- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041067352
作品紹介・あらすじ
第50回「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞!
第5回「城山三郎賞」受賞!
「“その事件”を、口にしてはいけない」
1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。
中国、香港、台湾、そして日本。
60名以上を取材し、世界史に刻まれた事件を抉る大型ルポ!!
この取材は、今後もう出来ない――。
一九八九年六月四日。変革の夢は戦車の前に砕け散った。
台湾の民主化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊の一つの要因ともされた天安門事件。
毎年、六月四日前後の中国では治安警備が従来以上に強化される。スマホ決済の送金ですら「六四」「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどだ。
あの時、中国全土で数百万人の若者が民主化の声をあげていた。
世界史に刻まれた運動に携わっていた者、傍観していた者、そして生まれてもいなかった現代の若者は、いま「八九六四」をどう見るのか?
各国を巡り、地べたの労働者に社会の成功者、民主化運動の亡命者に当時のリーダーなど、60人以上を取材した大型ルポ
語り継ぐことを許されない歴史は忘れさられる。これは、天安門の最後の記録といえるだろう。
●“現代中国”で民主化に目覚めた者たち
●タイに亡命し、逼塞する民主化活動家
●香港の本土(独立)派、民主派、親中派リーダー
●未だ諦めぬ、当時の有名リーダー
●社会の成功者として“現実”を選んだ者、未だ地べたから“希望”を描く者 etc.
語ってはならない事件を、彼らは語った!!
感想・レビュー・書評
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【感想】
「独裁主義は失敗し、民主主義がかならず勝つ」
天安門事件について論じる書は、いつも同じような結びで終わっている。
しかし、あの事件をそんな単純にカテゴライズしてよいのか?
「民主化を求める学生たちと彼らを鎮圧した政府」という構図だけでは、当時の空気感やデモに至るまでの人々の心理状態を、詳細に論じきることはできない。
筆者は「民主主義vs独裁政権」という画一的な論調を嫌い、天安門事件のOB・OGに当時を語ってもらうべくインタビューを敢行した。そうして編まれたエッセイ集が本作である。
事件の参加者は多種多様であり、お祭り気分で座り込みをする者から、有り金をはたいて学生を支援する者までいた。
彼らに共通していたのは、「民主化」という夢に賭けていたことである。しかし、「運動の意味を正しく理解していたか?」という点ではNOだ。情報統制下にあっては民主運動についての明確な概念を抱けるはずがない。みんなして何となく「現状のどん詰まりを打破するには、独裁主義を壊すしかない」と思っていたにすぎず、論理立ったイデオロギーは存在しなかった。
事件後、参加者の運命は二分される。
1 運動に入れ込みすぎたあまりに共産党から目をつけられ、自由を奪われた者
2 抱えていた不満が経済発展により解消された結果、運動をやめた者
1の立場から語られる天安門事件は、いつもの論調、つまり「民主主義vs独裁政権」による悲惨な結末につながる。中国という国が、過去から変わらず統制を敷いている証拠が浮き彫りにされるだけだ。
筆者が求めていたのは2の立場から語られる天安門事件だ。運動から30年近く経ったのに、民主化の要求が強まらない理由はなぜなのか。単純な「民主主義vs独裁政権」では論じえない中国の複雑さを裏付ける言葉が欲しいのだ。
そしてその言葉は、インタビューのトップバッターである張宝成によって端的に述べられている。
「何より中国は豊かになった。現代中国は昔ほど困窮しておらず、一党主義への不満を持たずにいれば、それなりに人生の幸福を享受して生きていくことも可能になった。裕福が民主化運動の衰退を担ったのだ。」
彼らが抱いていた「独裁主義を壊す」という野望は、「良い暮らしが欲しい」という俗っぽさが変化したものにすぎなかったのだ。そのため、体制に不満を抱いていたほとんどの人間は、その後の目覚ましい経済発展によって溜飲を下げたのである。
となると、中国の経済成長が下り坂になったとき、真の問題が起こるのではないだろうか。
ソ連が五か年計画によって世界恐慌の影響を受けなかったとき、西側諸国は社会主義を肯定的に論じていた。しかし、経済発展が下り坂になるにつれてメッキが剥がれ、急速に社会体制が瓦解していった。
それと同じ現象が、中国にも起こる。天安門事件は過去でもあり未来でもあるのだ。
将来、中国に景気後退局面が訪れたときに何が起こるか。癒着と既得権益、格差が無視できないほど露呈してしまっても、何億人もの人々は黙ったままでいられるのだろうか。
そして1989年と違って、多くの情報が正確に手に入る時代において、共産主義を壊すイデオロギーは本当に生まれないのか?
