李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

  • 角川書店 (1968年9月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784041103029

作品紹介・あらすじ

五千の少兵を率い、十万の匈奴と戦った李陵。捕虜となった彼を司馬遷は一人弁護するが。讒言による悲運を描いた「李陵」、人食い虎に変身する苦悩を描く「山月記」など、中国古典を題材にとった代表作六編。

みんなの感想まとめ

普遍的なテーマと深い人間理解が織りなす物語が魅力の作品集です。中島敦の作品は、中国古典を題材にしたものが多く、特に「山月記」や「弟子」などは、重いテーマと自嘲を交えたユーモアが絶妙なバランスを保ってい...

感想・レビュー・書評

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  • このごろ好きな中島敦。今までは南洋の幻想的な話など柔らかい方を読んでいたが、今回は中国古典に拠った話。漢文苦手でも疎くても注釈なるべく見ずにこんなに面白く読めて驚き。『山月記』はじめ『弟子』『悟浄出世』『悟浄歎異』など普遍的な重いテーマと自嘲含めた笑いのバランスが素敵。

  •  中島敦の本を開くと紙面が黒々としている。つまり、漢字が多いのだ。中国の古典に題材をとった小説が多く(この本に収められてあるのは、そういうのばかり)、難しい漢字、知らない言葉が多く、実は四割くらい意味が分からなかった。内容も哲学的で一字一句理解しようとすると疲れる。が、全体的に面白かった。
     面白かった理由のその一は、読んでいて賢くなった気がするからだ。北風のことをいう「朔風」という言葉など漢文から来ている格好いい言葉遣い、漢字使い、漢文の知識がありとあらゆる所に散りばめられており、意味は半分くらいしか分からなくとも「これも日本文学の源流の一つなんだ。この短い熟語の中にぎゅっと意味が凝縮された魅力」と思いながら、読んだ。
     言葉や漢字が難しいのに、読み続けられた理由は、話が面白かったからである。登場人物が人間的である。
     高校の教科書で読んだ「山月記」。あまりにも自尊心が高すぎ、自分が人に負けているのを認められないため、人を避けるようになり、ついには山の中で孤独な虎になってしまった人の話
    。当時、自分のことだと思って読んでいた。
     「わが西遊記」からの抜粋で「悟浄出世」。悟浄というと、今だに堺正章が主役だった「西遊記」の中の悟浄を思い浮かべる古い人間なのだが、悟浄は元々流沙河の川底に住んでいた妖怪の一人で、「自分はダメだ。自分とは何ぞや。」と苦しみ、神経衰弱になった結果、流沙河の中の何人かの哲学者の弟子になり、却って自分が分からなくなって、最終的に三蔵法師の一団な出会う。
     その悟浄の目から悟空と三蔵法師。観察している「悟浄嘆異」も面白かった。「全く、悟空のあの実行的な天才に比べて、三蔵法師はなんと実務的には鈍物であることか。これは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならぬ。外面的な困難にぶつかったとき、師父はそれを切り抜ける道を外に求めずして、内に求める。つまり、自分の心をそれに耐えるように構えるのである。………悟空には赫怒はあっても苦悩はない。歓喜はあっても憂愁はない。彼が単純にこの生を肯定できるのになんの不思議もない。……二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛しあっているのは面白い眺めである。」
     この世のあらゆる人間それぞれの短所がその逆のタイプの人を救うような長所である。そういう人間模様を観察している悟浄。
     そのように人間の性格の短所を掘り下げたあと、愛情を持って第三者的な視点で肯定する、分かりやすく、面白い作品が多かった。

  • 中島敦は教科書でおなじみ「山月記」の作者です。彼の作品は中国古典に由来したものが多いため、漢字が一杯で読むのが大変でした。山月記を久しぶりに読みましたが、何度読んでも胸が締めつけられます。誰でも人に認められたいという気持ちはあると思うけれど、その気持ちが強すぎたのかな。彼が全然悪い人ではないだけに辛いのです。孔子様のお弟子さんたちのお話もあります。孔子様のありがたい言葉は今でも残っていますが、孔子様は、自分の名を後世に残したいなんて思わなかったと思います。

