- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041081884
作品紹介・あらすじ
私は幽霊を見ない。見たことがない。さらに目が悪い。心眼でも見えないし、知覚する脳の器官も機能しない……。だけどいつでもどこでも怖がっている筋金入りの怖がりだ。
そんな著者は怪談雑誌「幽」で、怪談実話を連載することになった。そこで小学校時代からの恐怖体験から振り返る。築百二十年の小学校の女子トイレには、“四時ばばあなる老怪女”や“病院で死んだ三つ子の霊”が出現したこと。大学時代の友人たちから怖い話を聞き取りしたこと。友達の友達のお姉さんがイギリスのホテルで胸苦しくて目覚めると、金髪の白人女性がなにかをまくしたてながら首を絞めてきた話や、所属していたカメラクラブの部室の廊下を首のない女が走るという話などを思い出す。幽霊を見ない両親ですら、怪現象に遭遇している。夜ふと目を覚ますと白装束の自分の母親(著者の祖母)がベッドの脇にものも言わず、無表情で立っていたという。
芥川賞を受賞し、上京した際には、編集者や出会った人たちからの聞き取りを怠らなかった。タクシー運転手が背負った自殺者の霊の話、マン島で見た妖精のような小さい人と目が合うとウインクしてどこかへ消えた話、自分が殺される夢を見たその夜に殺人事件が起こった話、深夜誰もいないトイレで鳴らされたナースコールなど。
心霊体験をしたいがために、徳島県の廃墟ホテル訪問したり、レジデンスで訪れたアメリカで出ると言われているホテルに泊まったが幽霊には出会えず。
幽霊には会えていないけれど、幽霊とは何かという問いの答えは知っている。“幽霊とは、生きているときに上げられなかった声”だ。
私たちは誰であれ今でも、上げられない声を抱えながら生きているから、こんなにも幽霊を追い求めるのだろう。著者の幽霊探しの旅は続く。
感想・レビュー・書評
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表紙の絵と、タイトルで借りてきた。
「怪談実話」らしいが、
ご本人は、見えない、らしい。
感じることも、ないらしい。
関西弁のなんともいえない、ゆるくて面白い、
ちょっと怖くて、ちょっと笑える、
そんなエッセイだった。
小説を今度読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
怪談でも、エッセイでも、小説でもなく、不思議な話しが続く。ふわりとしていて、つかみどころがない。幽霊は見ないけど作家は、それに近いらしい。
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エア猫と幽霊とニアミスするところが好き!理想の幽霊にも共感。表紙と挿絵が可愛い。*歴史的に見て女性は男性に比べて声を上げられなかったから、だから幽霊の表象は女性像であることが多い。また、私たちは誰であれ今でも、上げられない声を抱えながら生きているから、それでこんなにも私たちは幽霊を追い求めるのだ。
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怪奇現象が好きだけど、まったく幽霊を見たことのない藤野可織さんが聞いて集めた、ちょっと不思議で説明のつかない現象を集めたお話。
私も霊感は全く無くて、欲しいとも思わないし、血生臭い話は好きじゃない、けれども、なぜかちょっとだけ怖い話を求めてしまうところはあるので、他人の幽霊話を聞きたがる藤野さんの気持ちはちょっとだけ分かる。
でもその話の受け止め方が私とは全く違う。独特の感性によって受け止められ解釈される不思議話が面白い。
そして怖いわけじゃないけど、説明のつかない現象の数々に『おぉ~』という気分になる。
最後の方で、「幽霊とは生きているときに上げられなかった声だ」「歴史的に見て女性の方が声を上げられなかった」「だから幽霊の表象は女性が多い」という一文には納得した。 -
怪談実話系エッセイ…といってもご本人は全く霊感がなく、一度も心霊体験をしたことがないので、出会う人ごとに幽霊を見た体験談を聞きだす形式。とはいえ怖い話というよりは結構ポップ。ご本人はいたってお気楽に、三島由紀夫やスティーブ・エリクソン(※まだ存命)の霊になら会いたい、というスタンス。あと関係ないけど、先に読んだ短編集にニコラス・ケイジのホログラムが健康管理してくれる話があったけれど、ご本人がめちゃめちゃ彼のファンだったんですね(笑)
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コロナで生活が乱れ、久々に読了。
