「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命 (角川oneテーマ21)
- 角川書店 (2012年10月9日発売)


- 本 ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041103296
作品紹介・あらすじ
重信メイさんは中東問題、および中東をめぐる報道を専門に活動しているジャーナリストだ。日本赤軍のリーダー、重信房子を母に持ち、パレスチナ人の父との間にレバノン・ベイルートに生まれた彼女は、2001年に日本国籍を取得するまでアラブ社会で暮らしてきた。その経験から、メイさんはメディアが報じる「アラブの春」に違和感を持つ。チュニジア、エジプトを皮切りに全アラブに波及したとされる「アラブの春」とはいったい何だったのか。
【著者プロフィール】
重信メイ(しげのぶ・めい)
中東問題、中東メディア専門家。1973年、レバノン・ベイルート生まれ。日本赤軍のリーダー重信房子とパレスチナ人の父の娘として、無国籍のままアラブ社会で育つ。1997年、ベイルートのアメリカン大学を卒業後、同国際政治学科大学院で政治学国際関係論を専攻。2001年3月に日本国籍を取得。来日後はアラブ関連のジャーナリストとして活躍。2011年同志社大学大学院でメディア学専攻博士課程を修了。現在、ジャーナリストとしてパレスチナ問題を中心に広く講演活動を行なっている。
感想・レビュー・書評
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「アラブの春」の陰には欧米メディアの陰謀が働いていたというのが概要。しかし,裏付けとなる理論が弱く,筆者の想像の範囲を超えない記述ばかり。情報源が明示されず,事実関係が不明確。特にシリアに関する項目は信頼性を欠く。
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マニアックなイスラームの歴史や伝統でもなく、一つの町の限定された個人的な悲劇の現在でもなく、中東の今を理解できる。アラブに住む人にとっては常識なのではないだろうか。そういう基本をまず、知りたい。包括的で勉強になった。
・儲けたお金は毎年ある一定の割合(財産の2.5%)で、社会に還元しなくてはならない。それが「ザカート(喜捨)」。「ラマダン(断食)」にもセルフコントロールを学び、貧しい人の気持ちを理解できるようにという意味がある。イスラム教では一生に一度はメッカに巡礼することが好まれているが、巡礼では真っ白いシーツのみを身体に巻く。神の前では皆同じ、という考えを元にしており、社会主義的な平等精神に通じる。共産主義と宗教であるイスラムは敵対的と思うと、意外と相性が良い。
・アルジャジーラは中東のプロフェッショナルなジャーナリスト集団というイメージがあるが、そもそもはカタール国王が設立したもの。人口60万人程度のアラブでも存在感の薄い国で、隣のサウジアラビアに併呑されるのではないかとの危機感から、国際的な存在感を増すために設立されたのが始まり。
カタールも(カダフィの)リビアも天然ガス輸出国。最大輸出国はイランだが、その後を追うロシアとカタールは産出量や価格をコントロールしようと協力しており、エキセントリックなリビアを抑える利害関係があった。
・リビアのカダフィは西部の大部族のリーダーの血筋。経済の中心は東にあり、デモや暴動がおこったのも東部のキレナイカ。
・シーア派の語源は「アリー派(シーア・アリー)」。ムハンマドの娘婿アリーの血筋だけに指導者(イマーム)の地位を認めるという立場。
スンニ派の語源はムハンマドの時代の慣行(スンナ)を守る人、というもので共同体での話し合いで指導者を決めようとした人たち。 -
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とくにチュニジアでは、高い教育を受けても、コネがなければ路上で野菜を売ることでしかお金を得る手だてがありません。しかも、そのささやかな仕事も国から取り上げられてしまう。その一方で、私腹をこやしている政治家や官僚、その家族がいるのです。 不満がたまっていたところに、爆発するきっかけがあって、大きな運動に盛り上がっていきまし -
メディアの伝えることがどれだけ偏っているのか インターネットこそ怪しい
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【要約】
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【ノート】
