これからお祈りにいきます (1) (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041047514

作品紹介・あらすじ

人型のはりぼてに神様にとられたくない物をめいめいが工作して入れるという奇祭の風習がある町に生まれ育ったシゲル。祭嫌いの彼が、誰かのために祈る――。不器用な私たちのまっすぐな祈りの物語。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、どんな時に『お祈り』をするでしょうか?

    合格祈願、安産祈願、そして宝くじが当たりますようにといったものまで、人が『お祈り』をする目的はさまざまです。普段、神社仏閣には見向きもしない、そんな人であっても、何か困りごとがあるとそんな神社仏閣に赴いて厳かな気持ちで手を合わせ『お祈り』をする。祈られる側になったことはありませんが、神様仏様も、そんな私たちのことを随分と身勝手な奴らと呆れて見ているかもしれません。

    そんな風に私たちの願い事というものはさまざまです。一方でそんな『お祈り』によって叶えて欲しいと思う先も多種多様だと思います。それは、自分のことかもしれません、家族のことかもしれません、そして、特別に思う誰かのことかもしれません。相手が誰にせよ『お祈り』をする時はその人のことを気にかけ、その人のことを深く思い、そしてその人が幸せになるようにと願いをかけるものです。

    ここにそんな『お祈り』をテーマに書かれた二編を収録した作品があります。「これからお祈りにいきます」というこの作品。それは、

    『何事もないように。いやもちろん何事かはあるだろうけれど、あらゆる物事ができるだけ早くそこから回復できるように』。

    そんな願いを『お祈り』の先の未来に見る主人公たちの日常を描いた物語です。

    『酸っぱさと革が入り混じったような臭いで目が覚めた』のは主人公の高嶋滋(タカシマ シゲル)。そんなシゲルは、『もっと寝ていたい、と朦朧とする頭を振りながら』、ニスの臭いの元となっている『弟が廊下で乾かしている紙粘土細工』を階段から階下に落とします。『この数か月ほど』、『ときどきにしか登校せずに、ひたすら自宅で紙粘土細工を作り続けている』中二の弟のことを思うシゲルは、弟には『人間的なものが欠けている』と考えます。そんなシゲルは『毎朝毎朝登校しなければいけないこと』、『吹き出物だらけで皮脂が出やすい体質』など、『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒ってい』ました。一方で『図工や家庭科の時間に作った人体の一部を捧げるサイガサマについての自由研究作文』で『市長賞をもらった』ことのあるシゲルは、弟が『サイガサマに捧げる』ために『人間の体の内と外にあるものをすべて作っていくつもり』ではないかと訝しがります。『あの神様に関わって以来むしろおれは下り坂だと』考えるシゲルは、『母親はアホだし、おまえは頭がおかしくなったし、父親は不倫をしている』と『弟に言ってやりたいと思』います。場面は変わり、『公民館でのアルバイト』をするシゲルは『図書室から掃除を始め』ました。そんな中、『職員さんのほうを手伝ってくれへんかな』と上司の持田から頼まれたシゲルは『申告物教室の夜間受付』を担当します。『諸願成就と交換に、人間の体の一部を持っていくという』『サイガサマ』。一方で『手当たり次第に体の一部を持っていかれると、命がなくなってしまう場合もあるので、「基本これだけはやめてください」という意味で申告物を作り、年に一回それを捧げる』という毎年冬至に行われる恒例の祭りへ向けて『申告物』を作るために教室へと通う人たちを受け付けるシゲルは、『この町の人々の申告物作りに対する関心の高さ』に『やや辟易』もします。そんなシゲルの日々の暮らしと家族との関係が祭りの日のXデーへと向けて淡々と描かれていきます…という中編〈サイガサマのウィッカーマン〉。どこかゴツゴツとした印象の読みづらい冒頭を経て、いつかしら『サイガサマ』という独特な祭りにどこか囚われていくのを感じる好編でした。

    一つの中編と一つの短編から構成されるという少し不思議なバランスのこの作品。両方の作品に関連はありませんが書名の通り『お祈り』に関連した内容が提示されています。ではまず、それぞれの作品について、一見摩訶不思議なタイトルとともに、その内容をご紹介しましょう。

