海戦からみた太平洋戦争 (角川oneテーマ21 B 151)

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング)
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041100837

作品紹介・あらすじ

昭和の日本海軍はなぜ、日露戦争の"完全勝利"再現に失敗したのか?真珠湾攻撃後の最大の問題は、日本国民はもとより、日本海軍の当局者もすべて攻撃の成功にすっかり酔ってしまい、作戦実施上の問題を真剣に検討しなかったことにある。連合艦隊司令部は、図上演習で予想された艦隊の不備に対策を講じることなく、作戦強行のため、希望的観測に終始するようになっていった。そして迎えた、ミッドウェー海戦-。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、「失敗の歴史」の教訓とある

    1941年12月08日から1945年08月15日に至る、太平洋戦争を、海戦というフィルターでみたドキュメンタリーである。

    冒頭にある次のことばこそ、日本の運命を決めた、足掛け5年の戦争の重みである。
    「日本の歴史を振り返るとき、太平洋戦争の持つ意味は極めて大きいと言わなくてはならない。それは失敗の歴史こそ、大きな教訓を含んでいるからに他ならない。」

    ・真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島攻防に関わるソロモン諸島での諸海戦も、戦局の流れを方向づけているが、海軍としての決戦意識から見れば、それは、マリアナ沖海戦(あ号作戦)とレイテ沖海戦(捷1号作戦)となる。
    ・マリアナ沖海戦が、日本海軍の真の決戦であり、マリアナ沖海戦の敗北こそが日本海軍の敗北を決定づけた戦いであったという事ができる。
    ・レイテ沖海戦の特徴は、日本海軍の水上艦隊の事実上の消滅であり、作戦指導の破綻の象徴として特攻作戦の実施であるといえる。
    ・連合艦隊第一主義と艦隊決戦主義への偏重は、太平洋戦争の展開において、きわめて大きな弊害をもたらした。連合艦隊は早期の艦隊決戦を追求しつづけ、その作戦が破綻して戦力を使い果たしたのちは、いたずらに特攻作戦のみによって戦死者を増やすだけに終始した。

    気になったものは、以下です。

    【真珠湾攻撃】
    ・部内一般では対米衝突不可避という認識のもの、航空機の要素強化が加えられた
    ・日本海軍の潜水艦はあくまで敵主力艦隊漸減のためのものであって、郵送船を攻撃するために適してはいなかった
    ・日本海軍の艦隊派の根底にある考えとは、戦術的先制と奇襲による短期決戦重視の思想であった。
    ・かねて山本五十六は、海軍伝統の迎撃作戦計画では敵艦隊を撃滅するような戦果は到底期待できないと考えていた
    ・対米迎撃作戦の図上演習でも、日本海軍は一回も徹底的な勝利を得ることができず、中途半端な戦果で演習中止を余儀なくされるのが常であった
    ・海軍内の強硬派は、興隆いちじるしかったナチスドイツをかねて高く評価し、第二次世界大戦勃発後は、ほどなく、イギリスがドイツに屈服するものと予測していた。
    ・山本は、1940年11月自身の主宰によって蘭印攻略作戦の図上演習を実施したのである。その結果は、「蘭印攻略によって日本は米英相手の戦争は避けられない」というものであった
    ・日米開戦やむなしとなれば緒戦で真珠湾を攻撃して敵艦隊主力を撃滅すると提唱し、その本格的研究を推し進めた当事者が山本五十六であることは疑いない事実である
    ・山本は「自分は連合艦隊長官として、どんな犠牲を払っても真珠湾攻撃をする決心だ。今後はこの計画を進めるように全力を尽くしてくれ」と応じて彼らの反対を封じた。
    ・山本は理詰めに根気よく説得するタイプの指揮官ではなく、「断固たる決意」の表明のみをもって反対論をねじ伏せるスタイルで構想を実現した。
    ・対米戦争は、尋常一様の方法で遂行できるものでは到底ない。開戦劈頭に航空部隊で真珠湾を空襲するしか方法はないが、それは部隊の全滅を賭した理外の戦法なのである。
    ・航空機の威力を重視して作戦を構想した山本からすれば、ハワイ所在の米艦隊の第一目標は当然、空母でなくてはならない。ところが、連合艦隊司令部が目標の第一順位に定めたのは、「戦艦の撃沈」であり、空母の目標順位はその次であった。
    ・むしろ機動部隊が空母を第一目標とするよう要望したのだが、山本長官によって却下されているのである。
    ・空母機動部隊の有効性をいち早く認めたのは日本海軍であったが、大規模な変革に乗り出したのはむしろ米海軍であった。

