父と私の桜尾通り商店街

著者 :
  • KADOKAWA
3.31
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本棚登録 : 881
感想 : 104
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041063415

作品紹介・あらすじ

店を畳む決意をしたパン屋の父と「私」。父は残った材料が尽きるまで、最後の営業としてパンを焼き続けるが、「私」がコッペパンをサンドイッチにして並べはじめたことで予想外の評判を呼んでしまい――。(「父と私の桜尾通り商店街」)
全国大会を目指すチアリーディングチームのなかで、誰よりも高く飛んだなるみ先輩。かつてのトップで、いまは見る影もないなるみ先輩にはある秘密があった――。(「ひょうたんの精」)
ほか、書下ろしを含む全六編を収録した、今村夏子史上最高の作品集!

収録作品
・白いセーター
・ルルちゃん
・ひょうたんの精
・せとのママの誕生日
・モグラハウスの扉 書き下ろし
・父と私の桜尾通り商店街

感想・レビュー・書評

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  • 『書き終えたものを読み返したら、いつも同じ人を書いているような気がします。一生懸命さが痛々しいというか、見ていられないです』と語る今村夏子さん。

    このレビューを書いている段階で今村夏子さんの作品は六冊刊行されています。書名にもなっている言葉が418回も登場する「むらさきのスカートの女」。『のりたまじゃない、本物ののりたまはどこ行った?』という不思議感に包まれる「あひる」、そして主人公が、な、なんと、『わりばし』になってしまうという「木になった亜沙」など、その作品世界は他に類を見ないほどに特異な世界観の中で展開します。極めて読みやすい平易な文章の中に、ごく普通の日常から始まるその作品世界。その一方で、ある起点から一気に予想外な世界へと連れて行ってくれる、それが今村さんの作品の魅力です。小説にはファンタジーという分類で呼ばれるものがあります。空想世界に羽ばたくその作品世界は、もうなんでもありの自由な描写、作家さんの想像力の限界へと向かって飛翔していきます。それらは、異世界を前提とする以上、読者も異世界だと認識した上で読み進めます。ある意味の割り切り感の上に成り立つ世界、それがファンタジーだと思います。一方で、今村さんの世界はファンタジーとも異なる世界観です。普通の日常なんだけど、何かが違う、何かがズレている、そう感じる世界がそこに広がります。

    ・競技の最中に何度も天井に向かって意味不明の言葉を叫ぶ
    ・そこの陰から、じーっとこっち見てた。ひと言もしゃべらないし、目が合うとそらす
    ・お腹のなかの七福神に、栄養を吸い取られてたの

    全体としては普通なのに、何かが違う、何かが変だ、そんな違和感、異物感の漂う作品世界がここにあります。そう、「父と私の桜尾通り商店街」というごくごく普通の書名を冠するこの作品。父と娘の幸せな暮らしを垣間見ることができそうなこの作品。しかし、今村さんはそんな風に普通に物事を捉えようとするあなたを見逃してはくれません。この作品は、一見普通で平穏な暮らしを見る中に、強烈な違和感、異物感があなたを襲う物語です。

