これからお祈りにいきます (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 114
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041047514

作品紹介・あらすじ

人型のはりぼてに神様にとられたくない物をめいめいが工作して入れるという奇祭の風習がある町に生まれ育ったシゲル。祭嫌いの彼が、誰かのために祈る――。不器用な私たちのまっすぐな祈りの物語。

感想・レビュー・書評

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  • 短篇2つが収録されており、どちらも主人公が何かに対して祈ってる。
    「サイガサマのウィッカーマン」
     『エヴリシング・フロウズ』でもあったが、主人公が自分の圧倒的な無力さに傷付くシーンが印象的だった。
     たとえどこかの大富豪であっても、自分ではどうにもならないことはあるだろう。ましてや、高校生の主人公が、家やお金の問題に苦しむ同級生の女性に何ができるというのか。
     そんな主人公は、この小説に出てくる神「サイガサマ」の特徴でもある、「物事をあんまりよくわかっていない様子なのだが、とにかくできる範囲でやってみよう、という意識のようなもの」(p.135)を纏うようになる。冒頭から延々ととげとげしい主人公がお供え物を入れるシーンには、非常に心を打たれた。

    「バイアブランカの地層と少女」
     「自分が幸せだと感じたのは、その夜で何年ぶりだっただろうか。いや、下宿で豚汁に好きなだけごまをふりかけている時などはだいたいそう思っているのだが、そういう自力で何とかできることではなく誰かから幸せだと思わせてもらえること。恩寵のようなこと。」
     恋愛の喜びを表現する素敵な文だなぁと思うけど、この小説の素敵なところは、そこではないことにすぐ気付くことになる。不器用で無礼な主人公の青春、そんなものに羨望なり美しさを見てしまうのは実際上よくないことかも知れないが、「恩寵のようなこと」以上に素敵なことが自分でない誰かに起こるように祈る美しさ。


     人には人の領分があるし、限界もある。人のためにできることなんて大したものはなく、やるだけやって最後に残るのは祈ることくらい。そして、これは先日旅行に行った際、神社にお参りした時感じたことだけど、誰かのために祈るということは、実は非常に難しいことでもある。
     人を思う気持ちから変わってゆくふたりの主人公が、忘れかけていたことを思い出させてくれた気がした。

  • 津村作品は難しい

    「祈り」にそこまで特化している感じはないが、でもどこか繋がっている2作品。

  • ーーー1回は作ろうと思って作った家族やろうがーーー

    津村さんの小説は集中力を要する。
    読みはじめ、買ったばかりのスポンジみたいに弾きまくるので脳に世界観が定着するまで時間がすこし必要。なのに確実にどこかで読み手のこちら側が切り替わる瞬間があって、そうするともうぐいぐい、使い古したスポンジよろしくぐいぐい設定や文章が脳みそに入り込んできて、あー、まだこの世界にいたい、帰りたくない、読み終わりたくなーいってなる。
    本作は、最初のスイッチがなかなか入らず、んー、とおもっていたのだけど、やはりすごい、いつのまにか引き込まれていた。
    「サイガサマのウィッカーマン」
    「バイアブランカの地層と少女」
    どっちもすごいタイトルだ。
    タイトルだけでまったく話が読めない。
    どちらも、「大切な誰かのために祈ることはこんなにも愛おしい」という内容なので「これからお祈りにいきます」という別タイトルが本自体のタイトルになっている。
    どちらの作品も男の子がちっちゃく恋愛していて微笑ましい。
    ちょっといいなって思っている相手からのメールの返信待っているときにメールが来て、開くまでの一瞬に違う人からだって頭の中で予防線を張る描写、すっごいわかるなあああとおもった。
    こういう文章をさらっと(きっと書いているときはさらっとではないのだろうけれど)書いてしまうところがとてもよい。

  • いずれも表題作ではない2作を収録した本作は、大事なひとのために祈る青年(高校生と大学生)を好意的に描いています。

    そう書くと、いかにも主人公らしい人物像を思い浮かべるかもしれませんが、そこは津村さんの作品ですから・・・独特の悩みを抱えてます。

    そう書くと、いかにも純文学らしい人物像を思い浮かべるかもしれませんが、そこは津村さんの作品ですから・・・独特の笑いを味わえます。

    村上春樹氏の言う「小確幸」(小さいけれども確かな幸せ)にも通ずる、細やかだけれども確かな幸せ(「細確幸」?)を感じれる2作でした。

    個人的に、それぞれの作品で感じ入った一節は以下のとおりです。

    「うっさいボケ帰れ」
    (「サイガサマのウィッカーマン」)

