- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041088814
作品紹介・あらすじ
耽美主義の作家、美倉洋介の家にころがりこんだフーテン娘、ばるぼら。その正体は悪魔か、ミューズか、あるいは美倉のつくりだした幻影なのか?
感想・レビュー・書評
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ムネーモシュネーが好き。
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ブラック・ジャックなど王道の手塚治虫しか知らなかった。ばるぼらは作家を成功に導くミューズであり、男を堕落させるfemme fataleのような存在で、手塚治虫本人もそういった存在を求めていたのだろうか?今の時代もばるぼらがどこかに存在するのかもしれないと考えてしまう。
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Instagramで仲良くして下さっている方のおすすめ。
二階堂ふみさん主演で映画化だそうです。
手塚治虫作品だけど、そんなに有名ではない?
全く知らない作品でした。
ファム・ファタールの様なばるぼらとの出会いで運命の歯車が狂う作家美倉洋介。
ばるぼらの正体は一体?!
と気になるところです。
美倉同様、読者も翻弄されていきます。
実際に交友があったのでしょうか、筒井康隆、遠藤周作が登場するのも面白い。
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垂れ流した排泄物のような 耽美主義を翳して文壇にユニークな地位を築いた流行作家 ラベルの「死せる王女のパバーヌ」 ひきもきらぬ俗物共の饒舌に 畜獣婚姻譚 私は東京の芝浦から大島の連絡船に乗った 思い出に遍歴さ 三原山 人類の黎明期で既に女は神秘的な存在だった アマゾネスのスパルタ人のように降伏させてしまった点なぞ 黒魔術の一番の常套手段である ブードゥー教に改宗 喜劇は結婚で終わりそれから悲劇が始まる ウィザード妖術師 多分に悪魔的なユーモリスト ベルリオーズの「幻想交響曲」 それは死へのラッパだ… 畢生の大作 千鳥ケ淵 阿蘇の火口 人間の唯一つの文面と言えば呪術と予言だった_それらへの郷愁改宗二十世紀末の今日でも消えていない あの合理主義の坩堝と言われるニューヨークでさえ魔女思想が常識化され白魔術が堂々と行われ映画や演劇やテレビにオカルトが展開する 古色蒼然 ホフマン物語 稲垣吾郎 二階堂ふみ 手塚眞 寧ろ出色の作品と想う フェティシズム倒錯愛 獣姦や死姦を思わせるイメージ アンモラルなモチーフ デカダニズムという趣向に関してはこれが初ではないだろうか 表面的に示される「芸術か名声か」という二律背反 些か手垢に塗れていなくもない 「マンガを芸術(大人の文化)に昇華させたい」という思いの裏に「マンガは芸術ではない」という諦念があったのかもしれない エロスとロゴスの葛藤
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大都社版。芸術を愛するミューズの化身「ばるぼら」はふーてんのなりをしているが、彼女にひとたび見初められた芸術家達は一気にその才能が花開く。しかし、それに気づくのはばるばらを失ってからなのだ。
手塚治虫が考える、「芸術とは!」に応える作品(のような気がする)。才能を支える幸運は決して気づくことはできない、失くしてわかるものだ。なりは汚くフーテンであっても、神は神、芸術の本質。芸術とは本来そのようなものなのだ、とこの作品で訴えているような気がする。