堕落論 (角川文庫クラシックス)

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レビュー : 79
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041100035

感想・レビュー・書評

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  •  第二次大戦直後に若者達の強い支持を得た「堕落論」ほか数編を収めたエッセイ集。「堕落論」で展開される考え方もよかったが、むしろ他のエッセイで書かれた文章の中に興味深いものが多い。文化、文学、恋愛、内省、実存、政治、宗教など、ほとんどの分野における著者の考え方を網羅しているといえるのではないか。それぞれの場面で本業ともいえる文学論を絡めているため、一本筋の通った思想を読み取ることができる。なかには、現代においては一般的な考え方が、当時では異説として扱われていた様子をみてとることができ、そこに時の流れが感じられるような点もまたおもしろい。いずれにしても、作家など自分の思想を表現することを生業とする人達は、いつの時代も孤独を抱えて生きていくものなのだな、ということを強く感じられた。

  • 日本文化私観、堕落論、続堕落論のみを再読

    日本人としての強みは旧来の道徳観や美徳、情緒。その回帰こそが、堕ちてく社会、民主主義、資本主義の中で重要なことになりそうな予感はしていた。

    一方で、旧来の道徳観などが崩れ去り、新たな価値観が日本に導入されようとしていた全く逆のタイミングでかかれた堕落論。ではその内容も全く正反対のものなのか。決してそうでなかった。

    日本文化私観では、古くからある伝統的なものに対して、厳しい態度を取りながらも、真に必要なものであれば生き残るべしという姿勢を見ることができる。

    また堕落論、続堕落論では、旧来の道徳、思想、価値などすべてを剥ぎ取り、徹底的に落ちることで、再び自分自身をとなり、自分自身を救うことができると述べている。

    人は無限に堕ち切れるほど堅牢な精神に恵まれていない。何者かカラクリによってたよって落下を食い止めずにはいられなくなるであろう。それのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間は進む。堕落は制度の母胎であり、その切ない人間の実相を我々はまず最も厳しく見つめることが必要なだけだ

    という言葉で終わる。

    旧来の価値観をくずし、新しい価値観を実装し、またその価値観を崩し、ただしいものを求め続ける。これが人間であり、歴史の中で繰り返されてきたことなのかもしれない。だから私たちも堕ち続け、つくり続け、崩し続ける。

  • 久々に再読。
    「堕落論」の切れ味はさすが。
    当時、on time で読んでいたらすごい衝撃と思う。

  • 立ち止まった時に読み直したい。
    いや、立ち止まりたいから読み直すのかもしれない。

    天皇制を切る、武士道を切る、貞節を切る。
    切れ味鋭いが、時に安堵を覚えるのは何故か。
    現実主義の中にロマンチストな部分を感じる。

    ただ少し読みづらい部分もあり。

    <以下引用>
    めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか。
    (「デカダン文学論」より)

    人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
    (「堕落論」より)

    人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともなく厳粛なものだ。詩的態度は不遜である、空虚である。物自体が詩であるときに、初めて詩のイノチがありうる。
    (「恋愛論」より)

