- 本 ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041100783
作品紹介・あらすじ
農業、教育、宗教、思想、戦争、そして3月11日の東日本大震災について……日本の知性を代表する知のフロントランナーの2人が日本の未来を語り合う。いったいこの国はどこへ行こうとしているのか。
感想・レビュー・書評
-
対談なのでさらっと読める割には濃い!
日本に必要なのは「男のおばさん」!
日本人は「辺境に住む野蛮人」!
カタカナ言葉が多かったり
100%理解したとは言い難いけど
思考の欠片を拾うような面白さがあった
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本来、生態系に依存しない原子力は「神の火」であり、原子技術はいわば「荒ぶる神」をどう祀るかという問題で「神霊的」な捉え方。だから欧米での原発は神殿を模して作られており「一神教」の宗教意識が成り立っている。一方で日本はどうか?「神の火」でなく「アメリカの火」であり、「荒ぶる神」でなく「カネになる木」とねじくれた捉え方をした。原子力がカネ儲けの道具ならばコントロール可能であると勘違いし、恐怖心が抑制された。原発の設備をあれだけ粗雑に作ったのは原子力に対する恐怖心をごまかそうとしたからである。
-
内田先生を追っかけています。でも僕の頭ではついていけな〜
-
元は『日本の本流』というタイトルで出版予定だったそうですが、東日本大震災が起こり、文脈が変わってしまったのでタイトルどうしよう、、と迷い、文脈が変わったのだから『日本の文脈』でどうか、ということになった、と冒頭にありました。発刊から9年経ってコロナ禍が起こりまたしても文脈が変わりいろいろ見直し考え直すタイミングで読んで良かったです。カタカナの専門用語や人物名に翻弄されながらも、全編通して対談の書き起こしというつくりだったので例示などもざっくばらんで、読みやすかったです。もともと中沢新一さんのやっている学問を理解したい欲求があり『チベットのモーツァルト』もカイエ・ソバージュのシリーズも読んでいますが、興味が満たされる満足感よりも理解したいけど理解しきれないもどかしさの方が大きかったのですが、この本は楽しんで読めました(とはいえ全部を理解したとはやはり言えないのですが)。読みやすかった分、雑な言い様の部分もありつつ(男のおばさんとか)、特に印象に残ったのは、贈与と資本主義の関係についてで、対等でない二者の間でのやりとりは資本主義経済の関係性だけでは無理である、という論。教育者と学ぶ者、医療者と病人(けが人)、介護者と要介護者、などはもともとの関係性が対等ではなく一方からもう片方への贈与ありきでないと健全な継続はおぼつかない、だからいろいろオカシクなってしまっている、というのは腑に落ちやすかったです。一神教的な思考と、土着の思考など、価値観とはまた違う、考え方の軸というか技術というか筋肉の使い方のようなところを紐解いてくれて、非常に興味深かったです。また折りを見て、ときどきこういう刺激も入れていきたいと思いました。面白かったです。
-
中沢新一と内田樹の対談集。
要所要所に「お!」と思うポイントがあるのだけど、私はそれで終わってしまう。「おばさん」よろしく、飲み会でダラダラ話しているあの感じと似てる。
物足りないような気もするけど、「お!」って思うポイントで思い切り論破されてもキナ臭くなりそうな気もするし、結局そんなポイントを自分で勝手に解釈しながら日々の微調整に役立てている、といった感じでしょうか。
全体的にすぐに何の役に立つ訳でもないけど、考え方とか、何を大切なものとするかとか、そういうのはめちゃんこ面白い。それは人生に生きているのかと言われれば微妙なんだが。あくまでスパイスかしら。 -
内田先生と中沢先生の対談本。
内田本をいくつか読んだ人にはお馴染みであろうテーマ(贈与、労働、神話)が随所に散りばめられている。
人は歴史を進行させる上でどうしようもなく「物語」を必要としているのであり、グローバル資本主義のような、機械的で非人間的な方法を採用しているといつかがガタが来る、といういつもの警句が並んでいる。