「天安門事件は再び起こるか」
それは「民主化の是非」という避けられない難題を、一旦保留してしまった中国へ向けられたメッセージである。
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【本書のまとめ】
1 本書の構成について
天安門事件の全体を貫く論調はいつも同じだ。
「民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪いこと」
しかし、正しい民主化運動が悪い武力鎮圧に歯が立たなかった点は仕方ないとしても、何故その後もながらく、民衆のあいだで民主化の要求が強まらないのか。あの渦のなかにいた一般人は事件をどう思っているのか。
60人以上の人間から聞いた六四天安門事件の現場感覚を、一冊の本にまとめた。
2 あの時代に生きた人々へのインタビュー
①張宝成
現代の中国内外で、民主化についての統一した思想は「ない」。
中国の社会で、共産党以外の強い組織を作るだの、イデオロギーを統一するだのは簡単にできることではない。
何より中国は豊かになった。現代中国は昔ほど困窮しておらず、一党主義への不満を持たずにいれば、それなりに人生の幸福を享受して生きていくことも可能になった。裕福が民主化運動の衰退を担ったのだ。
②魏陽樹
みな自分に実感がない社会問題の解決を訴えていた。刺激や娯楽の少ない社会で、体制の圧迫感から解放される非日常を味わう人々がいるだけであり、「もう少しましな世の中にしてほしい」といった程度の現状改善を望んでいた。
しかし、六四天安門事件を境に価値観が変わる。「これから何が起こるかわからない」恐怖が蔓延したのだ。
強大な権力の統治がひとたび緩めば、世の中の一切がめちゃくちゃになる。そうした危険性が中国にあることを再認識した。
「仮に当時の学生が天下を取っていたら、別の独裁政権ができただけだろうと思う」
「体たらくなのは共産党だけじゃない。学生の側だって、いまの人よりずっと視野が狭かった。情報統制のせいで、学生は中途半端にしか情報を仕入れられず、民主主義への薄い理解から、外国=天国だと空想していた。だからあんなことになった。それが天安門の真実だと僕は思うんだよ」
「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
③佐伯加奈子
「あのとき、仮にデモも何も起きなくたって、中国は多分、徐々にいまと似たような社会になっていったと思うんですよ。」
だが仮に、向かっていく未来の方角は一緒にせよ、中国社会の変化はもっと緩やかで、1980年代の純粋でおっとりした部分を残しながら現代につながってゆけたのではないか。
事件後、中国では政治的な議論がタブーになり、デモに共感した人たちの多くは、社会に対して一種のシニシズムやニヒリズムを抱きながら、エネルギーの全てをカネ儲けに注ぐようになった。
こうして、現代まで続く拝金主義ができあがる。当局側も、金を自由に儲けられる社会を「統治の正当性」の根拠に据えるようになったのだ。
④呉凱
「東側の人間は、――たとえ体制を変えたって、もともと西側だった連中からはワンランク下に見られる。一次的な感情に突き動かされて、あとさきを考えずに国家を壊したらどうなるかわかったもんじゃない」
「だから、中国の人民解放軍は、あんな方法を取ってでもデモ隊を止めざるを得なかった。鎮圧は仕方ない。正しいことだったのだと考えるようになったよ」
⑤凌静思
「仮に現在、再びデモが起きたとしても支持する。中国の政治体制の本質的な問題点は天安門事件から変わっていないが、これは変わらなくてはいけない。」
⑥ラウ・シンライ(香港人)
「簡単な話さ。現在の香港における天安門追悼運動に価値があるとすれば、『中国共産党が嫌がる』という一点につきる。香港はこういう主張ができる自由な場所だ、と内外にアピールできる点だけは、有意義な活動だと言えるだろうね」
「天安門事件の当時は、多くの中国人が理想を持つ立派な人たちであるように見えた。だが、中国共産党の洗脳教育と拝金主義によって、いまの中国人はなんら敬意を払うに値しない連中であるというしかないさ。僕は香港人だ。香港人は大陸の中国人とは異なる歴史を持つ民なんだ」
⑦ウアルカイシ
「われわれは何が民主であるのかは知らなかったが、何が民主にあらざるものかは知っていた。すなわち、人民を主役にしない世の中は民主ではないということだ」
●王丹による天安門運動が失敗した要因
