黄金列車

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  • KADOKAWA (2019年10月31日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784041086315

作品紹介・あらすじ

第10回Twitter文学賞国内編 第1位!

ハンガリー王国大蔵省の役人のバログは、敵軍迫る首都から国有財産の退避を命じられ、政府がユダヤ人から没収した財産を積んだ「黄金列車」の運行にかかわることになる。
バログは財宝を狙う有象無象を相手に、文官の論理と交渉術を持って渡り合っていくが、一方で、ユダヤ人の財産である物品は彼を過去の思い出へといざなう。かつて友誼を結んだユダヤ人の友人たち、妻との出会い、輝くような青春の思い出と、徐々に迫ってくる戦争の影――。
ヨーロッパを疾駆する機関車のなか、現在と過去を行き来しながらバログはある決意を固める。

実在した「黄金列車」の詳細な資料を元に物語を飛翔させる、佐藤亜紀の新たな代表作!

感想・レビュー・書評

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  • 前線が迫る中、ユダヤ人の没収財産をハンガリー国外へ運び出しているというのに、ト書きのような文章だからかドキドキしたりせず、舞台でも見ているような感じだった。
    誰もがよろしくないことをしている自覚がありながらも遂行していく。
    戦争だからそういうものだと慣れてしまいそうになり、バログが妻と暮らした頃の回想が挟まれると、異様なことだと我に返った。
    それでもいつの間にか何をやっているんだという気持ちが薄れて、この先を上手くやり過ごせるかどうかばかり気になっていた。気付かないうちに麻痺していて恐ろしいことだ。

  • とにかく冗長だ。人名も覚えられない。読むのに疲れた。その割に面白さもそれほどではなく。

  • 佐藤亜紀さんの作品を読むのは、初めて。

    読み始めてから全体の1/4程度まで読み終えた時、あまりにも頁をめくる手がのらなくて、だんだん苦痛に思えてきて、もうここで読むのを止めようかな、と思った。
    もう少し、あともう少しだけ読んでみようと挫けそうになるのを何度かやり過ごしていくうちに、途中から今度は頁をめくる手が止められなくなった。
    どうなる?これ、逃げ切れる?と気になって仕方がなかった。
    読み終えた今、重厚さと独特のテンポを放つ物語に脳の疲労が凄まじい。
    でも、途中で読むのを止めなくて良かったと思う。
    淡々としているし、スッキリとしたラストシーンが待っているわけでもないけれどー。
    もしも、私と同じような状況に陥った人がいるなら、あと少し読んでみようを繋げて、是非とも読了してほしいと思う。

  • 恥ずかしながら、第二次世界大戦末期のハンガリーとドイツ、ロシア、オーストリアの関係が整理できておらず、モヤモヤしながら読んでました。途中で調べて見ましたが、もし同じような方がいらっしゃったら、巻末の解説の前半を先に読むことをお勧めします。

    脚色が加わっているが、実在した列車の物語。ロシアから攻め込まれる前に、ハンガリー政府がユダヤ人から接収した資産を、国外に運び出すというもの。主人公は、事務担当者として列車に乗り込んだバロル。物語の随所に、バロルの妻、そしてユダヤ人の友人との過去の出来事が回想され、序盤はそれぞれの関係者、背景を理解するのに苦労した。

    当初、列車は内務省の管轄下だったが、途中で委員長が行方不明に、もともと委員会は大蔵省の監督下で生まれており、終盤では外務省が管轄を主張。混沌とする中で、任務を全うしようと奮闘するバロル。しかし、もともと誰が何を目指していたのか、何がゴールだったのか、不明なまま。史実でも、一部の資産は委員長とともに行方不明に。しかし、大半の資産は連合国のアメリカが差押さえ、これを元に、ユダヤ人の補償を行ったとか。評価額は当初と比べて大きく低下して、ここでもいろいろな力関係などが働いたと思われ。

  • けんけん、名義で、amazonにてレビュー済み。
    はじめはなかなか読み進められなかった(多くの登場人物をひとりひとり理解すること、また戦時ヨーロッパの戦場ではない情景というのは、あまりこれまで見覚えが無かった…)が、理解していくにつれて面白いと思えるようになった。ある種ロードムービー的な…のように感じた。巻頭、登場人物、地図による解説がある点も冒険小説を読んでいる感覚になることが出来て良かったと思う。