  • 2016.6.30
    デカダン文学論まで読了。私は別に文学に通じているものでもなければ、文学かくあるべしと思う人間でもない。ただ、この堕落論と青春論の根底に流れる、ニーチェ的とも言える反道徳主義というか、本当の生き方に、人間の生というものに対する、どこまでも清濁飲み込もうという誠実さと意志と苦しみと悲しみが好きである。天皇制も武士道も人間の堕落性への反動として生まれた道徳規則または制度だが、そうして人間の本性に対して美徳だの何だの制限を加える日本が、アメリカに勝てるはずはなかったのだと痛烈に批難する。徹底的に人間の愚かさを自覚することで、そこからより本質的な必要というものが見出される。必要は発明の母であり、徹底的な堕落によって見出された必要が、より力強い道徳や制度を作る、だから人間の本性を誤魔化すな、直視しろ、ちゃんと生きろ、という。キリスト教的道徳が弱者のルサンチマンから生み出された虚偽であるといったニーチェと、やはりどこか通じるところがある気がする。堕落論、というが、その言葉のニュアンスほどネガティブなことを言っているわけではない。人間本性は何もどうしようもない欲望ばかりではなく、正しさや善さを求めようという欲望だってあるのだ。ただ、やや偽善的によってるからこそ反動的に堕落せよと言っているだけであり、本当を言えば坂口の主張は、自らの生に、人間の生に、嘘をつくな、この一言に尽きるのではないか。しかしその何と難しいことか。常に自分が何を感じているかを、清濁合わせて、つまりどれだけ非常識的、反道徳的なことを考えていてもそれを直視し、自覚するなんてことは、それを認めることは辛いことだ。さらに言えばそれらの本性に合わせて行為し生きていくなんてことはより不可能である。私がこの本を読んでできる事と言えば、ただ、自らを見つめる自らに嘘をつかないだけである。しかし人には嘘はつかざるをえない。真実に誠実に生きる場合のこのアンビバレント性を昇華する手段が、小説なのかもしれない。よいもない、悪いもない、ただただ、自らの内にあるものを、まず、道徳とか、美醜とか、善悪とか無視して、直視すること。そこから生への誠実な態度は始まるのだろうか。そしてその人間本性への深い深い、逃げない目が、直観が、強い人間洞察及び、それに基づいた、必要に基づいた、文化を生み出すのだろうか。強き者とは、弱さを最も知った者だろうか。強き者とは、かつて全く弱くて仕方なかった者であり、その徹底的な堕落の果てに浮上した者だろうか。いや、やはりただ自覚するだけでは弱いのかもしれない、。行為に移して初めて誠実なのかもしれない。ダメだ、でも私には恐ろしくて、道徳の虚偽に、いい人ごっこに逃げざるを得ない。堕落する強さ、弱き者になる強さがない。いやしかし、道徳は虚偽という道徳の相対化は見事にしても、そこから堕落すべしは帰結できなくはないか?やはり第一法則は生に嘘をつくべからず、であり、しかしそれはどういうことかを考える必要はあるだろう。いやでも、なぜ嘘をついてはいけないのか?こんなことを考えるのは文学の仕事ではなく哲学の仕事だろうか?

  • 読みやすいんだけど、こちらの頭が悪いせいで、よく分かんないとこが多かった(>_<)。
    まあ、「常識にとらわれるな」ということを繰り返し語っているのは理解できた( ´ ▽ ` )ノ。
    同時代の太宰や芥川はともかく、大文豪・漱石までズタズタにブッタ切っててびっくりした(゚д゚)!。

    こういう本は細部の書き込みの方が後々記憶に残るものなんだよね。
    スピーチを笑ったら西洋人の先生に殺意のこもった目で睨みつけられたこととか、あらゆる男と寝る願望を性病を病んだ後も捨てられない女とか、下半身が「穴だらけ」になった少女の話とか……きっと、何年も先まで覚えてることだろうな。
    洋服とか便利な西洋文明は、導入が遅かっただけで、何時の時代に輸入されてもすぐに日本文化に溶けこんだろう(かといって、それで日本人が日本人でなくなるわけではない)、という指摘にはなるほどと思った( ´ ▽ ` )ノ。

    前半はまるでセンター試験の問題文みたい(たぶん、実際に何度もここから出題されたんだろうな)だったのに、後半はどんどん感情むき出しになっていって仰天(゚д゚)!。これが無頼派か。
    「不良少年とキリスト」は太宰に対する乱暴だが心のこもった哀悼文。自殺なんかするな、ってことだね……野性的な友情に胸が痛くなった……(´;ω;`)。

