ばるぼら (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041088814

作品紹介・あらすじ

耽美主義の作家、美倉洋介の家にころがりこんだフーテン娘、ばるぼら。その正体は悪魔か、ミューズか、あるいは美倉のつくりだした幻影なのか?

感想・レビュー・書評

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  • 映画を見て興味を持ったので原作も。1973年の連載作品。全15章、映画はかなりエピソードを端折ってあったけれど、おおまかな流れとしては原作に忠実だった印象。テーマとしては芸術家の創作の苦悩、イマジネーションを与えてくれる女性は女神なのかそれとも悪魔(魔女)なのか、みたいなところか。青年誌での連載だったせいか、女性の裸がやたらと出てくる、エロティックかつオカルトな作品。

    作家の美倉洋介が拾ったフーテンの少女ばるぼら。序盤は1話完結ぽく、1話がマネキン女、2話が犬女、結局なんやかんやで戻ってきてしまうばるぼら、みたいな映画の序盤でも使われていたエピソード。原作の美倉は「異常性欲」に悩んでおり、それがマネキンや犬とまでうっかりいたそうとしてしまう原因になってるらしい。

    3話目が、ばるぼらが入れ込んでる演劇青年の怪しいSM劇に美倉が巻き込まれる話、4話目は、美倉の熱狂的ファンだった人妻の家族とのトラブルあれこれ。5話目は美倉の思い出の地・三原山へばるぼらとの旅行。

    映画には出てこなかったが(というかISSAYさん一人に色んな設定がまとめられていたのか)、海外の作家で政治活動に関わりすぎたため命を狙われて日本に逃げてきたルッサンカという男が6話で登場、彼はばるぼらの元カレ的な位置づけ。ルッサンカはばるぼらを、名前も外見も違うが自分の元から去って行ったミューズだといい、彼女がいなくなってから何も書けなくなったと言う。ここでばるぼらの母ムネーモシュネーも登場。

    7話で怪しい占い師が美倉を占い、彼の小説は彼自身の未来だと予言する。8話では売れっ子になった美倉に、ばるぼらが彼そっくりな男を紹介、マネージャー兼影武者としてこの男が美倉の代理を務め、あげく美倉の結婚相手候補の一人だった可奈子と結婚してしまう。ちなみに映画では美倉の秘書だった可奈子は原作では出版社社長の娘。

    10話で突然急展開、それまで美倉は異常性欲者といいつつ、同居しているばるぼらには一切手を出していなかったのに、急にばるぼらがキャラ変、大人の女性になって誘惑してきて、ついに二人は一線を越えてしまう。さらに娘の志賀子と美倉を結婚させたがっていた代議士の杉山が突然心筋梗塞になり、美倉はばるぼらが作ったと思しき呪いの人形をみつけ、彼女を魔女では?と疑い始める。解説で息子で映画を監督した手塚眞も書いているが、この魔女のくだり、西洋の魔女とブードゥー教の呪術を手塚治虫は混同している。あえて混淆させたのか。

    そしてスキー場で出会った音楽家にばるぼらが乗り換える気配を見せ、美倉は嫉妬を感じる。ばるぼらは、才能のある芸術家を渡り歩くミューズなのか、はたまた芸術家の才能を食いものにする魔女なのか。

    たとえ魔女でもいい、創作の源となるばるぼらと、美倉は結婚を決意、11話で、映画でもあった黒ミサ全裸結婚式。ばるぼらの背後にあるのは「偉大なる母神」日本協会というもの。しかし警察に踏み込まれ式は破綻、ばるぼらは行方知れず、美倉は大麻作家として逮捕され落ちぶれてゆく。ばるぼらを探す美倉は大阪でそっくりな女性ドルメンと出会うが彼女は美倉を覚えていない。

    12話以降、数年の月日が経ち、美倉は志賀子と結婚し子供もいるが、志賀子とは不仲、今もばるぼらを探し求めている。画家のモデルになっているドルメンをみつけ、彼女をばるぼらだと信じている美倉は彼女を連れ出し殺そうとする。ついに精神病院に入った美倉は、偶然ムネーモシュネーと再会しばるぼらに会わせてもらえることになるが…。

