だけではない!!!)
    浮世絵→動植物や信仰、古事古典 → 浮世絵版画は版元の流行商品で好評を得れば利潤。絵師の意向が反映されない

  • 読了

    基本って感じで、まずはこれから、って感じの本だけども、北斎の評価が高まるのに理解が進んでるとは思えない、という現状に対して、正したいという第一人者としての強い思いです

  • 葛飾北斎の作品を生涯にわたって分析し、それぞれの時代の評価を行う。富嶽三十六景のような有名な晩年の作品群によって評価されており、また奇人である伝承から偏った評価になってしまっていると著者は述べる。20−35歳の勝川春草の一門に入り勝川春朗と名乗る。この頃に多くの作品を出し、浮世絵の役者絵から日本中国の古典風景画まで様々な題材と技術を取得する。
    次の俵屋宗理(36−44歳)で勝川派から離脱し、琳派をなのるが、この時に独自の様式を確立する。遠近法など西洋の技法にも精通するようになる。この時は狂歌摺物と呼ばれる狂歌の作品集に絵をつけるようなものの第一人者となる。次の葛飾北斎期(46−50)では読本の挿絵で人気を博す。戴斗(51−60)で絵手本を出し、為一(61−74)では富嶽三十六景などを出し、画狂老人卍期(75−90)では肉筆画を中心に書く。

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著者プロフィール

1951年島根県津和野町に生まれた。美術史家、美術評論家。

立正大学文学部史学科卒業。その後、浮世絵を専門とする太田記念美術館の設立に携わり、同館副館長兼学芸部長に就任。2008年退任。

小学校の頃より北斎に親しみ、大学在学中には年2回の北斎専門誌を創刊。1990年には出身地の津和野に葛飾北斎美術館を開設し館長を務めた(2015年閉館)。

国内外で多くの北斎展を企画・監修。北斎研究の第一人者として国際的にも著名な研究者。2016年にはフランスの芸術文化勲章オフィシエを受章した。『葛飾北斎の本懐』(角川選書 2017年刊)など編・著書多数。2018年2月歿(享年66歳)。

2018年4月、所蔵する北斎とその弟子の作品(コレクション数約2,000点)は、松江市の島根県立美術館に寄贈された。

「2022年 『北斎絵手本集成 別巻 富嶽百景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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