汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (角川文庫)

著者 :
制作 : 佐々木 幹郎 
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041049143

作品紹介・あらすじ

「汝陰鬱なる汚濁の許容よ、更めてわれを目覚ますことなかれ!」(羊の歌『山羊の歌』所収より)。
日本の近代詩史に偉大な足跡を残した夭折の天才詩人中原中也。30年の生涯の間に作られた詩の中に頻出し、テーマとなることが多かった三つの言葉、「生きる」「恋する」「悲しむ」を基軸に、制作年月推定順に作品を精選。代表作「汚れつちまつた悲しみに……」をはじめとする、今なお心を揺さぶられる詩篇の数々から、中也の素顔を浮かび上がらせるまったく新しいアンソロジー詩集。

感想・レビュー・書評

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  • 10月22日は中也忌。(1907年~1937年)『文豪今日は何の日?』より。

    受験問題で中原中也の「一つのメルヘン」が出て印象深かったので覚えている。
    確か、こんな感じだった。
    「一つのメルヘン」の全文が載せられており、
    問1 
    "それに陽は、さらさらと
    さらさらと射しているのでありました"
    の"それ"とは何を指していますか?(四択だったように記憶している)
    問2
    "蝶"は何のメタファーとして用いられていると思いますか?
    貴女の考えを文章で答えなさい。
    「げ。問2わからんっ!」当時の私はそう思ったけれど、入学出来たので何とかなったんだろう。
    今ならもう少しマシな答えを導きだせるんだろうか。
    そんなわけで、中也と言えばすっかり受験の思い出だ。

    「汚れつちまつた悲しみに……」
    七五調の詩だ。
    第一段落と第四段落が"悲しみ「に」"となっているのに対して、
    第二第三段落は"悲しみ「は」"となっていて、
    視点が移動している。

    けれどよくよく読み返すと、悲しみとの距離感は、単純に「に」「は」の使い分け同様、第一と第四、第二と第三がイコールなのではないように思えてきた。
    第一→第二→第三→第四と、次第に悲しみが揺るぎなく大きな存在感をもって中也の胸中に襲いかかり、
    明確になるにつれ"何も望みもなければ願うこともなく"、"倦怠感の中で死を夢みる"ものとなる………ように思えた。
    そして"痛々しくも怖じ気づき"、"なす術もなく日は暮れてゆく……"。
    この悲しみは今日限りの事ではなくて、"……"がついていることにより"これからも続いていくこと"のように感じる。

    "汚れっちまった悲しみ"とは何だろう。
    恋か?人生か?
    本書は「第一章 生きる」「第二章 恋する」「第三章 悲しむ」と監修されているが、
    当該作品は「序詩」となっていて、私には見当をつけられない。
    ただその悲しみが何にせよ、純粋であった悲しみが、今は汚れてしまったということ。
    でも何となく、中也のパーソナルな悲しみであることを感じることができる。
    失恋でもしたんだろうか…。
    "悲しみ"とは文字通り悲しいことであるのに、その悲しみが"汚れてしまった"とある。
    この時の中也には受け止めきれない程の悲しみがあったのかしら。。。

    "悲しみ"は時が流れることでオブラートにくるまれて、痛みも色味も淡くなり、"思い出"というものに形が変わることもある。
    中也は、"汚れてしまった"という言葉をつけることで、その"悲しみ"はいつまでも痛くダークカラーのままで、"思い出"というフィルターがかかることもなく抱えていかなければならない程の"悲しみ"だと表現したかったのではないか?

    「修羅街輓歌 関口隆克に」
    "修羅"の文言や"○○輓歌"との表現に、宮沢賢治?と思って検索すると、やはり影響を受けているらしい。
    (ただ元々はランボーなどのフランスの詩人に影響を受けていたとのこと)

    ☆関口隆克・・・のちに開成高校の校長となる人物で、中也の友人
    ☆序歌、Ⅱ酔生、Ⅲ独語、ⅢⅠ、の4つの段落から成る。
    ☆"ーー"に続く文章は、"内なる声"のような役割か?
    ☆"酔生"・・・「酔生夢死」という言葉がある。お酒に酔ったようにぼんやりと生きてきて、夢をみているかのような心地で死んでいくという意味だが、"Ⅱ酔生"は、ここからとっているのか?
    ☆"ーーパラドクサルな人生よ"・・・paradoxaleはフランス語で"逆説的"という意味とのこと。
    ☆雨蕭々と・・・雨が物悲しく降っている様

    "序歌"では、
    幼い頃の美しい思い出と、失ってしまった憐れみの感情と豊かな心に返ってきて欲しいと望む気持ちをうたっている。
    詩人として生きてゆくには今よりも厳しい世の中であっただろうし、生きてゆくには辛い恋や人の裏切りも経験しただろう。
    そんな世の中は中也にとっては修羅の道であっただろうし、そういった物事に晒されるうちに、人を深く思いやったり、詩を創作するに値する豊かな心を失い掛けている今を嘆いているのかしら。
    "去れ!"と何度も"忌まわしい思い出"を振り払おうと踠いている。

    "Ⅱ酔生"では、
    これ迄の自分の生き方を振り返り、青春も過ぎ、傷ついた自分を、"寒い明け方の鶏鳴"と重ねている。
    それでも"ー無邪気な戦士"と、立ち向かってきた自分の心を励ましているかのような表現だ。

    "それにしても私は憎む、体外意識だけに生きる人々を。
    ーパラドクサルな人生よ"
    とは、
    "自分達が属している組織やグループだけを尊重して生きている人々を憎む、
    本来とは逆の考えである人生よ"という意味かしら?