    ドルメンはやはりばるぼらで、ムネーモシュネーが美倉についての記憶を消していた。美倉はばるぼらを連れて逃走。ばるぼらは美倉を殺すよう指示されていたが、手違いでばるぼら自身が事故にあい仮死状態に。美倉は死体のようなばるぼらと雪山の閉ざされた小屋で過ごすうちに(映画にあったカニバリズムは幻想、死姦はさすがにしてない)創作意欲を取戻し小説を書くが力尽き…通りすがりの若者たちに火をつけられてしまう。

    数年後、美倉は行方知れずになっており、彼の遺作の原稿だけが発見され出版される。タイトルは「ばるぼら」それはばるぼらとの出会いから始まり…(つまり冒頭に戻りループしてゆく)

  • ムネーモシュネーが好き。

  • ブラック・ジャックなど王道の手塚治虫しか知らなかった。ばるぼらは作家を成功に導くミューズであり、男を堕落させるfemme fataleのような存在で、手塚治虫本人もそういった存在を求めていたのだろうか?今の時代もばるぼらがどこかに存在するのかもしれないと考えてしまう。

  • Instagramで仲良くして下さっている方のおすすめ。
    二階堂ふみさん主演で映画化だそうです。
    手塚治虫作品だけど、そんなに有名ではない?
    全く知らない作品でした。
    ファム・ファタールの様なばるぼらとの出会いで運命の歯車が狂う作家美倉洋介。
    ばるぼらの正体は一体?!
    と気になるところです。
    美倉同様、読者も翻弄されていきます。
    実際に交友があったのでしょうか、筒井康隆、遠藤周作が登場するのも面白い。

  • 垂れ流した排泄物のような 耽美主義を翳して文壇にユニークな地位を築いた流行作家 ラベルの「死せる王女のパバーヌ」 ひきもきらぬ俗物共の饒舌に 畜獣婚姻譚 私は東京の芝浦から大島の連絡船に乗った 思い出に遍歴さ 三原山 人類の黎明期で既に女は神秘的な存在だった アマゾネスのスパルタ人のように降伏させてしまった点なぞ 黒魔術の一番の常套手段である ブードゥー教に改宗 喜劇は結婚で終わりそれから悲劇が始まる ウィザード妖術師 多分に悪魔的なユーモリスト ベルリオーズの「幻想交響曲」 それは死へのラッパだ… 畢生の大作 千鳥ケ淵 阿蘇の火口 人間の唯一つの文面と言えば呪術と予言だった_それらへの郷愁改宗二十世紀末の今日でも消えていない あの合理主義の坩堝と言われるニューヨークでさえ魔女思想が常識化され白魔術が堂々と行われ映画や演劇やテレビにオカルトが展開する 古色蒼然 ホフマン物語 稲垣吾郎 二階堂ふみ 手塚眞 寧ろ出色の作品と想う フェティシズム倒錯愛 獣姦や死姦を思わせるイメージ アンモラルなモチーフ デカダニズムという趣向に関してはこれが初ではないだろうか 表面的に示される「芸術か名声か」という二律背反 些か手垢に塗れていなくもない 「マンガを芸術(大人の文化)に昇華させたい」という思いの裏に「マンガは芸術ではない」という諦念があったのかもしれない エロスとロゴスの葛藤

  • 大都社版。芸術を愛するミューズの化身「ばるぼら」はふーてんのなりをしているが、彼女にひとたび見初められた芸術家達は一気にその才能が花開く。しかし、それに気づくのはばるばらを失ってからなのだ。

    手塚治虫が考える、「芸術とは!」に応える作品(のような気がする)。才能を支える幸運は決して気づくことはできない、失くしてわかるものだ。なりは汚くフーテンであっても、神は神、芸術の本質。芸術とは本来そのようなものなのだ、とこの作品で訴えているような気がする。

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著者プロフィール

1928年、大阪府豊中市生まれ。「治虫」というペンネームはオサムシという昆虫の名前からとったもの。本名・治。大阪大学附属医学専門部を卒業後、医学博士号を取得。46年、『マアチャンの日記帳』でデビュー。幅広い分野にわたる人気漫画を量産し、『ブラックジャック』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『火の鳥』『ジャングル大帝』など、国民的人気漫画を生み出してきた。

「2020年 『手塚治虫のマンガの教科書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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