    万葉集には、詠み人知らずの和歌が多く残されています。言葉だけが残って時代を越えて私たちの心を動かすのです。千年以上残った古典だって、作者が誰であってもいいじゃないですか。それが真実の言葉で、私たちの心を動かすのであれば。詩人は神様と人間の間にいると何かで読みました。自分のないところで表現するものが、きっと本当の言葉や芸術になると思います。いつだって残るのは本当の言葉だけで作者ではない。時代を越えても決して変わらない感動をくれる言葉は多分、この世で一番強いものだと思います。

  • 難しい〜山月記は短い。中国の話って、地名か人名か分かりにくい

  • ## 感想

    『李陵』は勇猛な将である李陵が敵軍に捕えられ、祖国へ帰りたいと思いながらもその祖国から辛い目に遭わされ、捕えられた敵軍の中にも好人物や良い風土があることを知り、葛藤する話。

    途中、同じく漢にいた蘇武という人と会う。

    この蘇武は同じような境遇ながらに祖国を愛し続けていて、しかも最後には運良く漢に帰れることになる。

    そんな李陵を見て嫉妬や羨みのような感情を覚えて悲しむ李陵の心中は計り知れない。

    私たちは常に何かに所属している。

    家族、学校、会社、国。

    自分が属するものが信じられなくなることは、どんな気持ちだろう。

    こんな風に祖国に裏切られるなら、確かに諦めてしまうかもしれない。

    私も、絶望して、諦めて、蘇武のようには生きられず、李陵のように祖国を恨み続ける。

    今の自分が日本に生きて、会社で働き、家族とともに過ごしていられるのは、当たり前のことではないのだということを、こうした歴史を知ると常に思う。

    『弟子』は、孔子の弟子である子路に焦点を当てた物語。

    子路から見た孔子や周りの国々の姿を見るうちに、その報われなさに辛くなる。

    > いかなる場合にも絶望せず、けっして現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさもわかるし、常に後世の人に見られていることを意識しているような孔子の挙措の意味も今にして初めて頷けるのである。(p95)
    >

    孔子の弟子、子路が長い放浪の旅のなかで孔子に対して思うこと。

    一言にまとめると簡単に見えるが、難しいことだ。

    「与えられた範囲で最善を尽くす」ことが、今の世の一員である私たちがやることだ。

    常に後世の人に見られていると思って、最善を尽くす。

    自分もそうありたいと思う。

    『名人伝』は、弓の修行をする紀昌という人の物語。

    「まばたきをするな」「目を良くしろ」という師の指示に従って、長年かけて鍛錬を行う紀昌はめきめき上達する。

    しかしある時、「もう師を超えてるよな?師さえいなければ俺が最強だよな?」というようなことを考え、師に向かって矢を放つ。

    それは失敗するが、それまで素直に修行していた紀昌の印象がだいぶ悪くなった。

    その後、紀昌はさらなる高みを目指して、山にいる仙人のような人に教えを乞う。

    また長年の修行を経て、今度は弓を持たなくなった。

    『名人伝』では多分、「名人になるほど物にこだわらない」というか、ただ技術云々を鍛えるのではなくて、世界そのものと繋がるのだ、というようなことを言いたいのかなあと思ったが、私は紀昌が長い年月をかけて素直に単調な修行を実施する場面が良いと思った。

    才能は大切だが、それ以上に努力を積み上げることだ。

    『山月記』は、虎になった李徴の語りがメインの話。

    こんな文章が印象的だった。

    > もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己の詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを怖れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己が珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。己はしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙イとによってます
    ます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。(p124)
    >

    「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」とは凄まじい表現だと思う。

    「この尊大な羞恥心が猛獣、虎だった」とその後に続く。

    誰しも皆、傷つきたくはない。

    『悟浄出世』は、西遊記で有名な妖怪である沙悟浄が主役の話。

    沙悟浄が人生に悩み、様々な人に話を聞きに旅に出る。

    旅の果て、こんなことを思う。

    > 昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかりとした、それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有っていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。先からいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。(p151)
    >

    色々な偉い人の話に触れた末に、「なんだか薄っぺらいものになってしまった」と思う沙悟浄。しかしその後、沙悟浄はある考えに至る。

    > とにかく、自分でもまだ知らないでいるに違いない自己を試み展開してみようという勇気が出てきた。躊躇する前に試みよう。結果の成否は考えずに、ただ、試みるために全力を挙げて試みよう。決定的な失敗に帰したっていいのだ。今までいつも、失敗への危側から努力を放棄していた彼が、骨折り損を厭わないところにまで昇華されてきたのである。(p156)
    >

