- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041072271
作品紹介・あらすじ
「あなた、ひとですか?」
「ひとのこころ、ありますか?」
ベッド上にひとつの”かたまり”として横たわり続けるきーちゃんと、その思念の涯てなき広がりから、ニッポンに巣くう底知れぬ差別、良識をきどった悪意や”浄化”と排除の衝動を射貫く。
「にんげん」現象の今日的破綻と狂気を正視し、この世に蠢く殺意と愛の相克を活写。実際の障がい者19人殺害事件に想を得た、〈存在と無〉の究極を照らしぬく衝撃の傑作!
感想・レビュー・書評
-
芥川賞受賞作家、2018年の作品。映画化され、今秋、公開されている。映画の方は、私は未見だが、この小説を忠実に映画化することはかなり難しそうなので、相当に脚色されているのではないか。
「本作品はフィクションであり、実在の人物、団体、組織とは一切関係ありません。」とはあるが、「津久井やまゆり園」事件から着想されたことは間違いないだろう。
主人公、というか、主な語り手は、ある園の入所者であり、ベッドの上の「かたまり」として存在し続ける「きーちゃん」(性別・年齢不詳)。その「きーちゃん」が注目している人物が施設で働く「さとくん」である(言うまでもなく、やまゆり園事件の犯人である植松聖(うえまつさとし)を連想させる)。
「きーちゃん」は重度の障害者で、話すこともできず、目も見えず、歩行もできない。彼(彼女?)には人格的な片割れである「あかぎあかえ」と称する人物がいて、こちらは自由に動くことができる。戦争や災害などの記憶も宿し、片耳がない、特異な人物である。
さらに、園の入所者やその関係者が絡む。「ドッテテドッテテ、ドッテテド」とずっと繰り返している老人。評判がよかった一方、ある疑惑があり、おそらくそのことに端を発する事件をきっかけに辞めてしまう職員。入所者の母であり、自らの母親の介護にも苦しめられてきた女性など。
「きーちゃん」の語りは決してわかりやすくはない。ある種、詩のようでもあり、独特のリズムがあり、想念はあちこちに飛び、時にグロテスク、時に重い。それは人間の「業」について語っているのかもしれない。この語りに慣れるまでに少々時間がかかるが、乗れてしまうとさほど読みにくくないように思う。逆にいえば、その最初のハードルを越えるかどうかで読者を選ぶ面はある。
やまゆり園事件は多くの人に衝撃を与えた。
重度障害者には生きる価値がないとし、意思疎通のできない人を惨殺。それに先立って衆議院議長あてに犯行予告も出していたが、常軌を逸していたためか、まともに取り合われなかった。しかし、規模こそ予告ほど大きくはなかったが、ほぼその通りの手口で犯行は行われた。予告には、「障害者は不幸を作る」「全人類の為」といった文言が連ねられていた。
強烈な優生学的発想には、多くが異を唱えるところだろうが、かといって重度障害者やその保護者に本当に寄り添い、人権を尊重するというのはどういうことなのか、また、福祉施設の実態がどういうものなのか、実際に関わっていなければ、漠然と想像するしかない。その「漠然とした想像」に冷や水を浴びせられるような事件ではあった。
本作の「さとくん」は、どこか、光に浮かび上がる影絵のように思える。それは視点が「さとくん」自身ではなく、「きーちゃん」からのものが多いからかもしれない。「さとくん」の表情がはっきりとは見えない。
ひとり、踊りながら楽器でも演奏するように。
明るく、疑いなく、自身を「善」と思い。
楽し気な姿の彼からもたらされるのは、しかし、悪夢である。
「きーちゃん」の語りにところどころ共鳴する部分もあるのだが、とはいえ、乗り切れない部分もあった。
この事件に関して、著者の見ている部分と私自身が揺さぶられる部分がどこかずれているのが原因なのかもしれない。
多重人格とも見える「きーちゃん」は、何らかの象徴あるいは寓意であるのだろう。だが、それを凄惨な事件の被害者に重ねることが妥当であるのか。私には今一つしっくりこなかった。
本当にやまゆり園事件について考えるのであれば、私自身にとってはおそらく、ルポやノンフィクションにあたる方がより適切なのだろうと思う。 -
-2020/07/28
