父と私の桜尾通り商店街

著者 :
  • KADOKAWA
3.37
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本棚登録 : 402
レビュー : 59
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041063415

作品紹介・あらすじ

店を畳む決意をしたパン屋の父と「私」。父は残った材料が尽きるまで、最後の営業としてパンを焼き続けるが、「私」がコッペパンをサンドイッチにして並べはじめたことで予想外の評判を呼んでしまい――。(「父と私の桜尾通り商店街」)
全国大会を目指すチアリーディングチームのなかで、誰よりも高く飛んだなるみ先輩。かつてのトップで、いまは見る影もないなるみ先輩にはある秘密があった――。(「ひょうたんの精」)
ほか、書下ろしを含む全六編を収録した、今村夏子史上最高の作品集!

収録作品
・白いセーター
・ルルちゃん
・ひょうたんの精
・せとのママの誕生日
・モグラハウスの扉 書き下ろし
・父と私の桜尾通り商店街

感想・レビュー・書評

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  • なぜだろう、この少し風変わりな6つの短編が
    私にはとても懐かしく感じられてしまうのは。
    私もその昔、預かった子どもに怪我をさせたことを隠したり
    よその家にあった人形をこっそり持ち帰ったり・・・
    なんてことをしでかしたことは一度だってないのに
    気持ちはまるでデジャヴなのだ。
    この物語の登場人物たちはみな、少しずるかったり人を利用したり嘘をついたりする、
    実にアクの強い人々だ。
    そんな人間臭さがもしかしたら
    今の世の中から急速に姿を消そうとしているのでないか。
    でないと、今感じている猛烈な懐かしさの正体が
    説明つかないんだもの。

  •  本と雑談ラジオの課題本で読んだ。食べ物がいちいちあまりおいしそうじゃなくて、住んでいる場所などもさっぱり魅力的ではないのだけど、一般的な生活とはそういうものだと改めて思う。登場人物が、もし自分にバイトの採用で決定権があったらあまり採用したくないタイプばかりで、そんな雰囲気の中何か物騒なことが起こりそうな不穏な雰囲気があって、ところどころに濃厚に死の匂いが漂っていてハラハラする。決定的な事が起こらないまま終わってくれると安心するのだが、物語の後ではきっと起こっている感じがする。

  • 調和を破るという事態が、現実にはたまに起きます。
    それまで会話が弾んでいたのに、突如、友人が怒り出す。
    あるいは楽しく食事していたと思ったら、急に恋人が泣き出す。
    本書は、そんな日常に生じた、いわば「亀裂」を丁寧にすくい取ります。
    思えば空気を読むことに慣れた現代日本人には、これほどの恐怖はありません。
    たとえば、「ルルちゃん」。
    主人公は契約社員の「わたし」です。
    「わたし」は、「ルルちゃん」と呼ばれる人形を持っています。
    同僚のベトナム人に、「ルルちゃん」が我が家にやって来たいきさつを語るのが、この短篇の本筋です。
    ルルちゃんは、10年前に「わたし」のうちに来ました。
    当時、「わたし」は、今とは別の工場で働いていて、休みといえば図書館に通い詰めでした。
    その図書館で出会ったのが、1回り年上の、40歳前後と見られる「安田さん」という女性です。
    どうやら大変に温厚な人柄のようです。
    安田さんは夫と2人暮らしで、生活レベルも割合高い。
    ある日、「わたし」は、安田さんの自宅に招かれます。
    夫は不在で、安田さんと2人きりです。
    それで、カレーライスをごちそうされるのですが、「わたし」一人で食べることになります(もう、ここから少しおかしい)。
    会話は虐待問題で盛り上がります。
    安田さんは、虐待する人を「許せない」と言って、だんだんヒートアップしていきます。
    そして、あの一言。
    家の中が、シンと静まり返るのが目に浮かびました。
    「白いセーター」もそう。
    クリスマスイブの日、義理の姉に用事ができ、姉の4人の子どもたちを預かることになった主人公の「わたし」。
    よくあると言えば、よくあることです。
    「わたし」と4人の子どもたちは、義理の姉の発案で、教会へ行きます。
    厳粛な式の最中に子どもの一人が叫び出し、「わたし」はたまらずその子の口をふさぎ、それでも暴れるので鼻もつまみます。
    この行動が後に、「わたし」を窮地に陥れることになります。
    義理の姉の前で、子どもたちから、この時とった行動を告発されるのです。
    ここでも、読む者に恐怖を催させる一言が、子どもの一人から発せられます。
    これも、ありそう。
    しかも、作中、一度生じた「ズレ」は、容易には元に戻りません。
    元に戻らないどころか、どんどんズレていきます。
    たとえば、「せとのママの誕生日」です。
    かつてスナックで働いていたホステス3人が、年老いたママの誕生日を祝おうと、その店に集まります(その設定からして少々変わっているのですが)。
    だが、ママはぐっすりと眠りこけていて起きない。
    そこでホステス3人は思い出話に興じます。
    「出べそ」のホステスは、それを商売道具にするようママに命じられ、実際にそれに従ったと告白します。
    出べそを手術で切除すると、ママは怒ったそう。
    もう1人のホステスは、店の得意客が悦ぶよう、カラオケで絶叫の合いの手を入れるようママに強要されたと打ち明けます。
    だが、なかなか、良い「絶叫」が出来ない。
    ママがホステスの頬をつねっても、鼻をつねっても、腹をつねっても、ママが納得する絶叫が出て来ないのです。
    ところが、乳首をつねった時でした。
    「ギャッ」という、なかなかに良い声が出たのです。
    2人はハッとして顔を見合わせました。
    ただ、じゃあ長くつねれば叫び声も長くなるかというと、そうではありません。
    ホステスは、クッと声を発してから、歯を食いしばってしまうのです。
    ママは首をかしげてしばし考えてから、こたつの部屋に行き、ペンチを手にして戻ってきました(このあたりの筆の運び方のうまさったら!)。
    そして、ペンチでいじくり回された乳首は両方ともポロリと取れてしまうのです。
    3人の思い出話は止まりません。
    既に店を辞めたホステスたちが、次から次へと出てきます。
    みんな、ママとは、身体に関わる思い出を持っています。
    ママによって、自分の身体から離れることになった、かつては自分の身体の一部だった「モノ」たちが語られます。
    その身体の一部だった「モノ」たちを、3人は熟睡するママの身体に貼り付けていきます。
    もう怒濤のような展開に、クラクラとめまいがしてきます。
    読後、ふと我に返ります。
    なぜ、こんなことになったのか…。
    そう、あの亀裂に足をすくわれてしまったのです。
    おお、こわ。
    表題作も佳品。
    今村夏子はいま、私の一番のフェイバリットです。