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アラブの春
チュニジアに端を発するアラブの春のきっかけから、周辺国での波及の様子をまとめた本。鍵はメディアだ。
フェイスブックがあったからこそ、1人の青年のアクションが同志へ波及したし、インターネットの力が認められることで、政府が政治の道具としても使うようになってきた。
チュニジア、エジプトの革命は市民によるものだが、シリアやリビアは周辺国の代理戦争の場となってしまった。
アラブの問題は単なる宗派の対立ではない。貧困、差別、弾圧といった生きることすら危うい人たちが必要に迫られて起こしたデモがアラブの春である。そしてそれを、伝えるメディアが良くも悪くも使われた。
私たちは、メディアの報道を注意深く取り入れなければならない。
◯始まり
・チュニジアの青年の焼身自殺。生活のため露店で無許可で野菜を売っていたら、検査官に捕まり全財産に近い商品、友人から借りた荷車を没収され、明日食べるお金もない。そして女性から辱めも受けた。
・革命は終盤までメディアでは取り上げられず、facebookで拡散していった。明日は我が身というリアリティと怒り。イスラムでは自殺はご法度。
・政府への抗議のため焼身自殺をする人がチュニジア全土、北アフリカの他国へと飛び火。
・不満の共有を広げた背景もソーシャルメディア、アルジャジーラのような衛星放送。
・最初の焼身自殺から1ヶ月足らずでベンアリー大統領がサウジに亡命、その1ヶ月後に暫定政権樹立。
・革命の中心は左派でリベラルな考え方を持つ若者だったが、革命後の選挙から主役が入れ替わり、ムスリム同胞団がイスラム社会の実現を掲げて勝利、革命を起こした前者にとって望み通りにはならなかった。
・皆が集まるモスクでそこの顔の見えるリーダーが演説することで支持を集めた。
・左派の若者たちには革命後の人々をまとめるリーダーがいなかった。
・イスラム教そのものではなく、イスラム教の考え方をどう社会に反映させるかぎ問題。コーランそのままではガチガチの保守。
◯エジプト
・国の根幹を握っているのは軍。1952年に軍がクーデターを起こしてから、王政を廃して軍事政権が続く。軍が金融機関を持ち、経済活動に深く関わる。アメリカからの経済援助も大半が軍へを
・ムバラク政権が倒れたのも、大規模なストライキで軍が政権を見限ったから。
・親米のムバラク政権の維持をアメリカは望んでいたが、最後は見限った。
・ムバラク打倒、腐敗撲滅に皆が賛成していたものの、革命後のビジョンが共有されていなかった。
・ムスリム同胞団: 組織ではなくムーブメント、国に合わせて動きやすい。スンニ派指導者が作ったドクトリンに基づく行動。ムハンマドの教えや生活習慣に従った生活。時々の流れで参加すればよい。
・アラブ人のいるパレスチナを弾圧するイスラエルはイスラムの敵。しかしムスリム同胞団はイスラエルを表面的に批判はせども敵対しない。孤立することを恐れている。政権を取りたいから。
・イスラム社会は、歴史的に封建主義的な時代の規範を帯びて成長してきた。富と権力が一部の人に集中しやすく、腐敗の温床となっている。
◯リビア
・ガダフィは、イスラム社会主義を掲げ、イスラムナショナリズムを実現しようとした。
・元々部族で東西に分かれていた。51年に東出身のイドリースが統一。その18年後にクーデターを起こし、西出身のガダフィが政権を握る。
・リビアにおける革命は、東と西の内戦である。アラブの春の全てが革命では無い。
・アラブ ナショナリズムは、欧米の植民地主義で分裂させられた国単位ではなく、アラブ人という共通の意識を持とうという考え方。排他の論理を持たせないため、宗教を問わない
・ラマダンは自分の中にある欲しいという感情をどれだけコントロールできるか、そのセルフコントロールの実感をする。貧しさを実感する意味もある
・メッカ巡礼では白いシーツを巻くだけ、これは神の前では皆平等という精神による。
・豊富な資源、中国との接近、アフリカへの影響力が問題となり、欧米からのバッシングが強くなった。
・リビアには中央銀行が無かった。豊富な資源もあり、外国に借金をしていなかったから、IMFの関与もなかった。独立国。
・内戦中にNATOの空爆があったが、破壊された施設は国民にとって必要な施設。内戦後に外国資本が入ることを狙って。
・独裁者ガダフィを印象付ける報道しかなしない。民主的な機関が1つもない。
・国会は無いが、直接民主主義のマジレスという会議を主体とした仕組みを持っていた。ただし、ガダフィがYESと言わないと決まらない。