最終章ではそのいつもの警句が311以降の日本社会とどのように対応しているか、また、これ以後どのように人は振舞えば良いか呈示されている。
-
面白かった。
『呪いの時代』と言ってること自体はあんまり変わってない。
贈与の重要性を言っておかなければ、焦りじゃないけど、
そういう必要みたいなのに駆られてる気がした。
あぁ今の日本って私も含めてほんとに余裕がないんだなと感じる。
こういった重要性を説かなければいけないくらいには余裕がない。
でも、だから日本はもう駄目だよね、ってなりすぎない。
私がこの人の書くものが好きな理由はそこなんだなと思う。
必要以上に悲観的にならない。否定的にならない。
いつも「じゃあどうしたら日本が日本として生きていけるか」
っていうのが考えられて示されている。
海外に追従する形じゃなくて日本として生きられる形を探る。
そういうところが好きだなぁと思いました。 -
最近内田さんの本の内容がスピリチュアルな方向に向かってる、といくつか前の本にレビューで書いたのですが、
それをうまく、「あぁ、そういうことか。」と説明していた対談本だった気がする。
個人的に、東日本大震災が、我々の生き方の転換点になる、というような受け止め方がまだできていない気がするのですが、
ただなんとなく、教育現場に身を置いている存在としては、
今までの価値観では通用しない何か、をまだ言語化できていないけれど感じる。
それをいち早く察して、世に送り出している本なのだと思う。
わたしには、何ができるのだろう。
「これからの贈与社会」。教育とビジネスを同じくくりで考えてはいけない、という考えから一歩進んで、踏み出していく必要性を突き付けられた。
ただ、教員として、わたしは、生徒さんに何も贈ってあげていることができていないのではないか、というジレンマをものすごく感じる。
生徒さんから未だ、色んなものを、貰うばかりなのだ。
還元していかなくちゃいけないのに、貰ったものは手に有り余るほど大きくて、日々の関わりに感謝せずにはいられない。自分がここに居させてもらえる喜び。わたしはどう、彼らに返してあげられるのだろう。
授業の終わりにいつも書いてもらう反省と感想に、毎時コメントを書くことや、担任に諌められたときの、副担任としてのフォロー、毎日機嫌よく過ごして、生徒の皆さんに、働くことって、誰かのかかわりになれるって、嬉しいことなんだと伝えること、分掌の仕事として、悩んでる子はいないか、悩んでる子はどう対処のアドバイスしていったらいいか対策練ること、
そんな些細なことじゃ、全然足らん。申し訳ない。
これから、一人で生きていかなくちゃいけないってなったときに、日々の生活の中で、誰かにかけられた馬鹿みたいに些細な一言が、生きる上で思いがけないくらい大きな支えになるっていう経験が、私にはあるのだけど、おこがましくも、たった一人でいいから、誰かのそんな風な支えになりたいと、願う。
わたしは、大学を出るときに、
「お前が教員やるの?」って複数の人に言われたw
自分でもそう思った。
だから、初めてもらったお給料に、自分はこんなお金をもらうに値しない人間だと思って、
あぁ、働くって、こうやってわたしに投資してくれたことに対しての恩を返していくことなんだと思って、5年の月日がたった。
未だ、わたしは、日々のお給料をもらうに値しない人間だと思い知らされる。
働くことをやめるとき、わたしは、
もう十分やった、なんて充足感、覚えられるんだろうか。
頑張りたい。もっともっと、頑張りたい。
なんかたぶん、本とは全然関係ないのだけど、
この本を読んで、そんな事を思った。 -
面白かった。
同い年の思想家同士の対談。
放談と言えるくらい話は自由に広がってはいるものの、一貫した俯瞰というか、人類史を前提とした継続性を前提として現代を読み解いている。
面白い本でした。
こういう勉強もっとやってみようかな。 -
地名やら哲学者やらは勉強不足のため分からなかったが、日本人の特性やビジネスモデルで語れないものの理解が深まった。
また読み直したい一冊。
著者プロフィール
内田樹の作品