  • 普通に見えて、どこか歪んでいる。
    普通に見えて、どこか欠けている。
    不思議でクセになる世界。
    心地いい。

  • はじめましての作家さん。図書館で手にとってパラパラ読んでるうちに最後まで一気読み。
    短編なんで読みやすい。そして嫌ーな後味がたまらなく好み!
    別の長編を借りて帰りました笑…ハマりそう!

  • 才能の塊とは、こういう人のことを言うんだろう。
    どうも著者は、宗教的、神的なものに関心があるのだろう。同時に、そんなものでは、世界は語りつくせないということも、十分自覚している。
    病弱な父を踏み台にしたって、世界を享受してやるという、健全なしたたかさを持っている。
    表題作よりも、「せとのママの誕生日」にこそ、そんな著者の本領が発揮されている。もはや前のめりすぎる読解かもしれないけれど、釈迦の入滅をさえ連想した。起き上がる気力すらなくなった釈迦を取り囲む、弟子=理不尽な試練を課される、スナックの元従業員たち。めちゃくちゃ深い。
    ほんとうに、鳥肌が立った。

  • どの短編にも自分の価値観だったり自分だけのルールであったり、人から見れば変な人に映りそうなことが描かれているけれど、その独自のものを持っているということ、違和感や居心地の悪さすらも受け入れて生きていくこと。そうしたものを持っている人は強い。どこに行き着くのかわからない展開と思いがけない結末。思い込みや見えるものだけに支配されているということ、そういうものの外側にある自由。落ち着かなかったり、不安な気持ちにさせられたりハッとしたりと様々な価値観に出逢える作品集。

  • 今回も、パッと見どうってことない冴えない普通の人の、常軌を逸した一面みたいなものが、さりげなく巧みに描かれていた。
    表題作も一歩間違えば?ほのぼの系のいい話になりそうなところをさらりとかわして「え、ちょっとゾッとする」っていう風になっている。この不気味さ加減(すごく恐ろしいというのでなく、私たちの日常に含まれていて深く追求してはいけない気持ち悪さ)が絶妙。この加減を映像化するのは不可能で、そこが魅力。
    「モグラハウスの扉」のラストなんか、「もう、行っちゃえ行っちゃえ、行きたいところまで!」と異常を応援したくなった。いいじゃん、そうした方が幸せなんだもの。常識なんてくそ食らえだ、人がどう思おうと知ったことか、誰にも迷惑かけてないだろ!と。(これ、芸能人と付き合ってるという妄想を話すホステスの話の時も思った。『こちらあみ子』に入っていたような。)
    「ひょうたんの精」「せとのママの誕生日」は幻想的要素が強かった。
    「白いセーター」の語り手のような、自分が尊重されていないことに(いままでどんな場面でも尊重されたことがないので)気づかないような人を書くのも巧い。
    不気味さは「あひる」より低いけど、より「まともと異常の皮一枚の差」に近づいた感じ。
    次回作も楽しみ。好きだ、今村夏子。

  • 短編集。なんだか作風が西加奈子に似てきたような気がする。
    意味ありげなアイテムを伴った物語がつづくが、つかみどころがないうちに終わってしまうので砂を噛んだような気持ちになります……。
    モグラハウスの扉は好きでした。工事現場で働くモグラと仲良しな小学生たちが、学童の先生をそこに連れてきて引き合わせる話。
    今村夏子さんは小学生のリアルな無邪気さを描くのがすごく上手いなと思う。いい意味でも、悪い意味でも。
    その悪い意味が綺麗に物語に溶け込んだとき、すごく不穏で後味の悪い素晴らしい小説になるんだよー。

  • 芥川賞受賞ときいて過去作品をチェキ.スッキリしない,割り切れない話のとじかたがトレードマーク.通勤読書には少々ツライ.

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著者プロフィール

今村夏子(いまむら なつこ)
1980年広島県生まれ。2010年「あたらしい娘」で第26回太宰治賞を受賞。「こちらあみ子」と改題、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で2011年に第24回三島由紀夫賞受賞。2016年、文芸誌『たべるのがおそい』で2年ぶりの作品「あひる」を発表、同作が第155回芥川龍之介賞候補にノミネート。同作を収録した短篇集『あひる』で、第5回河合隼雄物語賞受賞。2017年、「星の子」で第157回芥川龍之介賞候補ノミネート、第39回野間文芸新人賞受賞。 2019年、「むらさきのスカートの女」が第161回芥川龍之介賞を受賞した。

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