堕落論 (角川文庫)

  • 角川書店 (2007年6月23日発売)
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本 ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784041100202

作品紹介・あらすじ

「堕ちること以外の中に、人間を救う便利な近道はない」。第二次大戦直後の混迷した社会に、かつての倫理を否定し、新たな考え方を示した『堕落論』。安吾を時代の寵児に押し上げ、時を超えて語り継がれる名作。

感想・レビュー・書評

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  •  焦土、と言っていいだろう。家は焼け落ち、田畑は荒れて、路傍には浮浪者がうずくまる。人々は闇市に行列を作り、娼婦と孤児が夜の街を徘徊する…。どこか遠い国の話でも、マンガやラノベの話でもない。たかだか70年と少し前、他ならぬ私たちの国で、普通にみられた日常風景である。

     太平洋戦争後の混乱の中で、坂口安吾の『堕落論』は書かれた。わずか十数ページの小論文だが、そこに込められた熱量は凄まじい。「建設のために、まず破壊を」と説く過激さは狂ったテロリストのようでもあり、人間を見つめる静謐な眼差しは有徳の僧のようでもある。野蛮さと格調高さが奇跡的に融合した名文だ。

     かつては国の為に命を投げだした若者が闇市の商人になり下がり、貞淑だった戦争未亡人は別の男を追い求める。それはしばしば言われるように、敗戦によるモラルハザードなのだろうか? 安吾の答えは否である。敗戦は関係ない、それが人間の本性なのだ。戦争に負けたから堕ちるのではない、人間だから堕ちるのだ。

     安吾曰く、戦中の日本は美しかった。だが忠義と貞節など、美しい国を支えていた美徳は結局、空虚な幻影に過ぎなかった。その証拠に我々は、昨日までの敵国に、今日は嬉々として隷属しているではないか。我々は放っておけば、いとも簡単に二君に仕え、二夫にまみえてしまう民族なのだ。だからこそ為政者はことさら理想論を振りかざして、美徳という名の鎖で民衆を縛りつけずにはいられなかったのだ…と。

     戦後レジームが日本人を堕落させたのではない。日本人はただ本来の姿に戻っただけだ。生きてゆく以上は堕落するのは避けられず、その現実を受け入れるところから真の復興が始まるのだ。人間は弱いから、幻影にすがらずに生きることはできない。だからと言って、戦前の亡霊のような徳目を今更持ちだしたとてなんになろう。一人ひとりが生身の体で人間の「生」を体験し、実感として掴んだ血の通った理念のほか、すがるべき幻影などありはしない。…と、安吾は言っているように思える。

    〈生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか〉

    『カラマーゾフの兄弟』の未完に終わった第2部で、皇帝暗殺を企てるのは、敬虔なクリスチャンの三男であったという。してみると、テロリストのように民衆を煽動し、僧侶のように人間を慈しむ、安吾の思想にも矛盾はないのかもしれない。一流の聖職者ほど、闘争を厭わない激しさを心に秘めているものだろうから。硬直したシステムに風穴を開けることなしに、システムに押し潰されて窒息しかけている人を、救う手立てはないだろうから…。

     発表から70年たった現代でも少しも色褪せず、読む者の胸を打つ名文である。

  • 予期せず、すごく面白かった。
    ぜんぜんデカダンに感じなかった。

    著者の年譜で笑ったのは初めて(笑)

    太宰より好きかも。

    再読あり

  • 坂口安吾「堕落論」読了。“人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。”堕ちゆく事は是としながらもそれすら簡単にはいかない。そんな不条理が孕むからこそ生きていく事が愉快であり大切なんだと説く安吾の思いに魅了された。混沌な状況に一筋の道を垣間見た。

  • 本作は難解で私には難しく感じましたが坂口さんは時に面白いエッセイのような本を書いたり知的な本を書いたりと本当にバラエティーに富んでいる方なんだなと思いました。

  • 堕落論、難解だった。難解だったけど、この人の言いたいことは分かる。ただ私が自分の解釈をここにどのように書いたらいいのか纏まらない。
    終盤の「大阪の反逆」から「教祖の文学」「不良少年とキリスト」は坂口安吾の迫力ある文章と思いに圧倒された。まだ何となくだけど、この方、私は好きかもしれない。

  • 実を言えば何度も読む愛読書なので、今更という感じがあるけども、記録としてあげることにした。初めて読んだのは40年くらい前の高校生の頃だった、衝撃だった。敗戦のあとの日本人としてこんな考えがあるとは思わなかった。もはや戦争が風化していた。それが突然現実味をおびた。これからも戦争を儀式としてうわつっらだけ、伝えることはあるだろう。しかしこの本(正確にはこの本をよんだのではなく、別のほんなのだが)が残る以上、戦争の醜さとそれの上で生きている現代は批判され続ける。そしてそのことが希望になっている。何回も読んで、自分を戒めている。

