随筆集 一私小説書きの独語 (角川文庫)

  • KADOKAWA (2016年11月25日発売)
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本 ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784041049501

作品紹介・あらすじ

雑事と雑音の中で研ぎ澄まされる言葉。半自叙伝「一私小説書きの独語」(未完)を始め、2012年2月から2013年1月までに各誌紙へ寄稿の随筆を網羅した、平成の無頼作家の第3エッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  • 表題の『一私小説の独語』は私小説作品と重複した内容ともいえるが、北町貫多の話ではなく、西村賢太の話としてまた違った視点、文体で改めて読める面白さがある。それにしてもこの人の文章は内容に関わらず読んでいて楽しい。

  • 芥川賞作家、西村賢太先生によるエッセイ集の第3弾です。西村先生曰く「例によって例のごとくのゴッタ煮風だ。」とのことですが、それが彼の作品を読んで来た人間にはたまらなく、また違った「味わい」があります。



    本書は新世代の無頼派芥川賞作家、西村賢太先生によるエッセイ集の第3弾になります。西村先生いわく
    「ゴッタ煮風だ。」
    とのことですが、いわば西村先生の人生を煮詰めた「闇鍋風」の本でも、二度、三度と読んでいくと、癖になってしまうようで、そこがなんとも怖くもあります。

    内容はさまざまな雑誌に書いたものをひとつにまとめているので、日記あり、映画評論ありと、本当にあきさせないものがあり、最後まで楽しく読ませていただきました。

    前半は今まで上梓してきた私小説の中で、「脚色」したものの実態が語られていたり、自分が好きだという溝正史原作の映画の解説であったり、自らが愛してやまず、ついには「歿後弟子」とさえ名乗るようになった物故作家、藤澤清造への熱い想い。

    安アパートを転々としながら日雇い労働に従事し、大飯を食らい、安酒を飲み、買淫で女を抱き、だけど家賃は一切払わず、時々実家へと帰って母親から金を毟り取る…。

    そんな日々の果てに生きているのだ、と考えると、
    「あぁ、自分も生きていていいのかなぁ」
    などと、これまた間違った読後感を「つい」得てしまいました。

    ただ、僕は西村作品をすべて読んでいるので面白かったのですが、もしかすると西村先生の作品を読んだことがない方や彼の熱烈なマニア以外の読者にとっては全く面白くないかも知れません…。

    ※追記
    本書は2016年11月25日、KADOKAWAより『随筆集 一私小説書きの独語 (角川文庫)』として文庫化されました。西村賢太先生は2022年2月5日、東京都の明理会中央総合病院でご逝去されました。享年54歳。死因は心疾患。この場を借りて、ご冥福を申し上げます。

  • そもそも随筆集なるものを初めて読んだ
    まあ、ファンならどんなものでもありがたいから

  • 西村賢太を偲び読む。
    西村賢太と貫太との違いが種明かしされる部分もあり、西村作品愛読家には嬉しい。けれど、未読の人にとってもエッセイとして楽しめる内容になっていると思う。

    『夏の風物詩』という2ページのJTの広告が素晴らしく、会う人会う人に読ませていたら、そのうちの何人かはこの本を買って一冊まるごと読んだという。それほど短くも引力のある文章だった。

    このような細々とした仕事まで収められていることは遅れてファンとなった身には嬉しい。西村賢太が藤澤清蔵関連の資料を集めて喜んでいたのと同じように、私も文庫にまとめてもらったさまざまの資料に喜び、小説と照らし合わせてウンウン言ったりしてひとしきり楽しんだ。
    それにしても、細々とした仕事にうつくしいものの多いこと。街やひろげた雑誌・新聞の中に、これからはもう西村氏の新しい記事が出ていてハッとすることがないと思うと、さみしい。

    藤澤清蔵とちかしいのははもちろんのこと、『本のソムリエ』で川崎長太郎の作品を推しその推薦文として書かれている「自虐を描いているようで実は全くその逆だと云う、至極したたかな側面を持っている」は、西村作品にも一部共通しているように思う。

    うじうじしていて冴えなくて、ピカピカの主人公になぞなれないと思いながら、それでも自意識だけは強くて苦しくて…そんな苦しみを率直に言葉にしてくれたのは西村賢太だったなと改めて思った。