    "Ⅲ独語"では、
    何を大切にしながら、どのように生きてゆくべきかを述べている。

    "ⅢⅠ"
    "酒ぐ"は"すすぐ"と読んで、洗い清める意味だと思うのだけど、「修羅街輓歌」では"そそぐ"とルビが振られているのは何故なんだろう。
    単に古語?
    それとも物悲しく降る雨に、お酒の意味合いも含むのかな。
    Ⅰ~Ⅲを踏まえて、生きる悲しみや切なさを深く歌っている。

    「一つのメルヘン」
    学生の時に分からなかった良さを感じた。
    キラキラと射す陽を"硅石か何かのようで"と表現しているのは賢治の影響かな。
    渇いた河原に水が流れ始めるという、一頭の蝶が起こす奇跡。
    中也の内面を描いているのかもしれない。
    硅石か何かの粉末がさらさらと…まるで砂時計のようだ。
    時は、過去から現在、現在から未来へと流動的なものだ。
    その何処かの地点で蝶(良い兆し)が現れて、これ迄渇ききっていた中也の内面に水を流し始めたという意味かな。
    蝶とは、長谷川泰子との出会いか、詩壇においての何かか、創作するにあたり言葉をキャッチする術を持ったのか?

    「言葉なき歌」
    ここで言う"あれ"や、続く
    「月夜の浜辺」
    で言う"ボタン"は、
    詩となりうる言葉の欠片のことかしら?
    "あれ"を無理に追い求めたりせずに自然と傍にやってくるのを待ったり、
    "役立てようと"思わずに、けれども捨てずに"袂に入れ"る。
    中也はそうやって言葉を紡いでいったのかな。

    「時こそ今は……」
    「時こそ今は花は香炉に打薫じ ボードレール」と添えられているように、フランスの詩人の作品から着想を得たよう。
    "今まさに花は香炉にほんのり良い香りがして、何気無い気配です"かな?
    その原文は知らないけれど、ボードレールの詩を泰子への愛の歌に落とし込んだということか。
    泰子とは、女優の長谷川泰子。
    中也と泰子、批評家の小林秀雄との三角関係は有名なのだとか。

    ☆籬・・・垣根

    花を香炉に燻らせて、愛する泰子に対して"しずかに一緒に、おりましょう"と求愛する歌だけれど、幸せでうっとりという感じに思えないのは何故だろう。
    単に私が、三角関係だったとの情報を得てしまったからか?
    それとも"遠くの空を、飛ぶ鳥も いたいけな情け、みちてます。"に、いじらしくすがるようなニュアンスを感じてしまったからか?
    "いかに泰子、いまこそは"と繰り返される、"いかに"と"いまこそ"に、中也の留めておきたい気持ちを感じるような気がするからか?

    最終行は"花は香炉に打薫じ、"と読点で終わる。
    そこから、この時間が終わらず続いていくような印象を受けた。
    香炉からも、花の良い香りが漂い続けているような。


    選んだ文庫が良くなかったかもしれない。
    私のような中也初心者は、本書のような編纂されたものより、きちんと詩集を買うべきだった。
    本書は序詩として「汚れつちまつた悲しみに……」があり、その後は「生きる」「恋する」「悲しむ」の3つの章に編纂されている。
    当初はこの方が何を歌った詩なのか分かりやすいと思ったのだが、
    いざ読み始めてみれば、その詩の前後作品、人生のどの地点か、季節はいつか等々が読み取れず消化不良感が否めない。

    そして、宮沢賢治の「春と修羅」を読んだ時に感じた胸を貫かれる感じが無かった。
    三好達治の「甃のうへ」を読んだ時に感じた心が震えるような思いも無かった。
    表現の驚きと共感では尾形亀之助だしなぁ。
    いや、「一つのメルヘン」は素敵で安らぎを感じたし、「汚れちまった悲しみに……」「朝の歌」「サーカス」他、幾つも好きな詩や知っていた詩はあったのだけれど。
    単に私がときめきを失っているのか(笑)、中也の創作活動を終えるまでの年齢の若さかなぁ。。。

    • 本郷 無花果さん
      こんばんは。
      中也は言葉使いが巧みで面白さがありますよね。
      幾つか代表作を過去に読みましたが、「こんな面白い表現ができるのか…凄いな。とても...
      こんばんは。
      中也は言葉使いが巧みで面白さがありますよね。
      幾つか代表作を過去に読みましたが、「こんな面白い表現ができるのか…凄いな。とても凡人の私には思い付かないよ 笑」と思った事があります。