    『朝の情報番組で「ホテルの豪華クリスマスディナー特集」というのを観ていて、よし今年のクリスマスイブの晩ご飯は外食にしようと思い立った』という『もう何年も前の十二月』を振り返るのは主人公の ゆみ子。『仕事から帰ってきた伸樹さん』に訊くと『お好み焼きか沖縄料理』と言われ、ひと月前に沖縄料理店に行ったことを思い出す ゆみ子はそのお店で『伸樹さんのこの世でいちばん嫌いな』ゴキブリを見つけたことを思い出します。万が一のゴキブリ再出現を懸念し『駅の向こう側にある、コロコロに太ったおばさんがやっている』お好み焼き屋に決めた二人。まだ一週間以上も先にも関わらず『お好み焼き屋でなにを注文しようか毎日考えて過ごした』という ゆみ子は『これ着ていこうかな』と『タグがついたままのセーターを』ひろげて伸樹に見せます。『…やめとけば。汚れるよ』と言う伸樹に『汚さないようにする』と言うも、『…白だから、ソースが飛んだら目立つよ』と言われてしまいます。『お好み焼き屋にいくと必ず服にソースをつけて帰ってくる』という ゆみ子に『…それに、においもつくよ』とダメ押しする伸樹。『じゃあこのセーター一体いつ着たらいいの』と聞いても『…さあ』とつれない返事。でも、『まあいいや』と『着ていくものはゆっくり考えることにしよう』と思う ゆみ子。それよりも『大好きな伸樹さんと、大好きなお好み焼きを食べにいく』ことを思い、『楽しみだなあ…』と『声にだしてそういってみると、なんとも幸せな気持ちになった』という ゆみ子。そんな ゆみ子に『突然、知らない電話番号から電話がかかって』きました。『ゆみ子ちゃん。あたし、ともかです』という伸樹の姉からのその電話は、クリスマスパーティーの準備のために『子供たちあずかってくれない』というものでした。結局『下は四歳から、上は小学五年生まで、クリスマスイブに、わたしは四人の子供を』預かることになった ゆみ子。『当日は快晴だった』というその日。『わたしはハンガーにかけておいた白いセーターに袖を通した』と結局、白いセーターを着ていくことにした ゆみ子に『それでいくの?…においつくし、汚れるよ』と言う伸樹。しかし、『そんなの洗えば済むことじゃん』と『手を振って伸樹さんを見送』り、いざ子供たちを迎えに出発した ゆみ子。そんな ゆみ子に全く予想もしなかった事態が待ち受けていました。そして、『白いセーター』は…という一編目の短編〈白いセーター〉。今村さんらしい、ザワザワ感の中に展開していく物語の中に、そう結末をまとめるのか、となんとも言えない読後感を一編目から提供してくれた好編でした。

    「父と私の桜尾通り商店街」というなんだか親しみを感じるこの作品。オレンジと緑で、どこかノスタルジックな世界に塗り分けられた商店街が見渡せる表紙が特徴のこの作品。そんな見かけのイメージを一気にひっくり返す強烈なパワーを秘めた短編が六編収録された短編集です。作品間に繋がりはありませんし、「文芸カドカワ」に掲載されたり、書き下ろしありと、その初出もバラバラです。しかし、今村さんの作品らしいザワザワ感に満ち溢れているのが特徴で、不思議と短編集としてのまとまりも感じさせます。

    そんな作品の六編の主人公はいずれも女性です。また、それぞれの作品冒頭では、そんな主人公がごく普通の日常を送る様が描かれます。『よし今年のクリスマスイブの晩ご飯は外食にしようと思い立』ち、その日を『楽しみだなあ』と待つ〈白いセーター〉の ゆみ子。『なるみ先輩は誰よりも高くジャンプした』と、一人のチアリーダーを見つめる〈ひょうたんの精〉のマネージャーのわたし。そして、『その男の人はモグラさんと呼ばれていた』と、『妙なあだ名の』工事現場の作業員と、小学生たちが親しげに会話する〈モグラハウスの扉〉の小学三年生の わたし、というように、その舞台、主人公の立場こそ違えど、ごくごく普通の日常風景が冒頭に提示されます。そこには、不穏な空気など感じる余地は全くありません。それが、ある起点をきっかけにそんなのどかな場面が一気に動きだします。それは、それぞれ『子供たちあずかってくれない』という義姉の依頼がきっかけであったり、かつて太っていた先輩が『理科室のいすを潰した話』を始めたことがきっかけであったり、そして『学童の松永です』と、モグラさんのことを子供達が学童の先生に紹介したことがきっかけとなって展開していきます。小説には最初から異世界を舞台にしたものもありますが、この作品は上記の通り、いずれもありきたりの日常が舞台です。そんな日常で普通に暮らす主人公視点で物語が進むと、読者はなんの支障もなく主人公に自然に感情移入ができます。そして、そんな感情移入先の主人公が奇妙な話を聞いたり、奇妙な出来事に遭遇したり、そして奇妙な人と出会ったりすると、その体験は主人公と一体化した読者にもリアルに伝わってきます。そして、今村さんのおっしゃる『一生懸命さが痛々しいというか、見ていられない』という奇妙な人々による奇妙な行動の数々が他人事でなくなってきます。しかもその奇妙な事ごとを今村さんは、さも当たり前のように描いていくため、読者としてはそれを受け入れざるをえません。超自然な日常から、その表裏となる超不自然な世界へと一気に誘ってしまうこれらの短編。極めて読みやすい平易な文章であるが故に、余計に私たち読者の連れ去られ度は半端ではありません。短い尺の上で勝負しなければならない短編だからこその、この急転直下のジェットコースター感は、癖になってしまいそうな面白さを感じました。

