日本古典と感染症 (角川ソフィア文庫)

制作 : ロバート キャンベル 
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 97
感想 : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041099421

作品紹介・あらすじ

万葉集から、方丈記、江戸の役者絵、正岡子規まで。古典籍をひもとけば、古の人々がどう病と向き合い、苦しい状況の中で希望を見出していったのかがわかる。歴史を学び、現代の糧とする文庫書き下ろし!

感想・レビュー・書評

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  • 日本古典と感染症 - 古典に親しむ | 国文学研究資料館
    https://www.nijl.ac.jp/koten/learn/post-14.html

    日本古典と感染症 ロバート キャンベル:文庫 | KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000659/

  • 読了までに随分時間がかかってしまった。
    最初のロバート氏の全体の概論的話が個人的には一番難解だった。
    ロバート氏、日本語堪能すぎだろう。

    万葉集の時代から森鴎外、夏目漱石の時代までの感染症についてを古典文学や文章として残された記録、果ては浮世絵などの絵画にまで言及した一冊。
    さすがソフィア文庫、内容が濃い。

    驚いたのは、ころり=コレラ、この言い方が、コレラが訛った訳ではなかったという話。
    コレラという名前は一部の蘭学者の間でしか知られておらず、元々あった「ころり」という言い方をその病気の通称としていたとのこと。
    そうなると、音が似ていたのは偶然の一致ということに。
    驚きである。

    あと印象深かったのは、「ないない尽くし」
    本文にもあったが、是非声に出して読みたい一節だったと思う。
    「ああ、こんな時代だったね」とコロナ禍も笑い飛ばせる時代が早くきて欲しいものだ。

  • ・またコロナ関連である。かういふ時である、出版界も際物狙ひでいろいろと出す。そんな1冊(だと思ふ)、ロバート キャンベル編著「日本古典と感染症」(角川文庫)である。しかし、本書は単なる際物では終はらない。編者は国文学研究資料館の館長であつた人である。その、言はば配下に書かせてなつたのが本書である。総論を含めて古代から近代、つまり万葉集から鴎外、漱石までを網羅する15編を収め る。感染症は感染症である。コロナだけではない。それゆゑに、こちらのイメージといささか外れる論文もある。まとめ方もそれぞれである。それでも、「生をむしばむ影に一条の光を見出す読者が一人でも多くページをめくって下されば幸いです。」(キャンベル、 27頁)と始まる。
    ・私が最もおもしろいと思つたのは木下華子「『方丈記』『養和の飢饉』に見る疫病と祈り」であつた。鴨長明の生きた時代は大変な時代であつた。大火、辻風、飢饉、地震、長明はこれらを実際に経験した。私は気にもしなかつたのだが、実は助動詞の使ひ方に問題があつた。過去の「き」「けり」である。「方丈記」ではこれが書き分けられてゐるといふ。「過去・回想をあらわす場合、作品全体 における『き』の使用量は『けり』の二倍以上に及ぶ。」(85頁)ごく大雑把に言へば、「き」は経験過去、「けり」は伝聞過去である。「方丈記」では経験過去の「き」が中心であつた。当然である。逆に「『けり』が用いられるのはすべて五大災厄、すなわち 『方丈記』執筆からおよそ三〇年前の出来事を振り返る箇所である。」(85〜86頁)これはいかなることを表すのか。すなはち、 自らの経験でないことを伝聞によつて書いたといふことである。しかも上記災厄中で「『養和の飢饉』は明らかに特殊である。」 (86頁)養和の飢饉では「けり」の使用が多いのである。この時、長明は飢饉の多くの情報を「直接経験ではなく、間接的に、他者 を介して手に入れ」(同前)たのであつた。私は「方丈記」に書かれたことは長明自らが体験したことだと思つてゐた。さうではなか つた。長明はいつ果てるともしれぬ飢饉の中で自ら情報を求め、それをもとにして飢饉の様を記述したのであつた。「直接体験による見聞でないからといって、非難すべきことではない。」(87頁)とわざわざ筆者は書いてゐる。これは非難する人がゐた、あるいはゐるといふことであらうか。個人的には、その時代に生きてゐればそんなことは言へなくなると思ふ。誰もが生きることに精一杯であ つたはずだからである。従つて、「方丈記」を書いてゐる時、長明の手に入れた「ふさわしい情報の取捨選択が行われたはずだ」(88頁)といふのはありうることである。人間誰しも都合の良いことは残す。残したくないものは残さない。長明にも残したくない ものはあり、それが記されずに後世まで残らなかつたといふことはあらう。災厄でもあるかもしれない。それがどんなことであつたかと思ふのはいささか不謹慎かもしれない。清少納言や吉田兼好はかくも陰惨な情景を描いてはゐない。しかし、それに類することを経験してゐるはずである。これはどの時代でも同じこと、現代医学も持て余す感染症はまだ多い。まして医学よりも加持祈祷の時代であれば、感染症は不治の病であつたらう。だからこそ情報が必要だつた。飢饉の中、長明は情報を求めて走り回つた。それが「き」「け り」に凝縮されてゐたとは。私も迂闊であつた。過去に限らず、助動詞のことを考へながら読むと、また新しい発見があるかもしれな い。伝聞過去で最後に登場する隆暁法印は、それゆゑに長明に大きな印象を与へた人であつたわけである。

  • 万葉から近代まで凡そ1300年間の文学書から感染症について15人の学者さんが考察している論集。全て書き下ろしとの事。
    1番面白かった考察は「養生の基底にある思想 『延寿撮要』から『養生訓』へ」。「未病」と言う最近話題のワードが出てくる。『未病の時治療するを養生者といふべし』と。
    論文的な文章をとても久しぶりに読んだので読み終わるのに時間がかかりました。
    1300年の昔からの先人達の記録を読んでコロナ禍どう対処していくか考えるきっかけになるかなと思います。

  • 面白かったのは、2箇所。
    ①平安時代物語・日記文学と感染症
    疫病を軸に、様々な文学作品が繋がり合っていることを解き明かしてくれる章。『和泉式部日記』と『栄花物語』の内容が『枕草子』と感染症でリンクしていく!面白い!
    ②近代小説と感染症
    夏目漱石、チフスのメアリーの記事を追っかけてたのか!だから作品の随所に腸チフスが絡んできてたのか!!

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著者プロフィール

ロバート キャンベル Robert Campbell
日本文学研究者。国文学研究資料館館長。東京大学名誉教授。
ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士。1985年に九州大学文学部研究生として来日。専門は近世・近代日本文学。とくに江戸後期~明治前半の漢文学に関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。著書には『Jブンガク 英語で出会い、日本語を味わう名作50』(編集、東京大学出版会)、『ロバート キャンベルの小説家神髄 現代作家6人との対話』(編著、NHK出版)、『東京百年物語』1~3(編集、岩波文庫)などがある。

「2019年 『井上陽水英訳詞集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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