・一人一人の参加者が「民主や民主運動についての明確な概念」を欠いていた。その結果、運動方針の混乱が起こった。
・参加者に対するしっかりした指導や、参加者をまとめる指揮系統が存在せず、途中から運動が四分五裂に陥った。
・学生と知識人だけが盛り上がり、一般国民への参加の呼びかけを怠った。
・運動を政治目的達成のための手段として使うという意識が薄かった。交渉の落としどころを準備するという概念がなかった。
3 インタビュイーに共通する性質
一見バラバラの個性を持つ天安門OB・OGたちも、ひとつの最大公約数的な共通点がある。
それは「自分が中国の未来を担って、この国を変えてやるのだ」という妙に気負った感情を、少なくとも1989年の時点では誰もが持っていたように思える点だろう。
だが、今の世代はそういう思いを抱かなくなった。彼らよりも若い中国人が国家に対して取る選択肢は、巨大な体制に積極的に協力するか、もしくは関心を示さずに距離を置くかだ。
それは、過去の学生運動の挫折体験が強すぎるからなのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書の出版は2018年。取材は2015年ごろが多いようだ。1989年の天安門事件から25年以上過ぎた時点で、あの事件と深く関わったり、影響を受けたりした人々の思いが語られる。1989年に広場にいた人、日本にいた人、さらに時代が下り香港や台湾で活動した若者たちの様々な声は実に興味深い。著者自身が危ない橋を渡っているのが伝わる章もあり、サスペンス感満載である。
1989年当時中国在住だった者として6月4日が来るたびに情報に耳を傾けているが、自分自身の記憶が曖昧になっていくように、本書の登場人物のなかの<64>も変化していくのだなと思った。そんな中で指導的立場にあった人々は、口調は淡々としていても、一生背負うものもある、と言う。重みというより、予定調和的な雰囲気である。
著者は天安門事件当時小学生だったという。彼をこれほど精力的な取材に駆り立てる原動力は何なのだろう。当時現場にいた人だと、武勇伝になりかねない。でも本書には尊大な雰囲気はない。当時を知らないからこそ相手に敬意を持ち、また相手もその気持ちにこたえて本音を言えるのかもしれない。(言わない人の方が多いようだが) 本国でタブー視されていることをあえて掘り下げようとすること自体、誰にでもできることではないと思った。 -
中国の民主化を求め、天安門でデモを起こした学生たちが
政府により虐殺された天安門事件。
あれから30年経ち、経済大国の1国となっている中国で
再び天安門事件が起きるのか、という取材を
中国大陸、香港そして在日中国人にしたもの。
結構前に買ったような気がしたけど意外と最近だったんだな。
いろんな考え方、境遇の人に取材をしていて、
中国に住んでいる私も肌で感じる中国人の考え方や方向性と合っていて
そうだろうなぁ、と納得のできる一冊。
結局、ハングリーさというか、貧しかった時代で「自分が変えなければ!」という
モチベーションが国民全体にあれば世界が変わるかもしれないが
今は規制は厳しいとはいえ、経済も成長し安定し、
全国民に豊かさが行き渡りつつある中で(そして更なる成長に希望を持てる中で)
人間というのはやはり安定を愛し、変化を嫌うようになるんだろうなぁ、と。
変化したところで自分が幸せになる確証もないし
むしろ歴史的にはやっと手に入れた安定。
現在の香港の状況も天安門に絡めて書いてあるので勉強になった。 -
天安門事件は中国の民衆の中ではすでに風化した経験であることを明らかにしたルポ。風化に現在の政権が加担しているのは明らかだが、それだけではないことが歴史の難しさを示している。
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1989年に天安門広場に集まった大学生たちは、国のエリート候補である自覚を持ち、親である共産党政府に甘える子供のような気分だった、というのはわかる気がする。
それを打ち砕き、近代史に残る事件としたのは、共産党内部の権力争いの結果だった。
集会に参加したエリート候補たちは、その後、中国政府の幹部となった者、民主化運動を貫きアウトロー?化したものとさまざまだが、「言論の自由はないが豊かになった中国社会」に対する想いには複雑なものがある。 -
"そこ"にいた人もいなかった人も、いまだに熱い思いを抱く人も冷めた目で見ている人も、さまざまなインタビューから紡ぎあげられる天安門事件はそのイメージが一つに集約されるわけでなく、歴史は様々な側面があることを肌感覚で知ることができる。