      出版社について。
      好みの問題ですが、私は近代文学は角川では読みません。
      角川文庫から出ている作品が、何を底本にしているかは詳しくは分かりませんが、以前(だいぶ前)にとある近代文学作品を読んだ時、本来漢字表記の部分の大多数が平仮名表記になっていたり、まるで幼い子供に伝わる様に、めちゃくちゃ噛み砕いて表記されていたり、と散々でしたので…。
      今も偶に立ち読みはしますが(表記が気になって…笑)角川文庫は近代文学向きでは無いのは確かかな…と、個人的に思っています。
      表記方法が原文(草稿、清書版、私家版と様々なのかも知れませんが。)と違うだけで、読み手に伝わる感想等が大きく変わりますからね。
      全集をお読みになった時の感想も拝読できれば…と思います。
      思いの丈を長々と、すみません。

      2023/10/22
    • 傍らに珈琲を。さん
      本郷 無花果さん、こんばんは。
      なるほどー!
      角川はそうなのですね。
      今回編集版を選んでしまったのは私のミス…というか横着したら失敗だったの...
      本郷 無花果さん、こんばんは。
      なるほどー!
      角川はそうなのですね。
      今回編集版を選んでしまったのは私のミス…というか横着したら失敗だったのですが、
      漢字表記が平仮名表記というのはいただけないですね。
      小・中学生が近代文学の入り口として手に取るには読みやすいでしょうけど。
      参考になります、有難う御座います。
      いつも気に留めておこうと思います。

      実は文豪ストレイドッグスの表紙だったこともムムムでした 笑
      アニメの内容はよく知りませんし、悪い印象でもないのですが、文庫の表紙は止めて欲しかったー。
      それはそれ、これはこれですもん。

      中也、お好きなんですね。
      熱い思いが伝わります。
      今日本屋でたまたま全集を見かけましたが、やっぱり厚みありますね 汗
      それでも気になってます。
      読み直したかった詩が1つ、本書に含まれてなかったので。
      来年のどこかで、手にとってみようかしら。
      2023/10/22
  • 詩は自分には理解するのが難しかったが、何本かはすんなり心に入ってきたので読んでみて良かった。またチャレンジしてみたい。

  • 文豪ストレイドッグスをきっかけに読んでみた

    読み慣れない言葉、詩で表現したい事
    とても難しく感じた

    こういう事を言いたいのかな…と考えて読むしかなかった

    もっと歴史ある文学にも触れてみたいと思った

  • 場面や気持ちなどを読み取ることが私にはできず、終始難しいと感じながら読んだ

    ー解説よりー
    人間にとって最も大事な『生きる』『恋する』『悲しむ(死ぬ)』こと。これらは全て切ろうとしても切れない関係にある。深いな〜と思いました。

  • 文ストが好きなので詩集ならとジャケ買い。

    言葉のリズムや響きがよかった。
    大げさかもしれないが、日本語は美しいんだなと感じた。

    YouTubeで朗読もあるので聞いたりもした。
    まだまだ意味がわからないものの方が多いが、何度も読んでいきたい。

  • 「生きる」「恋する」「悲しむ」で編纂された詩集。

    綺麗に流れる詩の中に時折、不整脈の様ないびつなリズム。人の心の煮え切らなさの具現。

    夭逝の詩人に現代を見て欲しい。ブランコは今も揺れていますか?ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。

  • 正直よくわからなかった、、、
    自分の理解力の乏しさに泣けてくる。
    もう少し時間が経って読み直したら理解できるようになりたい一冊!

  • 臆、生きてゐた、私は生きてゐた!
    少年時の一節。

    大好きな詩。

  • 中原中也の詩を「生きる」「悲しむ」「恋する」にわけた詩集。

  • 厨二くさい言葉づかいがとても好き

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著者プロフィール

中原中也(なかはらちゅうや)
1907年4月29日、山口県生まれ。23年、山口中学を落第し、京都の立命館中学に編入。劇団女優、長谷川泰子と知り合い、翌年から同棲を始める。25年、泰子とともに上京。泰子が小林秀雄のもとに去る。26年、日本大学予科文科に入学したが、9月に中退。29年、河上徹太郎、大岡昇平らと同人誌「白痴群」を創刊。33年、東京外国語学校専修科仏語修了。遠縁の上野孝子と結婚。『ランボウ詩集《学校時代の詩》』刊行。34年長男文也が誕生。処女詩集『山羊の歌』刊行。36年、文也が小児結核により死去。次男愛雅(よしまさ)誕生。37年鎌倉に転居。『ランボオ詩集』刊行。詩集『在りし日の歌』を編集し、原稿を小林秀雄に託す。同年10月22日結核性脳膜炎により永眠。享年30歳。翌38年『在りし日の歌』が刊行された。

「2017年 『ホラホラ、これが僕の骨 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中原中也の作品

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