- 本 ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041099148
感想・レビュー・書評
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ずっと積読してあったけど最近文ストを見たのと、夏川さんの本を読んでから昔の人の本を読みたいなと思っていたのが相まってやっと読み終えることができた。
太宰治が書く生き方の悟りや、人生とは儚く、人間は恋と革命のために生まれてきたのだという文章がとても好きだ。
「生きたい人は楽しく生きたらいいし、それはそれで綺麗なことだと思う。人間に生きていく権利があるのと同じように死ぬ権利だってあったっていいじゃないか。」という太宰治の思考は私と同じで、自分だけじゃないんだと思えた。自分も変わった思考だと思っていたけど、理解者がこんな昔からいたのかと思うと少し救いになった。
他の文豪の作品も読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごく人間心理の解像度が高い。内容を完全に理解するには、人生経験積まないと難しそうだなと思いました。
もう一度ちゃんと読み直したい! -
太宰治の中では後期にあたる作品。
身分の高い貴族のもとに生まれ育った語り手がやがて落ちぶれていく様子を描く。”母”という存在の大きさと幻影性からは、これが"女性"の物語だということを強調しているようでもある。
ここで書かれる「貴族から落ちぶれる」ことが当時においてどれほどの意味を持っていたのか、私には正直よくわからない。だけどこの小説で太宰がやろうとしてたことはなんとなくわかる気がする。それはおそらく「美しく滅ぶ」ことだ。
また、私がこの小説を読んでいて興味深いと思ったのは、太宰治本人の代弁者である人物が、語り手の”弟”というポジションに置かれている点で、相変わらず生きづらさ、息苦しさ、不安、それでも明るく振舞おうとする器用で不器用なところ、いわば「道化」、そんな我々の中にある「太宰治っぽい」イメージを体現している存在が、ある種の客観性を持って描写されている点だった。
つまり彼が”自殺”してしまうまで、彼の言動は客観性を帯びた太宰の弁なわけで、語り手の主観としてそれを聞くこととなる。
当然の帰結として、彼が自殺し、"いなく"なってしまった後は、わずか数ページの間ではあるけれど、語り手の言葉、主張には太宰の精神がストレートに乗っかることとなり、「いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です」と声高に言って幕を閉じる。
ゆえに、私はこの小説が、太宰なりの「自立した女性」が生まれる瞬間を書こうとしたのかな、なんて想像する。 -
太宰ってたなあ。本当。太宰治の文章に触れるとなんかホッとする。図書館で借りたものなので、手元に置き続けれないのが残念。
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そう言えば『斜陽』は挫折したきりだったなと思いあたり講読。前回は食事の場面しか読んでなかったことが判明。最初も最初である。
当時の自分は高1くらいだったと思う。「スプウンひらりひらり」が気に入らなかったのか「お母さまがおしっこ」が気に入らなかったのか、、、多分言葉のリズムが気に入らなかったんだと思う。
当時の上流階級の女性の語り口はこんな感じだったのだろうか?大人になって読んだ『女生徒』は「なんかわざとらしいなぁ」と思いながらもニヤニヤと読めたのに『斜陽』はなぜか鼻についてしまう。太宰の代表作なんだからと辛抱して今回はなんとか読み切った。
当時の世情をよく知らぬまま、言葉使いや考え方に文句を言っても仕様がないのだが、ストーリーに関してはいくらなんでも青臭すぎるだろうと感じた。太宰自身の投影である直治や上原が青臭いのはもちろん、主人公かず子に至っては薄っぺらさまで感じてしまう。有名な“恋と革命のため”もその場の思いつきにしがみついたようにしか思えず、その悲壮な決意を切ないと感じられれば良いのだが、今ひとつエンパシーが湧かない。評価は甘めにつけて星3つです。 -
直治みたいな友達がこの作品をすすめてくれました。
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今月の“千年読書会”の課題本、でした。
手元になかったので角川文庫版をチョイス、
表紙が暗闇の中で微笑む少女と、なかなかに印象的です。
さて、物語の舞台は戦後間もない、混乱期の日本。
そして軸になるのは4名の男女、でしょうか。
どこかお嬢様然としたバツイチの、「かず子」。
復員後、なんとも退廃的な生活を送るかず子の弟、「直治」。
戦後の混乱の中でも誇りを見失わず凛と在り続ける、その二人の「母」。
そして、どこか太宰を投影したかのような無頼な小説家、「上原」。
戦後の混乱期にそれぞれが悩み、苦しんでいる、
そんな様子の物語が綴られていくことになります。
