アフター・ザ・レッド 連合赤軍 兵士たちの40年
- 角川書店(角川グループパブリッシング) (2012年2月14日発売)


- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041101261
作品紹介・あらすじ
連合赤軍に身を投じ、殺すか、殺されるかという、悪夢のような総括リンチ殺人を体験した若者たち-。40年経ち、服役を終え、市井に溶け込んでそれぞれの人生を送る彼らが「あれから」と「いま」を語る。
感想・レビュー・書評
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これも「本の雑誌」で紹介されていた一冊。連合赤軍兵士だった人四人に、主に服役後の人生についてインタビューしたもの。鬱々とした調子のものかと思ったが、意外にあっけらかんと語られていて、非常に面白かった。いろいろ考えさせられた。
ちょっと興味があってアマゾンのレビューをのぞいたら、あまりに不評で驚いた。特に若い人には理解不能らしい。「どこまでも反省しないバカ」と罵倒しているものもあった。「事件」としての表層を、他人事として見るとそうなるんだろうけど…。著者(全共闘世代より少し下。私も同じ)が、「自分がもしあそこにいたらどうしただろう」と書いていたことについて、「そんな風に考える奴なんかいるのか」と反発しているものもあったが、いるんだよね、ここに。
連合赤軍に限らず、70年前後の学生運動などについて書かれたものを読むと、いつも苦しくなる。それは、その時代、その場所に自分がいたなら、間違いなく当事者として、その苦悩や挫折を経験しただろうと思うからだ。おっちょこちょいで、正義感だけはちょっとあるつもりの私は、あの頃大学に入ったなら(あるいは運動の盛んだった高校にいたなら)、集会に行き、デモに参加し、そのうちその大学(高校)の主流派のセクトに所属するようになり、まあ根性なしだからそれほどたいしたことはできなかっただろうが、何かの拍子に過激な行動へと流されていったかもしれない。
連赤の「事件」の中で言うなら、きっと粛正される側だっただろうが、実際自分があそこにいたならば、本当にいったいどうしただろう。そう考えること抜きにこの本を読むことはできない。この問いは私にとっては十分リアルなものだ。
(漠然とではあるけれど、連赤の問題はオウムとも共通するものがあるという気がしてならない。社会についての真面目な問題意識がとんでもない所に暴走していくという点で。市民社会が、異常者の起こした事件として切り捨てていくのも同じだ。ただ私にはオウムはうまく理解できず、リアルにとらえられないのだが。)
そういう重い問いかけを含んではいるが、この本はまた、非常に面白くもある。前代未聞の大事件により左翼の運動に大打撃をあたえた人たちが、長い服役後(植垣氏など27年!)出所し、それぞれの人生を生きていく。生家の農業を継いだり、小さな会社を興したり、子供のいる人もいて保育園の送迎をしたり。一切取材を受けない人も(当然)いるなかで、ここで語っている人たちが一様に「逃げない」「語る責任がある」といっているのが心に残る。
話として抜群に面白いのが第1章の前澤さんだ。ざっくばらんに語られるご両親(特にお父さん)、祖母、叔父さん、奥さんの連れ子とのエピソードなど、まるでドラマのようだ。昔つけ回された公安の刑事とのやりとりなんかも笑ってしまう。この方職人なのだが、宮内庁の改修工事の時は「この人はちょっと…」と親方が言われたらしい。そりゃそうだろうなあ。
もちろん、十二人もの人を死なせた粛正は何故起こったのか、ということについてのそれぞれの考えも語られる。これについては多くの人が発言し、本が書かれ、映画や小説になり、それでもなおわからない。「みんな、連赤問題を、自分の理解可能なレベルに落として、解釈しているだけだ」という植垣氏の言葉が重い。「連合赤軍事件の全体像を残す会」が発足したのもその問題意識からだそうだ。ここでもいくつか示唆に富んだ見解が示されている。オウムもそうだが、自分とは関わりのないことと切り捨てずに、社会と集団の問題として考えるべきことは多いと思う。
最初と最後に、亡くなった方の名前と所属、年齢が記されている。みな若い。自分の子供たちと同じくらいだ。そう思ったら胸が詰まった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
元兵士四人へのインタビュー。内訳は,革命左派から前澤虎義,加藤倫教,雪野建作,赤軍派から植垣康弘。端折ってしかるべき雑談的会話も多く,あまり実のある内容とはいえない。
あさま山荘事件をはじめとする連合赤軍事件についてある程度知らないと,何を話しているのかよくわからないと思う。それに,あの事件は何だったのかという問いかけに答えるようなやりとりはなく,反省の色も薄く感じられた。