    【ミッドウェー・ガダルカナル】
    ・真珠湾航空攻撃作戦の最大の問題は、日本国民はもとより、日本海軍の当局者もすべて攻撃の成功にすっかり酔ってしまい、作戦実施上の問題を真剣に検討しなかったことである。その結果、以降の作戦計画も機密保持も非常に杜撰なものとなり、連合艦隊司令部のスタッフは、軍令部の意向をほとんど無視して作成を立案するまで増長していった。
    ・南雲機動部隊が敵の航空攻撃をうけたときに、空母が全滅、あるいはそれに近い大損害を蒙る恐れがあるということはハワイ作戦、ミッドウェー作戦それぞれの検討における図上演習で予測されていた。
    ・ミッドウェー海戦の現実がこの図上演習通りの結果を招いたのも当然の帰結であったと言える。
    ・軍令部は、天皇に虚偽の上奏をしたのである
    ・ミッドウェー海戦の敗戦によって、山本五十六の意図した積極攻勢決戦の構想は挫折した
    ・ミッドウェーで山本構想が破れたあとは、日本の国力から補給線の長さを考慮し、多くの地上兵力を伴う作戦線は、のちに決定された絶対国防圏に限定して、それ以上の遠方は艦艇・航空機のみの機動作戦に依頼するのが適当であった
    ・ガダルカナル島の戦いでは、日本海軍の動向は敵艦隊の撃滅に集中しており、陸軍部隊に対する支援は全く有効でなかった。
    ・攻勢から見れば、太平洋戦争の勝敗は、ガタルカナル島争奪戦が終了した時点で決したといえる。
    ・海軍は絶対国防圏の決定にもかかわらず、早期決戦の願望に囚われ、従来の作戦を継続して実施した。

    【マリアナ沖・レイテ沖】
    ・遅きに逸した艦隊決戦から、空母・航空機決戦
    ・高度測定用レーダーにより、米軍は、戦闘機をもっとも効果的な攻撃位置に誘導できた。
    ・戦艦武蔵に重大の弱点があり館長に共有されていなかった。
    ・レイテ沖での敗北で、日本海軍は壊滅的な打撃をうけた。

    【特攻】
    ・マリアナ攻防で艦隊を失った事で、日米の戦力の差は決定的なものであり、通常の攻撃では日本側に勝ち目がなくなっていた。
    ・そこで生み出されたのが、特攻であった。
    ・合理的な作戦がすべて破綻したとき、残っていた作戦が非合理であったことは、あるいは、自然なことだったかもしれない。
    ・源田参謀は、ミッドウェー以後の作戦は、搭乗員の生命は作戦の遂行のあめにはあえて考慮しないという、恐るべき方針を打ち出していた。
    ・大和の最後、乗員3332名のうち、戦死者3056名、救出されたのは、わずか、276名に過ぎなかった。
    ・米国では、「将兵が死ななくてもよい場所で無駄に命をおとしたのではないか」ということで裁判が引き起こされた。
    ・一方、太平洋戦争における日本軍の反省を記した書籍や、雑誌を見ると、将兵の義務、責任、そして権利といったものについての考察はほとんどない。

    (結論として最後の言葉は以下である。)
    ・軍隊の本体が人間の集団である以上将兵の一人の人間としての権利と義務に基づく立場の確立こそ、精強な軍隊の第一歩であると考えるべきであり、日本軍についてもこの観点から研究がさらに必要と思われる。

    はじめに 「失敗の歴史」の教訓
    第1章 真珠湾攻撃と山本五十六の真意
    第2章 ミッドウェー海戦の敗北、そして消耗戦へ
    第3章 連合艦隊の壊滅 マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦
    終章 「全軍特攻」と化す日本海軍
    おわりに
    参考資料・参考文献/図版出典

