脳のなかの天使

制作 : 山下 篤子 
  • 角川書店(角川グループパブリッシング) (2013年3月23日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (451ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041101049

作品紹介

丸に尻尾を描いただけで豚のお尻に見えてしまうのは脳が必要な情報を瞬時に補って認識しているから。進化の過程で脳細胞が発達させてきた人間らしさとは何かの謎に迫る一気読み必至のエンタメ科学ノンフィクション!

脳のなかの天使の感想・レビュー・書評

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  • ロングセラー『脳のなかの幽霊』で知られるラマチャンドランの最新刊である。

    著者は科学者であり医師である。研究ばかりではなく、実際に患者と直接やりとりをして、豊富な臨床経験も持つ。そこがこの著者の大きな強みの1つだと思う。

    脳の働きは外からはわかりにくい。どのような刺激がどういった経緯で処理され、どのようなアウトプットがされるのか。肝心な部分はブラックボックスであり、判明している部分は多くはない。
    脳研究は、古来、事故や負傷などで脳の一部が損なわれた結果、その部分の機能が判明してきた面がある。本書で著者がブラックボックスを探る手掛かりとしているのは、疾患や異常な状態である。
    切断されたり麻痺したりしたはずの腕や脚がまだあるように感じる「幻肢」の現象は何を意味しているのか。自閉症児は自分と世界をどのように捉えているのか。脳卒中等で発話能力が損なわれた人は、他の人の話を聞いても理解できないのか、それとも自分で文章を構築する能力だけが損なわれているのか。
    そういったことの解析から、普段疑問にも思っていないような「あたりまえ」の機能の構造が浮かび上がってくる。見過ごしがちな「正常」の機能に裏側から光が当てられ、隠れた意味が現れてくる。
    著者は最新機器を駆使するというよりも、シンプルで手軽な実験を好む。得てしてこうした実験は、誰が見ても結果が一目瞭然であるという美点を持つ。

    著者の持つ豊かな考察力にも舌を巻く。共感覚とメタファーについての論考の項は特に興味深く読んだ。
    この発想の豊かさがあってこそ、機器にのみ頼るのではない独創的な実験が生まれるのだろう。

    共感覚やミラーニューロン、自閉症、言語の進化を経て、著者の考察は類人猿と人類の違いに及ぶ。われわれが「美」を感じるのはなぜなのか。われわれの内観はどのように進化してきたのか。
    新しい研究結果も盛り込みつつ、研究内容そのものだけでなく、読者の想像力を刺激する多くの示唆に満ちている。

    本書は、一般読者にとって読みやすい「単純化」と専門家の気難しい目にも耐える「正確さ」を両立させることを目指していると、前書きで著者が述べている。
    「読みやすい本」イコール「レベルが低い本」ではない。その好例がここにある。
    個人的には『脳のなかの幽霊』の衝撃にはやや及ばない印象を受けたが、多くの人にとって刺激的な楽しい読書となることだろう。

  • おそらく専門書の何倍も読みやすいに違いない。
    だけど、脳神経に素人で頭のよくない私には、少し難しかったのが正直なところ。
    驚きの連続でへえ〜って心の中で常に思うことばかりだれど、特に興味がわいたのは、なぜ人は抽象画を好むようになるのかの章。なるほど!そこにアハ!を感じる訳か、とひとり合点がいった。

