堕落論 (角川文庫 緑 100-3)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 84
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041100035

感想・レビュー・書評

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  • タイトルに惑わされるなかれ。すばらしい、良書である。私は、坂口安吾が大好き‼

  • 立ち止まった時に読み直したい。
    いや、立ち止まりたいから読み直すのかもしれない。

    天皇制を切る、武士道を切る、貞節を切る。
    切れ味鋭いが、時に安堵を覚えるのは何故か。
    現実主義の中にロマンチストな部分を感じる。

    ただ少し読みづらい部分もあり。

    <以下引用>
    めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか。
    (「デカダン文学論」より)

    人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
    (「堕落論」より)

    人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともなく厳粛なものだ。詩的態度は不遜である、空虚である。物自体が詩であるときに、初めて詩のイノチがありうる。
    (「恋愛論」より)

  •  第二次大戦直後に若者達の強い支持を得た「堕落論」ほか数編を収めたエッセイ集。「堕落論」で展開される考え方もよかったが、むしろ他のエッセイで書かれた文章の中に興味深いものが多い。文化、文学、恋愛、内省、実存、政治、宗教など、ほとんどの分野における著者の考え方を網羅しているといえるのではないか。それぞれの場面で本業ともいえる文学論を絡めているため、一本筋の通った思想を読み取ることができる。なかには、現代においては一般的な考え方が、当時では異説として扱われていた様子をみてとることができ、そこに時の流れが感じられるような点もまたおもしろい。いずれにしても、作家など自分の思想を表現することを生業とする人達は、いつの時代も孤独を抱えて生きていくものなのだな、ということを強く感じられた。

  • この本は電子ブックとして図書館に所蔵されています。紙の本は所蔵がありません。閲覧する場合は以下のURLからアクセスしてください。
    https://web.d-library.jp/kokushikanlic/g0102/libcontentsinfo/?conid=156566

    (LibrariEを利用するにはIDとパスワードを申請する必要があります。申請方法は図書館のHPからご確認ください。
    https://www.kokushikan.ac.jp/education/library/librarie.html

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  • 緻密な文章に感動を覚えたことを覚えている。

  • 日本文化私観、堕落論、続堕落論のみを再読

    日本人としての強みは旧来の道徳観や美徳、情緒。その回帰こそが、堕ちてく社会、民主主義、資本主義の中で重要なことになりそうな予感はしていた。

    一方で、旧来の道徳観などが崩れ去り、新たな価値観が日本に導入されようとしていた全く逆のタイミングでかかれた堕落論。ではその内容も全く正反対のものなのか。決してそうでなかった。

    日本文化私観では、古くからある伝統的なものに対して、厳しい態度を取りながらも、真に必要なものであれば生き残るべしという姿勢を見ることができる。

    また堕落論、続堕落論では、旧来の道徳、思想、価値などすべてを剥ぎ取り、徹底的に落ちることで、再び自分自身をとなり、自分自身を救うことができると述べている。

    人は無限に堕ち切れるほど堅牢な精神に恵まれていない。何者かカラクリによってたよって落下を食い止めずにはいられなくなるであろう。それのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間は進む。堕落は制度の母胎であり、その切ない人間の実相を我々はまず最も厳しく見つめることが必要なだけだ

    という言葉で終わる。

    旧来の価値観をくずし、新しい価値観を実装し、またその価値観を崩し、ただしいものを求め続ける。これが人間であり、歴史の中で繰り返されてきたことなのかもしれない。だから私たちも堕ち続け、つくり続け、崩し続ける。

  • 久々に再読。
    「堕落論」の切れ味はさすが。
    当時、on time で読んでいたらすごい衝撃と思う。

  • 坂口安吾の社会評論と作家評論を集めたもの。
    日本文化私観や続堕落論における日本人論・人間論はややシニカルだが、キレがある。20世紀後半に人間科学が人間の思考の癖や非合理を解明する以前は、「人間がどういったものか」という問いに最も精緻な回答を持っていたのは、安吾のような一部の文学者だったのだろうと思わせる。