  • 西村先生の半自叙伝を中心としたエッセイ集。前作に比べるとこちらの方がやや堅い印象。コーヒーの用途は何となくわかる。

  • 708

    西村賢太
    1967年東京都江戸川区生まれ。中卒。2007年『暗渠の宿』で野間文芸新人賞、11年『苦役列車』で芥川賞を受賞。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『瘡瘢旅行』『人もいない春』『廃疾かかえて』『一私小説書きの日乗』等がある。

    が、さすが厚顔な私もこれは余りいい気分がしなかったので、とあれ日雇いに出た日はその都度日当から千円だけとっておくと云うソープランド貯金を、爾後はより強固なものにすることを決意したものだ。

    無論、それはそこにいる母や姉に会いたいなぞ云う、人並みの人恋しさからのものではない。  自宅に帰ればクーラーがあり、冷蔵庫があり、風呂があってテレビもある。更には布団や枕までもが揃っている。当然、そこに逗留する何日かの間は、全く働かなくても何かしら口に入れるものはあるし、母や姉にせびれば多少の小遣銭も得ることができるのだ。  今思えば、まことに甘えた考えに取り憑かれていたものだが、実際そのときの私は、ただひたすらにこれらの理由のみで〝帰宅〟を敢行していたのである。

    そもそも私に読書の習慣がついたのは、この姉の影響によるところが大きかった。イヤ、影響なぞと云っては、高が知れた子供の読書範囲中のことでは、ちと大仰な言いかたにもなるが、それでもこの姉は、子供のわりには随分と本を──それも小説本を読むのを好むところがあった。  ありていに言えば、まだ父の犯罪が露見していない頃の、零細運送店を営んでいた私の家は、決して貧しい方ではなかった。そして父親が逮捕されると、何よりもすぐさま夜逃げと離婚に踏みきったことでも分かるように、私の母と云うのはひどく潔癖な性質の持ち主であった。

    そうした母であれば、姉が次から次へと読みたがる本は、他所の子供の手垢がついた図書館の本ではなく、書店に並んでいる真っさらな新品を買い与えることは必定である。

    また母は、いかにも無学な人らしく、本を読むことは情操教育上に非常に有益であると、頑なに信じているようなところもあった。

    だから、そも姉が読書好きになったのは、おそらくこの母の本の押しつけが始まりだったかとも思うが、とあれ私がもの心ついた頃には、姉の書架には結構な数の本が詰められていたものである。  それらの大半は全くの児童向けの小説が多かったが、中には新潮文庫の『赤毛のアン』や、講談社文庫の、佐藤さとるのファンタジーものなぞもあった。

    で、この習慣はもう少し後になって、姉が中学に入った頃に四年生となった私も何かすっかり堂にいったかたちとなり、その書架から借りだした遠藤周作のユーモア小説や、星新一、眉村卓の角川文庫をわりと夢中の 態 で読み耽って、さてその読後には幼い感想を報告したりしていたものである。

    その姉は、本好きと云うただ一つの共通点を除いては、すべてにおいて私とは真逆のものを持っていた。  学校の成績もよく、性格も活発で友人も多かった。容姿の面で男子にもわりかし人気があったようである。姉弟ゲンカの際は、毎回姉が勝つのが常でもあった。  一方の私は内気で陰気で、何かにつけてひがみ易い性質だったから、姉とは性別が逆であれば良いと、親に昔から言われ続けてもいた。  だが、その親も気付いていなかったらしいのは、私はただ内気でひがみっぽいだけの男ではなかった。それに加えて、根が滅法執念深くできているのであった。受けた恨みは一生忘れずに持ち抱え、一つきっかけがあれば、これを必ず晴らす実行にでるのである。

    私の親しくしている、神保町の古書店主は福島の浪江出身だが、空家になっていた生家は津波に流され、隣人には生命の被害を受けたかたもいると云う。が、それを聞いて心底気の毒に思っても、さてその帰路で、こちらは普通に大飯を食らっているのである。

    入浴後、十一時半からのニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」を聴く。三十年来の大ファンである高田氏のこの放送は、自分にとっての欠かせぬ習慣となっている。十代の一時期には、わりと真剣にこの人への弟子入りも考えていた。中卒では到底ムリな話なので、すぐに諦めたが。