    ・〈サイガサマのウィッカーマン〉: 『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒っている』という高校生の高嶋滋が主人公。『母親はアホだし』、中二の弟は『不登校を貫いている』し、『父親は不倫をしている』と家族にも腹を立てています。そんなシゲルは、こちらも不満はあるものの『公民館の清掃アルバイト』をしています。そんな中、毎年冬至に行われる町をあげての『サイガサマ』の祭りへ向けて『申告物』を準備するための教室の受付を担当させられます。そして、祭りのXデーへ向けてバイトを続けるシゲルの日常が描かれていきます。

    ・〈バイアブランカの地層と少女〉: 京都にある大学の『学生ガイドサークル』に所属しているのは主人公の十和田作朗。そんな作朗は、『高校三年の晩秋に地学部の吉村みづきちゃんに、家の真下に活断層が通っていることを指摘され』、『しばらくの間不眠に陥った』過去を引きずっています。そんな作朗は『京都観光に興味がある外人のためのコミュニティ』サイトを知り、頻繁にコメントを書くようになります。そんな中、Juanaというブエノスアイレスに暮らす女子学生とメールでの交流が始まり、やりとりの中で力強い一歩を踏み出していきます。

    二つの作品の分量は2 : 1といったところであり、一冊の本に収録される二作としてはどこかバランスが悪いようにも感じます。もちろん人にもよると思いますが、そんな長短も影響しているのか、読後に印象に残るのは圧倒的に一編目の〈サイガサマのウィッカーマン〉だと思います。『サイガサマ』とカタカナで書いてあると意味不明ですが、主人公の暮らす町の名前が『雜賀町(さいがちょう)』であると漢字で書けばなるほどとお分かりいただけると思います。そう、この『サイガサマ』というのは『雜賀町』をあげて一年に一度行われる冬至の日の祭りの対象であり、その『サイガサマ』という神様に対する町の人たちの”信仰”が興味深く描かれていきます。そんな物語の冒頭は一見意味不明です。そもそも『自分の身の周りで起こるだいたいのことに怒っている』と、苛立ちの感情が先行する主人公のシゲルは、この作品を読み始めた読者の感情移入を激しく拒みます。私も久しぶりに途中で読むのを投げ出しそうになるのをひたすらに堪える我慢の読書を強いられました。そんな読む側である私の苛立ちを抑えてくれたのがこの『サイガサマ』という摩訶不思議な神様のお話でした。それが、『諸願成就と交換に、人間の体の一部を持っていく』という不思議な神様の行為です。願いを叶えてもらうために私たちは、神様に『お祈り』をします。しかし、その代償として体の一部を持って行かれるというのは、祈ること自体を躊躇するものがあります。そんな中で妥協の産物とも言えるのが『「基本これだけはやめてください」という意味で申告物』を作って、年に一回、冬至の日に捧げるという考え方です。子どもたちも、そして大人たちも、そのXデーに向けてひたすらに『申告物』の準備をするという展開が描かれていく物語は、見方によっては狂気ですが、この作品を読んでそんな風に捉える人はまずいないと思います。どこかコミカルで、どこか微笑ましい、そんな物語が展開していくからです。そんな中であれほど嫌悪感を感じていた主人公のシゲルにいつの間にか感情が移っていることに驚く結末に、津村さんの主人公に対する愛情の眼差しを感じました。

    “芥川賞作家が瑞々しく描き出す、不器用な私たちのまっすぐな祈りの物語”と宣伝文句にうたわれるこの作品。そこには、どこか不安定な青春を生きる主人公たちの姿がありました。そんな背景に描かれていく祈りという行為の先にあるこの物語。

    人が祈りという行為を行う時には、そこにその行為によって何かを変えたい、何かを助けたい、そして何かに幸せをもたらしたい、そんな思いが背景にあるのだと思います。一方で、人がそんな風に何かに強く『お祈り』をする時は、その何かのことを強く思い、さまざまな努力をします。そんな強い思いのその先に『お祈り』という行為が存在するのだと思います。この作品の主人公たちは、何かしら不安定な心の中に生きていました。そんな中で誰かのために祈りを捧げるという行為は、そんな祈りを捧げる主人公たちの行動を、そして、心のあり様も変えていく、そんな物語がこの作品には描かれていたのだと思います。

    一種の”青春もの”とも言える世界観の中に、『祈り』をテーマに書かれた二つの物語から構成されたこの作品。冒頭からは全く予想できない爽やかな結末に、ほんの少しだけれど確かに一歩前に進むことのできた、そんな主人公たちの未来を感じた作品でした。