    また一方で、この短編集には薄気味悪さを強く感じさせる作品もあります。『わたしでべそだったから』という会話がやがて体の色んな部分にまつわる話へと展開していく〈せとのママの誕生日〉という短編。そのタイトルも如何にも平和そうな日常感を演出しています。しかし、当初『でべそ』という言葉の登場に、どちらかと言うと柔らかい雰囲気を感じていた読者に緊張が走ります。『アリサはでべその手術をした』という先に『手術で切り取ったでべそをもういっぺんつけなおせ』とシリアスに展開していく物語は、どんどん怪しい雰囲気感に満たされていきます。そして、『ママはペンチでカズエの乳首を挟むと、思いっきりひねった』と、いきなり登場する衝撃的な表現の先に、いやいや、もうやめましょうよ、と、言いたくなってしまう物語は、その後もとめどなくエスカレートしていきます。芥川賞作家さんならではの世界観?を感じるなんとも言えないこの短編。『生きてるの?』 『まだ生きてる』と、色んな取り方のできる主人公の台詞が読後も尾を引く、どこまでも薄気味悪く、後味の悪い作品でした。

    そして、表題作の〈父と私の桜尾商店街〉がトリを務めますが、六編の中で、この短編だけが実は異色な作りになっています。父の故郷の『津山から遠く離れた桜尾通り商店街で、私の父は小さなパン屋を営んでいる』という物語の始まり。『私は「パン屋の娘」で通っていた』と語る主人公は、父の店を手伝い、店番をしています。一編目から五編目を読んできた読者は、今までの感覚でこの『パン屋の娘』に感情移入していきます。孝行娘とも言えるそんな”私”にどんどん感情移入していく読者。そんな中、ある日『これください』と一人の女性客が現れ、このことをきっかけに物語は動きだします。そして、今村さんは今まで慣れ親しんできた読者のある意味での読書のリズム感を崩しにかかります。感情移入していた主人公が読者を裏切るまさかの瞬間。崩されたリズム感の中に突き放されるまさかのその結末、えっ?という思いとともに、短編集をこの作品で締めた今村さんの上手さに感心しきりの読後感がそこにはありました。

    『商店街が好きなので、商店街で暮らす人々の話を書きたいと思いました』と語る今村さん。『商店街で商売することの楽しさや、人と人とのつながりを描きたいと思っていた』と続ける今村さんが描く商店街の風景は、今村さんのこの言葉から私たちが受け止めるイメージとは違う地平に立つものでした。私たちが日常生活を送る上で基準となるのは、私たちが生きてきた経験を土台とした価値観の上にあると思います。しかし、そんな土台は人によって必ずしも同じであるわけではありません。私たちは違和感、異物感を感じるものを拒絶します。それは、人間として当たり前の反応です。しかし、もしかしたら、そんな私やあなたも、世の中から見て違和感、異物感を感じさせる存在になっている、考えたくありませんが、シーンによっては、そんなことだってあり得るのかもしれません。

    日常の中に違和感、異物感を感じる、なんとも微妙な地平に立つこの作品。趣味の読書の中に、いい塩梅のスパイスをふりかけてくれたこの作品。日常を描く物語の中に違和感、異物感を味わう感覚が癖になりそうにも感じた、とても刺激的な作品でした。

  • かなり色濃い今村夏子の香りがしっかり散りばめられています(笑) 表題作のほか6編の短編集ですが、すべてが侮れないのですよ♪
    まさに癖になる美味しさ と言うか、好き嫌いが別れる作家ですねぇ。
    で、あんたはどうなの?と問われればたまに食べたくなる味わい、巧みな作家さんです♪

  • 「むらさきのスカートの女」の作者さんの短編集。やはりどのお話も不穏でちょっとブラックで、ユーモアもありオチが気になってついつい読んでしまった。理解不能なオチもあったけどどのお話もテンポよく読めまさした。

  • 最近一番気になってる作家、今村夏子さん。6篇の短編集。
    今回も何を読まされているんだろう…と思いつつ読了。
    一番カオスだったのが「せとママの誕生日」
    どういうことなの…どういうことなの…だがこのシュールさが癖になる!!

