- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041098394
作品紹介・あらすじ
マグロと原発の町、「飛び地」の村、60年も無投票が続く島……
選挙を旅する異色ノンフィクション
コンビニ店員、国際派テレビマン、サーファー漁師、発明家は、
【落選率84・2%】の壁になぜ挑んだのか?
愛なき“勝ち組の政治”を打ち破るのは、田舎の荒野でもがく「変わり者」だ!
「改革幻想に囚われ、国政政党の合従連衡に明け暮れた平成政治とは異なる令和の政治がこれから始まるとするならば、
その主人公は地べたの暮らしに疎くなった永田町の住民ではなく、土の香りがする地方の首長の中から生まれるであろう」(「プロローグ」より)
感想・レビュー・書評
-
地方選挙を現地で観察したノンフィクション。
地方政治を取り巻く構造は根深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かなり密に取材されていて読み応えがあった。
一方、地方の首長選挙の多くがこんな血生臭いものではない。
変人を追ったのが本書であるが、志高い首長にフューチャーしたルポも読んでみたい。 -
町村長選挙、特に無投票が続いている選挙に敢えて出馬した候補者に焦点を当てて書かれた本。
ざっと概観すると、①そうは言っても権力闘争が起こって対抗馬として出た場合、②単騎奮闘といった形で出馬した場合、の2つに分類できそうです。また、取り上げられたところはこう言っては何ですが僻地の自治体が多い印象です。えりも、大間は半島の突端ですし、北山村は全国唯一の飛び地というか紀伊山地の山の中。姫島は離島。と言ったところです。中札内、上峰は平野部ですが、田舎というと思い浮かべる中山間地域は四国の松野町くらいでした。
大間は原発、中札内は農協との権力争い、上峰町は汚職と、過疎だけではない問題を抱えているところはたとえ多選候補が落選したり、落選しなくともいい勝負になっている印象です。一方で、上記の②のようなところは、なかなか新参者には厳しい結果だな。と感じました。
いずれにしろ、一票を入れて代表者を選ぶ問いのは民主主義の根幹であり、その選択肢を示すために奮闘されている方々に、心から敬意を表したいと思いました。 -
畠山理人氏の黙殺を読んで面白かったので類書として読みました。人口数千人規模の市町村の選挙を取材し、政治とまちづくりの関係を明らかにし、住民の選択を見届けていきます。
政治に興味がない層としては、変革を望む若手、本書でいう変人を応援しながら読んでしまいます。しかし、まちづくりと政治の過去を見ると、必ずしも利権、癒着から離れた潔癖な政治だけが地域を発展させる訳ではないと分かります。しがらみの破壊を望まない人も一定数いるのです。 -
かなり面白く読んだ。
あとがきまでは。
あとがきでは本書のもとになった連載の経緯が語られる。
挫折した幻の取材として、群馬県草津町長選挙が挙げられる。そう、今や世界にその名轟く「あの」草津町である。
さまざまな事情が重なり充分な取材ができず、原稿として日の目を見ることはなかったが、著者はその時点でかの名湯が満天に恥を晒した騒動の萌芽となる「歪み」を見て取っていたと言う。
だがその詳細は語られず、なのに書くのだ——「とんだ濡れ衣を着せられた町長」と。
本件はいまだ裁判で係争中である。白とも黒ともついていないものに、なぜ「濡れ衣」などと言い切れるのか。
もし充分な根拠を握っているというのなら、それを余さず書くべきだ。それこそが「正義」であり、「嘘つき女」に対する鉄槌となるだろうのに。
それをせず、なのに、性犯罪被害を訴え出た被害者を一方的に「嘘つき」と断ずる。この一件を見るだに、そんな嘘をついて得られるものなど、女性にありはしないことは明らかなのに。
しょせん男か。
娘がいるらしいが、お気の毒のひとことである。
2020/12/19読了 -
片田舎でなくても、地方選は、きっと面白い。
きちんとした取材があればこそだが。 -
書評はブログに書きました。
http://dark-pla.net/?p=666 -
8期連続無投票当選など、「無風王国」のもと首長のワンマン行政が続く小さな自治体。2015年の統一地方選では、町村長選挙のうち、全体の約43%が無投票、現職の再選率については、84.2%という実態がある。しかし、一方で、周囲からは「変人」扱いされながら、変わらない過疎の集落に捨て身になって風穴を広げようとするチャレンジャーも現れている。
著者はそんな「変人」を追って、マイナーな地方選の現場に足を運び、各地の選挙事情はもとより、そこにある政治の裏表、そこに映る人間の本性を取材した。そして、いわば選挙の民俗学、首長の文化人類学というような切り口から本書をまとめあげた。
選挙のために汗をかいた親戚の多寡が雌雄を決したマグロと原発の町・大間、コンビニ店員が村長になった北海道・中札内村、親子で村長を務め60年も無投票が続く大分県姫島村、国道ファースト主義の治世が令和になっても続く和歌山県北山村、「若者、バカ者、よそ者」で変革しようと、サーファー漁師が立ち上がった北海道・えりも町・・・