・ガダフィは政府批判を許さず、秘密警察が目を光らせた。
・アルジャジーラはアラブ世界のアジェンダセッティングを果たすほどのブランドがあるが、資金提供しているのはカタール。中東の小国がどう生きるかを模索した末、情報発信に力を入れた。
◯バーレーン
・デモが起きたら、サウジが武力で鎮圧に来た。イランとの間の緩衝国がシーア派になられると危険。
・政治体制は元々王制(カタール出自のスンニ派)だが、今は立憲君主制、実質的には国王の承認が必要で国王一族が支配。しかし国民の7割はシーア派。
・豊かなスンニ派と、ボロボロの家に10人で済むほど貧しいシーア派、宗派の違いによる差別。
・政府はイランが黒幕だと流布し、反政府勢力として抑えた。
・シーア派とスンニ派の対立は、ムハンマドの後継者選びによる。
従兄弟であり娘婿のアリー(第1の信者)を推すシーア派と、話合いで決めるスタンスのスンニ派。
◯イエメン
・貿易の要路であるアデン湾を持つ。北部にシーア派の流れをくむフーシー派がいて、政府とサウジに挑発。2010に停戦合意。イスラム過激派の拠点もある。
・湾岸国で唯一共和制。アラブの春により34年安定を保ったサーハレ大統領が辞任。
・平均年齢18、若く貧しい国。資源もない。
・北の名門サーハレ一族の支配と汚職に貧しい南部が反発したデモ。部族間の対立。
◯報道されなかった国
#オマーン
・石油が取れる中ではもっとも貧しい、宗教対立がない(スンニ派系)。王家が比較的早い段階で改革を約束したから。
・自然が多く、オマーン湾があり、近年観光が発展している
#サウジ
・アラブの中で人口が多い(3千万)、豊かで消費も大きい。アラブ全域に広がり、8割をカバーする広告代理店を持つ。欧米は批判的なことを書かない。
・オマーンを資金援助したのがサウジ。世界の原油の4割がオマーン領海内のホルムズ海峡を通るから。
・スンニ派9割、弾圧されるシーア派のデモは報道されない。世界最大の原油埋蔵量のため欧米メディアも国民を煽らない。
・タブーは奴隷制度、土地とそこにいる人がセット、多くは遊牧民で家畜の世話など、市民権もなし。
#イラク
・元々宗派対立はなく、政府派反政府という対立軸どったが、戦争後宗派ごとに権力が配分され、意識するようになった。
・シーア派が強くなり、反米、イランと仲良くなるという方向になり、米の意図とは逆。ただし石油の権益は確保している。
・イラク、トルコ、シリアにまたがって住むクルド人、独立運動が盛んだが、それぞれ重要な土地なので離せない(それぞれ石油、水、農業)。敵の敵は味方のため、隣国が敵国のクルド人を支援して政治利用されている。
#ヨルダン
・3/4がパレスチナ人、イスラエルから逃げてきたパレスチナ人が多いから。
・王政への反対が表明されたデモが起きたが、報道はされず。タイのように国民から国王が一定の尊敬を受けていて、かつデモを受けて少し改善もした。
#モロッコ
・西サハラの独立問題
#レバノン
・18の宗派がいて、結婚や政党がこれに縛られる。
・サウジとイラクの代理戦争の舞台となった。
・気候も良く自由な国なので、湾岸国が土地を買い漁り物価高騰、
◯シリア
・7割がスンニ派の中で70年にクーデターを起こして大統領になった父アサド政権はアラウィ派というマイノリティであり政治基盤は強固ではなかった。
・アサドのバアス党は、団結、自由、社会主義を掲げるが、元々母体が同じイラクのバアス党はクーデター成功時に党内を粛清したため、逃れてシリアにやってきた党員もおり、二国は対立するようになった。
・デモなどが、外国メディアによって歪んで伝えられ、アサド政権を不当に悪者にしている。
#カタール
・アルジャジーラは自由な報道というウリだが、実際にはカタールの報道はしないし、政府の政策の一部として動いている。
#トルコ
・オスマン帝国時代の弾圧から、抑圧者と見られていたが、エルドアン首相以降、アラブと欧米、アラブ諸国間の仲介役として存在感を増しつつある。
・外交戦略の目標は中東でリーダーシップをとること。
#UAE
・お金持ちで不満が少ない。ローカル、外国人専門家、外国人労働者と3つの層があり、3つ目の労働条件が悪く差別もひどい。 -
内容もさることながら、著者の経歴に思わず目がいってしまった
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アラブの春が一体何だったのか?各国でどんな影響があったのかについて並列的に説明されていた。大まかな流れを掴むには◎ それぞれの国を深く掘り下げていないので、ここを入門にして勉強していくのがいいのだろう
著者プロフィール
重信メイの作品