  • この本を読んで感じるのはヒトをシステムとして考えたときの危うさである。「健常」とは何なのかを改めて考えさせられる。「美」についての感覚もこれらの認知に引きずられているという根拠は、自閉症スペクトラムとは何なのかということについても大きなヒントをもらった気がする。
    本書ではインドの偶像が極端に女性の特徴を強調するという点やカモメのヒナが親鳥のクチバシの特徴である赤い丸以上に赤い三本線に以上に興奮するという超常(スーパーノーマル)刺激について言及している。
    これは「萌え」を説明するのにも使えそうだ。全体的な身体特徴は少女・幼女のものなのに、目、胸、尻が過剰に協調されたデザインに強く惹かれるという人がある一定数存在するということである。それも、日本だけに留まらず世界中にファンとして存在するという事実である。
    話は変わるが、当事者としての感想も書きたいと思う。私自身の話とすると、実は本書で紹介される共感覚の人が見分けられやすい図表の一部は苦も無く見分けられた。(共感覚の人は色がついてそれが異なるらしいのだが、私の場合は色はつかないが別のものだと認識できてしまう。)また、7歳の自閉症児の絵が紹介されているが、私の場合は灰色のクレヨンの濃淡だけで、写真と同じ形のものを正確に写実しようとしていた。てっきり自分は他の人とと同じように認知しているとばかり思っていたのだが、どうやら大きく異なっていたのだという仮説は、この本を読むとどうやら本当のようだと思える。
    私の場合「話が見えない」という状況にたまに陥る。言葉は聞こえているのであるが、その内容が意識にのぼってこないのである。言われたことがよく分かる時は「話は見えている」。実は込み入った話を聞くときには目をつぶるようにしている。それはあたかも、現実の風景が目に入ると見えていた話が見えなくなってしまうような感じである。数字と色の共感覚の人で、例えば数字の7が赤に見える人の場合、緑色の字で書いた7は違和感がとれないということらしい。この話にとてもよく似た状態のように感じる。
    会社員としては、システムエンジニアとしてのキャリアを進んできたのだが、構成図を使ってシステムの構成を組み上げていく、問題があるプロジェクトの問題点を可視化する、複数のメンバの認識の違いを合わせるための図表を作るという点では自分はかなり貢献できたようだ。一方、一緒に働く人や、ステークスホルダとの対話が苦手であった。これは、相手の本音を言わないと建前を真に受けたり、建前が理解できず常に本音を言ってしまうことが原因であると思っている。今は、さすがに数々の失敗経験から自分なりの理解方法を見つけて解決はしているのだが。
    本書で示される「認知」に関するシステムはとても危ういと改めて思った。つまり、われわれが「健常」と信じているものは、多くの偶然の中でたまたま起こっていることであり、ほとんどの人はその「健常」から外れている。ただし、その外れ具合もスペクトルがあるため、問題になるケース、ならないケースなどが生じていると考えられる。
    コンピュータを使ったシステムも複雑さを増すとあたかもイキモノが病気をするかのごとく調子が悪くなる。「ココロ」「認知」はもっと複雑なのだから多様性があって当たり前なのである。単純化することは思索を深める上では大事なことであるが、我々が置かれている現実とはかけ離れていると肝に銘じなければならない。
    逆にその多様性を理解し、その人ならではなの得意分野を見つけたり、その得意分野で力を発揮できるような訓練をするという点に注力すべきだと悟った。

  • 脳神経学者のラマチャンドランの新作。オリヴァー・サックスよりもロジカルなところが強く、ラマチャンドランの方が好きだ。
    『脳のなかの天使』という邦題は著者のベストセラー『脳のなかの幽霊』とタイトルを掛けているが、原題は『The Tell-Tale Brain』なので特に両著はシリーズの関係ではない。なので「幽霊」から「天使」になったことにそもそも著者にはその意図は何もない。装丁も全く違っていて、シリーズ感を出して売りたいのか意図が分らなく、やや残念。「幽霊(Phantom)」は、元となった幻肢や病態失認の話も出てくる。一方、「天使」については、最初の「人間は類人猿か天使か」という過去の問いが出てくるのだが、タイトルにするものでもなくまた「脳の中の」という修飾にも相当しない(が、まあよし)。

    近年のこの分野の大きな研究の進展として、ミラーニューロンの発見が挙げられる。ミラーニューロンとは、自身がその動作を起こしたときと同じニューロンが他人が同じ動作をしたときにも同じように発火するニューロン群。本書でも、その存在により模倣と共感の能力を獲得し、人間が人間たるに至った進化の鍵を握ったのではないかとしている。

    「ミラーニューロンとその機能を理解することの重要性は、いくら強調してもしすぎにはならない。ミラーニューロンとその機能は、社会的学習にも、模倣にも、ものごとに対する姿勢や技能の文化的伝達にも、さらには私たちが「語」と呼んでいる、ひとかたまりの音の文化的伝達にさえも、中心的役割をはたしているのではないかと考えられる」とまで言っている。自閉症もミラーニューロンの機能異常により説明できるのではという仮説も提案している。