  • これを読むと敗戦直後の日本にタイムスリップします。
    読んだその日から私のバイブルになりました。とりあえず生きろ!とこの作品で坂口安吾はずっと言っています。口悪いのにめちゃくちゃ頭良くて、器デカいのに鬱で、なんかとても魅力的な人物でした。
    まんが版もあるので難しくて読む気失せそうという方はまんが版から入るとエッセンスが分かりやすいです。私も最初はまんが版で読みました。墜落論、続墜落論と2つで一つの作品と思います。
    「不良少年とキリスト」では友人だった太宰治の死を受けて悔しい気持ちが感情のままに綴られているようで涙が出ました。ここでも、「自殺なんてするなよ、俺はお前の分まで生き抜いてやるからな!」と。
    坂口安吾のエッセイは難しい表現も多いのですが時々すごく感情的でそこがとても刺さるのです。

  • くらっちゃうよね。思想の力強さも、文章の無駄のなさも虜になってしまう。

    永遠はありえない、歴史に必然性はなく、人は人格を有する。そういったことを突き詰めて、実行したのが彼の生き方だったのだろう。

    名作と呼ばれる本ばかり読んでいても、浅い人間になりそうだけど、この作品に出会えて素直に感動している。

  • 『日本文化私観』
    秀吉の駄々っ子精神の部分がいまいち理解できなかった。三十三間堂の太閤塀を実際に見ていないからということもあるだろうが、自分にはそれも金閣銀閣と同じように金持ちの道楽的なものと区別がつかない。両者ともにそれそのものに意味などなく、他者に対して威厳を示したいだけの俗物だったのではないかと思った。
    文化を形成するのはあくまで人間だという考え方はとても的を得ていると思う。自分に置き換えると、確かに人から見られるのは過去に生み出した作品や過去の行動であるかもしれないが、「自分」というものはその作品ではなくてこの私自身であるということに改めて気付かされた。
    日本文化私観は日本の西洋化を「猿真似だ」と揶揄する人に対しての直接的な批判だと感じた。西洋化することは決して日本の誇りを失ったわけでもなければ西洋に盲目に心酔してるわけでもなく、ただ生活にとって必要なためであり、そこには必ず美が生まれると考えているように感じる。現代においてあらゆる面でコモディティ化が進み、模倣品に溢れているように感じられるがそこに美が感じられないのは「必要」から生まれた模倣ではないからだろう。技術が発展し、その物自体では差がつけられず、デザインなどで差を生むようになった現代においてもう一度「機能美」というようなものに焦点を当ててみると面白いかもしれない。

    『青春論』
    彼にとって青春は人生そのものであり、現実の奇蹟を起こすために小説を書いていると言っているように私は思った。常に奇蹟を追い求めることは気づくたびに落胆することの表と裏だと述べられているが、この言葉はとても印象深かった。いままで私は奇蹟というものを自分の外に見ていたが、現実の奇蹟として自分で山を掘って金を出すということをしてこなかったと感じた。人生の救いを自分以外に求め、自らの闘争心を失くしてしまったらそれこそ生きてる意味を感じられなくなると思う。私も宮本武蔵のように人生半ばで闘争心を失うという「区切り」をもって青春時代を語るのではなく、できることなら死ぬときまで前進し続けるような人間でありたい。

    『堕落論』『続堕落論』
    自分もどこかで他人に救いを求めてたのかもしれない。もっと真っ当に落ちて欲望の赴くまま、自分の力で生きようと感じた。
    衝撃的だったのは戦中の日本人の姿がイメージしていたものと異なっていたことだ。空襲の最中、妙な落ち付きと決別し難い愛情を持っていて、そんな状況を楽しんでいた人もいたということが、全く異なる世界に生きていながらスリルが楽しくなるようないまの感覚と似たようなものを感じて、戦中の日本人もまたただの人間だということを実感した。
    そして、耐え凌ぐことが美徳とされている文化への批判はとても共感した。必要は発明の母なりという言葉通り、我慢というものは停滞であり、思考の放棄であると私も考えた。例えば怒られている時にその場を耐え凌ぐために無心で謝罪の言葉を言うのは簡単だが、自己を内省しその意味を理解することこそ人間として成長すると思う。私も自分に甘えて我慢することなく自分の欲求と向き合い、そのたびに考え、成長したいと思う。
    尾崎咢堂の世界連邦論というものが作中で触れられていたが、日本人という枠組みを捨てて世界人として区別なく生きるべきだという考えがもしかすると現代においてもっと共感できるのではないかと思い、読んでみたいと思った。

  • 小気味良い痛快な内容だった。

    人間は堕ちるとこまで堕ちきり、そこで新たな自分を見つけ、救われる。

    堕ちないように、堕ちないようにとなんらか手立てをしたところで、人間は堕ちるのだし、堕ちきってからの方が本当の人間として生きられる。

    下手な倫理観で人の失敗を嘲笑ったり、不倫浮気をネタに視聴率を稼ぐ世の中だけど、本当に本気で生きて堕ちたのなら、そこからが本当の人間としての生き方になるんだと思う。

    現在進行形で堕ちている自分。死にたいと思って生きているが、どうやら、どんな状況においてもただ生きることが、シンプルで素敵なことなんだろうなぁ。

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著者プロフィール

1906年生まれ、1955年没。太平洋戦前から戦後に活躍した小説家。代表作に『堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下』等。

「2024年 『青鬼の褌を洗う女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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