- Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041096987
感想・レビュー・書評
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神道とはちがう価値観の多神教、アステカ。血みどろ。神道(というか土着の神)にも人身御供とか人柱とかの生贄はあるけど、あんまり血みどろにはしない。
メキシコの私刑って、確かにアステカの流れを汲んでるのかもってほど血生臭い。局部を切って本人の口に入れたり、四肢バラバラにされてたりって言うの、よくニュースになってるもんね。
マヤやインカやアステカに興味津々なんだけど、そういうニュースを見るたびに、麻薬と暴力がありふれているところに飛び込む勇気がしぼんでいく。
綴られるアステカの神々の物語が、まるで首筋に息を吹きかけられるようにおそろしい。カルテルの抗争を目の前で見ているかのような描写も。
ますますメキシコへの憧れは強くなり、反比例してメキシコへ行きたい気持ちは小さくなってゆくのでした。 -
メキシコの麻薬カルテルを追われたメキシコ人、メキシコ人の母と暴力団員の父の間に生まれた息子、日本を舞台にした非合法な臓器移植の仕組みを作ろうとする闇医者、その他数人が交差していって、、、という話が大きな流れ。
時折挟まるメキシコの宗教観が自分にはあまり理解しきれないところがありましたが、物語自体は先が気になる展開で面白かったです。 -
アステカのフォークロアと闇ビジネスを結びつけてストーリーを展開していく、という手法はかなり個性的で好感がもてる。
自分はジョセフ・キャンベルの一連の書物を好む人間なので、文化人類学的な記述はむしろ好ましく思う。
が、たしかに力作ではあるが、フォークロアと闇ビジネスとがなんだか嚙み合っていない気がする。
また、登場人物のほとんどがあまりにもスーパーマンなので笑ってしまうし、犯罪組織のグローバル化が強引すぎて白ける……だが……グローバル化、ボーダレス化、多様性がうたわれてそれが是とされている風潮で、犯罪の世界のほうが意外とそれらはすでに常態となっているのかも。
ビミョーな作品であった。 -
最初はスペイン語やナワトル語が多く読みにくさを感じましたが、後半は特にそれを超えるくらいに引き込まれるストーリーでした。
犯罪や儀式の描写が結構恐ろしくて、読み終わったときまず達成感と疲労感を感じました。内容自体もかなり重かったです。
日本にしてもメキシコにしても、表に見えていない裏社会の様子に愕然としたり、
アステカの神に依存というか、すがりながら生きている登場人物を見ながら、信じるってなんなんだろうと分からなくなったりしながら読みました。 -
分厚いけど面白くて一気に読めた。
海外のマフィアドラマを観てる感じ。
殺人シーンが多く残虐だけど気にならなかったのはアステカ神信仰が同じだけ出てくるからかも。
すごいエンターテイメントだった。
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人は置かれた環境や状況で考え方が変わる。
プライオリティも変わるだろうし、正義も変わる。
しかし変わらないそれぞれの本質も多分ある。
という大きなテーマが在って、その中にいくつものテーマが存在する。
* 麻薬に塗れた社会から逃げて来たのに結局自分も麻薬に溺れてしまうという逸話
* 何も教えてもらえずに育った場合の善悪の判断は如何に
* 教えられ信じ込まされて育った場合、その善悪や正義は本当にその人物に責任があるのか
* 神とは自然現象の不思議から生まれる
等々…
とにかく沢山のテーマが盛り込まれいるから飽きずに読めてしまう。
中でも特に私が気になったのは、作家が最後に突きつける対比。
無知で無垢な少年コシモに対して
自分を父と呼ばせ、コシモを息子と呼び、悪の集団を家族と呼び、コシモに殺人を教えるアステカ神を信じる麻薬密売人と、
それに対してコシモにナイフの作り方を教える職人の師匠はコシモの未来を案じ、聖書の言葉をコシモに授ける。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい(マタイによる福音書 九章)
この対比が実に興味深く、作家の凄さも感じた。 -
<江>