  • これまでに観た映画や読んだ本、学生時代、世界史や地理、音楽、美術の時間に聞いたり見たりして、心に残ったワンシーンが突然目に浮かぶような…不思議な読み心地の本。

    最後は必ず「戦争だけはしちゃいかんよ」で終わる母の昔語りを唐突に思い出したりもして…。

    尊敬する書評家、豊崎由美さん絶賛の一冊。
    うむ!なるほどなるほど!でした‼︎

  • さすがは佐藤亜紀。これもまた重厚な傑作だった。面白おかしいエンタメではないが、寸分の隙もない時代の臨場感にいつの間にか没入してしまう。大戦の晩期にユダヤ人からの没収財産を運搬する列車を舞台にして、官吏のバログが抱えてきた過去と、現在直面している事態とを絶妙に行きつ戻りつしながら物語は進む。そこに醸成されるのは、時代と時間、年齢の悲哀だ。いつもながら時代説明や状況説明を大きく省いた語り口は読者を試すが、それを経て辿り着く満足感は他に類を見ない。

    この小説のラスト、そこに至るまでとはまったく違った景色が提示される。人それぞれに感じるところは違うのだろうが、僕は「あなたにとっての黄金とは何ですか?」と問いかけられている気がした。

  • 佐藤亜紀読むの初めて。面白かったー

    最初、文章に慣れるのにちょっとかかったの、海外小説っぽい語りだからかなぁ。
    単純にカタカナ多いと覚えられないんだよなぁ名前とか。
    そこ慣れたらぐわっと読めて面白かった。

    第二次世界大戦時の日本やドイツみたいな主要な(と言っていいのか)国以外の国のことを、こんな風に書く作家さんがいるとは、とびっくりした。
    こういった物語を書くのってめちゃくちゃ難しいと思う。

    過去と現在が入り混じって、過去のいろいろあるけどなんとかやってる幸福と、それがじわじわと現在に侵食されていくの怖かったなぁ。
    戦争が終わったときの、ゲシュタポの言葉がしんどかった。
    「わかってるよ。生きて行かなきゃなんないからな。ぜぇんぶ忘れて生きて行かないと死ぬからな」
    と言うの。この言葉があったことで、佐藤亜紀という作家を信用できるよね。物語を善悪の問題にしない。

  • ユダヤ人からの没収財産を積んだ黄金列車の中で現在と過去を行き来しながら展開していく物語。
    人の財産を守り抜く役人の姿に馴染めない。

  • 1944年、12月、ハンガリー・ブダペシュトから1本の列車が出発する。
    40両を超える編成の長い長い列車には、ユダヤ人から没収した資産が積まれていた。列車は途中、さらに資産を積み込み、あるいは整理のために留まる。爆撃で先へ進めないことも、機関車の手配がうまくいかないこともある。
    重い列車は、行きつ止まりつ、ゆっくりと西を目指す。「国有財産」を国外へと退避させるために。

    主人公のバログは、冴えない木っ端役人である。
    彼には、かつて親しかったユダヤ人の友人がいた。友人一家は悲惨な運命を辿っていた。
    バログは、上司から「ユダヤ資産管理委員会」への移動を命じられ、気は進まないながらも引き受けざるを得なかった。
    長らく引きこもって暮らしていた妻は、バログがこの職に就いてから、命を落とした。
    独り身となったバログは「黄金列車」に乗り込む。

    列車には巨万の富が積まれている。戦争の混乱が増す中で、さまざまな輩がお宝に引き寄せられる。上司や同僚とともに、そうした人々と渡り合いながら、列車の運行にも心を砕く。積み荷の整理もしなければならない。
    物語は、列車が進行する「現在」と、バログの「過去」を行き来しながら進む。
    若かりし頃のきらめく思い出。楽しかった友との語らい。妻と初めて遭った日。戻らぬ青春。
    哀切を胸に秘めながら、バログは淡々と職務をこなす。
    時に重苦しく動かぬ事態にうんざりしながら、時に不条理とも思える状況に立ち向かいながら。
    それでも与えられた役目を生きる。

    物語は、乾いた短文の現在形で綴られていく。
    いささかぶっきらぼうともいえる文体からにじみ出てくるのは、人が生きることの哀しさと、それでも生き続けることのかすかな喜びと希望だろうか。