    「そして正座してちゃぶ台の上で書店の袋からガイドと参考書を出した今、凝視しているのは目のくらむような肉料理の写真ばかりだ。(中略)作朗の羨望を煽る。前にまやちゃんの部屋かどこかで見せてもらったフランス料理の本には、特に何の感慨も抱かなかったというのに」。
    (「バイアブランカの地層と少女」)

  • 珍しいタイトルの付け方ですが、収録作品のどちらも「祈り」に関するお話。
    主人公が男で、高校生と大学生で、何気ない学生ライフを繊細に描いてるなと思います。不幸でもないけれど、取り立てて幸せでもないという津村先生の独特の世界観が読んでいて見える様でした。

  • だれかのために祈ったり走ったりすることが幸せ、不安や願いがあってこそのもんなんやなと。生きにくいやろうなと思うところが、人間のおかしみ。

  • 不思議な話。読むのに時間がかかった。

  • 「サイガサマ―」は小さな町における奇妙な信仰にまつわる物語。
    点々と散らばっていた不気味な、あるいは不幸な出来事がなんだか線でつながりそうになっていくぞわぞわ感。そこに、神様である”サイガサマ”に対して「できない子」だの「いらんことしい」「情けない」だのと、祭りを嫌悪する主人公だけでなく、信仰している町の人々までも、なにか出来の悪い息子を仕方なく面倒みてやる親のような不思議な暖かさが加わり、おもしろい。

  • 巡り合わせというものだけはどうしても科学で説明できない。そこに宗教や民俗信仰、祈りといったものの無視できない価値があるのは確か。お祈りなんて馬鹿らしいとどこかで感じずにはいられない現代人と、宗教や信仰は、この小説のような感じで共生していくんだなと思った。外から見たらいかにも怪しげな土着信仰のお祭りを担っているのがごく普通の一般人というのが印象的。偶然を奇跡や迷信に回収して人々を安心させるという大層な役目の一方、その運営はいかにも草の根的・現実的なのが可笑しかった。けれど同時に、これはかなり実態に近い姿なのだろうなと思った。

  • 高校生シゲルの住む町には、自分の体の「取られたくない」部分を工作して、神様に捧げる奇妙な祭りがある。
    吹き出物だらけの顔に悩み、父親は不倫中、母親とも不仲、弟は不登校という家族に閉塞感をもつ日常のなか、シゲルが神様に託したものとは―『サイガサマのウィッカーマン』と
    地球の裏側に思いを馳せる『バイアブランカの地層と少女』の2話。

    働く女性が主人公の物語が津村さんの真骨頂だと思うので、この本収録の男子高校生・大学生が主人公の2話は異色な印象。

    そしてどちらのお話も序盤はビミョーでいまひとつ…と思ったのですが、どちらも、普通の日々の延長だけど明るい兆しを感じるエンディングで良かったです。

    『サイガサマのウィッカーマン』は周りの人物観察記ぽくもあるので割と好みでした。
    お母さんはカリカリキリキリしてて家庭内が殺伐としてるよりのほほんとして良いような-それはそれでイラッとするのも分かるけど。
    私の中では、日本のお祭りは何かというとお炊き上げしている印象があるので、どこかにありそうなお祭りだな-と。
    サイガサマは愛でられてるなぁ-
    親友の新生児と左手薬指ならお得な取り引きかなぁ…。

    『バイアブランカの地層と少女』は他人が言った何気ない言った本人は忘れてるような事が引っかかってうじうじしてる作朗の姿が自分と重なって嫌な感じでした-
    作朗と同じ位の歳の頃、pen palとやり取りしていたのとか思い出して、今はツールが違ってレスポンス速いけど昔も今も人ってあまり変わらないな-と思ったり。
    勢いで行動したのに叶わなかったのは残念…でも新しく踏み出した姿が眩しい-
    あと京都に行きたくなりました。

    異色と思ったけど、やっぱり読後感はいつもの津村節でした。

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