中でもあさま山荘事件を経験し,また実兄がリンチで命を落としている加藤へのインタビューでは,そのあたりの釈明や懺悔を期待したのだが,著者が踏み込んだ質問を避けているのか格別のものはなかった。途中で逃亡した前澤などは,警察と銃撃戦をすると知ってたらあさま山荘行くんだったと述懐してるし。
時代の雰囲気がそういうものだったということなんだけど,やはりここまで深入りしてしまった人たちって考え方にかなりの偏りがあるな,という印象。出獄後も続く腐れ縁もそれを助長。権力不信は消えることがないのだろう。無農薬で農業をやってるとかいう人もいて,なんだか納得してしまう。 -
連合赤軍に身を投じた兵士たちの、その後の人生にフォーカスした本。あの頃の話ももちろん含まれてますので、連赤に興味があるなら読んで損はないかと。「レッド」を描いた漫画家・山本直樹先生のインタビューも掲載されてます。
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改めて、自分にとって連合赤軍事件は歴史の中の出来事なのだな、と感じた。根っこの所でどうしてこうなってしまったのかわからないというか、この中の人々がいろんなことを語っているけれども、普通のおじさんたちなような気がする。特に植垣さんと加藤さんはNHKの番組でも拝見したから、さらにそう思うのだろうけど。
みんなどこかで正しかった、あれはどうしようもなかった、誰がトップでもああなったという、まるで第二次大戦の繰り言のような言葉を重ねる。時代の空気という言葉も出てくる。
そのあたりに、どうしても断絶を覚えてしまう。戦前の時代背景や、空気感などはかなりの本を読んだり、映像を見たり、祖父から聞いたりしたことがあって、一続きの時代で、決して鬼胎の時代ではないと思っている。でも、この学生運動から続く新左翼の思想やら、活動やらに忌避感を抱いてしまうなぁ。
以前読んだ、雨宮花凛さんの「右も左も一緒」という言葉がひどく納得できる。 -
[焰の後]日本全国の衆目を集めたあさま山荘事件、そしてその後に明らかになり、一気に運動からの支持を失わせることになった「総括」。時代の一部を飾った衝撃の事件を経た人間は、その後どのように生活をし、残りの人生を過ごしてきたのか。連合赤軍による事件に当事者として関わった人間の「その後」を取材した作品です。著者は、「AERA」等で人物ルポを手がけている朝山実。
当事者により明かされる、そして推測される連合赤軍の内幕というだけで興味深い。なぜあの凄惨な出来事が起きたのか、組織として狂い始めてきたのはどこからなのか等、誰もが答えを見出せない、しかしあの時代を考える上では通り過ごすことのできない問いにも鋭くくい込んでいっており、大変読み応えがありました。それにしても、意外な程にインタビューを受ける人々が(ちょっと言葉は雑ですが)「平然」としているのが印象的。
改めて本書を読んで感じるのは、「出口」のない、「風通し」の悪い組織が持つおそろしさ。どこにも選択肢が転がっていない、それ故に1つの経路を転がり落ちていいうしかないどうしようもなさを改めて感じました。オウム真理教にも通じるものがあるという視点が本書の中にもありましたが、暴力の萌芽を宿していた団体が、山に入り退路を自ら断った中では、ああいった事件が起きるのはある意味では「当然」だったのかもしれないなとさえ感じられました。
〜風向きをかえるために、話をそらしちゃった。俺はそれが、山での総括問題の種だと思っている。〜
この時代の雰囲気は本当に想像が難しい☆5つ -
日本中に衝撃を与えた『あさま山荘事件』から40年もの月日が流れ、服役を終えた連合赤軍の元兵士たちは逃れられない過去を負い、その後の人生をどのように送ってきたのか?本書は彼らの貴重なインタビュー集です。
本書は漫画家の山本直樹氏が「イブニング」にて連載している連合赤軍事件に題材をとったマンガ「レッド」作中に出てくる人物の「その後」を丹念に取材したインタビュー集であります。僕が連合赤軍事件に興味を持ったのは、確か高校か大学のどちらかだったかと思いますが、詳しくは思い出せません。中心メンバーだった坂口弘や永田洋子の書いた本をそのとき読んだ気もします。
そのときに起こった『総括』と呼ばれる凄惨なリンチ事件や後に『あさま山荘事件』と呼ばれる立てこもり事件など、彼らが残した『爪あと』は非常に深いものであると思っております。時は流れて40年以上。ここに出てくる人間の一人ひとりが服役を終え、『市井の人』としてそれからの人生をどのように生きていったか、そして『あの時』のことをどう思っているかということが本人たちの口から語られており、そういった意味では貴重な記録であると思います。