    ISBN:9784041100837
    出版社:KADOKAWA
    判型:新書
    ページ数:218,3ページ
    定価:724円(本体)
    発行年月日:2011年11月10日初版発行

  • ●:引用 →:感想

    ●アメリカの国民は、義務として兵役につき、戦争に参加している。同時にすべての兵士は国家に対して、生命の安全に関して最善の努力を払うことを要求する権利を持っている。もし一人の兵士が戦死すれば、その遺族はその兵士の死が”意義のある死”であったかどうかを知る権利を持っていた。それがアメリカという国家と国民の契約だった。(略)また、海軍の内部でも同じような契約があった。「義務を果たした者には名誉を、果たさなかった者には罰を」である。すべての失敗について責任者がきびしく失態や怠慢を追求され、それぞれ処分を受けたものである。(略)法廷で戦友のミスを追及することはアメリカ人にとっても、もちろん愉快なことではない。しかし今後、同じ過誤が繰り返されないために必要不可欠なこととされたのだ。ひるがえって、日本海軍のケースはどうであったろうか?(略)日本海軍の指揮官や高級幕僚が戦闘の重要な局面で重大な錯誤や失敗をおかし、以後の選挙区をきわめた不利なものとしたケースはミッドウエー作戦にとどまらず、海軍甲事件・海軍乙事件・台湾航空戦・レイテ沖海戦での栗田艦隊の反転など、枚挙にいとまがない。にもかかわらず、それらのケースの責任者で直接処分された者がいないということは、いったい何を意味するのだろうか。太平洋戦争における日本軍の反省を記した書籍や雑誌を見ると、個々の戦闘の戦術的巧拙についての評価、あるいは戦略的な総論に偏したもの、または日本人の国民性、というような茫漠としたものなどが多く、将兵の義務、責任、そして権利といったものについての考察は、ほとんどない。しかし、軍隊の本体が人間の集団である以上、将兵の一人の人間としての権利と義務に基づく立場の確立こそ、精強な軍隊の第一歩であると考えるべきであり、日本軍についてもこの観点からの研究が必要と思われる。
    ●戦争に至る原因の多くは、古来変わるものではなく、基本的には、国家間の政策、利害の衝突に過ぎない。これは、本質的には、外交交渉で解決されるべきものであり、戦争は、いわば交渉失敗の結果なのである。こう考えるとき、日英同盟を結び、米国における親日世論誘導を行い、ロシアの外堀を埋めた状態で闘った日露戦争と、日英同盟を失い、米国の対日世論の悪化に対策を打てず、あらゆる対外交渉に破れて開戦に踏み切った太平洋戦争を比較すれば、日本に、初めから勝利の可能性は無かったと言っても過言ではない。このような外交的敗北によって始まった太平洋戦争は破滅的な敗北で終わり、日清戦争に始まった、日本の五十年戦争も幕を閉じたのである。
    ●山本は、理詰めに根気よく説得するタイプの指揮官ではなく、「断固たる決意」の表明のみによって反対論をねじ伏せるスタイルで構想を実現した。(略)それだけでなく、自分の心中を他人に理解させようと努力するより、「判らない人間には説明は不要」と考える性質の人間であったようである。(略)この点については、山本の出身中学の後輩にあたる半藤一利(作家)による次のエピソードが興味深い「山本五十六は典型的な越後人であり、人見知りで口が重く開放的な正確にはほど遠いですね(後略)」(略)山本の処世訓として「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉はあまりにも有名であるが、どう考えても山本本人のキャラクターを表したものとは考え難い。
    ●真珠湾攻撃構想時の山本の真意は、文言にあるような「桶狭間とひよどり越と川中島合戦とを合せ行う」という不退転の決意ではなく、一貫して「日米衝突は避けられるものなれば、此を避け此の際隠忍自戒、臥薪嘗胆すべき」という避戦にあったとみてもよい。そして実際には、山本は真珠湾攻撃もやりたくなかったのではないか、海軍中央に日米戦回避を説くための切り札として提唱したものの、内心では作戦の成功に懐疑的であったと考えられるのである。
    ●アメリカの手強さを正確に認めていた山本が、「衆人環視の前で戦艦を撃沈すれば講和に応じるであろう」などと、なぜ単純に考えたのであろうか。これでは、アメリカを正しく認識していたとは到底いえない。この点について半藤一利氏はかつて、「(略)山本五十六は知米派と言われていたけれども、アメリカ人で山本の友人というのは聞いたことがない。(略)」と語っている。きわめて示唆に富んだ観察といえるだろう。(略)このことも、「知米派山本五十六」という評価の疑わしさを示している。
    ●山本自身、ラバウルに行くことについては、参謀に、「ニミッツはハワイで指揮しているというのに、なんで自分はラバウルなんかに行くのだ」と不満を漏らしていた。
    →”前線視察での戦死=部下思いの結果”もまた伝説、虚像なのか。→真珠湾作戦におけるハワイ日系人の犠牲も納得できる?

