- 本 ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041054918
作品紹介・あらすじ
長男の智晴(ちはる)を産んだ由紀子は、優しい夫と義理の両親に囲まれ幸せな家庭を築くはずだった。しかし、双子の次男・三男が産まれた辺りから、次第にひずみが生じていく。死別、喧嘩、離婚。壊れかけた家族を救ったのは、幼い頃から母の奮闘と苦労を見守ってきた智晴だった。智晴は一家の大黒柱として、母と弟たちを支えながら懸命に生きていく。直木賞候補作『じっと手を見る』の著者が描く、心温まる感動の家族小説。
ひとつの家族の一代記みたいなものを書きたいと思ったのが最初のきっかけです。それも「普通の家族」ではなく、シングルマザー、離婚家庭など、そのときどきによって有機的に形を変えていく家族を書きたいと思いました。世間から見たら歪なものであっても、それでも「家族」なんだよ、どんな形をしていても「家族」としてどれも間違ってない、ということを伝えたかったです――窪美澄
感想・レビュー・書評
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BLのイメージがある窪美澄らしくない、循環な家族の物語だった。
前半は母由紀子の視点から、後半は長男智晴の視点から描かれている。
自分の両親、義両親、配偶者、子供…それぞれの状況が変わって形が変化しても家族は家族。
大人目線か、子供目線それぞれで、そのことを受け入れていく様子が細やかに描かれていた。
個人的には夫であり父親の智久がどうしても受け入れられなくて、終始イライラ。
周りの家族が優しすぎじゃないかと思ったけど、私が厳しいんだろうか? -
第一部は家事、育児、仕事に追われる由紀子視点で描かれている。夫(智久)の家業の裁縫業で夫婦と舅姑で仲睦まじくミシン仕事をしていた。裁縫業が上手くいかなくなり、妻の由紀子が駅の売店のパートで勤め、智久はタクシーの運転手に転職。
長男(智晴)と双子の男の子の育児と家事や 仕事に忙殺される毎日である。
そんな中の夫(智久)と向き合う余裕すらない。
家族の変化が少しずつ良くない方向へ向かう。
第二部は高校生になった長男の智晴視点で家族の在り方葛藤を描かれている。
少しずつ変化する家族の形に、読み手である私に自分は本当に家族の事を思い過ごしているのか考えさせられてしまった。
そう、ミシンを踏んでる仲睦まじい家族の時間は戻らない事を。
家族の良き思い出に胸が締めつけられる。
生きとし生けるもの。みんな幸せで安穏に暮らして欲しい。蓮の花の開花にを目の当たりにした智晴の未来を応援したくなる。それが大切な自分の家族の様にだ。 -
妻由紀子(母)を中心に、夫智久(父)、長男智晴それぞれの立場から描いた家族の物語。夫婦間に齟齬が生じた時の実母の言葉「ほんとうの悪人なんていないのよ由紀子。いい人がいちばん悪いことをするの」そうだなと思う、いい人に裏切られるのが一番人を苦しめる。智晴の初恋も由紀子の恋愛も清々しく、母に恋人が出来た時、母の幸せを願う智晴の言葉が泣かせる。置かれた状況に色々と苦しみながらも、前に進み新たな家族の形態が築かれる。読了時に清涼感に包まれる物語でした。
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とても良かった!
ははのれんあいと言うタイトルから想像してた話とは全然違った。
れんあいというより家族ドラマ。
家族の始まりから子ども達が思春期になるまで、移り変わっていく家族の形を描いた作品。
第1部は、出会いから結婚、出産、育児と仕事など、妻・由紀子の視点で語られる。
第2部は、働く母の変わりに双子の弟の面倒を見る第二の"はは"長男・智晴の視点で語られる。
1つの家族の話がじっくり描かれていて凄く感情移入してしまった。
ある時は由紀子、またあるときは智晴になった気分でうん、うんと共感してばかり。
夫・智久にかなりイライラ!
なんでちゃんと話さないのか、、
なんでそんな近くに住むん?
茂夫の面倒みようよ!
