Fの記憶 ―中谷君と私― (角川文庫)

  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041063439

作品紹介・あらすじ

誰も本当の名前を思い出せない、不思議な表情をしたただFと呼ばれるとらえどころのない少年。シューズメーカーのお客様係に勤める43歳の容子は、不良品のクレームを会社が隠ぺいしようとしていることに気がつく。どうすべきか迷った容子は、ふとFだったらどうするだろうと自問する。若いころ悪だった43歳の悦史は、解体業を営む今も高校の頃リンチに遭わせたFの発した言葉に捕らわれていた。老舗の茶商で社長を務める41歳の有輔は、25年前淫蕩な母をナイフで刺そうとした自分を押しとどめたFの一言を思い出していた。目撃談のように語られる、それぞれの人生に立ち会うFの記憶。それは今も深く心の奥底に生きている。誰も彼のことを詳しくは知らない。そして、最終章で描かれる本当のFの視点……。ミステリアスな構成から紡ぎだされる陰から光に、喪失から再生へ、一歩踏み出す人の背中を押してくれる一筋の光のような物語。

感想・レビュー・書評

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  • *誰も本当の名前を思い出せない、ただFと呼ばれる彼。会社の不正を知った43歳の容子は、Fだったら、と自問する。解体業を営む43歳の悦史は、高校でリンチに遭わせたFの言葉に今も囚われている。41歳の有輔は25年前、淫蕩な母をナイフで刺し殺そうとしていた自分を止めたFの一言を反芻していた。目撃談のように語られるそれぞれのFの記憶。人生において喪失は再生の始まりであることを描いた一筋の光のような美しい物語*

    最近お草さんシリーズが重過ぎる私には、丁度いいくらいの重量感でした。翳り、やるせなさ、諦め、もどかしさ、などの入り混じった人間模様の描写はさすが。一筋の光…とまでは感じなかったものの、救いの残るラストもいい。なんだか不思議な読後感が残る1冊。

  • 若さゆえといえるだろうか、悩み自分をもて余すような時期がある。そんな時期に目立たないはずなのに巣くったように今もときどきよみがえるFという同級生あるいは近所の青年。転機をつくってくれた彼のことを、いいトシになっても苦悩したり思うようにならなかったり不甲斐なさを感じるときに思い出す……そんな3人の物語と、最後にF自身の今が描かれる。
    孤高のF。あざやかに規範を破ってみせるF。3人の物語からそんなF像を描いていたんだけど、最後のF自身の今の物語からは孤高が破られそうな感じが漂ってきた。「ブルータスよ、おまえもか」という感じ。
    さながら、「人は一人では生きられない、誰かとともに生きているんだ」的な陳腐な使い古されたムードに、ハッピーエンドでよしと思う部分もありながら、それじゃ、過去のFの言動を転機にした人たちにとって、それって何だったのって思ってしまう。
    男だ、女だってくくるのはよくないけど、著者が女性だからこういう話で終わるのかしらと思ったり。男性だと孤高を孤高のまま美しく終わらせる気もする。でも、それもまたありきたりな運びともいえ、そういう意味ではこういう結末だからこそ、考えさせるものがある……ともいえる。
    単行本から9年もたっての文庫化ってどうして? 副題についた「中谷君と私」の私って誰? 著者の思い出のなかにF君的な存在がいるのかな……。

  • 吉永南央『Fの記憶 ―中谷君と私―』角川文庫。

    吉永南央の作品を読むのは2度目。Fという男を巡る4編から成る連作短編集。3編はFという男の記憶を強く残した3人の物語で最終話はFの視点から語られる物語となっている。何故、Fという男が記憶に残ったか曖昧で、F自身も強烈な印象を残す人物ではなく、何を伝えたいのかがよく解らなかった。

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著者プロフィール

1964年、埼玉県生まれ。群馬県立女子大学文学部美学美術史学科卒業。2004年、「紅雲町のお草」で第43回オール讀物推理小説新人賞を受賞。著書に「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ『誘う森』『蒼い翅』『キッズ・タクシー』がある。

「2018年 『Fの記憶 ―中谷君と私― 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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