    「考えるよりやってみよう」という考えに、考えに考えた末になったのは面白い。そしてこれは私自身も大切にしている考えだ。あれこれ考えると、良くないことが頭をよぎり、身動きできなくなる。誰も人生の正解なんてわからないのだから、やるだけやってみればいいのだ。家族を不幸にするようなこと以外は。

    『悟浄歎異』は、先程の『悟浄出世』の沙悟浄の手記という体の物語。孫悟空の天才性や、三蔵法師の素晴らしさが沙悟浄目線で語られる。

    こんな文章がある。

    > 外面的な困難にぶつかったとき、師父は、それを切抜ける途を外に求めずして、内に求める。つまり自分の心をそれに耐えうるように構えるのである。いや、そのとき慌てて構えずとも、外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、平生から構えができてしまっている。いつどこで窮死してもなお幸福でありうる心を、師はすでに作り上げておられる。(p176)
    >

    三蔵法師は問題を切り抜ける道を外でなく内に求めると言う。

    自分の心の有り様で世界の捉え方は違う。

    同じ物事を見るのも、考え方次第だ。

    ### まとめ

    それぞれの短編は中国の古典を題材にしていて、芥川龍之介のような寓話的な雰囲気がある。

    史実のような話の中に、人間の嫌なところが滲み出るように描かれていて、「ああ、こんな気持ちになることあるよなあ」と思う。

    特に私は「山月記」が好きだ。

    自分が何者かであると信じながらも挫折し、自己理解に苦しみながらも諦められずに、「せめて少しだけでも」と自分の生きた証を残そうとする。

    世界の歴史と比べて、人生は短い。

    その中でもがき苦しみ、何かを残そうとしてきた人たちがいたから、今の世界はある。

    名前も残らないような大勢の人の仕事の上に世界は成り立っている。

    自分もその世界の歯車の一つとして、何か形として残して死んでいきたいものだと考えているし、そのように行動するよう心掛けている。

    だから「山月記」の李徴の痛みは刺さる。

    中島敦自身、こうした苦心があったのかもしれない。

    作家は孤独だろうから。

    でも、こうして中島敦自身が亡くなった後もたくさんの人に作品が読まれていることを思うと、李徴は少し報われたのか?と考えたりもする。

    「山月記」の李徴のように、「弟子」の孔子のように、私も後世の人に何を残していけるような人間でありたい。

  • 中島敦の作品集。
    いまさらのように、万城目学氏の悟浄出立との関連に思い至り、悟浄出世、悟浄歎異の2編が含まれている本書を読んだ。
    いずれの作品も素晴らしい。伝説に場を借りつつ、人についての洞察が巧みに織り込まれている。あらためて面白かったし、戦中の作家であるけれど現在読んでも読みやすい文体も素晴らしい。

  • 極上の美文を味わえた。

  • 中学生ぶりに読んだ山月記、眠たいイメージしかなかったけど中々読みやすいじゃない
    悟浄出世一番良かった。何度でも読みたいかもしれない。

  • 割と定期的に読み返すんだけど文体が好き。
    漢文調でお堅いかと思いきやどことなく艶っぽくてリズム感が良い。声に出して読みたい感じ。
    『山月記』が特に有名だし切なく滾るものがあるけど、個人的には『弟子』と『悟浄歎異』が好き。子路から孔子への思いとか、悟浄の悟空語りとか「これだけの圧倒的語彙力で推しを褒め称えるのマジ尊敬」ってなる。

  • 万城目学の悟浄出立にて中島敦の本作からの影響が語られており、読みたいと思った。

    李陵 万城目学の『父司馬遷』と対に読む事をお勧めします。

    弟子 子曰く〜に出てくる子路の話 孔子の清廉さと子路の潔白さを知る事ができた。

    山月記 藤田和日郎の『うしおととら』を思い出した藤田氏も本作からの影響を受けていたのだろうかと ふと思う。

    名人 極めすぎると一周するって事ですかね・・・ 個人的には本作の白眉!

    悟浄出世・悟浄歎異 悟浄考え過ぎ!流石の傍観者なだけある!

    因みに中島敦の写真がロンブー淳に似てると思うのは私だけでしょうか?

