生まれる森 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041067512

作品紹介・あらすじ

失恋で心に深い傷を負った「わたし」。夏休みの間だけ大学の友人から部屋を借りて一人暮らしをはじめるが、心の穴は埋められない。そんなときに再会した高校時代の友達キクちゃんと、彼女の父、兄弟と触れ合いながら、わたしの心は次第に癒やされていく。恋に悩み迷う少女時代の終わりを瑞々しい感性で描く。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは今までに、それまで見えていた景色が変わったというような出会いを経験したことはあるでしょうか?

    人として生きる限り、新しい人との出会いは必然です。それが意図したものであるかそうでないかは問わず、私たちはその先を生きるために新しい人との出会いを繰り返していきます。ある人との出会いが自分の人生を変えた、そんな思いを抱いている人もいるでしょう。人とは他人にそんな強い影響を与える存在であり、また一方でそんな強い影響を受ける存在でもあるのだと思います。

    では、そんな出会いによって影響を受ける立場に年齢はどのように左右されるのでしょうか?2022年4月から成人年齢が18歳に引き下げられました。世界の潮流に乗った動きとはいえ、メリット、デメリットは多々囁かれているところです。10代を生きるということは、他のどの年代よりも多くのことを吸収し、自分のものとしていく時代だと思います。物事の善悪も自分のそれまでの経験との兼ね合いにおいて少しづつ判断できるようになっていく、それが10代後半という年代だと思います。そんな時代にはどんな人と出会うか、もしくは出会えるかが、その先のその人の人生を大きく左右していくことにもなります。

    さて、ここに、高校三年の時に通った受験のための予備校の先生との出会いに人生を大きく突き動かされた一人の女性が主人公となる物語があります。

    『サイトウさんに出会ってから深い森に落とされたようになり』、すべては『なんだかガラスごしにながめている風景のような気がしていた』。

    そんな風に目に見える景色まで変わってしまったという運命の出会いを経験したその女性。しかし、その先には『ここで別れたら、もう会うこともないのでしょうね』という別れを経験したその女性。しかし、そんな彼のことを『未だ、あのころの夢に捕まったまま途方に暮れている』といつまでも引きずるその女性。この作品はそんな女性が彷徨い続ける『森』の出口を探す物語。人との出会いによってそんな女性の心が解きほぐされていく様を見る物語です。

    『あれは大学が休みに入る少し前のことだった』と、『五分遅れで試験の時間に間に合わず』『中庭で缶コーヒーを飲んでいた』主人公の『わたし』。そんな『わたし』の前に『同じ学科の加世ちゃんがやって来』ました。『夏休みは九月の初めまで京都の実家に帰』るという加世に『一人暮らしの部屋』のことを訊き『わたしに貸してよ』と頼むと『いいよ、今週の金曜日からでいい?』と気軽に応じてくれた加世。そして、『小田急線の経堂駅から歩いて十五分の場所にある』という加世のアパートでのひとり暮らしが始まりました。そんな『わたし』は『高校三年生の冬』に両親に『子供ができた、と話したとき』のことを振り返ります。『相手がだれだか分からない』と言う『わたし』に『まったく心当たりはないのか』と訊く父親。そんな父親に『心当たりがありすぎて絞れない』と返すと『逆上した父』親に『野球部の少年みたいな長さ』に髪の毛を切られてしまいました。そんな騒動のことを『たった一人、キクちゃんにだけは打ち明けた』という『わたし』。そんなキクちゃんは『高校のときの同級生』でした。『野田さんってどっちかと言えば、そういうトラブルとは無関係なタイプだと思ってたよ』と言うキクちゃんに『好きじゃない人と寝ちゃだめだな』と諭される『わたし』は『曖昧に頷』く一方で『サイトウさんの可能性だけはなかった』と思います。そして、そんなキクちゃんからキャンプに誘われた『わたし』は『父親一人、兄が一人、弟が一人』とキクちゃんという彼女の家族と一緒にキャンプに赴きます。そんなキクちゃんの兄に『長男の雪生です』と挨拶された『わたし』は、27歳だという雪生と仲良く会話する中で『今度は家にも遊びに来るといいよ』とも誘われます。そんな中『野田さん、雪生のこといらないかな?』とキクちゃんの父親に言われて『曖昧に首を振る』『わたし』に『もう、ほかに好きな男がいるんだろうね』とたたみかけるように言う父親に『そんなもんです』と答えた『わたし』。そんな『わたし』は『サイトウさんは予備校の先生だった』と『サイトウ』のことを思い出します。そんな『サイトウ』には『少し年上の奥さんがい』ましたが、『離婚したという噂を耳にした』『わたし』はある日の夜、『一人で残ってサイトウさんに質問をしてい』ていると『駅まで一緒に行こう』と誘われます。『乗り込んだ電車内はとても混んでいて』、『大きく揺れたときに足元がふらついたのを支えるように右手でわたしの背中を抱いた』『サイトウ』は結局『駅に到着するまで』そうしていました。そして、『サイトウさんと一緒にいるようになってから、楽しいこともあったけれど、いつも洗い流せない疲れを心のどこかに感じていた』という『わたし』は、『食欲も落ちて、食べた後でたまに吐くよう』にもなります。そして、『彼の部屋で会ったとき』、『瘦せたようだし様子がおかしい』という『サイトウ』に『ここしばらくの体調不良』を説明すると『大変な時期に、君を混乱させて本当に悪かった』と言われます。そして、『それ以来、サイトウさんには会っていない』という『わたし』は、『未だ、あのころの夢に捕まったまま途方に暮れている』と感じています。そんな『わたし』がキクちゃんや雪生との関わりを通じて、『サイトウ』との過去に囚われたままの『森から出ることを目指』す物語が始まりました。

