- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041045800
作品紹介・あらすじ
2016年2月、”ヘルメットおじさん”でメディアに登場した著者は、かつてのファンに衝撃を与えた。
いったい何があったのか? 違法薬物との関係は?
現役時代は絶対的なセットアッパーとして活躍した。
「なめとんのか、この野郎!」
強気のピッチングに球場が沸く。
オールスターにも2回選出されるなどファンからの信頼も厚く、両リーグで優勝。日本一にも貢献した。
「野球を面白いと感じたことはない」という厳しいプロの世界で、愚直に投球に向き合った。
栄光、悲哀、けが、クスリ、メジャーリーグへの挑戦、引退後の逮捕、そして――。
波瀾の半生をありのままに語り、新たな一歩を踏み出す。
感想・レビュー・書評
-
最近、清原の覚せい剤逮捕でにわかに話題となった野村氏の自伝。
最近読んだ有名人の自伝では一番の面白さだった。
○1995年まで
・中学時代、野球選手のみならず、世界一の格闘家になりたいと思い、腕立て600回、腹筋600回、回し蹴り1000回の自主練をしてた。
・1990年のオリックス・ドラフト3位でで名前呼ばれたとき、三菱工業(正しくは三菱重工)と言われ、「何やパンチョ、ちゃうやろう」と憤った。
・ドラフトで指名された後、「契約金6000万円、年俸480万円」が、ドラ1の長谷川(契約金1億円)と比べて不満で、スカウトに開口一番「帰ってもらえますか」。
最終的には「契約金62000万円、年俸720万円」で契約
・当然ながら入団したら松永には罵声を浴びせられ、古溝からは足元にボールを転がされるという嫌がらせを(w
・一方で福本には足の速さを買われ、野手転向を進められる。
もっとも福本が1年で引退したのでそれ以降その話はなし。
・50メートル走を5.57で走り抜ける(追い風参考とはいえ、当時世界新)
・プロ初登板は西武戦で、初三振は清原から。
3イニング無失点に抑え「あんなバッターに打たれてきたのはだれや!」とベンチで言い放つ。
・監督・コーチ陣ともそりが合わず。
仰木監督、山口投手コーチとは特に。
山田投手コーチも手をぐるぐる仕草(肩を作れというポーズ)を見て、「ランナーコーチ」とバカにしてた。
・95年は防御率0点台で優勝した。
年俸俸2900万円から6500万円くらいになるかと思ったら、前半の遅れが響きまさかの据え置き査定。
仰木監督から5000万円+出来高の提案も却下し、年俸調停になり、結局3900万円。
○1996年以降
・96年末に元メジャーリーガー・フレーザーに興奮剤(グリーニー)を勧められる。コーヒーに入れて飲んでた。
当時はまだ禁止薬物じゃなかった(WADAが禁止薬物に指定したのは2004年)
・97年にグリーニーが手に入らなくなり、覚せい剤を1回試す。
しゃべりが止まらなくなり、体がふわふわしてくるし、指先の震えも止まらなくなり、その時は1回で止めた。
・98年初頭の巨人の木田とのトレードは不満だったが、長嶋監督と元チームメイトの西本との直接の面談で巨人入りを決意。
・巨人入りして清原に声かけられて、しばらくヤクの運び屋に。それが対談する2002年まで。
覚せい剤、コカイン、マリファナ、MDMA……。
「バッターボックスの白いラインが、コカインに見えるんや!」
・グリーニーは巨人に蔓延してて、当時違法薬物に指定されてなかったこともあり選手みんな使ってた。
使ってないのは槇原、桑田、高橋尚、野手では松井くらい。
ガルベスから調達するのが「ガル薬」、デセンスから調達するのが「デス薬」。
・2004年に、清原に会って「ブツがほしい」と言われたものの、しばらくして清原は共通の知人の
Kから購入。
手切れ金としてKから10万をもらうも激怒。
その後も清原との関係が続くも、Kに対しても不信感を抱いたので亜希夫人宛に「Kは詐欺師だ」という本人限定受取の手紙を送付。
・2005年、野村が8年ぶりに覚せい剤に再び手を出したのは、離婚調停中。
携帯には売人を「アイスマン」と登録してた。
・2006年2月に逮捕。
留置場でリタリンを処方してもらう(w
最終的には懲役1年6か月、執行猶予3年で結審。
○現在
・REALから誘いがあるのは事実。
ただし、47歳という年齢と長らく胸椎を痛めていることから、格闘家転身は及び腰。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
野村選手の選手時代の話を中心に、清原選手のこともいろいろ書かれています。