- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041067949
作品紹介・あらすじ
昭和19年、風土記の執筆を依頼された太宰は三週間にわたって津軽半島を一周した。自己を見つめ、宿命の生地への思いを素直に綴り上げた紀行文であり、著者最高傑作とも言われる感動の一冊。
感想・レビュー・書評
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太宰治(1909~1948)の作品、ブクログ登録は6冊目。
本作の書き出しは、次のとおり。
---引用開始
あるとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島をおよそ三週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯において、かなり重要な事件の一つであった。私は津軽に生れ、そうして二十年間、津軽において育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐、それだけの町を見ただけで、その他の町村に就いては少しも知るところがなかったのである。
---引用終了
そして、BOOKデータベースによると、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
昭和十九年五月、津軽風土記の執筆依頼を受けた太宰は、三週間かけて津軽地方を一周した。生家と義絶して以来、帰るのを憚っていた故郷ー。懐かしい風土と素朴な人柄に触れ、自らにも流れる津軽人気質を発見する旅は、「忘れ得ぬ人たち」との交歓の日々でもあった。やがて、旅の最後に、子守・たけと三十年ぶりに再会を果たし…。自己を見つめ直し、宿命の地・津軽への思いを素直に綴った名紀行文。
---引用終了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりに訪れた故郷津軽の旅日記。親戚や旧友はみんな太宰を歓迎し、もてなしてくれる。酒三昧の気ままな旅。人の温かさが身に沁みる。思い出の地を巡りながら、その土地やゆかりの人々を紹介していく紀行文。厳しい東北の土地柄、人柄を褒めたりけなしたりする中で、太宰のちょっぴり性悪な心の内も時々垣間見られて、笑いを誘う。
何よりも故郷を愛する太宰の気持ちがひしひしと伝わってくる。
最後のたけとのエピソードに心を動かされた。何も語らなくとも2人の思いが伝わってきて、泣けてくる。この章だけは星五つをあげたい。胸のつかえが降りたそんな気分で読み終えた。
この4年後に彼はこの世を去る。
どんな思いで津軽を巡っていたのだろうか。
本編冒頭の会話がそれを意味していたのかもしれない。
「なぜ、旅にでるの?」
「苦しいからさ」
この津軽への旅がいっときでも彼の癒やしになったのであれば良い。故郷っていいなぁ、津軽の人々は温かいなぁ。
太宰のルーツに触れる事ができた。太宰を生み出した津軽を是非訪れてみたい。 -
太宰治がふるさとの津軽をめぐった旅行談と思い出話と津軽界隈の歴史も。
その旅中、地元旧友や家族とのやりとりが良い。
大の酒好きで旅行中はどこでも酒を飲み、売れっ子作家に妬み、ふてくされ、意地っ張りで見栄っ張り。
しかしそれがなんだか可愛らしい。
そしてその人間くささを隠さず描くことがすごいなぁと。
わたしなんかはここまで内面をさらけ出すのは見栄っ張りなので無理だと思う。
魅力的な人だと思いました。
文章が良いのはいわずもがな、太宰治という一人の人間を少し知れ、思いを馳せた。 -
斜陽館を訪れて、ご近所のmelo と言うお店にて。
太宰という人をつくった基礎を、垣間見ることのできる作品。
サイダーを、がぶがぶ飲んだ洋間もまた感慨深い。 -
津軽風土記の執筆依頼を受けた太宰が、三週間かけて津軽半島(蟹のはさみの向かって左手)を一周し自身のルーツを辿ってきたという名紀行文です。
生れた町である金木を、特徴もないのに気取った町、底の浅い見栄っ張りの町、と序章でしょっぱなから貶しているのも愛ゆえ。津軽のことなんてほとんど知らないと言っているが、その故郷愛は随所に感ぜられる。