    2003年の夏、島本理生さんがまだ大学在学中の時に執筆されたというこの作品。島本さんの作品の中でも最初期の一冊に位置付けられています。そんな作品は、「生まれる森」という書名と、表紙の清新さにまず心惹かれます。

    そして、本文を読み始めて気づくのが名前の使い方だと思います。物語は主人公の『わたし』視点で展開し、高校時代の同級生のキクちゃんと、『わたし』がアパートの部屋を貸してもらうことになる大学の友人の加世ちゃんという二人の友人の存在がこの作品では大きな意味をもってきます。その一方で『わたし』視点の物語は主人公のフルネームが最後まで登場しません。とはいえ最後まで『わたし』視点のままで名前を全く明かさず展開するのかと思いきや『野田ちゃんっていう呼び方、できればやめてほしいんだけど』と唐突に『わたし』=『野田』という名前で主人公の苗字が明らかになります。しかし、そんな話し相手のキクちゃんは、『途中から呼び方を変えるって難しいんだけど』と戸惑い、『彼女はわたしの下の名前を間違えて覚えていた』という表現が登場するのみで、結局『下の名前』が登場しません。そう、友人二人は『下の名前』が登場するにも関わらず、主人公の『わたし』はこれ以降も『野田ちゃん』という名前で呼ばれ続けます。読者としてはそんな野田の『下の名前』を知ることのできないもどかしさを感じる展開です。その一方で、キクちゃん、加世ちゃん、そして野田ちゃんとなんとも仲の良さを感じる”ちゃん揃い”で展開していく文章は島本さんの作品にありがちなヒリヒリ感を随分と緩和しているようにも感じました。その一方で違和感を感じるのが、何故かカタカナ表記で一貫して表現される『サイトウ』の存在です。

    『サイトウさんに出会ってから深い森に落とされたようになり、流れていく時間も移り変わっていく季節も、たしかに見えているのに感じることができない、なんだかガラスごしにながめている風景のような気がしていた』。

    そんな風に冒頭に匂わされる『サイトウ』の存在。『予備校の先生』で『すでに四十歳をすぎていた』という『サイトウ』のことを意識するようになった『わたし』。そんな『サイトウ』を、『そばにいると苦しくてたまらないのに、離れようとすると大事なものを置き去りにしている気持ちになった』と独特な感情を抱いていく『わたし』。そんな『わたし』は『次第に感情が不安定になって、一睡もできない日が続くようになっ』ていきますが、そんな『わたし』の変化を察した『サイトウ』は『大変な時期に、君を混乱させて本当に悪かった』と説明し、それをきっかけに二人は離れてしまいます。しかし、その思いをいつまでも『わたし』は引きずり続けます。まさしく森の中に取り残されてしまったような人生を生きる『わたし』の今がここに始まります。