    一体に反権力のポーズほど胡散臭いものはなく、そんなのを打ちだす者に限って、イザ自分が権力を握ったら独裁者となり、とんでもない政策に 奔 りがちにもなる。

    国政において、対外国との間で責任問題が生じた場合、その国の力のある政治家と太いパイプのない者が、どうして解決処理の道すじをつけられようか。今の橋下氏ではそうした問題に対峙した際には、おそらく外国からナメてかかられ、相手にもされぬに違いない。  過去には今太閤と称され、政治手腕と共に国民の人気も高かった田中角栄がいたが、この人物は生きた政治を長い時間をかけて身に沁み込ませ、良くも悪くもその真髄を摑んでいた。  一方、橋下氏は、政治の世界に入ってきたのはここ数年のことであり、怖いもの知らずの勢いとテレビ的人気だけでは、まだこの国の運命を託す気にはなれない。

    身内に性犯罪者のいる人生と云うのは、甚だ厄介なものだ。  被害者のことを思えば、たとえ当事者が何年の服役刑を受けたところで、それですべてが許されるわけではないし、その加害者家族も罪なき罰を一生強いられる羽目になるのである。  私は私小説書きを看板に掲げているくせに、まだ三十数年前の、実父の性犯罪のことを正面きっては書けていない。配慮と云えば、 偏に被害者のかたに対する配慮の面もあるが、実のところそれと同等に、自身の痛みを恐れている部分がある。

    先日、AKB総選挙と云うのを見にゆく流れとなった。  いったいに私は年相応に、かようなアイドルの世界にはうとい方である。インタビュー等では一場の戯れ事として、聞きかじりの、できるだけ目新しそうなその種の名前を挙げてファンだなぞと答えることもあるが、なに、実際は顔かたちもハッキリ把握してはいないのである。  が、そんな私も、今回が四回目だと云うこの大がかりなイベントのことは、昨年あたりから週刊誌の記事等で、何んとなく知ってはいた。

    私は過去にロマンポルノを観た経験が殆どない。現在も、いわゆるAVを眺めると云う習慣は皆無なのである。  いったいに、映像よりもエロ本派である。  他人の絡みを眺め、男優のフィニッシュに合わせて自分も果てるなぞ云うセンズリは、これは断固拒否したい。  たださえ慢性的な女旱 りの我が身に、かてて加えての虚しさを塗り重ねる必要もないのである。  その点エロ本であれば、かの被写体たる女の相手は、常に自分でいられるのだ。そのイマジネーションの中では一切の余計な人物の映り込みもなく、どこまでも自らを主体とし、かの対手にいかようなプレイを行なうも自由なのである。  なので、未だもっぱらエロ本を愛用しているクチだが、ロマンポルノとなると、その鑑賞の目的は些か趣きも違っていよう。

    ただでさえ数の少ない現今の純文学雑誌のうち、私の小説を採ってくれるところは『新潮』ただの一誌きりと云う状況になっていた。  人間性に対する嫌悪と小説の評価を一緒くたにするのが、今の文芸誌のサラリーマン編輯者の 慊 い、最たる点である。

    「人生マイナス思考」の四十三歳主婦。日々が 辛い私を助けてくれる本は?  ぼくと同世代のかたですね。  性別の違いこそあれ、人生マイナス思考の点は全く共通しています。  ぼくのような者と共通項があるなぞ云われては面白くないでしょうが、まあ、世間の大抵の人間はマイナス思考にできているものです。何もそんなことで自分を責めるがものはないんですが、しかしそれでも何がしかの救いを求めたいと云うのであれば、私小説を読んでみてはいかがでしょうか。  優れた私小説の書き手は、皆このマイナス思考と自意識の強さを抱えています。が、ただ抱えるだけではなく、その厄介さと正面から向き合ってもいます。  この向き合いかたが自虐的であれ露悪的であれ、作者にとってはどこまでも本気のものであるからこそ、同じ辛さや生き難さを感じている人に或る種の共感を呼ぶのでしょう。  今、四十三歳であれば、川崎長太郎の『鳳仙花』(講談社文芸文庫)や『抹香町・路傍』(同)がいいかもしれません。

