雪国 (角川文庫 緑 57-7)

  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041057070

感想・レビュー・書評

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  • 「国境の長いトンネルを...」がひとり歩きしているが、寧ろ恋慕の情景は印象的だ。「彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。」など、実に男女の一線を越えるか越えないかの瀬戸際を美しくも刹那く、丁寧に描き尽くす描写の妙を幾度となく味わった。潔くも哀しい恋愛小説だ

  • トンネルを抜けると雪国であった

    やっぱり、インパクトはすごい。そして、読むこと数行、私はこの本を読んだことがあると思った。なぜ、覚えていないのか?

    読み終わること一回。ただの水商売の女に対して、純粋でもないのに騙されて?か、純粋だと信じる男性独特の心理の描写にすぎない安っぽい話だからではないかと思った。

    でも、それだけでは捨て置けない何かがあって、続けてすぐ2度目を読んだ。1度目より、集中して挑んでみた。難解な点、?な点がやはり残され、続けて2度読んだ今でも再読をしてみたいと思った。

    主人公は、電車の窓ガラス、鏡などを通してしか女性にひきつけられることのできない男性。そして、持続性がなく、目の前の出来事でなくなるとすぐに現実味を感じることができなくなってしまう。仕事もなく、趣味であった踊りでさえ現実味を帯びてくると逃げ出してしまう。川端さんは、鏡に映る映像が非現実と現実の世界の境目だということを丁寧に何度も言葉で説明するのでそこは分かる、その一方、暗喩が好きな私としては、描写されてしまう物足りなさは少しあった。これ以上の理解の足掛かりとして、私には、サイデンステッカーさんの解説が必要だった。

    「主人公は恋愛の全くできない金持ちのディレッタントであり、温泉芸者の女主人公は、堕落の中にあってなお純真さを失っていないのだが、読む者の目にはどうしても退廃としか映らないのだ。二人は愛し合おうとするが、愛は二人を結ぼうとしない。近づけば近づくほど、かえって離れてしまう。主人公の島村は自己の内に半ば希望的な夢の世界をつくる。そこには肉と血を暗示する何ものもないといってよい」

    複雑な話で、感想さえもうまくまとめられないが、この解説を見て、そっか、恋愛かと思いだして再読した。商売女という概念にとらわれて、恋愛だと見れてなかった自分に気付いた。そうすると、同性として駒子の辛い気持がよく分かる。特に何度か繰り返される「帰れ」「やっぱり帰るな」など正反対の気持ちが入り乱れる駒子のいじらしさに。「『ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから』と、駒子は少し顔を赤らめてうつ向いた」にも表れる、純粋さ。

    力強い萱を、遠くに見てたおやかな白萩と勘違いする島村。離れている時の駒子と、近づいた時の駒子の違いを表している?
    「近くに見る萱の猛々しさは、遠い山に仰ぐ感傷の花とはまるでちがっていた。大きい束はそれを背負う女達の姿をすっかりかくして、坂路の両側の石崖にがさがさ鳴って行った。たくましい穂であった」

    「駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれどもかえってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼が駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ」
    この最後の一文で、初めて、あぁ、島村も駒子に恋をしたがっているんだと思った。まさしく、サイデンステッカーさんの解説。
    同じく、「駒子がせつなく迫って来れば来るほど、島村は自分が生きていないかのような呵責がつのった。いわば自分のさびしさを見ながら、ただじっとたたずんでいるのだった。駒子が自分のなかにはまりこんで来るのが、島村は不可解だった。駒子のすべてが島村に通じて来るのに、島村のなにも駒子には通じていそうになう。駒子が虚しい壁に突き当たる木霊に似た音を、島村は自分の底に雪が降りつむように聞いた。」

    ネットのある人の解釈では、島村は最初は駒子を体でしか覚えていなかったのが、段々と人柄にひかれて言ったとあった。ストンと納得。読書記録をつけていたり、三味線を熱心に練習していたりと駒子の内面は表面的に見えているより豊かになっていく。それが顕著に現れているのが、最初の駒子は「女」だった。名前もない。途中で芸名だが、名前が登場する。徐々に駒子に顔と人格を島村が認めていったということではないかと思う。島村が駒子が自分に惚れているとほっとする部分があるが、つまりその時には、中身が虚ろな自分に愛想を尽かしてもおかしくないような、駒子が自分が思っているより奥深い女性であると気付いたことを意味しているのではないだろうか。

