- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041072158
作品紹介・あらすじ
高貴な生まれながら、興福寺の僧兵に身を置く、範長。
興福寺を守る使命を背負う範長の従兄弟、信円。
そして、南都焼討からの復興に奔走する仏師、運慶。
時は、平家が繁栄を極める平安末期。高貴な出自でありながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長は、都からやってくるという国検非違使別当らに危惧をいだいていた。検非違使が来るということは、興福寺がある南都をも、平家が支配するという目論みだからだ。検非違使の南都入りを阻止するため、仲間の僧兵たちとともに、般若坂へ向かう範長。だが、検非違使らとの小競り合いが思わぬ乱戦となってしまった。激しい戦いの最中、検非違使別当を殺めた範長は、己の犯した罪の大きさをまだ知らなかった──平家が南都を火の海にし、人々を憎しみの連鎖に巻き込もうとすることを。
感想・レビュー・書評
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まずは推しの末っ子を主人公にして小説を書いて下さってありがとうございます、と澤田瞳子先生に申し上げたい。
本作の主人公となっている範長は、父親の藤原頼長が保元の乱で負けた後、兄たちと同様に流罪となり、奈良に戻ることなく亡くなったとされている。没年も不明。
そんな範長で、いや範長だからこそ、このような作品の主人公となり得たのかもしれない。
興福寺のトップとなるべく入ったのに、父親の死で寺から遠ざけられた範長、そして後釜としてトップになった従兄弟の信円(範長の伯父であり、父親の政敵藤原忠通の息子)。それぞれ複雑な思いを抱える中、全盛期を迎えている平家によって寺が焼き討ちされてしまう。
二人は直接関わってないとはいえ、父親同士が敵対した保元の乱を引きずっていると思った。二人のこの状況は保元の乱によって出来たものだから。
加えて平家に対する憎しみ。藤原摂関家に取って代わられてしまったこと、そして南都を灰にされたこと。
こんなことされて恨むなというのも無理なんだけど、本来祈りの場である寺を再興するのに、そのモチベーションが恨みの心っていうのもどうなのよと範長は次第に疑問を持ち始める。だからと言って範長の心も拗れていて、信円と仲良く手を携えてやる事も出来ずもどかしかった。
でも、いろいろ悲しいことの果てにラストは保元の乱が完全に終わったなーというカタルシスみたいなものを感じる事ができました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
平家による南都焼き討ち、というのは歴史で軽く流した程度の知識しかなかった。
そしてその焼き討ちから始まる平家滅亡までのあれこれも簡単に流れとして知っていただけだった。
けれど、その一日一日に、そして焼き払われた町のあちこちに、生きて、焼かれて、そして死んでいった者たちの生活があったのだ。その重みを感じる。
なぜ南都は焼かれたのか。なぜ平家は滅亡への一途をたどることになったのか。
ゆくゆくは興福寺の別当となるべき身分ながら父親の失脚により悪僧に身をやつし、それでも興福寺を守ることに生をかけていた範長の確執、諦念、執着、そして慟哭が手に取るように見える。何か一つ、歯車の動きが違っていたら、別の人生が、そして別の歴史が刻まれていたかもしれない、と思わずにはいられない。それが無意味な想像たとしても。 -
いつの世も憎しみは血を塗ったかのごとく際立ち、他者を思う祈りは柔らかであるがゆえに辺の花の如く小さい。しかし他者には知られずとも、春の野には必ず花が咲き、そこには確かに次なる世へと至る尊き種が撒かれる。
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「興福寺」と言えば、現在でもよく知られている奈良の有名な寺だ。近鉄奈良駅に程近く、奈良を訪れる多くの人達が立ち寄る場所だ。
本作は、<源平合戦>という情勢へ踏み込んで行くような時代を背景とし、興福寺の僧が主人公となっている物語だ。
奈良に関して、作中の時代には寧ろ「南都」と呼ばれていた。この南都には興福寺の他にも東大寺や、その他幾つもの有力な寺院が在った。(現在に至るまで続いている寺も多い訳だが…)
この時代の有力寺院には、大きく分けて2種類の僧が在った。一方は「学侶」と呼ばれ、有力な貴族の子弟等が出家して寺に入っていて、学問をして各種の祭礼儀式を担い、寺を代表するような立場になって行く場合も在るという存在だ。他方に「悪僧」と呼ばれる人達が在る。所謂“僧兵”であり、武器を手に立ち上がる場合も在るが、寺で発生する様々な仕事に携わっている人達ということになる。
