角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 マリ・アントワネット 革命に散った悲劇の王妃

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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041051474

作品紹介・あらすじ

オーストリアの皇女マリ・アントワネットは、わずか14歳でフランス王室にとつぎ、ヴェルサイユ宮殿ではなやかな毎日を過ごしていた。
アントワネットは、美しさと気品で国民に愛される王妃となったが、やがてフランス革命という時代の波に飲みこまれていく…。
『まんが人物伝』シリーズは、歴史に名を残した人物が子ども時代をどう過ごし、どう生きたかをえがいた伝記まんがの決定版!

■『マリ・アントワネット』監修 長谷川まゆ帆先生のポイント紹介
マリ・アントワネットは、フランス革命のときに有罪判決を受けて、不運な最期をとげたことで知られています。しかしもともとは神聖ローマ皇帝とマリア・テレジアの四女として天真爛漫に育った少女です。政略結婚によりフランスの王子のもとに嫁いでから、言葉もままならぬ異国の宮廷で、寂しさや孤独にさいなまれます。贅沢なファッションや放蕩に身をゆだねていきますが、背景には若すぎた結婚や国政への無知がありました。この時代、パリ市民は穀物不足に苦しみ、たびたび蜂起も起きています。そんな中、首飾り事件という詐欺事件に巻き込まれ、マリは被害者であったにもかかわらず、印刷物や口承文学はこぞって王妃の愚かさと軽薄さを描き、贅沢でわがままな王妃というイメージを作りあげていきました。マリ・アントワネットはわが子を思う一人の母親であり、不安定な国情を立て直そうと自ら政治にも乗り出していました。運命に翻弄されながらも、最後まで王妃として気高く生きようとしたマリ・アントワネットの生涯を、革命前夜の激動のパリとともに追体験してみましょう。

■目次
第1章 天真爛漫なプリンセス
第2章 王家の結婚
第3章 ヴェルサイユでの生活
第4章 革命の足音
第5章 牢獄から断頭台へ

感想・レビュー・書評

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  • コロナで全国の学校が休校措置を取らざるをえなくなったことを受けて、期間限定で無料公開されていたので読みました。

    たった14歳でオーストリアのハプスブルク家からフランスのブルボン家に嫁ぎ、二度と祖国に戻ることも家族に会うことも叶わなかったマリーアントワネット。

    本来は姉がフランスに嫁ぐ予定だったのが、ナポリ王の婚約者が急死したため姉がナポリ王のもとに嫁ぐことに。そうしてマリー・アントワネットがフランスに嫁ぎました。
    運命というものはこのようにあっけなく変わってしまうことがあるんですね。。

    幼少期は勉強に関心を示さず集中力も続かなかったが、音楽やダンスの才能があったそう。時代が違っていたら、今日のように悪女と言われることなく、気品あふれる王妃として歴史に名を残していただろうと思います。


    有名な「パンがないならケーキを食べれば、、」の台詞(実際はマリーアントワネットが言ったものではなく、ルソーの小説に出てきた貴族の女性の台詞だそうですが)にもあるように、贅沢三昧をしたせいで財政が傾き、王朝が終わりを迎えたかのような印象がありますが、実際はマリーアントワネットが嫁ぐ前、ルイ15世の時から既に財政状況はやばかったようです。


    しかもその頃、アイスランドでの火山の噴火により農作物の不作が続いていました。人々は食糧難に陥り、同時に物価高騰に苦しんでいたのです。
    さらにフランス啓蒙思想が広がり始めており、人権というものが意識され始めた時代でもありました。

    もっと言うと、1770年代のアメリカ独立戦争を支援したことにより、フランスの財政は最悪な状態となっていました。
    イギリスを出し抜くためにアメリカを支援したのに、アメリカ独立に続いてフランス革命が起きてしまうなんて皮肉ですね。。


    またその時代といえば印刷技術が発達した時代でもありました。
    豪華絢爛な宮殿での暮らしがゴシップとして初めて民衆の目に入るようになっていたのですから、怒りは当然そちらに向きます。
    人間不満があると誰かのせいにしたくなってしまうのは、どの時代でも同じなんですね。ヒトラーが台頭してきたドイツを想起させるようでもあります。

    そういったことを考えると、マリーアントワネットが処刑されてしまったことに限らず、すべての歴史は偶然の結果としか言いようがないなと思います。

    処刑台に上がるとき、処刑人の靴をうっかり踏んで「ごめんなさい、わざとではないのよ。でもあなたの靴が汚れなくて良かった」と言ったのが最後の言葉と言われています。王妃としての優しさと気高さを感じる一言だなと思います。

    ちなみにベルサイユ宮廷では一度もドイツ語を話さなかったそう。

    マリーアントワネットが1人の女性としてどんな生涯を送ったのか、歴史の渦に巻き込まれた悲劇の王妃としての彼女の人生にとても興味が湧きました。

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