    葉子との仲の悪さについても、ネットの力を拝借して、自分なりの解釈。葉子のことを「気が狂うわ」と何度も言う駒子。不治の病を抱える恋人?にすべてを捧げる葉子。先がないという点では、駒子の恋と同じ。駒子は「そんなんだからだめなのよ」と現実世界の責任をとりきれない島村をなじる、先がないということを知っている賢い女性だ。それを知っていて、自分がおかしくならないように、心にストッパーをかけている。だから、心にストッパーをかけなかった葉子を羨ましく思う反面、嫉妬する。そう、駒子は島村と対称的にきわめて現実的な女性なのだと思う。鏡を挟んで、何度か駒子と葉子が重なる。現実的か非現実的かという違いを除いて、駒子と葉子は二人とも一途な点で一緒なのだ。芸者という設定が生きてくる。素人の葉子の方が、世間の垢を見ておらず、純粋に愛の存在を信じれるのだろう。

    だから、最後に恋に生き抜いた葉子は死に、駒子は生きていくのだと思った。

    ねえさんも弱い人だったんだわと「も」をつけてつぶやく駒子も印象的。島村を信じて突っ走れない自分のことを弱いと思っているんだろうか。。。

    やはり、深い。ノーベル賞を受賞しただけのことはあると思った。再度、読みたいと思う。舞台を雪国にしたのも、停滞するような感じを演出するためであろう。そして山の描写が多いのだが、そこにも意味はありそうな気がする。山と空が調和していると述べた後に、2度出てくるシーンだが、島村に背を向けつっぷし、その後「しかし」とつなぎ空と山が全く調和していないと述べる。なぞ。。。

    「一面の雪の凍りつく音が地の底深く鳴っているような、厳しい夜景であった、月はなかった。嘘のように多い星は、見上げていると、虚しい速さで落ちつつあると思われるほど、あざやかに浮き出ていた。星の群が目へ近づいてくるにつれて、空はいよいよ遠く夜の色を深めた。国境の山々はもう重なりも見分けられず、そのかわりそれだけの厚さがありそうないぶした黒で、星空の裾に重みを垂れていた。すべて冴え静まった調和であった。
     島村が近づくのを知ると、女は手摺に胸を突っ伏せた。それは弱々しさではなく、こういう夜を背景にして、これより頑固なものはないという姿であった。島村はまたかと思った。
     しかし、山々の色は黒いにかかわらず、どうしたはずみかそれがまざまざと白雪の色に見えた。そうすると山々が透明で寂しいものであるかのように感じられてきた。空と山とは調和などしていない。」

    言葉もところどころ、面白い。
    「しいんと静けさが鳴っていた」
    「川の音が円い甘さで聞こえてくる」

  •  始まりが美しいだけに終わりは醜いのかもしれない。
    日本語が主語を必要とせず、曖昧な為なのか本来の登場人物の姿が見えてこない。
     でも、作者はそれを意図しているのかもしれない。

  • 叙情詩的な一冊。

    美しい日本語、また奥ゆかしい使い方が実に巧み。
    ぼかし、それとなく示唆する。
    滲み出る意味。

    雪国と女性。そこから生まれ醸し出される雰囲気が、とても刹那的で侘び寂びが効いている。

  • 表現がさらさらとしていてむだがなく、それなのに駒子の心の揺れや美しさがこまやかに表現されていて、とにかく美しい。
    女性らしさとはこういうことか、と思う。

  • 越後湯沢などを舞台とした作品です。

  • 主人公と恋仲の女性が二人いて、どっちか一人が火事の中自宅?の二階から飛び降りたところをもう一人が背負って病院に運ぶ最後のシーンしか覚えてない。

    定評があるだけあってレトリックは素晴らしい。
    素晴らしすぎて理解しがたかった。

  • 00.1.15

  • 美しい、文章が清廉で無駄が無くてすぅっとしている。雪国の凍てつく風のような冷たさがあり、触れることを躊躇うような、しかし触れてみたいような、氷像のような、儚い美しさがある。

    日本語の曖昧さと、曖昧ゆえに無駄なく美しい、趣深い部分が余す事なく表現されている。読みやすいし、素敵でした。

  • 難しい話で、何度か挫折しそうになったけど、こんなにも日本語をきれいに話せる人をいままであんま見てきてこなかった気がする。

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著者プロフィール

一八九九(明治三十二)年、大阪生まれ。幼くして父母を失い、十五歳で祖父も失って孤児となり、叔父に引き取られる。東京帝国大学国文学科卒業。東大在学中に同人誌「新思潮」の第六次を発刊し、菊池寛らの好評を得て文壇に登場する。一九二六(大正十五・昭和元)年に発表した『伊豆の踊子』以来、昭和文壇の第一人者として『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』などを発表。六八(昭和四十三)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。七二(昭和四十七)年四月、自殺。

「2022年 『川端康成異相短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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