  • 男子高校生が地元の祭の準備を手伝う「サイガサマのウィッカーマン」と、男子大学生の日常にアルゼンチンとの交流が絡んでくる「バイアブランカの地層と少女」の2篇。

    「サイガサマのウィッカーマン」
    家族のことで苛立ったり、奇妙な祭に浮かれる町の雰囲気に乗り切れなかったり、それでも誰かのための祈りは本当だったり。
    同じ様な経験をしていなくても、なんとなく自分にも似た覚えがあるような気がしてくる。
    主人公の感覚がリアルで、なんかわかる、と思えるのだ。

    「バイアブランカの地層と少女」
    こちらのほうが面白かった。
    好きな子にふられたとか、家の下に活断層が通っていて地震が心配だとか、そんなことばかり気にしている日常が、京都観光のコミュニティサイトで知り合ったアルゼンチンの女の子との交流によって、少しだけ広がっていく。
    だからといって何も劇的に変わったりはしないのだけど、文章がじんわり面白くて好きだ。

  • 中編2作。いつもの津村喜久子と少し違って、純文学マナーに沿っている。

  • 短篇2つが収録されており、どちらも主人公が何かに対して祈ってる。
    「サイガサマのウィッカーマン」
     『エヴリシング・フロウズ』でもあったが、主人公が自分の圧倒的な無力さに傷付くシーンが印象的だった。
     たとえどこかの大富豪であっても、自分ではどうにもならないことはあるだろう。ましてや、高校生の主人公が、家やお金の問題に苦しむ同級生の女性に何ができるというのか。
     そんな主人公は、この小説に出てくる神「サイガサマ」の特徴でもある、「物事をあんまりよくわかっていない様子なのだが、とにかくできる範囲でやってみよう、という意識のようなもの」(p.135)を纏うようになる。冒頭から延々ととげとげしい主人公がお供え物を入れるシーンには、非常に心を打たれた。

    「バイアブランカの地層と少女」
     「自分が幸せだと感じたのは、その夜で何年ぶりだっただろうか。いや、下宿で豚汁に好きなだけごまをふりかけている時などはだいたいそう思っているのだが、そういう自力で何とかできることではなく誰かから幸せだと思わせてもらえること。恩寵のようなこと。」
     恋愛の喜びを表現する素敵な文だなぁと思うけど、この小説の素敵なところは、そこではないことにすぐ気付くことになる。不器用で無礼な主人公の青春、そんなものに羨望なり美しさを見てしまうのは実際上よくないことかも知れないが、「恩寵のようなこと」以上に素敵なことが自分でない誰かに起こるように祈る美しさ。


     人には人の領分があるし、限界もある。人のためにできることなんて大したものはなく、やるだけやって最後に残るのは祈ることくらい。そして、これは先日旅行に行った際、神社にお参りした時感じたことだけど、誰かのために祈るということは、実は非常に難しいことでもある。
     人を思う気持ちから変わってゆくふたりの主人公が、忘れかけていたことを思い出させてくれた気がした。

  • 心の底から誰かのことを想うときが、
    祈るときなんだと思った。
    自分のことではなく、誰かのことを。

    とっても不思議だけど、町も神様もどこかに存在するかもしれないと思わせる「サイガサマのウィッカーマン」
    読み進める中で登場人物の繋がりやサイガサマのことが分かってゆく気持ちよさ、ラストの清々しさ。
    少年が町の大人と出会い変化していく様にニコニコしました。

    地震が多いこの国で生きていくことに対して
    そっと心が軽くなるメッセージをくれるような
    「バイアブランカの地層と少女」
    【あなたが不安と共存しながらも幸せに過ごせることを願っています。】という手紙の一文を、
    作者から読者へのメッセージだと受け取りました。

    どちらの作品も主人公を取り巻く環境は大きく変わってはないんだけど確実に成長して少し前に進んでいるラスト。とっても気持ちいい読後感です。

  • すごく面白かったです
    誰かのための祈りというのは何だか途方もないことだけど、どこかできっと通じてるようなそんな気になる中編2作でした
    どちらとも好きでしたが、私は『サイガサマのウィッカーマン』の方が好みでした

    何となく色々上手くいってないフツウの高校生の男の子が主人公なんですが、この世代の何だか分からないけど手当たり次第にイラついてるという感じが思春期全開という感じでとても良かったです
    いまいち異様に熱心な祭りのあれこれについていけないのに結局その周辺を手伝うことになったり、家族もなんだかバラバラで別にそんなに上手くいってなかったりするけど学費のことなどきちんと考える…
    内心どう思ってようとシゲルは基本的にきちんとした男の子という印象でした
    バイアブランカの地層と少女も好きでした
    果たして作郎はいつか一人で地球の裏側に行けるんだろうか?
    どちらの作品も明るい方へ向かう終わり方で良かったです
    津村先生の作品はやっぱり面白い!