また、最近の香港における反送中プロテストの背景も垣間見ることもできた。
天安門事件の詳細な経緯などは他の書籍に譲るとして、インタビュー各人毎に節が構成されており、一人ずつ毎日少し読んでも飽きが来ないし、話の流れが途切れることもないので、気軽に読めるところが本書の良い点でもある。 -
天安門事件から30年が経過した現在に、関与した人たちへの入念なインタビューをまとめたドキュメンタリー。
現在でも中国政府は天安門事件に関して規制しているため、既に中国人の若者たちは天安門事件を過去の出来事として詳細に知ることも出来ない。さらに事件に関与した学生たちも、多くの人たちが現在の地位を脅かされることを恐れて、当時のことを語ろうとせず、事件は風化しつつある。
そのような中で、著者は粘り強く取材を重ねて、様々な形で事件に関係した人たちへのインタビューを行い、それらを本書にまとめられた。
さらに、現在の中国では経済成長に成功したこともあり、当時のように中国を変えようとする意識も低くなり、活動家たちも一致団結する状態からは程遠い。
しかし、当時事件に関与したことで現在でも監視されている人物が自由な生活ができないという事実や、中国政府によって監視が日々強化されていることで、真の自由を得られていないことに中国人たちはいつまで耐え続けられるのだろうか。
また、ちょうど香港では大規模なデモが連日続いているが、このデモが同じような惨劇に見舞われることなく、平和的に自由の扉を開くきっかけになることを願う。 -
1989年6月4日に発生した中国の天安門事件。中国の正史上、なかったことにされており、口にすることはおろか、6月4日が近づくとWeChatPay等の送金アプリで8964元・64元という金額を送金することすら禁じられるこの事件について、政府に立ち向かった学生運動家や市井の住民、逆に政府側として鎮圧に関与した警察学生など当時を知る人々や、天安門事件以降の世代として香港の反政府デモである「雨傘運動」に関与した一連の運動家など、60名を超える人々へのインタビューをまとめた大型ルポルタージュ。
まず一読して、歴史的事実として認識している天安門事件(私自身は幼少の時代であり、ほぼこの事件に関する記憶はない)について、実際の現場で何が起きていたのかということを自分が何も知らなかったということを痛感させられた。本書では、事件当日、軍部が発砲を無闇に繰り返すことで流れ弾で死ぬ市民の存在など、メディアでは公にされない激しい流血の様子が複数人のインタビューから克明に浮かび上がってくる。
習近平就任後の中央集権化と抑圧的な諸政策は、近年の経済成長を背景として、現在のところは何とか国民の不満を抑えることに成功しているように見える。一方でこうして天安門事件を今振り返ると、経済成長が失速したときに何が起きるのか、薄ら寒くなるのも事実である。 -
3.92/373
『「“その事件”を、口にしてはいけない」
1989年6月4日、中国の“姿”は決められた。
中国、香港、台湾、そして日本。
60名以上を取材し、世界史に刻まれた事件を抉る大型ルポ!!
この取材は、今後もう出来ない――。
一九八九年六月四日。変革の夢は戦車の前に砕け散った。
台湾の民主化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊の一つの要因ともされた天安門事件。
毎年、六月四日前後の中国では治安警備が従来以上に強化される。スマホ決済の送金ですら「六四」「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどだ。
あの時、中国全土で数百万人の若者が民主化の声をあげていた。
世界史に刻まれた運動に携わっていた者、傍観していた者、そして生まれてもいなかった現代の若者は、いま「八九六四」をどう見るのか?
各国を巡り、地べたの労働者に社会の成功者、民主化運動の亡命者に当時のリーダーなど、60人以上を取材した大型ルポ
語り継ぐことを許されない歴史は忘れさられる。これは、天安門の最後の記録といえるだろう。』
(「KADOKAWA」サイトより)
『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』
著者:安田 峰俊(やすだ みねとし)
出版社 : KADOKAWA
単行本 : 304ページ
発売日 : 2018/5/18
受賞:大宅壮一ノンフィクション賞、城山三郎賞