- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041092453
作品紹介・あらすじ
1984年、ビッグ・ブラザーが支配する全体主義的近未来。〈真実省〉の党員スミスは美女ジュリアとの出会いをきっかけに禁止されていた日記を密かにつけ始めるが……人間の自由と尊厳の問題を問う大傑作。
感想・レビュー・書評
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監視社会を描いたディストピア小説。『ビッグ・ブラザー』が支配する世界では、寝言や表情、頭の中までもが徹底的に監視下に置かれ、過去も都合のいいように書き換えられてしまう。こんな状況の中でとうてい生活できるものではない。読んでいるだけでも、常に誰かから見られているという息苦しさでだんだんと辟易してしまうほどだ。前半は動きがあまりなくまだマシだったが、後半はかなり過酷な展開へと変貌をとげる。とにかくはやく解放されたい、そんな気持ちにさせられる読みごたえ十分の重たい小説だった。
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「予言の書」としての『1984』 - 内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2021/04/27_0844.html
1984 ジョージ・オーウェル:文庫 | KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000045/-
2021/05/03
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goya626さん
マグリットの「人の子」。タイトルとは違い顔が見えないのが、非人間的でオーウェルにピッタリ!goya626さん
マグリットの「人の子」。タイトルとは違い顔が見えないのが、非人間的でオーウェルにピッタリ!2021/05/03 -
2021/05/04
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以前から読もうと思いつつ後回しにしてきた作品。
前半「気送管」とういう言葉が出てくる。主人公の机まで筒状に丸められた書類を「送る」ための管らしい。これ、何かの映画で観たことがある。「情報が流れてくる管」だ。以後、初めての作品なのに、いろいろな場面で既視感があった。自白を強要するための拷問や、全体主義の恐ろしさなどを描いた各映画の各場面が思い浮かんだ。直接的ではないにせよ、「1984」は広範囲にわたって影響を及ぼしているのではないか。
本書の刊行は1949年。その時点で「1984年」という未来を描いているという。最初錯覚があった。今自分が読んでいる2023年よりも先の話に思えたのだ。「テレスクリーン」がネット画面の進化形に見えるし、人の気持ちまでくみ取る機能がAIの作業にも思える。
また、未来である1960年代から1970年代に大粛清があったこと、国の上層部だけが富を独占し大多数の国民が貧しいこと…。地域によってはすべて現実ではないか。著者の予知能力のすごさに震えがくる。
おそらく1984年に読んでも震えるだろうな。その当時読んだらどんな読後感になっただろう。若き日に読まなかったことを少し後悔した。 -
ディストピア作品というのを初めて読みました。こういった作品は社会的な問題や現実の悪化に対する警告や批評として用いられることがあるそうです。この作品も政府の監視と個人のプライバシーの侵害を描くなかで、個人の自由や民主主義の危険性について警告しています。
徹底的な監視や拷問や洗脳などの管理下においても「人の心の中にまで入り込めやしない」とジュリアが言い切ったシーンが印象的でした。彼女はとても強かに生きていて、そんな彼女の態度と言葉にジョージも、読んでいる私も勇気付けられました。
ところが最後の結末。人の心も砕ききって都合の良いように再生させてしまう政府の恐ろしさよ。実際、洗脳ってこういうふうに行われるんだろうなとリアル味がありました。
『夜と霧』の中でフランクルは「生きる希望」を説いていましたが、過酷な状況下でそれを保つのは本当に難しいことなのでしょう。それでも生きる希望を持つ人たちが革命を起こしてきた歴史はあるわけで、その真実に希望を抱きつつ、中国ではごりごりの監視システムが浸透してきているけど...大丈夫なの?と思ってしまいます。
