- 本 ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041104330
作品紹介・あらすじ
現代人は頭でっかちになりすぎて心身のバランスが崩れているから鬱病や自殺が起こる。自然界の生物たちに学べば、自由で楽しい生き方ができるはずである。生物学の知見を引用して池田流の生き方論・幸福論を展開する
感想・レビュー・書評
-
人生の箴言を色々な角度から分かりやすく面白く伝えてくれる良書です。
生物学的な話はあまりないのですが、その研究から見えてきたものを人生にフィードバックして人生観を伝えているのですが、『いい加減』=『良い加減』だらしないわけではないけれど真面目でもない、程良い脱力が安心できます。
僕自身が元々は貴重品で真面目な性格だったのですが、窮屈で脅迫的で自縄自縛で生き苦しいというか、余裕がなくて、一言で言えば『疲れた』ので(笑)、20歳を過ぎた頃から適当を志向するようになり、『大体成功してれば良いんじゃね?』くらいに力を抜き始めてからは随分と楽になりましたね。血液型はA型ですが、最近はO型に見られるようになりました(笑)
自分を『かけがえのある存在』と認めるのはなかなか出来ないですが、これはある種の諦めで、自分を受け入れることから始まっています。それはちょうどペルソナシリーズの『自己と向き合う』『自己を受け入れる』や、為末大『諦める力』に通じるものがあります。
歳を取ってから、今までになかった能力を伸ばすのは非常に難しいものがあります。敢えてそこにチャレンジしていくというのも一つの手だとは思うのですが、『自分の能力はここまでだ』と悟り、普通とは違う形で能力を伸ばしていくのも一つの手だと思います。
自分を受け入れていない大人、つまり能力を伸ばそうとチャレンジしたり、あるいは反対に割り切ってありのままに振る舞う人は良いのですが、『このままじゃダメだ』と思っていながら『何も努力していない』中途半端な大人はどこか近寄り難い雰囲気があります。要は個性(=強み)が出ていないとダメなんですよね。
例えが適当ではないんですが、自分が戦場に行く時に、何の武器を装備するか。剣でも銃でも弓でも何でもいいんですが、得意な武器を持つのが一般的だし、逆に不得手なものは装備しませんよね。そして、何でも武器を使いこなせる人はマルチに活躍しそうだけれど、下手すれば中途半端になってしまい、武器の性能を悪くすることだってあります。
大人も同じで、個性(良い意味での)が無いと力は発揮されないし、またそれによって付き合う人間も変わってきます。まぁ著者の言うように独り善がりになってはダメですが(笑)
僕の評価はA-にします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナマケモノの話はほとんどなかった。
-
ナマケモノの生体について書かれていると思ったが、前書きで触れただけでそれ以降は全く出てこない。実際は現代の様々な社会的問題に対して、著者の考えを延々と述べている本だった。その著者の考えにエッジの利いた深さと面白さを覚え、もう一度読みたくなる内容でだった。
-
最高
-
2006年の著書「環境問題のウソ」(ちくまプリマー新書)で論議を呼んだ生物学者の池田清彦氏による「怠けのすすめ」。労働や格差・富や権力そして戦争など、地球上から決して無くなる事のない人類固有の問題を、生物学者の目線から考察する。人生が楽しいと思える究極の理由は「未来が分からないから」であり、「人は必ず死ぬから」であると論じ、自由に生きる事の大切さを謳(うた)う。自らを「日本で最も過激なリバタリアン(完全な自由主義者)」と称する筆者は、正しい生き方とは「人に迷惑を掛けないという条件で自由に生きること」と断言し、最後は「人生は計算通りに行かないからこそ面白い」と締めくくる。ちなみに表題の「ナマケモノ」に対する生物学的な分析に関しては全文の中でわずか2ページほどしか書かれておらす、本書は人間が幸せに生きるために「ナマケモノ」になる事を推奨した一冊である。
-
テレビでおなじみの池田清彦のエッセイ。
特筆すべき内容はないものの、肩に力を抜いて読むには最適の一冊かと。 -
書評『ナマケモノに意義がある』池田清彦著、角川oneテーマ21、2013年