  • お祈りがベースにある中編と短編
    中編の「さいがさまのウィッカーマン」の主人公の住む町のサイガサマのお祭り。ウィッカーマンだなんて怖すぎる。こぶとりじいさんのこぶだったらいいけれど、でもこの町の人々は引き換えになっても叶えたいことのために、むしろ喜んで受け入れる。シゲルのたんたんとした人間観察も面白いし、きっとこうなると思っていた酷いニキビの落ちが半分だけなのには笑ってしまった。

  • 中編「サイガサマのウィッカーマン」と短編「バイアブランカの地層と少女」収録。「これからお祈りにいきます」というタイトルの作品が収録されているわけではないが、どちらも「祈り」に関わる物語でした。

    「サイガサマのウィッカーマン」がとても面白かった!雑賀町という小さな町で崇められている神様サイガサマ。この神様は、願いを聞き遂げる代わりに、体の一部を持っていってしまうという神様で、ゆえにお願い事をするときには「ここだけは持っていかれたくない体の部位」を何かしらの素材で作って(粘土でも折り紙でも)それを捧げてお祈りする(つまりそれ以外の部位を持ってかれちゃう)。

    代償を求めるというので邪神のように思われるけれどそうではなく、サイガサマは力が足りない未熟な神様だからこそ、願いを聞き届けるパワーを発揮するために捧げものが必要なのだとのこと。1年に1度冬至の日に、ドルイド教におけるウィッカーマン(人間型の人身御供)を作り、その中に各自作った体の部位を象ったものを入れて燃やすお祭りがある。

    主人公の高校生シゲルは、小学生のときにサイガサマについての作文で賞を貰い、役所のバイトをしている今はなりゆきで、そのお祭りの手伝いをすることになる。浮気中の父親、ありとあらゆる体の部位を粘土で作っている引きこもりの弟など家族の問題を抱えつつ、父親が植物人間になってしまいアルバイトを三つもかけもちしているセキヅカさんへの淡い恋心、そして自身のニキビ肌など、シゲルの悩みはつきない。

    サイガサマが、ありえなさそうで実はちょっと本当に願いを叶えてくれていると思しきいくつかの事例があって興味深い。こういう神様、本当にどこかにいそうな気がする。神様なのにちょっと不器用で、失敗したりもしつつ、なんとか人間のためにできることを頑張ってくれている。人間のほうも、できることを頑張らなくちゃなって気持ちにさせられた。

  • 2020.6.27再読了。
    ウィッカーマンの意味をあとがきで知る。

    終わり方に希望を感じる。
    サイガサマのウィッカーマン では、サイガサマの力?か、何かを奪われた代わりに、それぞれの暮らしが動き始める。
    バイアブランカの地層と少女 では、少女とのやり取りを経て、自分の力で外の世界へ出ようとする。
    高校生と大学生と近い世代の男の子(男性?)が主人公であることも、二作の共通点。

    記憶に残っていたのは、サイガサマの方。
    サイガサマの文化が印象的で。

    今回読み直して、バイアブランカも良かった。

  • ●サイガサマのウィッカーマン
    最後のニキビのこと、めっちゃ笑った

    ●バイアブランカの地層と少女
    作郎とエンドー 会ったことない人の幸せを祈れるの、いいやつ
    どーでもいいけど、作郎(さくろう)って名前、地味だけどいい名前だね

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著者プロフィール

1978年大阪市生まれ。2005年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で第21回太宰治賞。2009年「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2019年『ディス・イズ・ザ・デイ』でサッカー本大賞など。他著作に『ミュージック・ブレス・ユー!!』『ワーカーズ・ダイジェスト』『サキの忘れ物』『つまらない住宅地のすべての家』『現代生活独習ノート』『やりなおし世界文学』『水車小屋のネネ』などがある。

「2023年 『うどん陣営の受難』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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