表紙はルネ・マルグリットの「緑のリンゴで隠された男」で、マグリットのコメントによると、「 私たちが見ているものは、一方で他の事を隠してしまいます。私たちはいつも私達が見ることで隠れてしまうものを見たいと思っている。人は隠されたものや私たちが見ることができない事象に関心を持ちます。この隠されたものへの関心はかなり激しい感情の形態として、見えるものと見えないものの間の葛藤となって立ち合われるかもしれない。」
ジョージが「方法はわかるが理由がわからない」と情報を得ようとするところとリンクしています。 -
全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた、ディストピア小説の金字塔ともいえる名作。
1950年に出版されたので、その時から30年後の世界であるわけだけど、2020年の今こうして読んでもすごく”新しい”と思わせてくるところに、この小説のもつ魅力があるのだと思う。きっといつどの時代に読んでも、「こうなるかもしれない」という寒気を伴う予感をはこんできてくれる。自由がなくなるのではなく、自由という概念そのものが無かったことにされる世界。
主人公のウィンストンは真実省記録局の下級役人として、歴史資料の改竄業務を行っている。
スローガンは【過去を支配する者は未来を支配する。今を支配する者は過去を支配する】。
こうしたイングソック理念のもと思想警察の監視によって厳しく思想統制される社会の在り方に疑問を持つウィンストンは、反政府組織〈ブラザー連合〉の存在に希望を抱きながら、真実と記憶を留めるため密かに日記をつけている。
味方か敵か分からない人々との危うい交流を深め、姿を消された革命家・ゴールドスタインによって書かれた禁断の本を入手し読み耽るところで、物語は急転直下。
どうしてかは分からないけど、私は読みながら希望のある結末を思い描いていたんだよね。味方は実は大勢いて、彼らと結託して明るい未来を開拓してくれると。
最後まで読んで半ば放心状態で本をとじ、なんて平和ボケしていたのだろうかとショックを受けた。象徴であるはずだった美しい悠久の珊瑚は、いとも容易く砕け散ってしまった。
「ビッグ・ブラザーが見ている。」
なんだかこの言葉が、昨今のコロナ禍で聞き覚えのあるような気がしてならない。新しい生活様式、ソーシャル・ディスタンス、コロナ自警団、自粛警察、五輪強行、耳に新しいワードが脳裡に浮かんでは消えていく。
これらと全体主義とを結びつけて考えるわけでは決してないけれど、でも現在の一人一人の行動原理が社会の同調圧力を強めていって、やがてその先に生まれ得るものを想像すると、この本を読み終えたばかりの私は幾分言葉に詰まる。恐るべきドアが遠くにぼやけて見えるような、気がするような。 -
人を支配するには、情報を与えなければいいんだな。ということを、勉強したこの本。
ようやく読み終わったものの、字面だけを追っただけのような気がしてる。もっと深く読み込んでみたいけど、いやなんか辛くて。
ジョージ・オーウェルが1949年に刊行した「1984年」アメリカでトランプ大統領就任の際に話題になって知ることができた本だ。
ディストピア小説というジャンルのこの物語。どんどん言語を少なくしていき、思想することもかなわなくなる新しい言語「ニュースピーク」というアイデアも恐ろしいけど、現代の日本でも言葉はどんどん壊れている。丁寧な説明をしたことない政治家が繰り返す「丁寧な説明」なども近いものを感じる。
各部屋やあちこちに設置された盗聴マイクやテレスクリーン。党からの一方的な情報だけが伝えられるのは、監視カメラやSNSみたいなものか。
そんなの関係なくて、うまく監視をかわし、自由を謳歌するジュリアは、それは眩しい存在だったろう。
角川文庫で読んだら、訳者のあとがきや内田樹さんの解説があり、それでようやく、なるほどーと思った。
昔見たアレクセイ・ゲルマンの映画「神々のたそがれ」を思い出した。地球より文明が遅れている星にきてみたら、騙し合い、争い、いつもジメジメしてて不潔で、みんな顔の近くでゲップするし、オナラする。というこれもまたなかなか不快な映画でしたが、この世界にとても似ている。 -
旅行中に東京タロー書房で購入。
正直今の私の理解力じゃ5割しかわからなかった。
だからこそ購入して正解だったと思う。
何年後か読み直した時に感じる感想が今から楽しみ。