    重く軋む列車は、人生の哀歓を駆け抜ける。

  • 第二次大戦末期。ハンガリーの役人バログは、ユダヤ人から没収した資産を安全なオーストリアまで運ぶ任務を負って「黄金列車」に乗ることになる。上司たちと協力して膨大な貴金属や芸術品等を仕分けて数えて積込むという作業を行うが、それらは全てユダヤ人たちから掠奪した物なのだ。非道な行いの結果である資産を守るバログは特に語らないが、資産を狙う様々な立場の者たちから、知恵を絞って断固として守り抜く事で、精一杯の抵抗を示しているのが伝わる。
    目的地までの時間の流れの合間に、何度もバログの過去のパートが挟まれる。ユダヤ人の親友家族や長らく鬱を患って亡くなった妻に何があったのか。バログがどんな人生を歩んできたのかが分かるにつれ、淡々と仕事をこなすバログの深く静かな絶望と、目の前の仕事をやり遂げようとする芯の強さを感じる。バログが失った家族や友人の夢を見る場面は涙が止まらなかった。また時間をおいて、ゆっくり読み返したい。

  • ユダヤ人の没収財産を積んだ「黄金列車」を運行するハンガリーの官僚たち。史実に基づいたフィクションですが、佐藤亜紀さんの取材力には相変わらず舌を巻きます。デイヴィッド・ピースの『TOKYO YEAR ZERO』を読んだときの衝撃を思い出しました。
    ユダヤ人二世だった友人一家の末路、病んだ末に自殺した妻との思い出を抱え、主人公を乗せた列車がハンガリーからオーストリアまで旅をする。ロードノベルのようです。
    軍人が牛耳る時代にあって、公文書と手続きで闘う文民は小賢しく滑稽にも見えますが、この泥臭い忍耐こそが暴力と最も対角にあるものだと言えます。
    混沌の最中では記録こそが「命令に背けない公務員」たる自身を助けるのだと、そう信じられる社会の成熟が羨ましいです。

  • ナチスドイツの敗北間近な、とはいえその諸機関はなお稼働を止めていない1944年12月、1台の列車がブダペシュトを出発する。積み荷は、ドイツ軍とハンガリー政府がユダヤ人市民から没収した多額の財宝。乗り込むのは資産を保護管理する任務を負ったハンガリー大蔵省の官僚たちとその家族、保安隊。ドイツ軍が敗走し米軍の砲撃が迫る中、黄金列車は途中で拾った積み荷にくわえて炭鉱主や浮浪児たちをも載せて長く膨れ上り、政府高官や貴族も含む多種多様なゴロツキたちによる脅迫や恐喝、襲撃を退けつつ、4か月にも及ぶ鉄路上の旅を続ける。
    巻末の「覚書」で作家が詳しく解説している通り、これは実際に存在した黄金列車の詳細な調査に裏付けられた小説である。ユダヤ資産管理委員長の地位を利用して財宝をくすねようとするトルディ大佐、前職は地方都市の市長で列車の責任者を務める次長アヴァル、ふてぶてしくも有能なミンゴヴィッツなど、主要な登場人物は歴史上実在の人物という。その中に生み出された、ごく地味な中年の事務官僚バログという人物が、この物語に複雑で奥行きのある陰影と重量をもたらしている。
    むきだしの暴力の前に、正統性がじりじりと失われていった時代だ。第一次大戦で失った領土を取り戻す機会をうかがってナチスドイツと組んだハンガリー帝国政府は、自らの内側に飢えた狼を呼び入れたことに気がついたときにはすでに首根っこを押さえられ、自国のユダヤ人市民を追い剥ぎ殺害する強盗の片棒を担がされていた。その歯車を担った大蔵省官僚たちは、敗戦に直面し正当な統治が今にも瓦解しようとする局面にあってなお、自分たちの任務はあくまでも国有資産の保護と管理であるとの建前と行政的手続きを堅持することによって、資産を強奪しようとする力に抵抗を続ける。
    横暴と、正統な権力との間の、きわめて薄くなってしまった線を守るぎりぎりの攻防。それは、渡した賄賂に対して受領証を要求するといったたぐいの馬鹿馬鹿しさをともなうものでもあるのだが、なお社会的存在であろうとする人間においての重大な闘争であることを、わたしたちは深く肝に銘じるべきであろう。正統性のない公文書の書き換えに命を賭けて抗議をした、あの日本の大蔵省官僚とともに。
    と同時に、彼らがぎりぎりで守ろうとする公的権力の正統性は、人間の別の尺度においては、もはや剝き出しの暴力と大差がなくなってしまっていることもまた真実であるのだ。なんとか正当性を維持しようとする官僚たちは、その努力によってユダヤ人市民の合法的迫害をも可能にしてきたのであり、その結果、著しく「軽く」なった親友はあっけなく人間世界を離れてしまった。列車が出発するよりはるか以前に有罪の宣告を受けているバログは、友の代わりにのしかかる巨大な重さと悲しみに引き裂かれながら、辛うじて人の形を保っているように見える。
    バログが取引をもちかけられる、不釣り合いなほど高価をつけられた安物の燭台、「赤毛」らが列車から持ち去る切手帳。それら列車に載せられた「国有資産」のひとつひとつに、一冊の本を費やして語られるべき人間の物語があったはずだ。だが今はそれらを知るすべもなく、わたしたちはバログとともに走る列車に取り残される。先の見えない暗い未来に向かって、賭けるべき細い一線を見定めようとしながら。