  • 『海戦からみた日清戦争』『海戦からみた日露戦争』に続く『海戦から~』三部作の最終作。前2作に比べて若干質は落ちるが、なかなかの良作。
    日本近代史の3つの海戦は、後世の人は「日本近代史の50年戦争」と名づけるであろうが、その成功と失敗を俯瞰するにもってこいの『海戦史』である。その中でも、範囲・量・質においてずば抜けてるこの太平洋戦争は世界史上においても稀有の技術合戦であった。世界最初の空母艦隊(機動部隊)による攻撃、イギリスの誇りであった戦艦をあっという間に撃沈した航空攻撃、世界初で最後の空母対空母による決戦、レーダーやVT信管による防御の成立、あらゆる戦いが最先端であり、最大規模の海戦が行われたのが太平洋戦争である。
    日本軍は、緒戦において斬新で統率の取れた無敵の軍隊であったが、1年もしないうちに全ての面でアメリカ軍に超越されていった。
    零戦、酸素魚雷、機動部隊、邀撃作戦用の潜水艦部隊、戦艦空母、潜水空母といった世界最強の技術をもちながら、敗れていった日本軍について語るのは本書の頁数では足りないが、真珠湾からミッドウェー、ガダルカナル、サイパン、レイテ、沖縄へと続く総力戦による海戦の経緯を眺めていくと、技術が人間の身体を依拠とするものへと変化していく様が思い浮かぶ。私はすでに神風特攻、回天、桜花、震洋などの自爆兵器への経緯は理解できるようになったが、この理解不能の戦闘が日本で行われたという事実は我々日本人が最も学ばなければならない戦争の事実である。
    海洋国家日本に住む日本人は常に海を見なければ世界を把握することはできない。

  • 山本五十六や井上成美をはじめ海外ツウが多く、戦後に太平洋中心に描かれる提督物の書籍も多いことから、大陸で泥臭い戦いを強いられた陸軍と対照的にインテリ感の漂う帝国海軍、そんなイメージを持たれる方が多いように感じる。
    私も学生時代から何処となくその様なイメージで括っていた。近年はレイテ反転の栗田中将の評価が見直されたり、山本長官をこっ酷く批判する書籍など、提督や参謀等の評価も割れていて面白い。実際は戦後生き残った関係者の個人的な関係や聞き伝わった内容など濁った情報が混ざり合うのだから本当の姿は解らない。
    本書は人物よりも状況にフォーカスしてメジャーな作戦を評価していく点で、何度も似た様な書籍を読んだ方でもざっくり復習できて良いのではと感じる。また所々に航空機生産数や艦戦被害数などグラフや表も用いられ、戦局だけでなく社会の生産能力なども数値的に俯瞰出来る(戦時の経済分析専門書籍レベルでは勿論無い)。
    流れを掴むという意味で、点と点を結ぶ状況を把握すると共に、如何に海域を移しながら、上層部(軍令部と現地の艦隊司令部)の考え方が当然考慮すべき戦局以外を考慮する事なく、目先の戦局打開という稚拙な戦術レベルに留まっていたかなど、半ば呆れながら読める。
    しかしながら完全な第三者として読むから感じる事であり、実際の当事者達は現代のキャリア官僚の様な頭脳明晰、日本のトップレベルの頭脳の集まりなのだ。「船頭多くして船山に上る」では無いが頭が良い人が多数集まっても、目的意識や目標の置き方で失敗を繰り返すのは現代の会社でも一緒だ。逆にこれだけ纏まらない組織(帝国海軍)でよくもあれだけ戦えたものだと思う。
    その下には多大なる犠牲があった事も忘れてはいけない。