長い時間がたっているかこそようやく口を開いて当時のことを語っているということに彼らがいかに自らと向き合って生きてきたのかというある種の『真摯さ』が伺えるものでした。『その後』の人生も誰一人として同じ生き方をしたものはおらず、あるものは塗装職人となり、あるものはソフトウェア関係の会社を経営し、またあるものは実家の農家を継ぎ、地域社会に生きる――。その中で筆者を相手に語られる『真実』は本当に重いものでありました。
僕も実際にヘルメットにゲバ棒を持った集団を目の当たりにした衝撃を昨日のことのように覚えております。ただ、彼らに与しなかったのはどこかでこういうことが行われたという『事実』を踏まえていたのかもしれないということをこれを書きながら思い出しました。そして、作中にもいくつか知っている地名やいったことのある場所が出てきたときにはものすごくびっくりしました。も一度これをきっかけに『世の中を変えていきたい』と志を持って行動してきた人間がなぜ、あのような凄惨な事件を起こす結果になってしまったのか?というテーマを持ってあのときに行動を起こした人間たちの記録を巻末に上げられた参考資料を基に読んでいきたいなと、思っております。 -
12月にいっしょに飲んだKさんが、最近読んだ本としてこの『アフター・ザ・レッド』と、『戸塚ヨットスクールは、いま』の話をしていた。そもそもの関心は尼崎の(容疑者の女性が自殺してしまった)あの連続変死事件、いったいなんであんなことになったのかということへの興味だそうで、"閉鎖された系"で人間はどういう発想や行動をするのかというようなことを、いくつかの本を読みながら考えた、と聞いた。
『戸塚…』の本はあいにく近所の図書館になかったが、『アフター・ザ・レッド』はあったので、借りて読んでみた。
連合赤軍というと、あさま山荘事件。私にはリアルタイムの記憶はなく、鉄球がどーんという映像をテレビ番組で何度か見た記憶だけ。そして、後から判明した同志のリンチ殺人事件。読んだことはないが(図書館でぱらっと見たことはある)、永田洋子の『十六の墓標』という本がある…というくらいが、私の連合赤軍についての知識だった。
この本は、「連合赤軍事件」に関わった人たちが「その後をどう生きてきたのか」を聞いたもの。発端は、連赤事件をモチーフにマンガ『レッド』を描いている山本直樹を取材して人物ルポを書く仕事だったという。しかし、仕事はそこで終わらず、著者は、連赤事件の当事者たちと出会い、強い関心をもった。
▼頭の中で、四十年間イメージしてきた「連赤のひと」と目にした彼らはかなり違っていた。おそらく街ですれ違っても、誰ひとり、あの事件のひとたちだと気づいたりしないだろう。それくらい、ふつうに見えた。(p.5)
インタビューしたあとも、「ふつうだな」という最初の印象は変わらなかった、という。
「連合赤軍」が、「赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)」と「革命左派(日本共産党革命左派)」という二つの異なる組織が合体してできたものだ、ということを、私は初めて知った。ともに"軍事路線"を掲げる以外には共通点の少ない組織の統合だった、と書かれている。赤軍派の最高幹部が森恒夫、革命左派の最高幹部が永田洋子だった。森恒夫は東京拘置所で自死し、永田洋子は確定死刑囚となったのち執行前に病死した。
著者が話を聞いたひとは5人だが、この本に掲載されているのは4人の話。
ちょっと前に『田中角栄』を読んだせいもあるが、連赤事件は佐藤栄作内閣のときのことかと思い、4人のなかでも加藤倫教さんの話が印象に残った。たとえば、こんな会話。
▼──加藤さんがいま言われた「学生さん」というので思い出したんですが、羽田空港の近くで、機動隊と学生とが激しくぶつかったことがありましたよね。…テレビを見ていると私の父が「学生はしょうがない」と舌打ちしていたんです。…もともと父は、軍隊に招集されたものの戦地に行く寸前に終戦を迎えていて、小学校卒というのもあったんでしょうけど、「親に金を出してもらって甘えている」という憤りが学生運動をやっているひとたちにはあったみたいですね。
「それはねぇ、僕もその感覚に似たものは抱いていましたから。当時は、上から「革命をやるぞ」というふうに言われてやるもんじゃないぞとは思っていて。ごくふつうのひとが革命を必要としないかぎり、革命というのは成り立つもんじゃないと思っていました。
だけど、そうは言いながら、声高に革命を叫ぶ路線に、革命左派も巻きこまれてしまったんですよね。いまからすると戯言に振り回されてしまって、自分たちの生活感覚、身体感覚で、革命の時期であるのかないのか感じ取らないといけないものを、心情を優先させてしまった。
いまになってみるとですが、自民党がやっているようなドブ板政治のほうが、一般のひとたちがもっている要求だとか感情をよく知っているようにも思ったりしますね。…」(pp.104-105)