ここのところ立て続けに凄い小説作品達に出会えていて 僕はやや嬉しい悲鳴状態。例を引くと『黒牢城』『涅槃』『同志少女よ,敵を撃て』『残月記』そして本作。
いやはや還暦を幾年か過ぎた僕が,昔ながらの贔屓の作家さん達は新刊を出す頻度が極端に減ったのに その穴を埋めるべき筈の新しい作家さん達が全然台頭しないではないか! などと毒舌的な文句をあちこちで言っている間に素晴らしい作家さん達が沢山出て来ていたのだ。ただ僕はその作家さん達を見つけるアンテナ的走査力に欠けていただけ。いやはや誠にすまなかった。
実は僕はこの作品がチョッキ賞を獲った事を知らずに読み始めた。すごく面白い作品だなぁ と思いながら題名のテスカトリポカ は意味がどうしても気になるのでGoogっていたら本書がチョッキ賞を獲ったことを知った。結果から言うと知らなかった方がもっと楽しく読めたかもしれない。
偉い作家先生方が着せたチョッキで飾れらた作品なのだなぁという想いが先走ってしまって今一チカンドーできなかったりする。全く余計なこったぜ。
ところで本書なぜ特定の言葉にスペイン語(とは言っても当然カタカナ表記だがw)でルビをふってあるのだろう。しかも何度も何度もその言葉が出て来る度にしつこくルビをふる。普通読みの助けとなる人名地名などへのルビは最初に一回ふったらもうその後は特別な事情が無い限りふらないのが小説などのお決まり事のような気がするが。著者の「わたしはスペイン語が出来るのだからね ドダ!」的アピール発言だろうか。だとすると興冷めである。
善意に解釈すれば多分そうではなくて作品全体に漂うアステカっぽい? 雰囲気を盛り上げようとしての事だとも思えるが 頻度があまりにしつこいのだ。後の章ではスペイン語に限らず中国語や英語でも作者がそう思った語句にルビがふられ続けているがもう面倒なのでこれ以上言及しませぬが。
揶揄的批判はこのあたりにしておいて さて物語であるがこれは面白い。前段でくさした事あり あえて 流石チョッキ賞 とは言いたくないがまあそれも分かる作品である。いつもなら気になって文句をたれる本の厚さ重さ も気にならないほどの面白さである。
余談だけれどまだ若い作者佐藤究は過去に江戸川乱歩賞を獲っているらしい。なぜか今回その乱歩賞に興味が湧いたので少し調べてみた。なにを調べたかというと 選考を御担当された作家先生達の顔ぶれ。最初はもちろん江戸川乱歩を含む数人の作家たちで始まったけれど乱歩本人は第10回で選考委員から姿を消している。まあたぶんこの回の後に亡くなったのだろう。その後選考委員たちは激しく顔ぶれを入れ替えながら現在に至っている。ほとんどの選考先生達は連続で2~3回委員を勤めたら退いている。
僕はその作品の書かれ方や初出はどうだったのかがいつも気になる。本作は全部で4章プラス『暦に無い日』という6ページしかないエピローグの様な章で終わっている・・・とのっけの目次に書いてあるが,実際にはそのエピローグの様な章の更に後に『サボテンにとまった鷲が蛇を食らっている,そこがおまえたちの栄える地だ。』という章題だけがついた短い あとがき の様なもので終わっている。そして第一部だけが雑誌『カドブンノベル』に連載されてあとは全部書き下しだということが後付けには書いてある。
気になったので調べると この『カドブンノベル』は本作の第一章が掲載された2020年12月号で廃刊になっている。と云う事は作者は取り急ぎ残りの章は書き下すしか当座の選択肢は無かったのだ。そしてそれを親会社である(株)KADOKAWAが単行本化して とどのつまり 直木賞 に至ったって事だ。なんとまあ,である。 -
圧倒的なスケール。文量が凄かった。
こういったクライムサスペンスものはあまり読まないのだが、アステカの神話を用いて暴力の渦に呑まれていく者たちの恐ろしさには目を背けたくなるほどであった。漫画における「心臓を捧げよ」が「進撃の巨人」であるとするのならば、小説におけるそれは間違いなくこの小説だと確信した。
直木賞を受賞したのも納得。今年の本屋大賞にノミネートされなかったのは残念であるものの、一度は読んでほしいと思う一冊だった。 -
臓器ブローカーと古代アステカの信仰という全く無関係な話を抽象度高くリンクさせているのが非常に興味深い。話に引き込まれた。さすがの直木賞受賞作品でした。
ただ気になったのは起承転結のページ数のバランス。導入部分は丁寧やったのに、ラストに近づくにつれて早足でかけていった感じ。惜しいなあ。