  • 太平洋戦争の中のほんの一場面を切り取っただけで、日本の構造的問題が垣間見えた。人の思いを汲む、先を読む。日本に古来からある暗黙知が悪い方向に走り、今回の最悪の戦争の一つになっている、そう感じた。問題はその戦争から何も学ばず、見ない事にしてしまったことだ。現代の我々は戦争は良くない、その一言で収めてしまい、構造はその頃から変わらない。現代の企業の中でも同様の事は発生しており、今後の日本の繁栄に影を落とす事になるだろう。本書は読み流す程度では、良書である。結果ありき、結論ありきの書き方なのは否定できない。

  • 大和ミュージアム館長による海戦史三部作。最終作から読んでみたりする。海軍の敗戦については語り尽くされているので新しいことは何もないけど、よくまとまっていて読みやすいです。軍事史の人が書いてもこうなるのね、というところ。

  • 真珠湾攻撃で顕在化した海軍の弱点を冷静に改善する意志と勇気があれば,完全勝利はできなくとも,日露戦争のような多少は苦いが実のある結末になったはずだ.勝利に酔った海軍と日本国民は最終的に壊滅的な終局を迎えることになったが,交渉による解決が下手な習性は今日でも根強く残っている感じがする.

  • 負け戦の軌跡を丹念に検討しつつ、真珠湾攻撃など初戦の華々しい戦果もすべて「失敗」でしかなかったことを論証していく一冊。負けるのは当然として、負け方にさえ「失敗」しているという救えなさに撃沈。(平林緑萌)

    ▼『ジセダイ』140文字レビューより
    http://ji-sedai.jp/special/140review/20111202.html

  • 真珠湾攻撃から全軍特攻の終局へ、「失敗」の
    本質を探る。
    昭和の日本海軍はなぜ、日露戦争の完全勝利再現に
    失敗したのか?海軍の敗北に読む日本の姿。

    太平洋戦争と海軍と言えば、山本五十六は外せない。
    本書でも、山本五十六に対する記述は、大きなウエ
    イトを占める。
    山本は、犠牲を顧みず真珠湾攻撃を徹底的に破壊し、
    敵の闘志を根本から萎えさせるという自らの真意を、
    南雲機動部隊にも軍令部にも、また連合艦隊司令部
    にも知らせてなかったという。このために、攻撃が
    不徹底なものに終わったという。
    著者は、山本は真珠湾攻撃もやりたくなかったので
    はないかという。
    図上演習によると、作戦は失敗するリスクが高く、
    成功しても、艦隊が全滅する可能性が高かった。
    実現困難な作戦を、対米戦回避を説得する恰好な材
    料として考えたという見方は面白い。ギリギリまで
    対米戦回避を考えていたという事を考えると、説得
    力を持つ見方である。

    著者は、山本の後任の古賀峯一の戦争指揮について
    も厳しい見方をしている。短期間により遭難した事
    により、影が薄いが、いたずらに航空戦力を消耗さ
    せたことにより、敗北への道が確定したという。
    ミッドウェー海戦以降の作戦指揮を誤らなければ、
    より良い負け方が出来たかもしれない。

    本書に書かれている、かずかずの失敗を過去の事と
    笑うことは出来ない。海軍の負のDNAは現在も日本
    のあらゆる組織に潜んでいるような気がする。

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著者プロフィール

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。日本海軍史研究家。1948年、宮崎県生まれ。多摩美術大学美術学部卒業。1992年、(財)史料調査会の司書として、海軍反省会にも関わり、特に海軍の将校・下士官兵の証言を数多く聞いてきた。92年に理事就任。99年、厚生省(現厚生労働省)所管「昭和館」図書情報部長就任。2005年より現職。19年、『[証言録]海軍反省会』(PHP研究所)全11巻の業績により第67回菊池寛賞を受賞。著書に『戦艦大和復元プロジェクト』(角川新書)、『帝国軍人』(大木毅氏との共著)などがある。

「2022年 『海軍戦争検討会議記録 太平洋戦争開戦の経緯』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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