各地で旧友を訪ねてはへべれけになるまで酒をご馳走になっている姿は、まるで彼の書く小説の登場人物がそのまま抜け出してきたようでにやりとしちゃう。太宰は林檎酒でいいんですよなんて一応遠慮したりはしているが、それを見抜いて日本酒やビールを出してくれる友人たちは"朋あり遠方より来る、また楽しからずや"といったところか。
旅の最後の最後で(曰く自制を楽しんで)、小泊に立ち寄り運動会を彷徨い歩いてかつての乳母・たけと再会するエピソードは感動した。素直で素朴な太宰が垣間みれました。
私も年末年始はいつも帰省しているけれど、さすがに今年は断念。帰省の度にただ実家でごろごろだらだらして「田舎すぎて何もないわ〜帰ってきてもすることないわ〜」なんて愚痴りつつも、同級生と毎年のように会ってお酒を酌み交わして、本当そればっかりだけどでもそれがホッとするしなんやかんや楽しいんだよね。
住む場所も環境もすっかり変わってしまったけれど、そうやって僅かでも実生活を離れて親元や友人と過ごす時間は今の私にとってなによりも懐かしくて大切なのだな。原風景だなと思う。
うん、確かに今年はさみしかった。
"命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。" -
▼「津軽」太宰治。初出1944年。35歳くらいの太宰治が生まれ故郷の青森県津軽地方を、旅して歩いた紀行エッセイのような一冊。以前から「積ん読」になっていたものです。
▼太宰治さんは、恐らく高校生くらいの頃かに、一通りというかそれ以上くらい読みました。基本は面白かったです。大作?よりも「眉山」なんて大好きでした。ただまあ、何となく再読するという気分にならず。
今回のご縁は、司馬遼太郎さんなのです。
▼司馬遼太郎さんは、手塚治虫さんと並んで小学生・中学生時分からとにかくお世話になってきたんです。どちらもほぼほぼ舐めるように読み尽くして、自分の感じ方や考え方というのはもう、このお二人の創作物でできていると言ってもいいくらい(あと、映画の「寅さんシリーズ」もかな・・・)。理屈抜きで「ファン」と言っても過言ではなく。
そしてたまたま、BOOKOFFで見つけた文庫本「街道をついてゆく」を読み始めたんです。これは司馬遼太郎さんの代表作「街道をゆく」(週刊朝日連載)の担当編集者だった人が舞台裏を愛惜たっぷり回顧した本。読み始めたら、何十年続いた連載の、最晩年のご担当の人の本だった。そこでは数冊の「街道をゆく」の舞台裏が語られていて、大変に面白い。そして実は「街道をゆく」はこちらは全部は読んでいない。だけど、たまたま取り上げられている最晩年のものは読んでいた。なので、よくわかるしオモシロイ。ところが途中で1冊だけ読んでいないことがわかり、それが「街道をゆく41 北のまほろば」。当然、「街道をついてゆく」を十分楽しむために、一時そちらは中断して「北のまほろば」を読み始める。するとこれがどうやら青森の話。面白そう。と、序盤で太宰治さんの「津軽」が言及される。数度言及される。これは悔しい。積読になっている。「北のまほろば」を一時中断して、「津軽」を読むことに。
▼どうやら書店の依頼を受けて太宰さんは書いたようです。コンセプトは「街道をゆく」とか「日本風土記」とかそういうことだったようで。太宰治が生まれ故郷、縁のあった町や村、津軽を歩く。これは本当に歩いています。司馬遼太郎さんは街道をゆくって言ったってほぼ自動車なんですが、何しろ太宰さんは昭和19年です。
▼太宰さんなんでご自分の生い立ちの思い出や告白が混ざります。そしてあちこちで泊めて貰って、貴重な配給の(あるいは闇の)酒や食料をもらいます。毎日よく飲みます。そして志賀直哉の悪口を言っている。
▼自分はもう何年も「東京人」として暮らしている。でもこっちには津軽人がいる。みんなそれぞれ事情があっても前向きに色々考えながら地域で暮らしている。わが故郷ながら田舎だなあ、悲しいなあと思う。でもやっぱり好きだなあ、それに素敵なところもあるなあ、悪くないなあとも思う。会う人たちにと交わるごとに「俺は薄汚れた売文商売で人として堕落しているなあ」とか思ったりする。それなりにそういう主観に混じって街や地理や歴史や風景もちゃんと描かれる。それでもやっぱり太宰さんらしく、そこを旅しているオノレという気持ちからは逃げない。言うならば自伝とも言える。彼の生い立ち事情がよくわかる。まあつまりボンボンであった。