    ミラーニューロンについては、『ミラーニューロンの発見』(マルコ・イアコボーニ)により詳しいので、興味があればそちらも読んでみるといいだろう。

    また、数字に色が付いて見えると言う共感覚の症例を一例として、信号伝達経路において脳内の配線が混線して機能が近いところが引きずられて刺激されるのだという。この辺りは使われている用語も含めてずいぶんと専門的な話も含まれる。少しわからないままに読み進めていくとそれでも脳が物理的な現象であることと、かつ、かなり微妙だがロバストなバランスの中で動いていることがよく分かる。『幽霊』にも出てきた幻肢の例も含めて、意識のだまされやすさについても興味深い話がいくつも出てくる。

    また、古今の多くの哲学者が悩んできた「自己」や「意識」についても脳神経学の立場から迫っている。その秘密が早晩明らかにされるのではとの期待を著者は抱く。「自己」の特徴として、統一性、 連続性、身体性、私秘性、社会的埋め込み、自由意志、自己認識、の7つの特徴を挙げており、精神疾患の症例から「自己」を形成するこれらの特徴がどこから来ているのかについて興味深い考察を行っている。

    「脳」と「意識」はやはり不思議な器官だ。それでも年々その謎が解かれているのがわかる。そして、何かがわかればその先にさらに違う謎が出てくる。副題は、"A Neuroscientist's Quest for What Males Us Human"。まさしく最後の秘境であり、そこに挑む知的冒険という感じなのだろう。
    「人間は真にユニークで特別な存在であり、「単なる」霊長類の一つではない」 ―- 進化論を経て人間が絶対的に特別な存在ではないということが明らかになった上でなおその論考の果てにも脳神経学者としてこのような結論に至るのは心が動かされる。

  • 第1章 幻肢と可塑的な脳
    第2章 見ることと知ること
    第3章 うるさい色とホットな娘―共感覚
    第4章 文明をつくったニューロン
    第5章 スティーヴンはどこに?自閉症の謎
    第6章 片言の力―言語の進化
    第7章 美と脳―美的感性の誕生
    第8章 アートフル・ブレイン―普遍的法則
    第9章 魂をもつ類人猿―内観はどのようにして進化したのか

  • (2014/07/05追記)図書館から借り直してもう一度読んだ。今から30年以上も前のこと、当時大学の哲学科にいた知り合いが、心理学は自然科学ではないと言っていた。心理学が扱っている問題は、自然科学の手法では解明できないという趣旨だったと思う。この本を読んで、今では心理学の問題どころか伝統的に哲学が扱ってきた問題すら、自然科学の研究対象なのだと思った。本の主題とはあまり関係がないが、インテリジェント・デザインの「理論」を進化論と同等に扱うことを求める主張について、「それは、イギリスの科学者で社会批評家のリチャード・ドーキンスがくり返し指摘しているように、太陽が地球のまわりをまわっているという考えを同等にあつかうのとほとんど同じである。」と述べている文章(第4章「文明をつくったニューロン」、172ページ)を読んで、まったくそのとおりだと思った。それにしても、リチャード・ドーキンスは、いつから社会批評家になったのだろう。本文の結びにある「科学者として、私はダーウィン、グールド、ピンカー、ドーキンスと一体である。インテリジェント・デザインを――少なくとも、この語句に、たいていの人がもたせるであろう意味とはちがうインテリジェント・デザインを――擁護する人たちには我慢がならない。陣痛のさなかにある女性や、白血病の病棟で死にかけている子どもを身近で見たことのある人ならだれでも、世界が私たちのために特別にあつらえられたなどと信じることはできないだろう。しかし私たちは人間として、謙虚に受け入れなくてはならない――たとえ私たちが、脳や、それがつくりだす宇宙をどれほど深く理解しようとも、究極の起源という問題はつねに私たちに残されるであろうということを。」(「エピローグ」、410ページ)という文章が印象に残った。2013年6月9日付け読売新聞書評欄の「ビタミンBook」で脳研究者の池谷裕二氏が紹介していた本。