    そして、物語は書名にも含まれる『森』という言葉が一つのキーワードとなっていきます。と言っても、具体的に『わたし』が『森』に暮らすわけではありませんし、『森』という言葉が数多く登場するわけでもありません。あまりに象徴的な書名なので気になっていつもの如く登場回数を数えながら読んでいきましたが

    『森』という言葉の登場回数: 三箇所

    なんとたったこれだけしかこの言葉は登場しません。上記した引用の他は、

    『歩き疲れた森で透き通った湖を見つけたような気持ちになるのだった』。
    → アパートで一人コーヒーを飲む時の感覚

    『どんなに明るいほうに戻ろうと手を引いても、気がつくと一緒に深い森の中に戻っている』
    → 『サイトウ』と一緒にいる時の感覚

    ということで文章中で『森』という言葉を追っても物語は見えてきません。あくまで上記の引用にもある通り『サイトウ』との出会いと別れが『わたし』を『深い森』に彷徨うかのような精神状態に追い込んだというその状況を喩える表現、それが『森』です。

    そんな『サイトウ』との出会いの意味を理解できない『わたし』は、『出会ったとき、すでにサイトウさんは四十歳をすぎていた』という二人の関係を『たぶん恋じゃなかった』という認識をもっています。しかし、『ひかれればひかれるほど、深みに足を取られていく自分を感じる』といったように、その関係は普通ではあり得ません。そんな関係性の中で突然の別れを経た『わたし』は一方で二人の関係を『もう一度繰り返す気は』ないという認識を持っています。それは、『今度あの人に触れられたら、わたしたぶん死んじゃいます』という感覚です。その感覚を島本さんはこんな表現を使って表現されます。

    『比喩ではなく、大袈裟でもなく、真綿でゆっくりと首を絞められるように息が詰まってわたしの体は失われ、冷たい墓石の下で粉々の遺骨になるだろう』。

    なんともヒリヒリするようなとても絶妙な表現であり、いかにも島本さんらしい文章に驚きます。一方で別れた『サイトウ』のことを『わたしはあの人に幸せになってもらいたかった』と振り返ります。『眠る前に新しい朝が来ることを楽しみに思うような、そんなふうになってもらいたかった』という『わたし』の思い。高校生から大学へと進む年代の繊細な女性の感情。少女から大人の女性へと心も体も変化していくそんな中での『サイトウ』という男性との出会いをいつまでも自分の中で決着できない『わたし』。同じく大学生だったからこそのリアルさで島本さんはその感情を痛いほどに描写していきます。残念ながら私は男性であり、この年代を遠く過ぎたところにいます。この感覚を”理解できる”という読み方は残念ながら十分にはできていないのだと思います。この作品はこの年代の女性の方にこそ是非読んでいただきたい、森の中を彷徨い続ける『わたし』の思いに触れていただきたい、そんな風に思いました。

    “森から出ることを目指した小説です”とこの作品のことを説明する島本理生さん。そんな島本さんは”その最中だからこそ見える繊細なものたちに気付いてもらえたら嬉しいです”と続けられます。『好きな人がいたんです。その人と別れたら、自分でもそんなふうになると思わないくらい、壊れちゃったんです』と語る主人公の『わたし』。そんな『わたし』が友人の加世のアパートでひとり暮らしを体験する中で、友人のキクちゃん、兄の雪生などさまざまな人との関わりを通じて、その固まりきった心がほぐされていく、深い森の中から外の世界への道が見えてくるのを感じさせるこの作品。大学生の島本さんだからこそ描けたその瑞々しい感性の世界に「生まれる森」という絶妙な書名の意味を噛み締めることになるその結末。