  • あまりに淡々と進み、それでいて状況描写がわかりにくく、途中から話についていけなかった。

  • 佐藤亜紀を読むのは初めてだったのだが、日本にもこんな凄い小説家がいたのか、という思い。第二次世界大戦末期、ドイツ支配下のハンガリーで没収したユダヤ人の財産を列車に積み込み、没収財産管理委員会の指揮下で輸送したという史実に基づくフィクション。場面展開がいちいち幻想的で、重層的に連なるエピソードは再読、再々読に耐える。

  • ここに登場する役人たちは、自分の境遇や価値観を横置きにしても、まずは職責を遂行することを第一とする。ただそれは必ずしも純粋な職責意識だけではなく、むしろ打算、妥協、不正といったものが紛れ混んでいる。「自分の行動は職責にほとんど従っている」という正当化が彼らの精神状態を保っている。なんとも切ないが、役人に限らず多くの人はこのようなものだと思う。

  • 第二次世界大戦中のハンガリーの資産管理列車についての小説

    海外を舞台としたものに慣れてなくうまく読み進められなかった。

    非常に細かい部分まで調べ上げられており、歴史的背景が事前に知っていたらもっと楽しむことができたはず。

    主人公を中心に様々な心情変化を表していて、リアリティを感じた。

  • 淡々としているようでいて読ませる文章。いつものことながら、残りの人生、小説は佐藤亜紀氏の書いたものしか読めないとしても、それはそれでよいと思わせてくれます。

  • 前作『スウィングしなけりゃ意味がない』とは、時代も舞台も共通点が多いが、雰囲気はかなり違っている。本書の主人公は野放図な若者……ではなく、生真面目な、ある種、ステレオタイプな『THE・公務員』。時々、物凄くやる気が無さそうだったり、逆に変なところで発憤したり、本当にその辺の役所にいそうだな……。

  • 第二次大戦末期、ユダヤ人から没収した財産を詰んだ「黄金列車」に関わる財務省職員たちの物語

    あらすじや帯文を読むと、ハンガリーの大蔵省職員バログが主人公であり彼の視点で描かれていると思っていたが、視点はバログ、バログの追想、ユダヤ資産管理委員会メンバーと様々に変わるので読みにくく…。
    黄金列車の運行途中、積荷を狙う兵士や停車駅街の市長との交渉にはカタルシスは無い。積荷は「浴場」から運び出され、敗戦が決まった後では罪の証である。

    それよりも、バログの妻とユダヤ人であった友人家族との記憶の方が印象に残った
    バログの友人ヴァイスラーの息子、エルヴィンが脱出前にコレクションの切手を抱え「コレクションが動くのは動乱の時。自分が貰ったように、これを必要とする人に渡す」(意訳)という最後の会話は重く残る。
    生活と思い出の詰まった燭台を求める男(結局かなりの金額を出して依頼した理由は思い出の為だけだったのか…)、大事な切手コレクションを持ち出し次に繋げようとしたエルヴィン、バログから切手コレクションを盗み取った浮浪児たち…没収された金銀財宝よりも、傍から見ればなんてことの無い物の方が重く、記憶と価値が詰まっていたのではなかろうか

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著者プロフィール

1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』などがある。

「2022年 『吸血鬼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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