  • ・ラマチャンドラン博士の著書を読んだのは2回目。前は[ http://booklog.jp/item/1/4042982115 ]。基本姿勢は同じだが、本書の方が後に書かれただけあって、より自由に仮説を膨らませている印象。
    ・脳と体がどのように繋がっているか。動作や感覚、情動までもが絶え間ないフィードバックで微修正を繰り返しながら動いている。妄想やオカルトと見なされるような様々な症状が、認知の繊細なメカニズムの故障によるものという仮定に基づき説明されていく。
    ・人を見た時の脳の中では、それが誰か同定する情報のルートと、対象への情動が呼び起こされるルートが異なっている。後者だけ破壊されたのがカプグラ症候群。家族を偽物だと主張するようになる。
    ・天才的な画才を持つ自閉症患者が、治療により社会性を獲得するとともに画才を失ったというエピソード。障害「にも関わらず」才能があるのではなく、障害「ゆえに」才能があるのだとしたら、才能というものに対する考え方もずいぶん異なってきそう。
    ・人の意識や心といわれるものは、実はモジュールによって成立しているのかもしれない。こういう考え方は一見艶消しかもしれないが、そんな精妙きわまるモジュールの存在は充分驚異だし神秘。

  • 自分の専門以外の部分は一回読んだだけでは、全然分からなかった。

  • 脳の中の幽霊等も非常に面白く私の思想に大きな影響を与えたが、この著作は一際面白いものだと思った。今回の中心的なテーマはミラー・ニューロンや共感覚であり、それを軸にするような形で人間の起源、自己の正体に迫っていくようなものだった。一部は文系の私にとっては難解に感じるような本格的神経科学に踏み込んでいたが、概ねの内容は専門的知識を持たない人間でも十分に理解できるように構成されていたと思う。次の著作が出てもまた読みたい。
    しかし、今回煽り文句として「人間に取って美とは何なのか?」というものが大きかったと思うのだが、その点についての言及が、美というもの、芸術というものを中心的なテーマとして追及している私からすると割合的にも、深度的にも物足りない部分があった。
    そもそも芸術の領分というのは技術の進歩による理系学問の発展、伸長に対する文系学問最後の砦だと考えている私にとって、これはある意味では喜ぶべき事実なのかもしれない。これだけ明瞭に、斬新に事象や概念について神経科学的なアプローチで切り込んでいるラマチャンドラン氏の手をもってしても、還元主義的アプローチでは(少なくとも現時点では)芸術の領域にはまだ踏み込むことが許されていないという解釈もできるからだ。最も原始的で直観的な美の原動力を説明づけることが出来たとしても、重層的に塗り重ねられた歴史と文化と社会構造の複雑な体系であるところの芸術の本質というのは未だにサンクチュアリとして残されている。いずれ数百年、数千年先になればそれすらもすべてがあらわになってしまう時が来るのかもしれないが、少なくとも私がまだ人文科学的アプローチで研究している領域が残されているという点、そしてその中で神経科学的、還元主義的アプローチとの学際的研究を行うことが現代までの芸術研究をもう一歩先に進める可能性を持っていることを確認できたことはこの本を読んだことの意味として大きなものだと思う。

  • 脳についてわかっていること、わかっていないことを知るためには非常に良い一冊であると思う。

    古来より人間の脳について、行動について、そして人間そのものについては科学の対象ではなく哲学の対象であった。
    しかし、近年、侵襲式、非侵襲式のDeviceが開発され、脳の血流を観測することによって脳そして人間とは何かというテーマについて科学的なメスが入れられるようになった。
    この方法を使うと、脳の場所毎の機能がなんとなくわかり、言語を司る脳の場所や数学的思考力を司る場所もなんとなくわかってきたらしい。と同時にわからないことも同じくらい増えたのだが。。。

    脳科学が成し得た偉業の一つは、ミラーニューロンの発券であると思う。
    人間はなぜ他人を思いやることができるのか、そして自分が他人と違うのはなぜか、という哲学的なテーマに対する科学的な説明を与えてくれる。
    見ず知らずの者が頭を掻いていたら、無意識にこの人は頭が痒いのだろうかと推察し、同時に自分も頭を掻いたような感覚になるのだという。
    (ちなみに、右手を事故で失った人も、他人が右腕を掻いていたら自分の右腕を掻いている感覚になるのだという。)

    脳の科学的な理解というのは非常に難しい。なぜならば、対象が人間であるからである。
    再現性が乏しく、また同じ実験を構築しようとしてもその時時でその人間の感情が異なり、かつ外部の環境を排除できない。
    これを避ける一番の方法は、事故や先天的に脳の一部の機能が失われている人を対象として実験をすればよいのであろうが、それほど被験者が多くないということと、人道的な理由もあるのだろうか。

    この分野の包括的な理解はまだまだ先になりそうであるが、読み物としては面白い。
    とくに、脳の一部の機能が失われている人の事例は興味深い

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