    ご多分にもれず、原稿書きの最中はコーヒーをやたらに飲む方である。  が、私の場合本来の(と云うのも変なものだが)コーヒー好きかと問われれば、俄かにその返答には窮してしまう。何しろ、平生愛飲しているのは缶コーヒーであるし、その目的たるや、一には利尿の作用を期待してのことでもあるからだ。  いったいに二十代の時分から痛風持ちの私は、常日頃その種の処方薬を服用してはいる。だがこれを頓服していても、どうかすると尿酸がおさまらず、起きぬけに足首の関節が腫れ上がることはたまさかある。

    それにつけてもつくづく思うのは、数ある小説ジャンルの中でも、特に私小説は映画化には不向きにできてることである。イヤ、と云うより私小説を映画化するには、作り手側に私小説に対する理解と思い入れの念が欠けていては、到底成立し得ないものと言い切ってもいいかもしれない。

    此度 の尖閣諸島に関する出来事により、支那人とは実に民度の低い連中であることを、今更ながら知るに至った。

    最初は尖閣周辺の領海線違反、そして次には上陸と、徐々に既成事実への流れを作って、いずれは竹島みたいにしようとする、こんな姑息なやりかたで世界地図を塗り変えようとする小悪党の泥棒人種に、吹けば飛ぶような大臣や官僚の〝毅然たる抗議〟なぞ通用するわけがない。

    軍隊も持たず、経済制裁もいつされる側に廻るか分からぬ現在の日本は、それに見合ったような従来通りのいじめられっ子的弱腰外交では、諸外国からつけ込まれる一方となる。

    ①「心に残る1冊の本」は? ②人生を変えた一言(転機)は? ③好きな音楽は? ④好きな映画は? ⑤一番辛かった仕事は? ⑥中学高校時代のクラブは? 心に残ったことは? ⑦綾高生へのメッセージ ①藤澤 造著『根津権現裏』です。 ②上記の書を二度目に読んだときかもしれません。 ③稲垣潤一さんの曲は、清書中に欠かせません。 ④金田一耕助シリーズを繰り返し観ています。 ⑤冬場の仕事全般(朝起きるのが辛かったです)。 ⑥中一、二→美術部 中三→郷土研究部  共に週に一度しか行なわれず、出なくても何も云われない、いわゆる〝帰宅部〟を選んでいました。 ⑦悲観は程々に、楽観は慎重に。

  • 色々なところに書いた文章を寄せ集めたもの。寄せ集めにも程があって、別に一々改めて活字にして出版しなくてもよいような類の広告文なんかも入っていて、そういうのに当たると少々やりすぎじゃないかと思う。
    ただ、著者の文体は本当に面白くて、なんとなく文体だけでつらつらっと読まされてしまう。
    ただ、ほんとにどうでもいい話ばかりなので、読み終えて特に何も残らない。ただ楽しかったというだけ。

  • 『小説にすがりつきたい夜もある』を読もうと思っていたのですがすでに単行本で読んでいて改題したものだったので、こちらを読むことに。
    最近西村賢太作品はあまり読んでない。文庫で積ん読もちらほらとある。読まないとなあ。
    文庫解説とかあとがきとかを再収録するのはページ数稼ぎじゃないですかねえ。あとこの薄さでこの価格なのはいかがなものか。

  • 文庫化されたので再読。
    この薄さでこの値段にびっくり。よほど売れないと考えているのか。

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著者プロフィール

西村賢太(1967・7・12~2022・2・5)
小説家。東京都江戸川区生まれ。中卒。『暗渠の宿』で野間新人文芸賞、『苦役列車』で芥川賞を受賞。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『随筆集一私小説書きの弁』『人もいない春』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『随筆集一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集一私小説書きの独語』『やまいだれの歌』『下手に居丈高』『無銭横町』『夢魔去りぬ』『風来鬼語 西村賢太対談集3』『蠕動で渉れ、汚泥の川を』『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』『藤澤清造追影』『小説集 羅針盤は壊れても』など。新潮文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他』を編集、校訂し解題を執筆。



「2022年 『根津権現前より 藤澤清造随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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