    『君はたぶん、自分で思っているよりも、まわりが思っているよりも、ずっと危ういんだと思う』。

    そんな危うさを感じさせる主人公の『わたし』の心に一筋の光射す結末に、今に至る島本さんの作品の原点を見た、そう感じた作品でした。

  • 島本さんの小説を始めて読んだ。
    私と年齢が近いこともあり、予備校や大学時代が懐かしくなった。予備校講師の噂話、深夜バイト、ジャンクフードの食事、大学図書館での昼寝などなど。。
    この本では人の抱える深い悩みを「森」に例えている。夏休みを舞台にした物語でもあり、まさに「分け入っても分け入っても青い山」の俳句を連想させる。どんどん奥深くに入り込んで、出口が見えないように。
    そして、人知れぬ深い闇を持つ者同士が出会い、惹かれ合うのも納得の展開。悩みを打ち明けて、散々涙して、新たな恋をして、トラウマを将来へ昇華させる。一緒に森から抜け出すように未来を向く様子は、夏の描写のごとく、生命力溢れるエネルギーを感じた。

  • 主人公で女子大学生の野田さんは、受験前に通っていた予備校の講師のサイトウさんとの別れで、心に深い傷を負っています。夏休みの間だけ実家に帰る大学の友人から部屋を借りて一人暮らしを始めますが、なかなか立ち直れません。そんな時に再開した高校時代の同級生キクちゃんと彼女の兄弟との触れ合いから、少しずつ心が癒されていきます。MDウォークマンの時代、恋に悩み迷い、なかなか森から抜け出せなかった主人公の、喪失からの回復を繊細な感性で綴った物語です。

  • 森は 自分で育ててしまうのだと思うけれど
    抜け出すのも 大変だったりする。

    私は イイトシこいてるから
    平気なふり出来るけど
    いまだに 森の中を彷徨ったりしてしまう。

    キクちゃんや幸生さんみたいな人
    私の周りにも いればいいのにな...。

  • キクちゃんたち家族とのキャンプがよかった。
    森にいると、同じ人をひきつけてしまうのかも。
    キクちゃんの胸で泣きたい。

  • これは好きな世界観。

    密かな闇を抱えた主人公と
    周りにいるまたも闇を抱えた人たち。
    でもこんなにあたたかい。

    人間っていいよね、って思う。

  • 島本理生さんが大学在学中に執筆された作品。
    当時の島本さんと等身大の主人公の「わたし」に、読んでいる私もあの頃の自分と重ねてしまった。
    高校3年から大学1年にわたる、真っ直ぐすぎる想い。
    気持ちを巧くコントロールできず空回りしてしまう「わたし」は、暗くて深い森の中をさ迷い続け抜け出すこともできず途方に暮れてしまう。
    苦しいくせに平気なふりをして、自分から助けを求めることさえできず、もがき続ける。
    「昨日よりは今日、今日よりは明日、日々、野田ちゃんは成長して生きてる」
    こんな風に言ってくれる友達がいる限り大丈夫。
    いずれ森を抜け出せると確信した。
    報われない恋心は、時に少女に新たな絆をもたらす。
    とても颯爽とした気持ちになれる物語だった。

  • 個人的に内容はそこまで面白くなかったけど、小説全体に流れている空気、雰囲気が爽やかで良かった。情景描写のおかげかな?

  • 『幸せにしたい思うことは、おそらく相手にとっても救いになる。けど、幸せにできるはずだと確信するのは、僕は傲慢だと思う』失恋した主人公にあてた言葉にグサッと来るものがあった。愛でもない、恋でもない、不毛な枷がある。そんな感情にちょっとだけ気付かされたような気がした。キクちゃんや雪生さんのような存在が欲しいと願ってしまった一冊。

  • 島本先生は失恋系の話が本当に上手だし、心理描写がすごくぐっとくるというか、のめり込んじゃう。ずっと暗いわけじゃなくて、最後にほんの少し光が見えたのが好きでした。

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著者プロフィール

1983年東京都生まれ。2001年「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作を受賞。03年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞を受賞。15年『Red』で第21回島清恋愛文学賞を受賞。18年『ファーストラヴ』で第159回直木賞を受賞。その他の著書に『ナラタージュ』『アンダスタンド・メイビー』『七緒のために』『よだかの片想い』『2020年の恋人たち』『星のように離れて雨のように散った』など多数。

「2022年 『夜はおしまい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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