劇中では主に、かず子の視点で語られていきますが、、
皆が悶えている中でも、どこか危機感のない悩みを持ち続ける彼女、
そんな様子を楽天的で前向きととらえればよいのか、
ただの甘ったれと断罪すればよいのか、、悩ましいところです。
直治と母、二人を失っていく中でも、
さして好きでもない上原との不義の子を授かりたいと。
およそ生活力のないかず子が、シングルマザーとなる、
先に見えるのは緩やかな破たんでしかないとも思いますが、、
この後、“母”となったかず子がどうなっていくのか、
意外と強かにのほほんと生きていったのではないか、と個人的には。
そんな根拠のない明るさが、戦後の苦しい現実の日本社会において、
受け入れられていった理由ではないかなと、そんな風に感じた一冊です。 -
2023.6.21 読了。
元華族であったかず子と母は貧困していく中、伊豆へと引っ越す“最後の貴族”であった母親は結核を患い亡くなってしまう。徴兵から帰還した弟・直治もまた酒や麻薬に溺れ自殺してしまう。そんな中でもかず子は直治の知り合いの既婚者の作家で奔放に生きる上原に恋をし、彼の子どもを身ごもりひとり産む決意をする。
名作というものをほとんど読んだことがなく難しいと思い読まず嫌いをしていたが読んでみると感慨深く、読んでみて良かったと思った。
序盤はかず子も母親もどこか夢見がちで金銭感覚に疎い感じがしたし弟も自堕落な生活を送り続け、この一家は大丈夫なのだろうか?とほんの少しイライラとしたが、読み進めるうちに元華族であるプライドや時代の流れに翻弄され誰もが一生懸命苦しみながら生きているのだと思えてきた。
肉親を失くして、なお自分のひたむきな恋心に忠実に生き「人間とは恋と革命のために生まれてきた」とまで言うかず子の覚悟がかっこいいとまで感じるようになったし、直治の「人間は、自由に生きる権利を持っていると同様に、いつでも勝手に死ねる権利を持っている」という言葉は本当に生きることに苦しみ抜いて悩み、葛藤した者にしか言えない重い言葉だと思った。 -
「私=かず子」の目線で語られる。
冒頭のスウプを召し上がるお母様のシーンは、上品で美しく、印象深い。
このシーンが象徴的に初めに語られるからこそ、ここからの転落が悲しい。
気高い貴族であるお母様との暮らしは、次第に落ちぶれてゆく。
お母様は結核でこの世を去る。
帰国した弟は酒と薬に溺れ、かず子自身もダメ男に惹かれてゆく。
美しく気高かったものが、汚れ落ちぶれてゆく様。
けれどもそれはある意味、表面ばかりきらびやかに飾った薄っぺらな生活から、人間臭く逞しく生きる事への変貌だ。
終盤の直治の遺書が痛い。
貴族という亡霊に追われ、こうする他なかったのだろうか。
ラストのかず子の手紙文中、上原にするお願いがある。
その事柄は、女の意地と図太さと、そうしなければ先に歩いてゆけないか弱さが複雑に絡み合ったものだ。
尊敬と恋慕からマイ・チェーホフだったはずのM.Cも、マイ、コメディアンと記される。
それでも読者である私の脳裏には、眩しすぎるほどの西陽にふらつきながらも、泥にまみれても力強く前を見据えて立ち上がるかず子が浮かんだ。
気になったので昭和22年2月7日を検索すると、
「華族世襲財産法を廃止する法律案」が、帝国議会に提出された日とあった。
これ、当然太宰は知っていての事…なんだよねぇ?
現実の法案提出と、かず子の手紙がシンクロする。
「斜陽」は滅びの美しさと表現されるけれど、当時の現実の社会で、実際に似たような事例があったりしたのだろうな。
敗戦後の復興の影で、時代に気圧され没落していった貴族・華族。
愚かな戦争行為の副産物は、長く長く様々な形で生まれてゆく。
現実の滅びとは、そんなに美しいものではない。
太宰というと「人間失格」「走れメロス」などが挙げられがちだが、
私が好きなのは、「斜陽」と「津軽」だ。
斜陽とは西に傾いた太陽の事だけれど、
新しい波に圧倒的に押されて、次第に没落してゆく様との意味もある。
当時本作が話題を呼んで、時代の流れにより落ちぶれていった元上流階級の華族などを斜陽族と呼んだりしたらしい。
蛇足だが、「斜陽」を読み終えてから何年も後に、ユトリロ展を訪れた際は、
あぁ斜陽にも出てきたなーなんてぼんやりと思ったものだった。
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おはようございます。
太宰治良いですよね。自分も一時はハマり、多くの作品を食い入るように読み漁りました。
意外にユーモアに富んだ作品や、ひた...おはようございます。
太宰治良いですよね。自分も一時はハマり、多くの作品を食い入るように読み漁りました。
意外にユーモアに富んだ作品や、ひたすらに病んだようなものだったり。
自死を選んだ作家は多いですが、彼ほど不思議と惹かれる作家はいないかと思います。
今再び、改めて、読み返してみようと思いました。2023/11/07
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著者プロフィール
太宰治の作品