本作の主人公である範長(はんちょう)は興福寺の「悪僧」である。が、当初は「学侶」だった。<悪左府>として知られた摂関家の藤原頼長が範長の父である。興福寺は「藤原家の氏寺」という性質も帯びており、寺を代表する立場になるべく、摂関家を始めとする有力な家の子弟が送り込まれる慣行が続いていて、範長もそうなって行く筈だった。が、父の頼長が<保元の乱>で敗れて討死してしまった後、従弟の信円が入り込んで彼に替ってしまい、立場が無くなった。そこで範長は「学侶」たることを捨て、「悪僧」として興福寺に在って活動している。
隆盛を誇った平氏は、南都の有力寺院が実質的に治めている大和国の支配を強化しようと図る。そして検非違使を南都に常駐させようとし、その一行を差し向けた。
平氏の専横を快く思わず、同時に長く続く大和国の体制を維持すべく、有力寺院の悪僧達は抵抗の意思表示をしようとする。やって来る検非違使の一行を見張ろうと動き始めた悪僧達の中に範長の姿が在った。
検非違使の一行と範長を含む悪僧達が小競り合いになってしまったが、激昂した悪僧側が検非違使の一行に斬り掛かり、死傷者が発生する。こうした事態を受けて、平氏は大軍を南都へ侵攻させた…
小競り合いが起こってしまう経過から始まり、平重衡が総大将として指揮を執る大軍が侵攻して、南都が焼け落ちてしまうという顛末が前半の内容である。所謂「南都焼討」だ…
「南都焼討」の最中の異常な状況下、そしてその後の復興を図ろうとする時期、源平合戦の結果として平氏が敗亡してしまう経過という移ろいの中、範長の心は動き、やがて独自の境地へ至って行く。
範長は「南都焼討」へ至ってしまった経過の中での自身の振る舞いや在り方、そしてそんな異常な事態の後を受けた時期の生き方に関して強く自問し、その解を見出して行くことになる。
中世の動乱という作中世界の物語なのだが…「“立場”が絡まる同調圧力が渦巻く」というような中、「個人としての善意や希望が踏み躙られる」というような雰囲気は、何処となく「寓話的に現在を映す?」という感も抱いた…
物語は、奈良の自身が何度も歩いたような地区も含む辺りで展開しているので、「あの辺りか?」と判る叙述も在って、何となく読んでいて力が入った。そういうことはそういうこととして、本作の「寓話的に現在を映す?」という感、変わって行く範長の姿に感じ入るものが在った。
所謂「(平重衡の)南都焼討」ということをクローズアップした小説作品の類例は知らないので、それを題材にしているというのが興味深い。他方、作中で描かれる出来事―焼討の様の描写が…なかなかに凄い…―のような災いを潜り抜けて、再建を何度もしながら文化財が伝えられて来たという歴史にも思いを巡らせてしまう。
これはなかなかに面白いので、広く御薦めしたい感だ。 -
平清盛の五男平重衡が、東大寺・興福寺など仏教寺院を焼討にした1181年の「南都焼討」を描く。
悪左府藤原頼長の四男、範長は興福寺の悪僧、
藤原忠通の九男、信円は興福寺第44代別当。
まだまだ修業中の仏師、運慶。
瞳子さんの作品は、読みやすくなじみやすいので好きかな。
山東図書館から貸し出し本。 -
奈良の仏像ファン、歴史ファン必見!
(私は両方w)
平家滅亡直前の南都焼き討ちから物語は始まる。(南都焼き討ちについてほとんど知らなかったので新鮮!)
主人公は興福寺の悪僧。
興福寺が、東大寺が、元興寺が、新薬師寺が、般若寺が!
知ってる寺名、地名多数!!
そして最後に山田寺から興福寺東金堂へ移った薬師三尊像についても!
強奪されたと伝えられるがこの小説では。。。
(つい数週間前に興福寺東金堂で見たあの薬師三尊像か!?この本も興福寺の売店で見かけて知った)
「恨みごころは恨みを捨てることによってのみ消ゆる」
憎悪の輪廻を離れた、行ける仏の如き男たち。
全くその通り。分かっててもできるもんじゃないけどねー
途中、多少退屈だが最後は清々しい終わり方。
著者は奈良、京都を中心に書く歴史小説家のようだ。他の本も読んでみよう。
奈良県民の歴史好き、仏像好きとしては。 -
平重衡の南都焼き討ちと興福寺の話。焼き討ちの描写がすさまじくて、読んでいてつらい。どの人物の立場で読むかによって、印象は異なるが、辛いことに違いはない。
ただ、恨みと解脱の話など、最後まで読んでこそ感じるところもあると思う。
2019/1/23 -
平重衡は、千手前との悲恋話で知ったのがきっかけ。
平家好きの私の好きな人物の一人ですが、
よく考えればめちゃくちゃひどいことをした人。
歴史的には興福寺焼き討ちの一言で終わってしまう裏に、
どれほど多くの人の血と涙があったのか。
興福寺サイドから描いたというのが新鮮だった。
悪僧といえば、「当時の寺にはそんなのもいた」的な
添え物扱いで歴史上には登場するものなのに。
でも、やっぱり戦争はだめだ。
興福寺には何度も行ったし、
国宝館にも何度も行きましたが、
多くの人々の業を見つめ続けてきたであろう
あの仏像たちをまた眺めに行きたくなりました。