殴り書きのようになるけど、ざっと感想↓
ゴールドスタインの本に書かれている戦争は平和なり、の言っていることは理解できた。
オブライエンのスミスに対して言ってることは難しくてわからなかった。
チャリントンのおじさんが怪しいのは後から考えるとそうなんだけど、ジュリアが思想警察じゃないってわかってから思想警察の事をすっかり忘れていて、警戒すべきだったなと感じる。
それと、結局ブラザー連合ってなんだったの?笑
解説にもある通りこれが1948に書かれたとは思えないくらい今読んでも違和感なく読めた。むしろ近未来の話のように感じる。
全体的に難しくて読むのも1週間もかかったし、理解できないことも多いのに、私の中のなにかがこの本の虜になって夢中で読めた。引力を感じる本。 -
主人公のウィンストンは、近代的な人格主義、科学的な合理主義が正しいという信念を持って、過去を改変し続ける党に対抗しようとしました。きっと著者のジョージオーウェルもそれらの近代の思想が正しいと信じてこの本を書いたのだと思います。
しかし、実存主義などの近代思想が批判されている今、党に「現実とは、頭蓋の中にあるものなのだ。」と言われても、私は一理あると感じてしまうと思います。この本に登場する党は、今や、完全に否定できるものではなくなっているのだと思います。
戦争状態が永遠に続くことが人々を党にとって都合の良い心理状態にする、というのは、緊急事態宣言だから北朝鮮がミサイル打つからと言って、政府に都合の良い政策を国民に流し込んでいる現代の日本の構図と似ていると思いました。 -
完全監視社会で、思想警察なるものに四六時中管理されている省庁職員の話。ナチス的な全体主義と化した、レーニンスターリン的な独裁共産主義といった政体の国家で、フーコー『性の歴史』の性の禁忌に始まる内面化された身体の規律と、人口統制管理が完全に達成されたような世界だ。戦争自体が目的となる戦争、階級固定や疑念を起こさせない反知性。そして性が反逆の要になる。第一部ではそのディストピア性が描かれ、第二部ではロマンスと作中作、第三部では拷問と続く。長々と引用される作中作の思想書において世界が暴露されるが、これがこの作品の中核を占めると言っても過言ではない。中間階級が自由と平等を銘打って支配階級に上がる歴史の反復から、否自由・非平等の思想が生まれ、社会が固定されるというストーリーは全体主義的ナショナリズムがなくならない現実を穿つ観点でもある。戦争の継続化が戦争の目的であり、内部のために外部を設定することは、シュミット友敵理論を思い起こさせる。ビッグブラザーなる形而上学的体系を生み、支配体制を永続させる。個人に徹底的に規律を内面化するために法がなく、訓練により深い思考を不可能にされる。書き換えられ続ける歴史。隔離され排除される記憶と精神錯乱。身体への苦痛を伴う治療と調教。統計で決まる正気。技術化された忘却。ニーチェ的な真理の狂気を受け入れる最後の人間。
"君は正気を得るための代償である服従という行いを、決してしなかった。狂者であることを、ひとりきりのマイノリティであることを選んだのだよ。"
"もしかすると人は、愛されるよりも理解されることを欲するのではないだろうか。"
ニュースピークなる人工言語によって、単語が削減されていくにつれ、人間の思考が制限され、統治に都合の悪いことや人間的な感情を失うというのも、言語が思考の基盤になっているソシュール言語体系やフロイト象徴言語を想起させる設定になっている。
全体におぞましい空気が漂うが、話の流れとしては明快でシンプル。現実世界にある合理主義や政治思想が極限までラディカルに進んだ結果、「人間」が不在になるという発想は、日常にメタ的な視点を与える。付録の言語規則の説明がさながら文法書で、特に全体主義と共産主義を引いて、略語が連想を排除し思考を限定する政治的意図などの著者の分析が鋭い。
・訳者あとがき
ジョージオーウェルは、マルクス主義統一労働者党アラゴン戦線分遣隊としてスペイン内戦を戦った。執筆動機は反全体主義の政治的目的であるとしている。ヘイトが日常語となり、SNSが社会を分断するテレスクリーンと化した。イギリスのテレビ開始は1936年、情報と大衆を描く洞察力。裏を取らずに短絡的に自分に都合のいい情報を信じる者、それと関わったばかりに人生を台無しにする政治的無関心者。反体制で政治的な人間がむしろ鬱陶しく描かれる。
著者プロフィール
ジョージ・オーウェルの作品