  • 人は嬉しい時に微笑む。悲しい時に涙を流す。好きな人には優しくする。誰しも常識のような思い込みや前提で日々を送るが、今村さんは本作でも上手にそれを裏切ってくれる。とにかく「予想の裏切りと違和感」に満ちた短編集。これは賛辞です!

    人と人が居て、出会いもあり、食べ物もあり、会話もある。そこに血が通う温かさがあるようでいて、何か本質的な何かが欠落したまま、何事もないように時間が静々と流れていくナンセンスな印象。噛み合わない、通じ合わないような違和感だが、それは情緒的な言葉では描かれない。ずっと淡々と、色を抑え、圧を抑え。「ん?何かが変?何かが足りない?どこか違うぞ?」こんな小さな違和感のフックに気づき、それがいったい何なのか手繰るように、私自身の経験や常識を駆使して、想像を巡らせ読む愉しみ。
    そして結末の意外さが抜群の「予想の裏切りと期待外し」。生産性や結果はない。正しさも悪もない。淡々と違和感やちぐはぐな感覚で、糸はプイっと放たれる。

    書き手が説明して、分かって欲しいと筆を進める作品は多いのに、読み手が何か欠けたものや、描かれないものに惹き付けられ、追い求める今村さんの筆致。今回もまんぷく。ごちそうさまでした。

  • 今村夏子さん好きすぎる。何だこの世界観は。彼女の小説はいったい何の引き出しに入るの?ホラーではない。サスペンスでもない。でも怖くてドキドキする。サイコ。日常もの。奇妙な物語。。んーどうにもしっくり来る引き出しがない…案があれば教えてください。すっかり今村夏子さんワールドにはまっている。世界観を知っているが故、1ページ目から既に捲るのに気合いがいる。主人公の意思や動機が分からない、気持ちが伝わってこない不気味さ。そもそも持ち合わせていないのかも…常人の思考は置いてけぼり。そういう描き方をする。やばい。好き。

  • 2020/09/09
    ちょいザワワ。

  • なぜだろう、この少し風変わりな6つの短編が
    私にはとても懐かしく感じられてしまうのは。
    私もその昔、預かった子どもに怪我をさせたことを隠したり
    よその家にあった人形をこっそり持ち帰ったり・・・
    なんてことをしでかしたことは一度だってないのに
    気持ちはまるでデジャヴなのだ。
    この物語の登場人物たちはみな、少しずるかったり人を利用したり嘘をついたりする、
    実にアクの強い人々だ。
    そんな人間臭さがもしかしたら
    今の世の中から急速に姿を消そうとしているのでないか。
    でないと、今感じている猛烈な懐かしさの正体が
    説明つかないんだもの。

  •  本と雑談ラジオの課題本で読んだ。食べ物がいちいちあまりおいしそうじゃなくて、住んでいる場所などもさっぱり魅力的ではないのだけど、一般的な生活とはそういうものだと改めて思う。登場人物が、もし自分にバイトの採用で決定権があったらあまり採用したくないタイプばかりで、そんな雰囲気の中何か物騒なことが起こりそうな不穏な雰囲気があって、ところどころに濃厚に死の匂いが漂っていてハラハラする。決定的な事が起こらないまま終わってくれると安心するのだが、物語の後ではきっと起こっている感じがする。