2016年7月26日未明に起きた相模原知的障害者福祉施設殺傷事件を念頭に置かれた作品。▶︎1〜33章までは、入所者から見た施設の日常を暗く重く特異な言語で表現されており、読み進めるのが辛く難解であった。▶︎33〜37章は、犯行の客観的再現で理解しやすい。▶︎「人間の生きる価値」について熟考させられる作品。▶︎著者は1991年に「自動起床装置」で芥川賞受賞。 -
前半半分読みづらくて、とにかく辛い読書だった。手を替え品を替え、表現できないものを表現しようとしている気概は感じたのだが… でも、あの事件を何とか文学として取り組んでくれたことに感謝したい気持ち。
-
何も見えず
何も話せず
手足を動かせず
人の手を借りて生きていく
耳は聞こえ
知ること、感じることができ
考えることができる
疑似体験だ。
できることが「ほとんど無い」と我々が思い込んでいるが、
できることがある。
知ること、感じることができれば
「心はありますよね?」
コミュニケーションにおいて「言語」は一部に過ぎない。
「非言語」こそが伝えたいこと。
それを感じることができない人間が
世の中には思いの外多い。
そしてそんな人間が世の中を動かしている… -
読み進めるのにとても労力がいた。
テーマはわかりやすいのに。
結局のめり込めずに、何となく読み進めた感じ。
残念。再読で何か変わるかも。 -
読みにくい文体で、私には理解できなかった。まるでポエムのように、現実か空想かわからない文書が続く。あの事件のことを書いているという前知識があるからなんとなくわかるが、そうでなければ全く理解できない。期待した内容ではなかった。残念。
-
キッツゥ……重みをもった拳で
お腹を殴られたみたいなじんわりとした
重さと息苦しさと思考と後味の悪さが
残る読書でした。
でも、嫌いじゃない。
ここはすべての夜明けまえ、っぽさも
少しだけ感じた。 -
実に濃厚な思念・妄念に満ちた、すさまじいテンションに満ちた作品だと唸る。障害者の無差別殺人をテーマにしつつ、しかし事件を客観的に(カメラで切り取るように)浮かび上がらせる手続きを取っていないのが辺見の戦略なのだろう。むしろ個々人が持ちうる思考にここまでの幅がありうること、ここまでの濃厚さがありうること(にもかかわらず、それらはしばしば「断絶」「ミスコミュニケーション」ゆえに伝わらず忘れ去られること)こそがこの作品のキモと読んだ。人間愛に依拠しつつ、だが同時に人の愚かしさをも描く。その愚直さに脱帽してしまう
-
前半部分は色々なことが脈絡なく書かれていてボリュームも多いけど、物語として表したいその異様な世界や考えが、読み進めるうちに少しずつ確かになっていく、そんな読書感だった。一つ一つの文章はよく分からないことも多いけど、全体の印象が作られる、すごい作家さんだなと思った。
-
しんどい
著者プロフィール
辺見庸の作品






映画とは90%ぐらい違う物語のようで...
映画とは90%ぐらい違う物語のようです。原作読んでないです。
この著者が「あんな」物語作るのがどうしても納得できなかったのですが、なんとなくわかりました。
映画では、あそこまで優しく、共感性もありそうでなさとくんが、あんな「呼びかけて返事をしない」だけで殺しまくるというのに納得できなかったのです。
俳優の演技の限界もあったのかもしれませんが、説得性がなかった。でも、原作はそういう構成ならば、説得性ありそうです。
レビューありがとうございました。
コメントありがとうございます。
私、映画の方を見ていなくて、ちょっと何とも言えない部分もあるのですが、賛否...
コメントありがとうございます。
私、映画の方を見ていなくて、ちょっと何とも言えない部分もあるのですが、賛否両論のようですね。
いずれにしても、やはり原作と映画はかなり違いそうですね。
映画を見た方のレビューから推察すると、露悪的な部分がやや強かったのかな、と想像しています。
多くの人の心の奥底に「差別」はあると言われたら、その通りなのかもしれませんが。でもやっぱりそこに引きずられるのではなく、一緒に生きていこうよ、と言いたいところです。
原作の結論がそこなのかというとまたちょっと違うような気もしますが。
映画評ではこのあたり(↓)も考えさせられました。
https://note.com/tokyonitro/n/n44f6aa6caa2a