評者:本の虫太郎 書評執筆日:2019年12月23日
「ナマケモノは毎日210時間も寝ているが、現代人は、7,8時間しか寝ていない。そんなにあくせくしないで、少しはナマケモノを見習った方がいいんじゃないだろうか」。南米に生息する動物「ナマケモノ」は、進化論の失敗作と見られて評判の悪い生き物であるが、、現代人は見習うべきではないかと本書は問いかける。
本書『ナマケモノに意義がある』の著者・池田清彦は、生物学者で早稲田大学教授を務める。多元的な価値観に基づく「構造主義生物学」を提唱して注目されている。『環境問題のウソ』『他人と深くかかわらずに生きるには』などの著作がある。
グローバル資本主義が席巻する現代社会では、いまだに経済成長のための労働の美徳が推奨される。たとえば、「経済最優先の社会において働かないこと、すなわち怠けることは社会の生産性を下げるダメなこととして非難される」。
しかし、「働くことは美徳であり、ときには義務であるかのように言われるのは、人がもつ怠けものの本性を覆い隠す巧妙な物語ではないだろうか」と本書は疑問をなげかける。貧富の格差が広がる社会においては、「働かざるもの食うべからず」という言葉は、「現実には働かないで食っているやつもいるんだから、この言葉は怠けている貧乏人に対する恫喝だ」。
生物学的な視点からみれば、人間の本性は怠け者である。「生物としての人間はもともと、働くことより怠けるほうにスイッチが多く入るようにできている」という。「人類が働くようになったのは7000年前頃に農耕を発明してからだ。穀物は貯蔵可能なので、余分に収穫できればできるほっど有難く、そのために農耕民は長時間労働を余儀なくされたのであろう。そこから「働かざるもの食うべからず」とか「労働は美徳である」といったイデオロギーが始まったのだ」という。生物学者の視点による鋭い社会観・労働観である。
それゆえ、長時間労働を強要する現代資本主義の社会システムは、本来はナマケモノである人間の本性に反しているのではないかと問いかける。「労働をはじめたばかりに人間は不幸になったのではないかと私は思う。世間は働くことに生きがいを見出せ、喜びを見出せとあおるが、あまり真に受けない方が良い。」「本当は働かない方が偉いのだ。労働が嫌い、怠けることが好きというのは動物にとってごく当然のことだ。いまの社会システムを維持するために不都合だから、非難の対象になっているだけのことだ。そもそも社会システム自体にたくさんの問題があるのに、そこを抜かして働くことは偉いと単純に考えているのは間違いだと思う」。なぜなら、「現代の労働システムは、2倍働けば2倍、3倍働けば3倍稼げるようにはできていない。一方、2倍働けば2倍、3倍働けば3倍、疲れることは確実だ。お金を使わなくても楽しいことがあると知れば、無理してお金を稼ぐ必要はない」。
長時間労働は、生物学的に本来の人間の行動様式に反しており、現代人の精神に無理を強いている。「人類は誕生してからつい最近まで狩猟採集生活をしていたので、長時間労働は本来の性質からは、はるかにかけ離れた行動様式なのではないか」。だから、「本来あまり働きたくない人が、一生懸命はたらかなければいけないという思想を意識に刷り込まれると、幸せからどんどん離れていってしまう」だろう。「あまり働きたくない人が無理に働けば、心身の具合が悪くなるに決まっている」。「現代人が精神的におかしくなって、うつになったり自殺をしたりするのは、本来の人間の行動パターンとは異なる生活をしているせいに違いない。大昔のようにぐうたら生活に戻れれば、多くの人はもっと幸せになれると思う」という。勤勉の美徳に対するアンチテーゼとして、「ナマケモノに意義がある」と主張する理由である。
では、どうしたらいいのだろうか。「まず、無意識のうちに刷り込まれている、働かないよりも働く方が偉いという邪悪な考えを払拭する必要がある。働かなければ食えないにしても、なるべく効率よく働き、仕事のことで四六時中頭がいっぱいという生活はバカバカしいと思えるようになれば、しめたものである」と推奨する。