  • 調和を破るという事態が、現実にはたまに起きます。
    それまで会話が弾んでいたのに、突如、友人が怒り出す。
    あるいは楽しく食事していたと思ったら、急に恋人が泣き出す。
    本書は、そんな日常に生じた、いわば「亀裂」を丁寧にすくい取ります。
    思えば空気を読むことに慣れた現代日本人には、これほどの恐怖はありません。
    たとえば、「ルルちゃん」。
    主人公は契約社員の「わたし」です。
    「わたし」は、「ルルちゃん」と呼ばれる人形を持っています。
    同僚のベトナム人に、「ルルちゃん」が我が家にやって来たいきさつを語るのが、この短篇の本筋です。
    ルルちゃんは、10年前に「わたし」のうちに来ました。
    当時、「わたし」は、今とは別の工場で働いていて、休みといえば図書館に通い詰めでした。
    その図書館で出会ったのが、1回り年上の、40歳前後と見られる「安田さん」という女性です。
    どうやら大変に温厚な人柄のようです。
    安田さんは夫と2人暮らしで、生活レベルも割合高い。
    ある日、「わたし」は、安田さんの自宅に招かれます。
    夫は不在で、安田さんと2人きりです。
    それで、カレーライスをごちそうされるのですが、「わたし」一人で食べることになります(もう、ここから少しおかしい)。
    会話は虐待問題で盛り上がります。
    安田さんは、虐待する人を「許せない」と言って、だんだんヒートアップしていきます。
    そして、あの一言。
    家の中が、シンと静まり返るのが目に浮かびました。
    「白いセーター」もそう。
    クリスマスイブの日、義理の姉に用事ができ、姉の4人の子どもたちを預かることになった主人公の「わたし」。
    よくあると言えば、よくあることです。
    「わたし」と4人の子どもたちは、義理の姉の発案で、教会へ行きます。
    厳粛な式の最中に子どもの一人が叫び出し、「わたし」はたまらずその子の口をふさぎ、それでも暴れるので鼻もつまみます。
    この行動が後に、「わたし」を窮地に陥れることになります。
    義理の姉の前で、子どもたちから、この時とった行動を告発されるのです。
    ここでも、読む者に恐怖を催させる一言が、子どもの一人から発せられます。
    これも、ありそう。
    しかも、作中、一度生じた「ズレ」は、容易には元に戻りません。
    元に戻らないどころか、どんどんズレていきます。
    たとえば、「せとのママの誕生日」です。
    かつてスナックで働いていたホステス3人が、年老いたママの誕生日を祝おうと、その店に集まります(その設定からして少々変わっているのですが)。
    だが、ママはぐっすりと眠りこけていて起きない。
    そこでホステス3人は思い出話に興じます。
    「出べそ」のホステスは、それを商売道具にするようママに命じられ、実際にそれに従ったと告白します。
    出べそを手術で切除すると、ママは怒ったそう。
    もう1人のホステスは、店の得意客が悦ぶよう、カラオケで絶叫の合いの手を入れるようママに強要されたと打ち明けます。
    だが、なかなか、良い「絶叫」が出来ない。
    ママがホステスの頬をつねっても、鼻をつねっても、腹をつねっても、ママが納得する絶叫が出て来ないのです。
    ところが、乳首をつねった時でした。
    「ギャッ」という、なかなかに良い声が出たのです。
    2人はハッとして顔を見合わせました。
    ただ、じゃあ長くつねれば叫び声も長くなるかというと、そうではありません。
    ホステスは、クッと声を発してから、歯を食いしばってしまうのです。
    ママは首をかしげてしばし考えてから、こたつの部屋に行き、ペンチを手にして戻ってきました(このあたりの筆の運び方のうまさったら!)。
    そして、ペンチでいじくり回された乳首は両方ともポロリと取れてしまうのです。
    3人の思い出話は止まりません。
    既に店を辞めたホステスたちが、次から次へと出てきます。
    みんな、ママとは、身体に関わる思い出を持っています。
    ママによって、自分の身体から離れることになった、かつては自分の身体の一部だった「モノ」たちが語られます。
    その身体の一部だった「モノ」たちを、3人は熟睡するママの身体に貼り付けていきます。
    もう怒濤のような展開に、クラクラとめまいがしてきます。
    読後、ふと我に返ります。
    なぜ、こんなことになったのか…。
    そう、あの亀裂に足をすくわれてしまったのです。
    おお、こわ。
    表題作も佳品。
    今村夏子はいま、私の一番のフェイバリットです。

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著者プロフィール

1980年生まれ。2010年「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)で第26回太宰治賞を受賞し、デビュー。本書の単行本で第24回三島由紀夫賞を受賞した。2016年には文学ムック「たべるのがおそい」に発表した「あひる」が第155回芥川賞候補となる。2017年、単行本『あひる』で第5回河合隼雄物語賞を受賞。最新刊『星の子』は第157回芥川賞候補となる。

「2019年 『父と私の桜尾通り商店街』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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