連合赤軍は、"革命戦士"になろうとした。軍隊を組織して、いずれは武装闘争をやるのだ、やるのかやらないのか、というところが私には分からないけれど、「自分は死んでもいい」と思っていたのだと前澤虎義さんは語っている。20何人で、30万の自衛隊と20何万の警察と10万の米軍を相手に闘おうというんだから、勝ち目はない、どっちにしても俺たちは全滅したんだ、と。
幹部が日雇い労働者にその革命理論を語る姿をみていた植垣康博さんは、「要は「やるのかやらないのか」ということになる。理論はお題目で、ひとしきりすんだら、だから武装闘争は必要なんだ、さあ、どうするんだとなるわけですよ」(p.180)と語る。
のちには過激な軍事路線を歩んでいくことになったが、革命左派は「学生のセクトではなく、地道な大衆路線で革命をやろうとするひとたちに思えたから」(p.235)、雪野建作さんはそこを選んだ、という。しかし、その後の軍事路線へすすんでいく組織は、考えていた方向と違っていった、なぜそこに残ったんですかという問いに、雪野さんは、自分でもそこにどういう心の動きがあったかを、自分で解明して言葉にしていきたいと語る。
変質した組織に残ったのは、雪野さんによれば「ひとつには、世の中のために役立ちたい、尽くしたいという気持ちはあった。それと裏腹なものとして、自分たちが方向性を示して、引っ張っていくんだという意識もあって、そこが落とし穴になっていたんじゃないか」(p.237)ということだった。
巻末の「少し長めの解説」で、椎野礼仁さんは、何のために機動隊と街頭でぶつかったのかと若い人に問われることも多い、と書いている。攻撃目標やスローガンはその時々で設定され、例えば佐藤首相の訪米阻止は、日米によるアジアに対する帝国主義的再編のための会談を止めるため、そのために羽田で飛行機を止めるというように。ただ、その機動隊との衝突が、実際に有効な方法だとは誰も思っていなかった、という。
▼それは何より、問題の存在を焦点化し、人民の意志がどれだけ強いかをアピールすることであり、さらに大衆に対して立場の選択を迫ることだった。政府ブルジョアジー、資本家階級の側に立つのか、我々に賛同するのかを問いかける。(p.277)
椎野さんは、自分にとってはそこまでの論理で充分だったと書く。「あちら側に立つのか、こちらに賛同するのかを問いかける」そういう場面は今もないわけではない。それが"自分のことだ"と思える人は、そう多くないと思えるけれど。
誤解を恐れずに言えば、と加藤さんは「僕は間違ったことはしていないと思っているんです」(p.154)と言い、「あの71年から72年にかけての政治状況下で、あの事件が起きたということを見ていかないと、それは見誤るというか、違うんじゃないかと思うんです」(p.154)と語っている。
この本で語っている4人のうち、加藤さんをのぞく3人は「連合赤軍事件の全体像を残す会」の中心メンバーだという。「どうしてあんなことが起きてしまったのか、そのすべてを解明したいという思い」で、関係者へのヒアリングを行い、それらは『証言』という冊子に少しずつまとめられている。
4人のなかで、加藤さんと雪野さんの2人が農業や環境問題に強い関心をもっていることも印象に残った。農業は、加藤さんが「その後」を考えたときの大きな軸だった。父は電線工場のサラリーマン、その父の対極にいたのが農業をやっていた母、「お金や名誉とは関係がない。毎日毎日、休みもない。そういう仕事」である農業を一生懸命やっていた母だった、という。
連赤関係の本はいろいろとあるが、加藤さんの『連合赤軍 少年A』と、パトリシア・スタインホフの『死へのイデオロギー 日本赤軍派』を読んでみたいと思った。
この本を読んだあと、たまたまうちにあった(何年か前に同居人が買った)『新左翼とは何だったのか』を読んで、党派がどう分かれていったとか、どういう主義主張の違いがあったかは、おぼろげながら分かったが、しまいのほうの革マル派と中核派の内ゲバの話、殺し合いの様子は読む気がしなくなって、本を閉じた。
(12/29了) -
日本を騒然とさせた「あさま山荘」事件から40年。服役を終えた連合赤軍の兵士たちは、逃れられない過去を負い、その後の人生をどのように送ってきたのか。そしていま、何を思うのか。彼らの「あれから」と「いま」
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元連合赤軍メンバーへのインタビュー集。
例えば、森・永田両氏の評価なども人によってまちまちで興味深い。
しかし、日本の左翼活動は何故このような方向に進んで行ったのであろうか。ひとえに文化的バックボーンによるのではないだろうか。ヨーロッパの100年近く昔の理論を無理やり取り込んで未消化のままに活動が先鋭化した結果のように思えてならない。 -
あさま山荘事件のことが知りたくて読みました。勉強不足でなんとも言えない。
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