新訳 リア王の悲劇 (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041087923

作品紹介・あらすじ

引退を決意した古代ブリテンの老王リア。財産分与のため三人の娘に自分への愛を競わせるが、美辞麗句を嫌う三女コーディーリアに激怒し勘当する。だが長女と次女の結託により、自らも嵐の中へ閉め出されてしまう。全てを奪われたリアは絶望の旅の途上、欲望と裏切り、飢えと苦しみ、真の忠誠と愛に気づくが――。シェイクスピア四大悲劇の中で最も悲劇的と言われる傑作。改訂版の全訳に初版の台詞、徹底解説を付した完全版!

【目次】
新訳 リア王の悲劇
詳注
クォート版にあるが、フォーリオ版で削除された台詞一覧
クォート版になく、フォーリオ版で追加された台詞一覧
『レア王年代記』、トルストイ、オーウェルについて
訳者あとがき

【翻訳 河合祥一郎】
1960年生まれ。東京大学およびケンブリッジ大学より博士号を取得。現在、東京大学教授。イギリス演劇・表象文化論専攻。日本シェイクスピア協会会長(2019‐20年)。著書にサントリー学芸賞受賞の『ハムレットは太っていた!』(白水社)『シェイクスピア 人生劇場の達人』(中公新書) など。角川文庫・角川つばさ文庫で『不思議の国のアリス』『ドリトル先生』『ナルニア国物語』シリーズなど児童文学新訳も刊行中。戯曲に『国盗人』『家康と按針』『ウィルを待ちながら』『不破留寿之太夫』(文楽)などがある。
シェイクスピア作品は、そもそも舞台の脚本であるゆえ、台詞に独特の韻を踏んでいるのが大きな特徴。新訳シェイクスピアのシリーズでは、その原文が持っているリズムを日本語でも味わえるように、こだわり抜いているのが最大の特徴。読み易く、かつ格調高い、画期的新訳となっている。舞台や朗読で聞くと、その良さをさらに体感できる。それぞれの作品を読み解く渾身の解説も必読!

感想・レビュー・書評

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  • シェイクスピアを再読。河合祥一郎訳の本文は勿論、詳注、2種類の版の差異、種本でハッピーエンドの「レア王年代記」の紹介、トルストイの辛辣な批評とオーウェルの反論等、時代背景や典拠など興味が唆られる内容満載で、該当箇所に戻り読み返す愉しさを満喫できた。
    父リア王への愛情表現の求めに対して真実の心を伝える最愛の末娘コーディーリアに激怒し、無資産でフランス王のもとへ放逐する。一方口先だけの美辞麗句を並べる貪欲な2人の娘には国土も権限も全て与える。リア王はやがて貪欲な娘二人に荒野に放りだされ、コーディーリアも無慈悲な運命に弄ばれる。

  • 訳が読みやすかった。ちゃんと韻を訳出されているのもいい。

  • 2024.8.14市立図書館
    9月のKAAT観劇(藤田俊太郎演出✕宮川彬良音楽)の予習用。
    よくしられているのは初期のクオート版と改訂されたフォーリオ版の折衷版「リア王」だが、これはフォーリオ版の新訳で、クオート版から加筆削除のあった部分についての詳しい注釈付き。
    巻末の「『レア王年代記(←シェイクスピアの作品の元ネタと思しい古い劇)』、トルストイ、オーウェルについて」、トルストイは理不尽さや非合理、冗長さが目立つシェイクスピアの翻案より元ネタのほうがすぐれていると論じたのを、オーウェルはその批判は不当で、トルストイ自身がリアとそっくりだったからこそ気に入らず攻撃したのではないかと指摘している、という話がおもしろかった。

  • ラム姉弟の『シェイクスピア物語』で読み、「語りなおしシェイクスピア」の『ダンバー』を読み、結局オリジナルの戯曲を読んでみたくなったので手に取った。ラムバージョンであまりに人が死ぬのでびっくりしたのだけれど、大昔に書かれた劇だと受け止めて読むとそれほど違和感がない。これはお弁当とか食べながら人が台詞を言うのを観たい、歌舞伎でいいんじゃないですかね。リア王は怒り散らかしてて迷惑極まりなかったので、姉たちの気持ちになってしまった。グロスター伯がいちばんしみじみと気の毒だったな。

  • もうひとつの世界
    これは戯曲だ。当然、悲劇は舞台の上で繰り広げられている。だが、わたしはもうひとつ別の世界を観た。第五幕でリア王らとコーディーリアらは再開する。わたしは嵐のあとのふかふかの大地を想像し、土の香りがした。地面に足を踏みしめる不幸な人々。そして血の臭い。すべて臨場感を持って観た。まるでそこは天の彼方にある場所のよう。
    注が多くある。そしてその注には、舞台のお約束ごとやメタな視点からの解説と、詳しく書いてあった。そのためとても読みやすかった。戯曲を読んだことがなくても、関連知識がそれほどなくても楽しめると思う。
    金子國義さんの絵を使った装丁もおしゃれで、かっこいい。

  • 劇であるがゆえに小説とは異なり人間ドラマだけで物語が進む簡潔さ。しかし、人間の避けがたい運命がしかと刻印されている。河合祥一郎さんの解説も素晴らしい。とりわけ、コーディーリアのストア主義哲学、トルストイとオーウェルの論争の読み解き。

    「…『わけのわからなさ』の中に意味がある、あるいは混沌の中に人間として生きる姿があるということを示唆しているのではないだろうか。どんなにまともに生きているつもりでも、人間である以上は愚かさを抱え、わけのわからない部分を秘めている――それがシェイクスピアの人間像だ。」
    「…シェイクスピアには強烈な愛の発露がある。その愛があまりにも大きすぎるとき、『裏切られた』という思いも強烈なものとなる。嵐によって表現されるその激しさの中には、強い愛への思いとその欠如によって生じる痛みとの両方があるのであって、それゆえにこそリアは咆哮するのである。」