また、「準備ばかりしている人は人生の元がとれない」という。社会そのものが無数の目標を抱えて回っているので、個人も必然的にたくさんの目標や目的を持った生き方を強いられる」。このように、「目標や目的に縛られた人は言ってみれば未来のために生きている。現代人の「いま」という時間はいつも未来からの犠牲を強いられている」。だから、著者が推奨するには、「楽しそうだな」、「やってみたいな」と思うものは、「本当はいろいろな制約をはねのけてでも即実行すべきなのである。楽しみを先送りばかりしていると、その人は最後まで人生の元を取れずに死んでしまうことになる」。このような「未来の楽しみのために現在の楽しみを我慢するという先憂後楽の発想は、禁欲と節制を説く儒教精神の影響」であろう。けれども、「歳を取ってくれば後憂はともかく先楽の市井にシフトしていった方がいい。貴方の命がいつなくなるか、ほんと誰にもわからないのだから」。先楽のススメである。
「激動の時代をうまく生きるのは、男より女である」という。生物学者の観察眼から、「個人差はあるが、男性より女性の方が環境に適応していく能力において勝っている」という。「順風満帆だった人が突然奈落の底に落ちたとしても、男性と女性とでは逆境への適応能力が違うみたい」らしい。「力を加えても変形しない物体を剛体という。その特徴はある一定の力に対しては強いが、あるレベルを超えるとポキッと折れてしまうことである。一方ゴムのような樹脂はちょっと力を加えただけでふにゃふなになってしまうが、剛体のように折れてしまうことはない」。困難やストレスに対して、剛よりも柔の方が強いのである。
さらに、「いい人になる必要などまったくない」と言いきる。なぜなら、「いわゆる「いい人」というのは、結局、自分の規範に従うというよりも他人からどう思われるかを気にしている人である。親切な人と思われたいとか、優しい人と思われたいとか、たいがい他人の目線に合わせて行動している」。しかし、「相手によく思われようとして無理に「いい人」を演じている場合は、だんだんストレスがたまってくるだろう」。そして「「ついにはうつになたり病気になったりする」。だから、「「いい人」でなくても、そこそこの仕事をしていれば、世間が認めてくれないことはないわけで、若死にしたくなかったら、泥沼に陥らないうちになるべく早く「いい人」から離脱した方がいいと思う。多少わがままでも世間は渡っていえるのだから」。憎まれっ子世にはばかるともいうだろう。
新自由主義に基づく競争社会では、経済・所得格差も広がり、生き辛さを抱える人が多くなっている。「自分と他人を比較するためのサンプル数が極端に多い時代」であり、マスメディアからネットの世界まで、「現代は人を不幸にする情報に満ちている」。このような「幸福感が減少していく社会をいかに生きるか」。幸福になるための「処方箋は2つある」という。ひとつは「比較から逃げること」である。男は特に競争して勝つことに強い喜びを感じる傾向があり、そのために参加しなくてもいい競争にかかわってしまうところがある。しかし、不幸な思いをあまりしたくないのであれば、そんな競争からはどんどんはずれていくことだ。人と比べるのをできるだけ止めることである」。
もうひとつは「マイナーなことに喜び覚えるように頭を切り替えること」である。「収入や世間的な地位といったメジャーなものさしで比較するとみじめになるような人でも、ごくマイナーな場所ではだれにも負けないスキルを持った人がいる」。「虫取りや釣りの名人の中には社会的にはあまりうだつが上がらない人もいる。でも彼らは楽しそうだ。それはメジャーな比較を止めて、自分の最も得意なマイナーなところだけを見て、幸せを感じるような頭になっているからだ。だから趣味はなるべっくマイナーな方がいいのだ」。社会的な出世のパイはごく限られているが、趣味の世界は、だれにも無限に開かれている。
本書は、現代の資本主義社会が強要する勤労の美徳や仕事中毒に疑問をなげかけるが、仕事をまったくしないことを勧めるわけではない。ほどほどに仕事をして、ほどほどに怠けて、マイナーな趣味など、自分自身のものさしでマイペースに人生を楽しむ大切さを気づかせてくれる。人間の怠け者の本性から、働くことと怠けることのバランスを再考させてくれる好著である。(了) -
うーん。
-
努力は報われるという信仰は捨てた方が良い
いい人にわざわざなる必要はない
「成功」の本当の意味 日本人の不安はどこから来ているのか
著者プロフィール
池田清彦の作品