  • 簡潔でかつ通説適切史実に忠実。
    儒教は詩と音楽を重んじることを認識。
    宮城谷、北方両氏の小説とつながった。

  • 『李陵』『弟子』『名人伝』『山月記』『悟浄出世』『悟浄歎異』 中島敦 2020/12/11~

    えっ何この本。めちゃくちゃ面白い。
    ぱっと見難解な文章だけど、理解しているべき単語とそうでもない単語の区別ができるようになると意外な程スラスラと内容が入ってくる。

    「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
    この一節は僕に刺さる。刺さりまくる。やめてくれ。
    多分高校の現国の授業で習った気がするけど、その時は李徴が言っていることはよく分かっていなかった。
    けど大学へ行き、社会人になり、色んな出会いと経験をしてきた今、李徴の苦悩には深く深く共感してしまう自分がいる。
    虎になってしまった李徴はそのことを悔やむけれど、ある意味人でなくなってしがらみから逃れたことは羨ましいな・・・とか思ったりもするのは多分読み込みと考察が足りていない証拠。

    多分下手な自己啓発本を何冊も読むより、この本を読み込んだ方が意味があると思う。

  • 中国の古典を材にとった漢文調の格調高い文章。有り余る才能と誇りを持て余しながら、自分の存在意義を深く追求せずにはいられない人間の苦悩を鮮やかに描き出している。その主人公たちの姿はたぶんそのまま中島敦本人の姿なのだろう。

  • 『山月記』の感想。
    高校での国語の授業で『山月記』を読み初めて中島敦を知った。友達から文豪ストレイドッグスの主人公はこの人がモデルだよと言われたことと『山月記』自体が妙に心に残る作品であったことを思い出した。
    特別でありたいと願う高校生に「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というワードを読ませるのかと今になって思う。
    『山月記』の元である『人虎伝』と比較して読むと中島敦が作品に込めた想いが分かるような気がする。
    「人生は何事をも為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短い」という一文が私は大好きなのである。

  • 高校の頃の教科書にでてきたときはイメージがあまりわかなくて、ぴんとこなかった『山月記』

    「史記」「三国志」「キングダム」など読んで中国歴史ドラマみて、中国史を勉強して、イメージできるようになってから改めて読むと、深く心に届きました。
    その時代の考え方、習慣を知っていると理解も深まるしおもしろさも増すのね

  • 2026.6.15
    積読消化

    6編の短編集
    中国古典からの話が多いとのこと。
    確かに舞台は中国で。
    解説を読んでもよくわからなかったのだけど
    これは創作なの?
    それとも、中国古典の話に脚色した訳しものなの?

    漢字がやたら多いけど、さくさくは読めるかな。
    とはいえ
    やたらと、似たような名前の人がいっぱい出てくるし、歴史的人物みたいな人も出てくるから
    中国古典系文学が好きならいいのかなと。
    途中で関係性がわからなくなってくる。

    教科書に載ってる「山月記」は読みやすい



  • 山月記
    中島敦の無駄のない言葉とリズム感のある文章で気持ちよく読み進める。プライドが高く孤立した李徴は虎に変化し、袁傪に自分が作った詩を託すが、作品にどこか欠けるところがある。妻子のことより自分の作品を優先する李徴。袁傪の身を案じてもすでに遅し、もう人間には戻れない。取り返しのつかない人生の厳しさを再認識させらます。
    臆病な自尊心(プライドが高く、傷つくのが怖い)と尊大な羞恥心が彼を孤立させた。

  • 短編集でどれも読み応えがありました。
    山月記、李陵、悟浄歎異が特に好きな話です。漢字が多く、自分には意味が分からないのが多いですがそれでも読み進められます。

  • 『山月記』は教科書で読んだことがありましたが今読むとまた良いですね(笑)他の作品は聞いたことがあるくらいで初めてでした。全部良かったけど特に『李陵』『弟子』が良かった(笑)『李陵』は歴史の本で内容は知っていたけど良いですね~(笑)引き込まれていく感じで楽しめました(笑)このイベントがなければ中々手を出さなかったっと思う(笑)

  • 啓光図書室の貸出状況が確認できます
    図書館OPACへ⇒https://opac.lib.setsunan.ac.jp/iwjs0021op2/BB99357452
    他校地の本の取り寄せも可能です

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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