李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041103029

作品紹介・あらすじ

五千の少兵を率い、十万の匈奴と戦った李陵。捕虜となった彼を司馬遷は一人弁護するが。讒言による悲運を描いた「李陵」、人食い虎に変身する苦悩を描く「山月記」など、中国古典を題材にとった代表作六編。

感想・レビュー・書評

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  • このごろ好きな中島敦。今までは南洋の幻想的な話など柔らかい方を読んでいたが、今回は中国古典に拠った話。漢文苦手でも疎くても注釈なるべく見ずにこんなに面白く読めて驚き。『山月記』はじめ『弟子』『悟浄出世』『悟浄歎異』など普遍的な重いテーマと自嘲含めた笑いのバランスが素敵。

  •  中島敦の本を開くと紙面が黒々としている。つまり、漢字が多いのだ。中国の古典に題材をとった小説が多く(この本に収められてあるのは、そういうのばかり)、難しい漢字、知らない言葉が多く、実は四割くらい意味が分からなかった。内容も哲学的で一字一句理解しようとすると疲れる。が、全体的に面白かった。
     面白かった理由のその一は、読んでいて賢くなった気がするからだ。北風のことをいう「朔風」という言葉など漢文から来ている格好いい言葉遣い、漢字使い、漢文の知識がありとあらゆる所に散りばめられており、意味は半分くらいしか分からなくとも「これも日本文学の源流の一つなんだ。この短い熟語の中にぎゅっと意味が凝縮された魅力」と思いながら、読んだ。
     言葉や漢字が難しいのに、読み続けられた理由は、話が面白かったからである。登場人物が人間的である。
     高校の教科書で読んだ「山月記」。あまりにも自尊心が高すぎ、自分が人に負けているのを認められないため、人を避けるようになり、ついには山の中で孤独な虎になってしまった人の話
    。当時、自分のことだと思って読んでいた。
     「わが西遊記」からの抜粋で「悟浄出世」。悟浄というと、今だに堺正章が主役だった「西遊記」の中の悟浄を思い浮かべる古い人間なのだが、悟浄は元々流沙河の川底に住んでいた妖怪の一人で、「自分はダメだ。自分とは何ぞや。」と苦しみ、神経衰弱になった結果、流沙河の中の何人かの哲学者の弟子になり、却って自分が分からなくなって、最終的に三蔵法師の一団な出会う。
     その悟浄の目から悟空と三蔵法師。観察している「悟浄嘆異」も面白かった。「全く、悟空のあの実行的な天才に比べて、三蔵法師はなんと実務的には鈍物であることか。これは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならぬ。外面的な困難にぶつかったとき、師父はそれを切り抜ける道を外に求めずして、内に求める。つまり、自分の心をそれに耐えるように構えるのである。………悟空には赫怒はあっても苦悩はない。歓喜はあっても憂愁はない。彼が単純にこの生を肯定できるのになんの不思議もない。……二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛しあっているのは面白い眺めである。」
     この世のあらゆる人間それぞれの短所がその逆のタイプの人を救うような長所である。そういう人間模様を観察している悟浄。
     そのように人間の性格の短所を掘り下げたあと、愛情を持って第三者的な視点で肯定する、分かりやすく、面白い作品が多かった。

  • 難しい〜山月記は短い。中国の話って、地名か人名か分かりにくい

  • 中学生ぶりに読んだ山月記、眠たいイメージしかなかったけど中々読みやすいじゃない
    悟浄出世一番良かった。何度でも読みたいかもしれない。

  • 極上の美文を味わえた。

  • 万城目学の悟浄出立にて中島敦の本作からの影響が語られており、読みたいと思った。

    李陵 万城目学の『父司馬遷』と対に読む事をお勧めします。

    弟子 子曰く〜に出てくる子路の話 孔子の清廉さと子路の潔白さを知る事ができた。

    山月記 藤田和日郎の『うしおととら』を思い出した藤田氏も本作からの影響を受けていたのだろうかと ふと思う。

    名人 極めすぎると一周するって事ですかね・・・ 個人的には本作の白眉!

    悟浄出世・悟浄歎異 悟浄考え過ぎ!流石の傍観者なだけある!

    因みに中島敦の写真がロンブー淳に似てると思うのは私だけでしょうか?