こんな時に読むのに適したゆるーりとしたお話でした。
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岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00596658
連載原稿のため、幽霊探しに余念のない著者。芥川賞作家が蒐集した怖い話
私は幽霊を見ない。見たことがない。さらに目が悪い。心眼でも見えないし、知覚する脳の器官も機能しない……。だけどいつでもどこでも怖がっている筋金入りの怖がりだ。
そんな著者は怪談雑誌「幽」で、怪談実話を連載することになった。そこで小学校時代からの恐怖体験から振り返る。築百二十年の小学校の女子トイレには、“四時ばばあなる老怪女”や“病院で死んだ三つ子の霊”が出現したこと。大学時代の友人たちから怖い話を聞き取りしたこと。友達の友達のお姉さんがイギリスのホテルで胸苦しくて目覚めると、金髪の白人女性がなにかをまくしたてながら首を絞めてきた話や、所属していたカメラクラブの部室の廊下を首のない女が走るという話などを思い出す。幽霊を見ない両親ですら、怪現象に遭遇している。夜ふと目を覚ますと白装束の自分の母親(著者の祖母)がベッドの脇にものも言わず、無表情で立っていたという。
芥川賞を受賞し、上京した際には、編集者や出会った人たちからの聞き取りを怠らなかった。タクシー運転手が背負った自殺者の霊の話、マン島で見た妖精のような小さい人と目が合うとウインクしてどこかへ消えた話、自分が殺される夢を見たその夜に殺人事件が起こった話、深夜誰もいないトイレで鳴らされたナースコールなど。
心霊体験をしたいがために、徳島県の廃墟ホテル訪問したり、レジデンスで訪れたアメリカで出ると言われているホテルに泊まったが幽霊には出会えず。
幽霊には会えていないけれど、幽霊とは何かという問いの答えは知っている。“幽霊とは、生きているときに上げられなかった声”だ。
私たちは誰であれ今でも、上げられない声を抱えながら生きているから、こんなにも幽霊を追い求めるのだろう。著者の幽霊探しの旅は続く。(出版社HPより) -
お初の作家さん。
生粋の怖がりのくせに、一度も幽霊を見たこと感じたことのない藤野さんの幽霊探し(?)のエッセイ。
以前、霊がいるところって悪臭がするって何かで聞いたことがあった。藤野さんも意を決して廃墟に行って、荒れ果てた建物に霊以外の恐怖(床一面にばらまかれているBB弾に転びそうになったり、足元が見えない恐怖)を感じ、あ~これはまた見えない感じないで終わりかな~って読んでたら・・・なんと探索中に物凄い悪臭に見舞われて・・・え!これって来たんじゃない??とワクワクしてたら・・・・きっと野糞と思われるって・・・もう吹き出しましたよ。そう考えた思考も納得出来ちゃったりしてww
いろんな人から聞いた怖い話も藤野さんが書くと不思議な話になっちゃう。きっと藤野さんは恐怖をろ過しちゃう思考の持ち主なんじゃないかと思われる。
私は好物です。(加門七海さんが読みたくなったww) -
藤野可織さんって芥川賞を受賞されたときに「清楚な雰囲気の作家さん」というイメージを持っていたのだけど、小説を読んだことはなく、今回初めて読んだ著作がエッセイだったので、とてもいい感じでイメージを覆されました。「関西の(ちょっと変わった)おもしろお姉さん」みたいな感じに。
どの章も「私は幽霊を見ない」という文から始まる。実際霊感はまったくなく幽霊を見たことも感じたこともない藤野さんが、あの手この手を使って幽霊を見るために努力(?)するあれこれを描いている。
藤野さんの周りの人たちの霊体験も書かれていて、けっこう本気で怖いエピソードもあるし、悲しかったり切なかったりするエピソードもある。それなのに、全体としてはコミカル。それらを怖がりながら、意気込んで心霊スポットに向かうのに、毎度空振りで終わるのがとてもおもしろい。
藤野さんはきっと幽霊を見る才能がゼロなのだ。ある意味とても羨ましい才能だ。
だけど本人は幽霊を見たいわけなので、そのおもしろい努力が笑いを誘う。
ご主人や仕事関係の人たちなど、周りの人とのやりとりの際の藤野さんのちょっとおとぼけな感じもとても良い。ともすればオカルト系になってしまいそうなエッセイなのに、かるく読めてしまうのも彼女の人柄なのだと思う。
最終章の「幽霊とは生きているときに上げられなかった声だ」というタイトルに頷いた。そう思うと、見たことはなくても存在していることは信じられる。皆が皆、幸せな死に方が出来るわけではないので。
刊行されたのは2019年なので、その後幽霊を見たのかどうか気になるところです。