    リア王という権威の権化の転落物語。シェイクスピア四大悲劇のひとつ、ということでやはり誰も救われぬのだけれども、コーンウォール公爵に反抗した民衆の気高さには胸を打たれた。なるほど、最近読んだアンティゴネにせよ、コーディーリアにせよ、誇り高き人間性(ヒューマニティー)の発現は常に抵抗とともにあるのかもしれない。

  •  シェイクスピア四大悲劇の1つ『リア王』の訳。「一六二三年出版のフォーリオ版を底本とし、一六〇八年出版のクォート版にしかない部分は巻末に訳出し、異同は注記した」(p.4)という、研究者が使えそうな仕様になっている。
     おれは一般読者なので「クォート版にあるが、フォーリオ版で削除された台詞一覧」とか「クォート版になく、フォーリオ版で追加された台詞一覧」とかを見ても、あんまり何とも思わないけど、シェイクスピアの研究者、あるいは文献学というのをやる人はこういう感じでいくつかの版を見比べる作業をするものなのかなとか、だとすればおれやっぱりこういう作業をするのはむいてないな、とか関係ないことを思う材料となった。
     それはともかく、やっとこの歳にして『リア王』を読み、ようやく四大悲劇全部読み終わった。でも一番好きなのは大学の時に読んだ『オセロー』かな。一番難しい?というか筋が覚えられないのは『ハムレット』かなあ。河合先生の訳で『ハムレット』も読んでみよう。
     『リア王』についてあらすじを読んだ時から思っていたことは、リア王の気性の激しさ、なんでこんなことで激怒して態度が急変するのか、という違和感だが、これと同じようなことをトルストイが思っていた、という後ろの解説が面白かった。トルストイみたいな時代も国も違う人もシェイクスピアは読んでいたのか、という驚き。しかし、それも河合先生の解説では「『わけのわからなさ』の中に意味がある、あるいは混沌の中に人間として生きる姿があるということを示唆しているのではないだろうか。どんなにまともに生きているつもりでも、人間である以上は愚かさを抱え、わけのわからない部分を秘めているーそれがシェイクスピアの人間像だ。」(p.255)という部分に納得。そういう人間観を楽しむ、というのがシェイクスピアの醍醐味の一つ、と理解すべきだと思った。
     最後に、河合先生の訳は注釈が面白いが、その中で気になった部分のメモ。まず「エリザベス朝時代に、若い伊達男たちが酒の勢いを借りて自分の腕や手を剣で傷つけ、滴る血をワインに混ぜて恋人に祝杯をあげる風習があった」(p.56)という部分。なんか昔は現代に比べて残酷だよなあと思う。同じエリザベス朝時代の文化の話として「男性のズボンの股間につけた詰め物入りの袋状装飾であり、男性器の存在を強調した。」(p.96)というズボンがあったらしい。なんだそれ。それからこのエドマンドは、読んでいる時からずっと、やり口が『オセロー』のイアーゴそっくりだなあと思っていたが、わりと色んなところの注釈でイアーゴが出てきて、やっぱり、という感じだった。第二幕第二場のケント伯の台詞「このすっとこどっこいのZ野郎。不要な文字野郎!」(p.66)というののしりが面白い。「当時ZはSで代用された」(同)という事情らしい。
     リア王が悲劇の主人公で、それを救おうとしたコーディーリア、という構図で捉えてしまうけど、「ゴネリルに対して恐ろしい呪いを浴びせたリアの行為も行き過ぎであって、それもまた赦されるべきではない。ゴネリルとリーガンを悪女と捉え、リアを『罪を犯すよりも犯された男』(97ページ)とのみ捉えてしまうと、本作のもつ悲劇性は浅薄なものとなってしまう。コーディーリアでさえ決して美徳の権化などではなく、人間としての罪を逃れられない。(略)」(p.267)という部分に納得したし、こういうのがあるから作品を読むのは面白いなあと感じる。河合先生の訳で他のシェイクスピア作品もどんどん読んでみよう、と改めて思った。(21/03/07)

  • 2021/2/25

    偽と善のどちらを選ぶか。これが本書のテーマだと思う。

    偽を選ぶことは人間らしいことであると同時に愚かさを露呈することだが、善を選ぶことは人間らしさからは乖離する。ブリテン王国とフランス王国はそれぞれ偽と善を象徴しており、後者が敗北するという結末にはやや納得がいかないが、シェイクスピアの礼賛する人間らしさの欠如がそうさせたと解釈すれば合点がいく。

    物語前半では偽で欲望を満たし、それに気がつかない王はホイホイと騙されてしまう。(ケント伯の変装という偽にも王は気が付かない。観客はそれを知っているためにアイロニーが働いている) 偽によって地位が失墜した王は、偽に対抗した善の集団に出会う。その一員にグロスター伯がいるのは巧妙。元々偽に属していた彼は目をくり抜かれてから、善に気づく。というのも、『オイディプス王』が示すように、盲目は真理を見る者という位置付けとして定着しており、グロスター伯は偽→善の象徴として描かれている。

    シェイクスピア四大悲劇の総合的な順位付けをしてみるとこんな感じだなー。オセローはぶっちぎり。

    オセロー → ハムレット → マクベス → リア王

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著者プロフィール

1564-1616。イギリスの劇作家・詩人。悲劇喜劇史劇をふくむ36編の脚本と154編からなる14行詩(ソネット)を書いた。その作品の言語的豊かさ、演劇的世界観・人間像は現代においてもなお、魅力を放ち続けている。

「2019年 『ヘンリー五世 シェイクスピア全集30巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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