- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041044827
作品紹介・あらすじ
家を一歩出れば、町に溢れる案内、呼びかけ、注意。意味も効果も考えず、「みんなのため」と流されるお節介放送の暴力性に、哲学者は論で闘いを挑む。各企業はどう対処したのか。自己反省も掲載した名エッセイ!
感想・レビュー・書評
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著者の中島義道はドイツ哲学を専門とする哲学者で、本書にも出てくる通り、「戦う哲学者」との異名を持つ。
本書は、「音漬け社会・日本(=うるさい日本)」に対して、著者が様々なところに寄せた告発文を素材にまとめたもので、1996年に発刊され、その後いくつかの出版社で文庫化されている。単行本出版時の反響は大きく、朝日新聞の「天声人語」、NHKのラジオ番組、The Japan Times、Chicago Tribuneなどに取り上げられたという。
内容は、日本の社会が如何に「音漬け社会」となっているかを、駅、電車、バス、商店街、デパート、銀行、竿竹屋、広報車、海水浴場、プール、防災無線、美術館、京都や日光の社寺等を挙げて、これでもかと語り、更にそれを辞めさせるための自身の戦闘の様子と結果を、これまたこれでもかと綴っている。因みに、中島氏が問題にしている「音」とは、「エスカレーターにお乗りの際はベルトにおつかまり黄色い線の内側に・・・」、「当駅は終日禁煙です。おタバコはご遠慮ください」、「駆け込み乗車は危ないですからおやめください」、「切符をお取りください/切符は回収されます」、「まもなく終点でございます」、「足元にお気を付けください」、「危険物の持ち込みはご遠慮ください」、「走行中急停車することがありますので、お立ちの方はつり革や手すりにおつかまりください」、「カードをお入れください。現金及びカードの取り忘れにご注意ください」、「準備運動をしてから泳ぎましょう」、「置き引きに注意しましょう」、「ゴミは片づけましょう」、「当日券をお求めの方はこちらに一列に並んでください。券をお持ちの方はそのままお入りください」等々の、実質的な効果のない「騒音」である。
そして、その「音漬け社会」を作っている真の原因は、いまや日本を完全に支配している、マジョリティの考えをお互いに察する「優しさ(思いやり)」であるが、それは実はいじめを生み出す最大の原因にもなっており、「音漬け社会」を解体するためには、「察する」ことを縮小し、「語る(対話をする)」ことを拡大する必要があると主張している。
本書で取り上げられる「音」に対する私の感覚は、相対的には中島氏に近く、爆笑しながらも頷ける部分は少なくなかったのだが、その元凶については、本書でも触れられている「自己責任意識の欠如」にあるように思う。
中島氏が称賛する(無駄な音の存在しない)銀座や鎌倉の小町通りのような街・場所が広がれば、それは素晴らしいことである。
(2017年5月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
街の騒音に耐えられない筆者による闘いの記録。マジョリティの日本人の知らない日本人は音に寛容だが、彼は騒音源たる企業・店舗・個人に対して直接抗議をする。90年代に書かれた本なので、彼の抗議は肉声・直筆手紙によりなされ、一部は改善がなされ一部は黙殺される。俺もエスカレーターのアナウンスはまじウザいと感じるが、実際に抗議し、その記録を残す筆者には感服。少々冗長。
角川文庫により再販されたのは2016年4月。 -
筆者がスピーカーから発せられるアナウンスと闘う「戦闘記録」を纏めた本。
本書の大部分は上記に関しての論理的な愚痴であるが、本書のメインテーマは「『察する』美徳から『語る』美徳へ」である。 -
うるさい日本の私。中島 義道先生の著書。私も日常生活でうるさいと感じてしまうことが多くて、日本は過剰サービス社会なのかなと思うこともしばしば。それが日本人の自主性や自分で考える力を奪ってしまっていると思うのは考え過ぎの被害妄想なのかもしれないけれど。
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単なる苦情でなく、行動にうつしている
また、うるさいことのみに注目するのでなく、
人間としてこの放送は必要か、とか、
うるささに鈍感な日本人の様子に対する疑問とか、
生活の基本を振り返ることができた