▼これが実に面白かった。味わいが素敵でした。文章も内容は捻くれているが(笑)、綺麗だしわかりやすい。そして当然ながらエンタメになっている。村上春樹さんが旅行記について「どうして面白いことがあんなに起こるんですかと聞かれることがあるんですけれど、ああ言うのは初めから本にするつもりで旅行しないと書けません。意識のどこかでは、そのために旅しているんですから」みたいなことを書いていましたけれど、そういう意味ではちゃんとプロの小説書きの誠意ある仕事になっています。終盤はちょっと感動ですらありました。
▼ネタバレ;太宰さんは旅の終わりに、自分が子供の頃に育ててくれた乳母というか女中さんを訪ねるんです。ここに色んな津軽に向けた感情がきちんと集約されていく作りになっています。結果は「まあ、ただ会えました」と言うレベルなんですが、これが素晴らしい。全てが突然に淡く美しく天然色になっていくような鮮やかさ。泣けます。
▼さて、「北のまほろば」へ。 -
限定カバーが素敵だったので数年ぶりに再読しました。
宿命の地である津軽の紀行文でありながら随所に太宰節も織り交ぜつつ、幼少を過ごした地でかつての友や女中などと出会い語り合うことで、津島修治としての内面も垣間見ることのできる貴重な作品でした。
風景描写も秀逸でまるで故郷に帰ったような気分になり、
育ての親であるたけとの再会で〆られていて、読後の穏やかな余韻は気持ちが良かったです。 -
聞いたことのあるタイトルばかり読んでいた太宰作品のうち、初めて太宰を知るために調べて購入した一冊。心身共に安定していた時期に書かれたことだけあって、いつもイメージする物憂げで絶望したような文章ではなく、やや自虐的なところもありつつも受け止め、落ち着いて回顧している雰囲気だけを感じた。
ちょうどこの本片手に金木や弘前を旅行する機会があったので、読んで青森・弘前・五所川原・金木と土地を知りながら、太宰を想いながら旅を過ごせてよかった。景色が思い浮かぶではなく、まさに同じ景色をみて当時の心境を知れて感慨深かった。
鋭すぎる感性のせいで人生のほとんどを道化を演じて苦しく過ごしたかもしれないけど、文を読むと素直で健気な本心が見える気がする。早くから遊戯を覚えて酒を覚えて、東京に出ても津軽への旅行は大きな事件で合ったと語るくらいには地元想いで、距離のある肉親の代わりをしてくれたたけへの気持ちを綴れる人間臭さが魅力的。最近涙もろいけど、たけとの再会から最後の文章までは読みながら泣けた。
個人的に、「風景」の話で色んな人に眺められた景色は軟化し、人になついている・人の匂いがするとの表現が印象的だった。有名な観光地の景色と本当に手の付けられていない景色を見たときの感覚の違いってこういうことだったのかなと思った。あと、丸ごと焼いてほしかった鯛の件や芸術の話でお兄さんにかっこつかなくてやりきれない気持ちになったエピソードは、自分がその立場でもずっと心残りにしてしまうなあと勝手に似たところを見出してまた一つファンになった。
以下の文は個人的に刺さった文章。
"「ね、なぜ旅に出るの?」「苦しいからさ」"
"兄は黙って歩き出した。兄はいつでも孤独である。"
"さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。"
noteに弘前~青森~金木~三鷹の旅も書いています。お時間あれば覗いてください。
https://note.com/shinoote/n/ncbd1d616558e -
太宰治という人物への見方が変わるかも? 明るくて、ユーモアがあり、面白い!
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人間失格の太宰はキザったらしい言い回しをするメンヘラ放蕩野郎という感じがして、まったく共感できなかった。が、津軽人としての太宰はかなり好きだ。
教科書で使われてたりするので、たけとの再開にスポットが当たりがちだけど、違う、そうじゃない。
同じ津軽出身の立場としては、津軽人の人間性、郷土料理、風土、自分の思い出話などを面白おかしく書いている点がこの作品の本当の価値だと思っている。これを読むと太宰も津軽の人間であることを実感し、キザ野郎と切り捨てることができなくなる。
角川文庫版の解説は町田康氏が書いていて、それがさすが、この作品の面白さをうまいこと言語化していらっしゃるので、実はこれがおすすめポイントだったりする。
著者プロフィール
太宰治の作品