「パトロン・クライアント」関係、すなわち庶民に最低限の生活や安全(庇護)を保障する代わりに、彼らから恭順を得る、ポスター掲示場設置条例のない町村が全国に24ある、道路港湾等の整備が一段落すると、半土建農民は観光産業、一村一品などへ向かい、田中軍団タイプの政治家は役に立たなくなる、役場の存在が地方選の結果を左右するなど、現場を見ている著者だからこそ、実感として伝わってくることが多々あった。
また、冒頭に書かれていたように、大災害時に避難勧告を出すタイミング、コロナ拡大防止や救済策、さらには、ポストコロナにおける財政破綻をどう防ぐかなど、今後、各地の首長はこれまでになく評価が別れ、資質が問われる場面が増えてくるというくだりには全く同感である。
さらには、各章の導入部は各地域の風土、人間性が紹介され、紀行文を読むような楽しみかたもできた。
-
地方の首長選挙を取り上げたノンフィクションである。サブタイトルに「無風王国の「変人」を追う」とあるように現職町村長の再選が確実視される中で町村長選に名乗りを上げたチャレンジャーを取り上げる。
ここからは所謂インディーズ候補を取り上げた書籍に感じる。NHKから国民を守る党が政党要件を満たすようになったようにインディーズ候補は政治に地殻変動を起こす存在である。しかし、本書は都市型のインディーズ候補とは趣が異なる。
インディーズ候補には従来型の政治の対立軸を背景に持たない新しさがある。これに対して本書は保守と革新、中選挙区制時代の保守の派閥争いも背景として説明する。また、チャレンジャーだけでなく、多選現職首長側の記述も多い。本書のような構図では多選現職首長は打破すべき守旧派となるが、多選現職首長の下で国の方針に振り回されるだけでなく、自立を貫いた面もある。
2017年の青森県大間町長選では原発建設が争点になった。本書は「今風の「身を切る改革」を強調する財政規律派に対し、昔ながらの原発依存型の積極財政派という3・11後を象徴する政治的葛藤を見るようでもあった」と表現する(50頁)。これは明快な政治的対立軸になる。
今の政治の複雑さは、むしろ反原発と積極財政派の共存にある。原発への積極財政は反対するが、公務員の雇用や福祉への積極財政を唱える。これでは原発で利益誘導するか、公務員の雇用や福祉で利益誘導するかの違いでしかなくなる。これは原発を防衛費に置き換えても同じような議論が成り立つ。バラまきたいものをバラまく御都合主義になってしまう。さらにMMTのような予算制約を無視した議論が御都合主義に拍車をかけている。
この大間町長選では熊谷厚子さんも立候補した。熊谷さんは原子炉建設予定地の地権者で、用地買収に応じなかった母の遺志を受け継ぐ人物として反原発運動では知られている。しかし、熊谷さんの公約は「漁業の活性化を目指します」「ふるさと納税を子ども支援に」などで原発反対を正面から掲げていない。本書は「本当に"反原発の闘士"なのか」と記載する(56頁)。買収を拒否して土地を守るということは生活の問題でもある。反原発運動などのイデオロギーだけで語れない要素もあるだろう。
大分県姫島村では安易な企業誘致が失敗した事例を取り上げる。東急社長の五島昇らを経営陣に加えて車エビの養殖を始めたが、「当時の養殖技術では生産が追い付かず、業績が伸び悩み、大資本があっさり撤退してしまう」(197頁)。その後、村自身が出資し、養殖技術の向上に取り組み、姫島車エビというブランドを確立した(198頁)。大資本が撤退とあるが、むしろアウトプットを出さない経営陣は切ることが正しい対処になる。
姫島は外からの開発の甘い話を拒否し続けてきた。このため、さびれたリゾートホテルや悪趣味なレジャー施設のようなバブルの傷跡は見当たらない(112頁)。デベロッパーと組み、住民無視で再開発を進める自治体とは対照的である。現実に東京都世田谷区の二子玉川ライズ(二子玉川東地区再開発)や川崎市宮前区の鷺沼駅前地区再開発は住民無視の再開発と反対運動が起きているが、世田谷区や川崎市と東急電鉄との協定が再開発の出発点になっている。
開発問題は愛媛県松野町でも出てくる。四国では四万十川が清流として有名である。この四万十川に合流する広見川が松野町に流れている。「上流の愛媛側はコンクリートによる護岸整備が行き届き、下流の高知側は工事が進んでいない」(139頁)。高知県側が自然を残していたことで観光地としてのブランド力を高めることになった。これは「利益誘導型の自民党政治が仇となった例」と評されている。
姫島村に話を戻すと村長は親子二代で無投票の多選を続けた。村を「住みよい北朝鮮」とする表現もある(110頁)。デベロッパーの乱開発を拒否して住環境を守れるならば世襲村長も悪くないとする見解も成り立つかもしれない。しかし、日本の村社会ではボスの一存で再開発が頭ごなしに進められるパターンの方が圧倒的に多いだろう。デベロッパー担当者もボスを懐柔すればよく、個々の住民を無視する傾向がある。