色々、言いたい事ありまくりヽ(`Д´)ノ
強くなっていく由紀子が頼もしかった。
智晴が優しくてほんとにいい子で泣きそうだ。
家族は時として形が変わってしまう事もあるけれど、その絆は消える事はない。
ラストがとても良かったです( ᵕᴗᵕ )
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「家族」や「親子」を描く作品は数多あるけれど、窪さんが最新作のなかで描くその在り様に心が静かに揺さぶられた。
登場人物たちが生身の人間として、皆愛おしい。
それぞれが弱さや脆さ、身勝手さと寛容さ、頑固さとしなやかさを持っている。
描き過ぎない窪さんの筆致のなかで、登場人物の人間臭さが細やかに呈される。
心惹かれる人と一つ屋根の下に暮らし、子を持ち、育むことが誰にとっても最大かつ唯一の幸福という幻想はいまだ健在。
自分がその家族のなかで、どう慈しまれ、どう感じているかを自分自身に問う前に、世間がぼんやりと抱く「家族幻想」と自分の充足感の比較で、何か自分の中の欠損や不足のようなものに目をつむり、ひたすら「世間」や「他者からの目」に焦点を当てて、やり過ごす。
大切な人に、大事に想われたい。
寄り添ってほしい。
理解されたいという本質的な欲求を横に追いやりながら、自分の努力や我慢が足りないのではと、ある時は自分を責め、またある時はそんなネガティブな感情を大事な人に抱く自分を許せず、ひたすら自分を否定する。
自分のことは二の次、三の次。
辛いときに誰かに助けてほしいと手を伸ばす自分が許せず、自分で抱え込み、自己解決の道を進み続ける。
自分でさえ、自分が困っていることに気づいていない。
「ひとりぼっち」が辛いと感じている人間にとって、この作品は本当に沁みる。
辛さや大変さを誰にも言えず、自分でコントロールできないことが多すぎ、大きすぎる人へのエールだ。
子どもを授かったものの、どう扱っていいのかわからない。
舅姑とうまくやりたいのに、壁を感じてしまう自分が許せない。
昼夜問わず、授乳、おむつ替えを繰り返し、家事や病院通いに忙殺されたあの日々。
うちも夫が夜中、目も覚まさず、子ども担当はずっと私だったな。
簡単ではない家族の事情を子どもながらにずっと背負って、自分の感覚や子どもらしさを封印し、親代わりになった智晴の視線に私の記憶も重なる。
同い年の窪さんがご自身の生い立ちの中で難しさを抱え、男の子の子育てもシングルマザーとして一人抱えられていたことにも想いを巡らす。
奇しくも我が家もすべての子どもが独立し、夫婦二人の老後生活が始まったばかり。
「家族」はうつろうものなのだな。本当は「定型」などない。
ああ、素敵な作品を堪能。味わい深かった。 -
人生収まるところがあるんだなぁ。環境に慣れるとか。思いがかわるとか
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寡黙な智久と結婚した由紀子は、それを機に夫の実家である婦人服の縫製を手伝うようになっていた。
義父母は優しく、子どもも授かり、幸せを絵に描いたように見えた由紀子の暮らしだったが、子育ての日々のなかで少しずつ、由紀子と智久の間にズレが生じていく…
(第1章)
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由紀子目線で進んでいく第1章と、由紀子の長男・智晴(ちはる)目線で進んでいく第2章からなる物語です。
妊娠〜出産、子育てに奮闘する由紀子から見える景色には、わたしも少なからず見覚えがあり、由紀子の心境を読むと胸が痛くなりました。
一方、第2章に入り、大きくなった智晴からみたまわりの景色はだいぶ違っていました。
第1章ではややうとましく感じた由紀子の母でしたが、第2章では色んな物事を経ての包容力のようなものを感じ、印象がかなり違いました。
第2章の時点で智晴は高校生なのですが、これまた祖母(由紀子の母)とはまた違った包容力をもつ男子でした。
智晴の考える“かぞく”の定義が深すぎて、「君、本当に高校生…?」と、思わず言いそうになりました。
第1章では主人公だった由紀子も、第2章では智晴が主人公のため、脇役ポジションへと変化します。
そのため、由紀子の内面は知ることができません。
また、智晴の目を通してみる由紀子の姿は、第1章の由紀子とズレがあり、その差異に戸惑いました。
由紀子の行動の理由が第1章では手にとるようにわかったのに、第2章ではまるでわからない…
そのことが寂しくもあり、また歳を重ねいろんな経験をした由紀子の、第2章時点での本心も読んでみたかったなあと思いました。
読み終えて疑問が1つ。
由紀子の義父母たちは名前がちゃんと出てきたのに、由紀子の実母だけは最後まで名前が出てきませんでした。
最後まで「由紀子の母」とか「おばあちゃん」という枠のままだった由紀子の実母…
でもこれって、「○○ちゃんのママ」としか呼ばれないという、かなしい子育てあるあるなのかもしれませんね。
きっと窪さんはあえてそうされたのだと思いますが、その理由を知りたいな…と思ってしまうのでした。
(考えろ!自分でも!苦笑)
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