- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041048238
作品紹介・あらすじ
まずしい下級武士の子として生うまれた西郷隆盛。
敵でも友だちになってしまう、ケタ外れの大きな愛とまごころの持ち主。
たくさんの仲間とともに激動の幕末を駆け抜け、
命がけで武士の時代を終わらせると、新しい日本の夜明けを作る。
そして維新に輝く英雄となっていった!
<目次>
第1章 薩摩武士の少年
第2章 運命の出会い
第3章 維新に向かって
第4章 戦かわずに勝つ
第5章 日本の夜明け
■『西郷隆盛』監修 山本博文先生のポイント紹介
薩摩藩の西郷隆盛は、下級武士の家に生まれながら実質的な薩摩藩の指導者となり、江戸幕府を倒します。明治新政府では、政府内の対立から鹿児島に帰り、専制的な政府に反抗して西南戦争を起こし、敗死します。今回の人物伝では、新しい日本を作り上げた西郷の働きや西南戦争にいたる過程を丁寧に描いています。なぜ、今でも西郷を慕う人が多く、人気が高いのかを考えながら読んでください。
感想・レビュー・書評
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■きっかけ
西南戦争を起こしたきっかけをそういえば知らないなと思って読みました
■島津家家臣編
- 島津斉彬(なりあきら):薩摩藩主。お互いかなり信頼関係があったが、息子の島津忠義(ただよし)の祖父島津斉興(なりおき)は勤王派の西郷とは合わず、西郷の友人・月照(げっしょう)を日向送り(斬り捨て)せよと命令を受け、月照と抱き合い海に身投げ。西郷だけは助かり大久保に奄美大島に隠れるように言われ、菊池源吾という名で隠れた。忠(テニス選手の菊池玄吾はここから名付けられた?)
- 1858年に忠義が藩主になったがその1年後、斉興が死に、斉彬の弟の島津久光(ひさみつ)が実験を。
- 西郷と久光は最後まで相性が悪かった。
- 斉彬の娘(養子)は13代将軍の御台所・篤姫
■明治維新
- 1864年禁門の編(蛤御門の変)で長州軍と薩摩会津連合文。長州軍を半日で撃破。後に長州軍の責任を戦わずして調停。
- 1866年 桂小五郎(後の木戸孝允)に頭を下げた薩長同盟
- 1867年 坂本龍馬暗殺(京都の近江屋)
- 1867年 形だけの大政奉還。続いて王政復古の大号令。徳川慶喜の扱いを決める会議でや山内容堂(ようどう)が徳川おかばっていたとき、会議に出ている岩倉具視に「いざとなれば短刀一本で片がつく」と西郷が伝え、それが山内の耳に入り会議は徳川排除で落ち着いた。西郷どんかっけー
- 1868年 戊辰戦争開戦(鳥羽伏見の戦いで始まった幕府軍との戦い)
- 1868年 江戸城無血開城
■西南戦争へ
- 一度は薩摩に帰ってゆっくりしていたが、大久保利通によばれ再び江戸に。
- 御親兵(天皇を守る直属軍隊)を作った。
- 廃藩置県は藩主の反発があると予想されたが、「何がおきても後はわしが御親兵とともに引き受ける」という西郷のことばで決定した
- 征韓論をめぐって、岩倉使節団として欧米に渡った盟友・大久保利通ともめた。留守政府だった西郷とは考え方が違っていた。大久保は欧米列強に追いつくには外交ではなく、まずは国内制度の充実を訴えた。西郷は話しあいに行くと決めていたが、大久保はそれで殺されれば戦争になると伝えた。西郷は一度決まった韓国行きを白紙に戻され、政府をやめ鹿児島に返った(明治6年1873年の政変)
- 鹿児島で私塾を開いていたが政府から視察(刺殺)にきたという者がいたのと、もともと士族の不満が溜まっていたことから、西南戦争へ(1877年)。熊本城を兵糧攻めするが、熊本城は物資があり、政府軍も素早くやってきたため、敗北
- ごめんなったもんし!と言った別府晋介に介抱してもらい切腹。
- 1878年 大久保利通暗殺 -
[江東区図書館]
タグが2017年度となっていた、ということは、昨年度に"読みたい"登録してたんだな。やっと今回、歴史人物のコミック伝記は各社から出ているが、西郷隆盛を集英社のとで読み比べてみた。
角川のまんが人物伝は、他社とは一線を画す、文庫本サイズ。まるでサバイバルシリーズ関連で科学コミック版(角川は、「どっちが勝つ」シリーズ)同様、以前からの方針なのか?近年の風潮なのか?はともかく、いずれにせよ、角川≒文庫本ということなのかな。
表紙裏に本文中に出てくるマンガ絵で各関係人物を紹介しているのはどちらも同じだが、角川の方は人物相関図での紹介だし、ページ内の文量も、描画もやや高学年向けを感じる作り。その一方で、巻末の西郷隆盛年表は、角川のほうが、細かい流れを省いていて要点的な作り。
けれども小4くらいとなっていて、冒頭の「幕末写真館」や、巻末の年表前に納められた、遊び心溢れた「西郷隆盛の通知表」、「幕末新聞」なども楽しめそうなら角川の方がいいとなるかもな? -
波乱が多かった人生なんだなと思った。
力ずくではなく、まず話し合おうとする姿勢はいい。