    2016/03/08

  • 坂口安吾『堕落論』角川文庫

    表題作品の「堕落論」の他、日本文化、青春、文学、夫婦、恋愛、小林秀雄、太宰治等に関するエッセイが収められている。

    ー生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうかー「堕落論」より

    戦後70年ということで、当時の若者たちの絶大な支持を得たらしい本著を読みました。

    おもしろい。

  •  最も読んでよかったのは、『不良少年とキリスト』だ。フツカヨイ的……。なんてすげぇ言葉だろう。太宰治についてこう書かれたことは、もっと多くの人が知るべきだと思った。『人間失格』を読んで、偉人を同一視して同化し、浸る人は多いんだろう。その多くの人が、どこかで誰かや何かに出会い、人間の闇を知った上でそれだけじゃないと学ぶ。間違いなく名著であり、読まれるべき本であったけれど、太宰治が自身を追い詰めた決定打にもなったんだろう。読めば、より同一視が進む人の方が多いのかな? 俺はそうだった。今回は免疫から、少しの間で消えるものだったけれど。読後、多くの人が克服して人生に支障が出なくなるものに、作者自身が終わらせられてしまったのであれば、なんと皮肉なことだろう。太宰のこの闇があまりにも深く、それが生み出した状況からだったのだろうけれど。
     俺の「堕落」についての言葉のイメージは、「怠惰」に近いものだった。もしかしたら、この著以降、「何もしない堕落こそ最も忌むべき堕落」という意識の微妙な変容が起こったのかもしれない?
     「人は永遠に堕落し続けることはできない」最近、自分自身がとんでもないことをしてしまった。人の記憶に深く介入して道を正してもらおうと(この時点でとてつもない傲慢が出ているが)、自身の悪い部分を全て出した罵倒をした。人間として最低な言葉の数々を口にして、人生で最も恥じ、ようやく俺の堕落は終わったと感じた。該当するいくつかの悪い部分から出た言動はもう二度としないし、できなくなった。ここが俺の、堕落の底だったんだろう。深すぎる羞恥が俺の堕落の止まり方だったんだろう。曖昧なものを言葉にしてもらう喜びは、深い。心からありがたい。そして『不良少年とキリスト』を同時に読ませてくれた編者にも感謝したい。一緒でなければ、俺には分からなかった。
     宮本武蔵の人格とそれによる生き方や、武士道は日本人から遠いものであるからこそ美しい(また美しく遠い)という考えには感嘆し、そして何より「人は美しいものを壊さずにいられず(処女は刺殺され)、そのため美しく美しいまま終わってほしい(死んでほしい)と思ってしまう」と言われたのには、揺るがされてしまった。でも違うことも思う。
    一生涯美しさを貫けなくても構わない。それでも正しく堕落し、人生の大部分と終わる瞬間から少し前までの間美しくあれれば、それは十分に素晴らしく、それが人にできる最大限。そして、そう生きて死ぬために、人は生きていくべきだ。これも、坂口安吾より俺の智がひどく浅いだけでなく、日本人的な楽観思考によるのかしらん? それに加えて俺が上を向いているからなら、嬉しい。

    なんかレビューってより日記になったな。

  • (1991.09.03読了)(拝借)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい―誰もが無頼派と呼んで怪しまぬ安吾は、誰よりも冷徹に時代をねめつけ、誰よりも自由に歴史を嗤い、そして誰よりも言葉について文学について疑い続けた作家だった。どうしても書かねばならぬことを、ただその必要にのみ応じて書きつくすという強靱な意志の軌跡を、新たな視点と詳細な年譜によって辿る決定版評論集。

  • ただ一言、「なんと無茶苦茶な文章なんだ」と言いたい。
    初めはいくらか理路整然としていて、言いたいことをしっかり言っている。
    ところが、終わりになるに連れて、何を言いたいのかわからない。酒に任せ、急いでつけたような結論。
    だがそれが、人びとにこの堕落論が面白いと言わせる所以たるものなのかもしれない。わかったふうな口を利いているが、ぼくは実は何も理解してはいない。ただただ親近感が湧いている。思わず苦笑してしまうような文章。
    ためになる、ならないで二分するような本ではないだろう。読むか、読まないか、ただそれだけである。人に読ませる本である以前に、これは坂口安吾が自分で書いたその証左であるだけにすぎない、とぼくは思う。

著者プロフィール

1906年、新潟生まれ。評論家、小説家。おもな著作に『風博士』『堕落論』『白痴』など。1955年没。

「2019年 『復員殺人事件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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