  • 割と定期的に読み返すんだけど文体が好き。
    漢文調でお堅いかと思いきやどことなく艶っぽくてリズム感が良い。声に出して読みたい感じ。
    『山月記』が特に有名だし切なく滾るものがあるけど、個人的には『弟子』と『悟浄歎異』が好き。子路から孔子への思いとか、悟浄の悟空語りとか「これだけの圧倒的語彙力で推しを褒め称えるのマジ尊敬」ってなる。

  • 簡潔でかつ通説適切史実に忠実。
    儒教は詩と音楽を重んじることを認識。
    宮城谷、北方両氏の小説とつながった。

  • 『李陵』『弟子』『名人伝』『山月記』『悟浄出世』『悟浄歎異』 中島敦 2020/12/11~

    えっ何この本。めちゃくちゃ面白い。
    ぱっと見難解な文章だけど、理解しているべき単語とそうでもない単語の区別ができるようになると意外な程スラスラと内容が入ってくる。

    「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
    この一節は僕に刺さる。刺さりまくる。やめてくれ。
    多分高校の現国の授業で習った気がするけど、その時は李徴が言っていることはよく分かっていなかった。
    けど大学へ行き、社会人になり、色んな出会いと経験をしてきた今、李徴の苦悩には深く深く共感してしまう自分がいる。
    虎になってしまった李徴はそのことを悔やむけれど、ある意味人でなくなってしがらみから逃れたことは羨ましいな・・・とか思ったりもするのは多分読み込みと考察が足りていない証拠。

    多分下手な自己啓発本を何冊も読むより、この本を読み込んだ方が意味があると思う。

  • 高校の頃の教科書にでてきたときはイメージがあまりわかなくて、ぴんとこなかった『山月記』

    「史記」「三国志」「キングダム」など読んで中国歴史ドラマみて、中国史を勉強して、イメージできるようになってから改めて読むと、深く心に届きました。
    その時代の考え方、習慣を知っていると理解も深まるしおもしろさも増すのね

  • 中国の故事を元に描かれたものが多いからか、とっつきにくい印象だったけど、全ての作品に引き込まれてしまった。
    特に山月記と悟浄出世。
    全てに底通する、自己の弱さや迷いに向き合わざるを得ない主人公達は、きっと敦くん自身の姿なのだろう。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 心洗われる。定期的に読見返すべき本。

  • 「驚愕の描写でつづる匠の世界とその深淵」

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=074203

  • 文学

  • 思えば私の中華風物語好きもここから始まったのかもしれない。
    中学時代この本を読んでから今に至るも読み返している。
    最初の部分は暗誦できるまでになっていた。
    その後、20年ほどしてある本屋さんで高校ぐらいの男子二人連れが本を選んでいた。一人の子が冒頭部分を語り出したのを聞いて、この年代の子供たちには印象の深い文学なのだなと思った。
    今も電子本で携帯しています。
    何度読んでも味わい深い。

  • 再読どこじゃないがやっぱ好き

  • もう何度読んでいるかは分からないが、折に触れて中島敦を読みたくなる時がある。

    「隴西の李徴は……」から始まるあのリズム美に触れたくなるのだ。もはや中毒である。

    そういう意味で、中島敦はすごい作家だなあと思う。33歳という若さで亡くなったが、この人が作品を生み出し続けていたなら……と想像してみると面白い。

    私が角川版を購入したのは、森村玲さんのカバーが中島敦観とマッチしていたから。
    最近、どの出版社にも言えるのだが読者獲得のために、不必要なほどマンガテイストのものに変えないでほしい。。。

    さて。
    「山月記」は言わずもがな、私は「名人伝」も大好き。
    紀昌が世話になった師匠を倒さんとするも失敗したあとの、謎の和解ハグシーンはいつ読んでも笑ってしまう。

    この「名人伝」から改めて繋がった作品が、オイゲン•ヘリゲル『日本の弓術』である。
    こちらはエッセイだが、ぜひ触れて欲しい。

    【2016.12.29再読】

    万城目学『悟浄出立』を読んで、改めて「悟浄出世」「悟浄歎異」、「李陵」を読む。
    沙悟浄の立ち位置。
    活躍する者ではなく、調停する者であるという、いわゆる脇役でしかない嘆き。
    けれど、悟浄の視点だからこそ、物語は小説へと変化出来たのだろうし、三蔵と悟空の持つ性質を言語化出来る思考を持ち合わせる存在は、悟浄しかいない。

    「李陵」は、李陵と司馬遷の二人の苦悩から成る。
    どちらも主君に見捨てられた者として辛酸を舐める。
    しかし、宿命とも言える仕事に没頭出来た司馬遷と、匈奴の中で身を休めることが出来ながらも、蘇武との決定的な差にジリジリとする李陵ではその後が違う。

    自分の足元に何が拡がっているのか。
    人が宿命を感ずる時とは、一体どのように訪れるのだろう。

  • 中身は至って真面目だし、悟浄出世など中島敦好きには嬉しいラインナップですが、表紙がイラストなのがどうも気に食わないです。

  • 友人が好きだということで再度読む。
    山月記の臆病な自尊心と尊大な羞恥心は非常に印象的な言葉。
    李陵、弟子、悟浄出世も面白い。
    生ある間は死なし、死いたらばすでに我なし。何をかおそれん。
    賢者が他人について知るよりもグ社が自分について知る方が多い。
    悟浄出世の女偊の話が良い。P153

  • 北方の「史記」を読んでいる流れから、「李陵」を再読したくなり購入。

    はじめて読んだのは中学で、その後高校で「山月記」が出てきて。
    どちらの頃も、ふーん…という感想でしか持たなかった。
    でも、今回はどの作品も夢中になって読み進めたし、響いた。
    あの頃すでに良書に出会えていたのに、気付けなかったんだなあ。
    遅くなったけれど、気付けて良かった。