  • 2016.6.30
    デカダン文学論まで読了。私は別に文学に通じているものでもなければ、文学かくあるべしと思う人間でもない。ただ、この堕落論と青春論の根底に流れる、ニーチェ的とも言える反道徳主義というか、本当の生き方に、人間の生というものに対する、どこまでも清濁飲み込もうという誠実さと意志と苦しみと悲しみが好きである。天皇制も武士道も人間の堕落性への反動として生まれた道徳規則または制度だが、そうして人間の本性に対して美徳だの何だの制限を加える日本が、アメリカに勝てるはずはなかったのだと痛烈に批難する。徹底的に人間の愚かさを自覚することで、そこからより本質的な必要というものが見出される。必要は発明の母であり、徹底的な堕落によって見出された必要が、より力強い道徳や制度を作る、だから人間の本性を誤魔化すな、直視しろ、ちゃんと生きろ、という。キリスト教的道徳が弱者のルサンチマンから生み出された虚偽であるといったニーチェと、やはりどこか通じるところがある気がする。堕落論、というが、その言葉のニュアンスほどネガティブなことを言っているわけではない。人間本性は何もどうしようもない欲望ばかりではなく、正しさや善さを求めようという欲望だってあるのだ。ただ、やや偽善的によってるからこそ反動的に堕落せよと言っているだけであり、本当を言えば坂口の主張は、自らの生に、人間の生に、嘘をつくな、この一言に尽きるのではないか。しかしその何と難しいことか。常に自分が何を感じているかを、清濁合わせて、つまりどれだけ非常識的、反道徳的なことを考えていてもそれを直視し、自覚するなんてことは、それを認めることは辛いことだ。さらに言えばそれらの本性に合わせて行為し生きていくなんてことはより不可能である。私がこの本を読んでできる事と言えば、ただ、自らを見つめる自らに嘘をつかないだけである。しかし人には嘘はつかざるをえない。真実に誠実に生きる場合のこのアンビバレント性を昇華する手段が、小説なのかもしれない。よいもない、悪いもない、ただただ、自らの内にあるものを、まず、道徳とか、美醜とか、善悪とか無視して、直視すること。そこから生への誠実な態度は始まるのだろうか。そしてその人間本性への深い深い、逃げない目が、直観が、強い人間洞察及び、それに基づいた、必要に基づいた、文化を生み出すのだろうか。強き者とは、弱さを最も知った者だろうか。強き者とは、かつて全く弱くて仕方なかった者であり、その徹底的な堕落の果てに浮上した者だろうか。いや、やはりただ自覚するだけでは弱いのかもしれない、。行為に移して初めて誠実なのかもしれない。ダメだ、でも私には恐ろしくて、道徳の虚偽に、いい人ごっこに逃げざるを得ない。堕落する強さ、弱き者になる強さがない。いやしかし、道徳は虚偽という道徳の相対化は見事にしても、そこから堕落すべしは帰結できなくはないか?やはり第一法則は生に嘘をつくべからず、であり、しかしそれはどういうことかを考える必要はあるだろう。いやでも、なぜ嘘をついてはいけないのか?こんなことを考えるのは文学の仕事ではなく哲学の仕事だろうか?

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著者プロフィール

(さかぐち・あんご)1906~1955
新潟県生まれ。東洋大学印度倫理学科卒。1931年、同人誌「言葉」に発表した「風博士」が牧野信一に絶賛され注目を集める。太平洋戦争中は執筆量が減るが、1946年に戦後の世相をシニカルに分析した評論「堕落論」と創作「白痴」を発表、“無頼派作家”として一躍時代の寵児となる。純文学だけでなく『不連続殺人事件』や『明治開化安吾捕物帖』などのミステリーも執筆。信長を近代合理主義者とする嚆矢となった『信長』、伝奇小説としても秀逸な「桜の森の満開の下」、「夜長姫と耳男」など時代・歴史小説の名作も少なくない。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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