    「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」「悟浄出世」「悟浄歎異」収録

  • これじゃないけど、感想を書くにあたって一応の登録。
    実本は、中島敦『山月記・弟子・李陵 ほか三編』(講談社文庫、1972年。)

    山月記
    自分も虎になるんじゃないかと思った。
    性情が虎ということは、虚無的自尊心がこの頃は虎のイメージだったのかなあ。
    「虎となる=自分の感情が抑えられなくなる」とわかりやすいかも。

    名人伝
    最後の場面は痛快。人々の盲目的尊敬心はある意味恐い。
    「すごい政治家は政治のことを知らない」とかなったから恐いなあ(>_<)

    201397.15(月)

  • 著者は夭折のため寡作ではあるが、青少年から中高年まで幅広く親しまれる名作6篇の良い構成。

    作品の内容とは無関係の余談だが、角川文庫 最新版の表紙が私の読んだ第39版の表紙とあまりにも異なるので驚いた。
    最新版の絵は、私の中の『山月記』の世界観とは遥かに遠い印象を受けた。

  • 「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」「悟浄出世」「悟浄歎異」
    正義感あふれる李陵が敵国匈奴に捕まる。司馬遷は李陵を庇うが、武帝に逆ギレされて宮刑を受ける。
    報われない自分の境涯に発狂し虎になる李徴。ノイローゼぎみの沙悟浄。
    どの作品も不安や不快、やるせなさが漂うが、人間の愚かさや弱さを直視することで、人間の本質がジワジワ浮き上がってくる。

  • 名人伝 ー 技を極めるため、成長しつづけて辿りつく先は… 初めて読んだ時、ラストは軽い衝撃でした。人生における老いの一つのモデルとして今も心しています。段々と衰える、ではなく本質を極めていく人の姿が見えます。

  • 文字が細かくて、ちょこちょこ読み進め、一年かかってやっと読了。きっかけは表紙の男の人に惹かれたというミーハーな理由での購入でしたが、予想以上に楽しみました。

    李陵は一番ピンと来ませんでした…;。弟子が一番面白くて、師弟愛に感動しっぱなしでした。名人伝は修行の成果の出方(?)がとんでもなくて、楽しかった。山月記はなんだかなぁ?。悟浄出世は悟浄が悶々としている感じが良かったし、美少年の美少年具合に興味をそそられたw。悟浄歎異は悟浄目線で旅の御一行がどう映っているか…ですが、悟空がやっぱかっこよさげに描かれていて、西遊記そのものもいつか読んでみたいと思った。

    いい本でした。他の中島敦の本も読もう読もう。

  • ≪引用≫

    地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。


    (なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。

    「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。




    ≪レビュー≫

    中島敦を読んだのは初めてである。
    漢文学者の父を持つ敦は、15歳にして3人の母親を持ったという。33歳で亡くなっている。

    「名人伝」は、趙の邯鄲の都に住む天下第一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌という男の物語である。
    紀昌はまず、百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人の飛衛に弟子入りする。飛衛の教えのままに弓の名手になった紀昌は、「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」と飛衛に矢を向ける。この戦いは互角だったが、飛衛は身の危険を感じ、紀昌に新たな目標を与えた。それが甘蠅(かんよう)老師だった。
    飛衛が「己の業が児戯に類する」というほどの甘蠅老師は、紀昌に「不射の射」を教える。
    9年の歳月が流れ、山から降りた紀昌は、「以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変って」いた。そして不思議なことに弓も矢も再び手にすることはなかったという。
    やがて老いた紀昌は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と述懐する。
    不思議なエピソードが唯一残っている。知人の許に招かれた紀昌が、弓と矢を見て「 それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いたというのだ。射の名人たる紀昌は、既に弓を忘れてしまっていたのである。

    物語の概要は上記の通りである。
    とても不思議な話だ。
    業の深奥を極めたはずの射の名人が、最後には弓の名前も使い方も忘れてしまっていたというのである。
    名人というよりは神の域に達してしまった者にしか見えない世界がある、とも取れる話である。

    興味深いのは、「神に入る」や「蘊奥を究め」などの表現が、囲碁名人の允許状や将棋名人の推戴状に通じているところだろう。
    もしくはこの作品から取ったのかもしれない。

    囲碁や将棋の物語を書くには、この話は使えるかもしれない。

  • 私が持ってるのは55版だからこの表紙じゃないよ!

    高校の授業で「山月記」を読んだ時は、この作家さんとは仲良くなれそうにないなぁと思ったものだけど、今読んでみると、これだけ漢語語彙が多いのに読みやすい!
    慣れない漢語語彙は確かに難解なんだけど、それでも登場人物の感情が手に取るようにわかる。

    今までずっと挑戦しようと思って積みっぱなしだったのは損してたなぁ。

  • 大好きです 個人的には「文字禍」「木乃伊」が好きなんですが

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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